第21話
「未緒ーー」
「みや、さま」
ようやく体の調子が安定した頃、私の所に未緒がお見舞いにやってきた。
「未緒、恐い思いをさせてごめんね」
「ーー」
その細い体を抱きしめれば、未緒が私の胸に顔をすりつけてくる。
「お食事の用意をしましょう」
「お願いしますね」
まだ食欲は完全には戻ってはいないが、お粥ならば一杯を時間をかけて平らげられるようになっていた。
「未緒は何か食べたい物はある?」
「……おなじの」
「じゃあ、お粥を二つお願いしましょうか」
私が毒殺されかけた時をきっかけに、未緒は少しずつ言葉を発するようになったという。けれど、話をする相手はごく僅かで、私と一緒に居る時が一番多いとか。
食事を取った後は、未緒と二人で裁縫を行なう。
刺繍は苦手だが、繕い物は意外と得意だったようで、私は手を動かしながら未緒に話しかけていく。
「ああ、姫様に繕い物など」
「お話しながら出来るのだから、時間を有効に使えて一石二鳥だわ」
淑宝が嘆くが、繕い物をこなせて、しかも話が出来て、未緒の言葉を引き出せてーー三鳥ぐらいはあるだろう。
「未緒は刺繍の方が上手ね」
「……」
未緒が嬉しそうに笑う。
表情も最近は豊かになってきたと思う。
「流石は未緒様ですね。これは売り物になる技術ですわ」
「凄いわ未緒!私も頑張らないと」
「姫様もお上手ですわ!ーー繕い物が」
何故かそこで視線を逸らされた。
「刺繍もやった事にはやっていたのよ?磐からも厳しく指導ーー」
私は、殆ど会う事の出来ない磐を思い出し項垂れた。
「お、音羽姫様」
「……私に力が無かったばかりに、兄の毒牙にかかって」
「え、あの」
「沢山いる妃の一人にされてしまって」
まさか、神を大勢居る妃の一人には出来ないだろう。しかし、それでもーー。
「お兄様って、好色なのね」
「って、 姫様が」
「いや、大王って普通沢山妃が居るもので」
その事を伝えた黄牙に、光明は言い訳をする。
確かに、この国では地位や身分の高い者達は多くの妻を持つのが普通である。一夫多妻制の制度がある。
だから普通は何の批判もされない。
「だが、特別なのは磐だけでっ!!」
「まあ問題は磐長姫の地位だろう。一番下の最下位だからな」
「そ、それはっ」
最下位の妾妃になってしまった、磐長姫。
そこしか空いて居なかったというのもあるが、まだまだ邪魔者の始末が終わっていないのだから仕方が無い。
だが、その言い訳だけでは済まない者達も居る。
「最低」
「元許嫁だと言うのに」
「せめて貴妃の地位に就けるべきです」
「本当に、甲斐性の無い」
「皆様落ち着いて。むしろ今の方が磐長姫と私達がイチャイチャ出来てよ」
その手があったかーー!!
そんな顔をするのは、後宮の妃達の中でも、光明側と呼ばれる妃達だ。
後宮には様々な妃達が居るが、大きく分けて自らの意思で後宮入りしてきた者達、無理矢理後宮入りさせられた者達、親族の言いなりのお人形の様な者達に分かれる。
その中でも、無理矢理後宮入りさせられた者達、お人形の様な者達の中には、光明と気が合うというか、見込まれて同盟関係を組む様になった者達が居た。
簡単に言うと、光明に協力して後宮内での【目】、【耳】、【手足】になる事を約束した者達である。当然ながら、彼女達の忠誠は家などではなく、光明個人にされている。
元々、後宮から出たくて仕方なかった者達、好きな相手、許嫁や恋人が居たのに後宮入りさせられた者達が多く、故に一定期間が過ぎた後は自由の身になる事を約束されているし、特別な相手が居ない者達であれば、そのまま侍女や女官として働いても良いという確約を彼女達は得ていた。
そんな彼女達にとっては、光明は上司であって異性ではない。しかし、彼女達にとってはとても良い上司である。それこそ、幸せになって欲しいと思うぐらいには。
そんな光明がずっとずっと恋慕っていた相手がようやく見つかったという報せに、彼女達は心から祝福していたのだがーー。
斎宮の宮を襲って無理矢理連れてきました
その後、無理矢理妃にしました
でも、大勢居る妃達の一人で、しかも下の地位にしました
