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第3話 迷い人

「布の原料の糸は、蚕から作られる。なら、蚕を飼えば」


 部屋で相変わらずぶつぶつ呟く私の計画に、磐は困った様に微笑んだ。


「その為には、まず一定量の蚕を捕まえなければなりませんね」

「そうね。もしも布がこのまま手に入らなければ、やるしかないわ」


 布、その他に糸も必要だ。


「ふふ、まるで巣作りする子栗鼠の様ですね、斎宮様」

「子栗鼠は違うと思うわ」


 そう言って、ちらりと私は壁際の机の上に置かれた鏡を見た。


 そこに映るのは、ごく平凡な容姿ーーいや、どう好意的に見ても平凡よりも更に下回る顔だ。磐達、この斎宮の宮に勤める者達はそんな事は無いと言うが、それは彼女達の目がおかしいのである。

 そうーーどこからどう見ても、蛙顔、不細工ではないか。


「斎宮様ったら」


 一方、磐のなんと美しい事か。

 濡場玉の長い黒髪に黒曜石の様な瞳。

 それとは対称的な白く艶めかしい張りと艶のある肌。

 蠱惑的な体付きは、同性から見ても垂涎ものである。


 白百合を思わせる清楚な美貌を前に、私は自分の顔と磐の顔を見比べた。そして絶望した。


 今更だ。今更である。


 しかし、どうしてこう、傷口に塩をすり込む様な真似をしてしまうのだろうか?


 ーーいや、今はそれよりも足りない物資をどうするかだ。



 周りは山と森に囲まれている。

 山や森の恵みは豊かで、木の実や山菜などの食べる物には事欠かない。

 それに、河や泉、湖などもあり、魚も豊富で、なおかつ塩の湖ーー塩湖も存在していた。


 森には動物達も居るし、肉の類いも大丈夫だ。


 そして、住まいはこの斎宮の宮がある。


 かなりしっかりとした造りの為、今の所は建物に壊れた部分も見られず修繕の必要はない。まあ、修繕の必要が出て来たとしても、一応必要な道具は揃っている。


 その中で足りないのは、やはり新しい衣服を仕立てる布類だ。


 衣服は多めに用意されてはいたが、それでも毎日着替えていればそれなりに草臥れてくる。


 本当に、早く王都から使者が来れば良いのに。


 そうしたら、数年分の布類やら糸類やら何やら貰って、後は大人しくしている。そう、誰にも迷惑なんてかけずに。


 この山深い場所で、静かに当代の大王の長き治世が続く事を祈る。



 だからーー



 その時だった。外が騒がしい事に気づいた私の傍で、磐もそれに気づく。そして、立ち上がろうとした私を制止し、代わりに部屋の入り口へと向かった。


 そして、その入り口に垂れ下がる布に手をかけようとしたその時。


「斎宮様」


 向こうから、馴染みのある声が聞こえてきた。この斎宮の宮に勤めてくれている娘だ。


「どうしました?」


 そう問い返せば、彼女はどこか焦ったような声をあげた。


「も、申し上げます」


 その続きを聞いた私達は、「そりゃ焦るわ」と思った。と同時に、慌てて外へと飛び出していったのだった。





 目を覚ました時、彼はそこが冥府かどこかだと思った。

 自分を追いかけ回した相手は自分の死を望んでは居なかったし、むしろこの身の略奪を狙っていただろう。けれど、彼としては向こうの手に落ちるぐらいなら死を望む。


 いや、どうせならわざとその手に落ちて相手を利用し尽くせば良かったかもしれない。


 自分の命を無駄に散らせた事に苛立ちを覚えた彼にとって、自身の命などそれぐらいの価値しかなかった。


 彼にとって、自分の命は利用出来るかどうかが大事なのだ。

 いや、彼を構成する全てが彼にとって利用出来るかどうかでしかなかった。それぐらい、どうでも良くて、いや、むしろ忌まわしいとすら思うものだった。


 まあ簡単に言うと、彼は生きる事に大した興味を持てなかった。


 彼が生きているのは、生きる理由はただあの方達に仕える為だ。

 そしてあの方が奪われた物を取り戻す為である。


 だが、もし自分が死んでも代わりは居るし、優秀な者達も沢山居る。


 だから、死んだら死んだで良いのだ。

 それに死ねば、先に向こうに行った者達に会えるかもしれない。


 

 彼が、愛したーー




「目が覚めた?!」




 一人である、妹に瓜二つの少女が彼の顔を覗き込んでいた。






「まあ、賊に襲われてーーそれは大変でしたね」


 怪我は幸いにも酷くはない。

 けれど、賊に襲われて逃げる際に崖から落ちたというから、見えない部分が傷ついている可能性はある。


 彼が目を覚ましたという報せを受けて部屋に入った私は、この宮が【斎宮の宮】であり、もう安全であるという事を伝えた。

 流石に大王が直接任命した斎宮が住まう宮を襲う様な無謀な者は居ないだろう。それが盗賊だとしても、大王の権威を高める為の斎宮を害したとなれば、朝廷は黙ってはいない。


 それにしても、その青年は美しかった。

 長く艶やかな黒髪に、煙るような眉毛の下にある黒曜石の様な瞳。

 紅く濡れた口唇と、白く艶めかしい肌。

 ほっそりとした肢体からは、聖職者すらも惑わしかねない色香を放っていた。


 そしてどこか窶れた様な様子は、更に色香に悩ましい艶というものを含ませていた。


 優しげで優美な、どこか女性的な顔立ちの彼は、その声すらも麗しかった。


「ご面倒をおかけして、申し訳ありません」


 その声がどこか震えているのに私は気づいた。


 ここが【斎宮の宮】である事、そして自分がこの宮の主である斎宮という存在であると話した時、彼はまるで信じられないと言わんばかりに目を見開いてこちらを凝視していた。

 その様子を見て、もしかしたら彼は逃げている最中に思いもかけずにこの場所に来てしまったのかもしれないと思った。


 例えば北に行く筈なのに、気づけば南に来ていたら、それは驚くだろう。


 それに、斎宮という存在は無闇矢鱈に人前には出ないし、むしろこの宮の中に入れば外との交流は殆どない。ましてや、男性が斎宮に会う事はーーって、男性と出会ったどころか同じ部屋に居て大丈夫だろうか?大王に怒られーーいや、あの大王の事だから、下手したら処罰されるかもしれない。


 いやいや、ここに居るのは私のよく知る者達だから誤魔化してくれるだろう。というか、最初は磐も居たのに、何故か突然他に仕事がと言って部屋の前でさっさと別の場所に行ってしまったのだ。最初に報せを受けてまだ眠っている彼の所には一緒に来たと言うのに。


 あ、その時は寝ていたので、今回は私にとってこの部屋に来るのは二度目だった。


 まあそれはさておき、処罰の方も、とりあえず彼さえ丸め込めれば何とかなるかもしれない。いや、何とかしないと、私はまだしも下手すれば彼も処罰されてしまう。


 私は口を開いた。


 私をジッと見つめていた彼が、思いの外強い視線を受けて目を瞬かせる。


「あの、その、斎宮とは本来男性とは会わないんです」

「え、あ、はぁ」

「ですが、今回は緊急事態なのでこうして特例としてお会いしましたが、その、本来は許されない事ですので、これがバレたら処罰されるかもしれません。ですから、この事はどうか内密に」


 焦るようにして早口で言うが、相手は理解してくれたらしい。

 こちらを安心させるように彼が微笑んだ。


「分かりました」

「あ、ありがとうございます。あの、今後は直接お目にかかれませんが、怪我が治るまでここに居て下さって構いませんから。あ、でもあんまり長くなると家族の方が心配しますね」


 連絡だけでもーーそう呟いた私は、突然空気がひやりとしたのを感じて反射的に彼を見た。


「ーー家族はいません」

「……え?」

「いないんですよ、家族は。まあ、同僚や主は心配するかと思いますが」


 家族が居ないーーいや、そういう者達も居るだろう。それを失念していた私は、頭を下げた。


「申し訳ありません」

「え?!い、いや、貴方様が謝る事ではありませんっ」

「いえ、誰にだって触れられたくない事はありますよね」


 彼にとって家族がそれだと私は気づいてしまった。しかし、彼は頭を下げる私に慌てたようで困り果てる様子が伝わってきた。


「その、本当に大丈夫です。もうあれから数年は経っていますから」


 そう言って少し寂しそうに笑った彼に、私は悩んだ末に質問する事にした。


「宜しければ、どちらから来たのかお聞きしても?その、斎宮の宮は人の出入りは殆どないので、外の事は殆ど知らないんです」


 良ければ外の事を聞きたいと言うと、彼は笑顔で頷いた。


 そして


「私は大王様にお仕えする、朝廷の官吏をしております」


 と言ったので、驚いた。



 布足りない案件がこれで解決するではないか?!



 と言う事実に思い当たり、思わず叫んでしまった。



 その叫び声に、驚いた磐が駆けつけたのは言うまでもなかった。



 ごめん、磐。






 斎宮の宮の中で年若い部類に属する未緒は、自分が見つけた斎宮の宮の客人が居る部屋へと急いでいた。そんな彼女に、廊下をすれ違った女性が振り返り声をかける。


「未緒、そんなに急いでどこに行くの?」

「お客様のとこ!」

「え?ちょっと待って」


 その女性がすれ違う未緒の手を掴んだ。


なぎさ?」

「その方は男性でしょう?未緒、いくら貴女がまだ幼いとはいえ、それでも十二になったの。あまり殿方の所に行くのは感心しないわ」

「なんで感心しないの?」


 幼い未緒には理解出来ない。

 まだ七つになるかどうかの幼い頃に外界から隔離されたこの場所に来た未緒は、男女の仲ーー世間一般で求められる関係性を理解出来ない。


 それに、未緒は単純に自分が助けたお客の事を心配していた。それを止めようとする渚に、未緒は不満げに頬を膨らませる。


「別にこれを届けに行くだけだもん」


 未緒の手には、採れたばかりの果物があった。


「未緒」

「それに、私が駄目なら誰が行くの?」


 未緒に言われ、渚は言葉に詰まった。

 何せ、この斎宮の宮に勤めるのは女性達しかいない。だから、誰か彼かは彼の世話をする為に傍に行く。渚はまだ世話役に当たった事はなく、彼女は彼の姿すら見たこともない。

 けれど、彼が紳士的で自分の世話をしてくれる相手に紳士的に対応してくれている事は人伝に聞いていた。


 それを思えば、未緒が彼に果物を渡しに行っても問題はないと思うのだがーー。


「なら、渚ちゃんも来ればいいんだよっ」

「え?」


 未緒は、自分よりも年上の渚も一緒なら大丈夫と笑う。

 確かに十二になる未緒に比べて四つ年上の渚は今年十六になる。


 しかし、そういう問題ではない。


 だが、未緒に手を掴まれ強引に引っ張られた渚は半ば無理矢理その部屋へと引きずられていった。


 そして、未緒は元気よく扉を叩く。


「失礼します!」


 そう言うと、未緒は渚を部屋に引っ張り込む様にして中に入った。





 彼はその時、気分転換にと渡された書物に目を通していた。

 ここに来て一週間。

 衣食住に困る事なく、ましてや貞操を心配する事もなく穏やかな日々を過ごしていた。

 世話をしてくれる女性達は優しいが節度を持って接してくれるし、彼の希望を出来る限り叶えてくれた。


 そんな彼女達の顔を見ながら、彼はここが本当に現実世界だと信じられないでいた。


 ここが現実世界である筈がない。


 それぐらい、この場所は穏やかで平和でーーそして、温かい場所だった。


 現実世界で少しずつ削り取られた物が戻ってくる様な感覚。


 そして彼は待っていた。


 彼が助けられてから、毎日何かと顔を出してくれる、小さな訪問者を。



「失礼します!」



 今日もまた、明るい声で彼女はやって来る。

 彼が失った小さな妹。

 生きていれば、彼女ぐらいになっていただろうか。


 そんな彼女が居るだけでも、きっとここは現実世界ではない。

 いや、そもそも斎宮の宮は。



「今日は果物持ってきました!あと、渚ちゃんも来ましたっ」



 ーーえ?



 明るい声に笑みを浮かべて顔を上げた彼の瞳が、その一点を見つめて見開いていく。



 その先に居たのは



「ーーっ」



 彼女もまた、自分を信じられないと言った眼差しで見つめていた。



 まさか、そんなーー


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