相手、物凄く拒否してます
という情報を収集した彼女達は、光明に対して罵りの言葉を吐いた。良い上司だけど、夫としてはどころか男としては駄目である。
時には、彼女達は徒党を組んで磐長姫を庇い、光明との戦いを繰り広げるまでに至り、そこには可憐な妃の姿は無かった。むしろ、数々の戦を勝ち抜いた女傑である。
「イチャイチャってなんですかっ!」
「イチャイチャはイチャイチャです。ふ、私達の仲良さげな姿を見て苦悩に打ち震えるが良いっ」
おほほほほほほっ!!と、高笑いしながら磐長姫を連れて去って行く妃達はとても楽しそうだった。一応、名目上は光明が夫なのに、微塵もそんな事は感じさせなかった。大王に対する敬意すら見当たらない。
中には元豪族の姫達で、深窓の姫君達も居るというのに、どうしてこうなった。どこかで爆発したのか。
まあ言い換えれば、それだけ彼女達が自分を押し殺さずに済む環境を光明が提供したという事にもなるが、ここまで変わって良いと言った覚えはない。
あと、磐長姫も自分を気遣いせっせと面倒を見てくれる彼女達に懐き始めた所がある。
「泣かないで、磐長姫」
「音羽姫様は大丈夫よ」
「そうよ。大王は腐っても紳士な所もあるし、ご家族を大切にされる所があるわ」
「あの阿良斗大王とは雲泥の差のご立派なお方よ」
「むしろ、妹に構い過ぎて「うざっ」とか言われてるぐらいだから」
「そうよ、ああ、音羽姫様がお労しい」
「お前ら!私の事を何だと思ってる!」
拉致監禁強制結婚野郎!!
口を揃えて言った彼女達と追いかけっこをする光明は、年齢相応の健康的な逞しい青年に見えるこの不思議。
「なんか最近、あの妃達も足が速くなってるな」
「あれだけ重ね着してあの足の速さですからね」
「装飾品も結構重いからな」
「きっと、日々もしもの時の為の避難訓練を実施しているのでしょう」
神の言葉に、黄牙は歌うように言う。
それ絶対に違うーー
叶斗は心の中で思ったけれど、黙っておく事にした。
「その、姫様。この国では、地位あるお方は沢山の妃を持つのが普通で」
「それは分かってます」
分かっているが、それでもこうもやもや感がーーと、きつく言い過ぎた。淑宝が悲しそうな顔をしているのが見えて、私は慌てて口を開いた。
「ごめんなさい!貴女を責めているわけではないのーーただ、こうもやもや感が渦巻いているだけで」
「まあ姫様!私達は大丈夫ですわ。その様に気を遣わないで下さいませ。それに、そもそも私達侍女の役目は主が健やかに過ごせる様に気を配り実行する事ですもの。ですから、姫様が謝罪する必要はありませんわ」
「それでも、貴女達だって傷ついたり嫌な思いをするでしょう?」
「音羽姫様」
「いくら皇女だからって言ったって、言って良い事と悪い事があります。ただ、もしかしたら、そういう考え方は庶民の考えだからと言われるのかもしれません。ですが、私は皇女だから他の人達にきつくあたったり、厳しくしたりするのは当然と言うのは納得出来ません」
私の考えや行なう事には、平民と呼ばれる者達の物が混じっているのは否定出来ない。斎宮の宮には、貴族以外の者達も居たのだから。
それでも、私は言いたい。
「その身分それぞれのやり方があるかもしれない。でも、私自身は何かをして貰って当然、こちらが酷い事を言ったりしても当然と思ったりはしたくないんです。きちんと謝罪と感謝を伝えられる人として生きて行きたいから」
悪い事をすれば謝り、嬉しい時には感謝し。
そういった気持ちを忘れないで生きていける人間で居たい。
「それに、自分が嫌な事を人にはしてはいけないと母に言われました。だから、私は今みたいに言われたら嫌だから、その嫌な事を他の人はしたくないです。例え、私より身分が下の相手であっても」
未緒が、私にしがみつく。
淑宝の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「え、あの、どうしたんですか?!」
「姫様……なんとご立派な」
「え、いや、立派はどうかと……私、騙されやすいですし」
そうーー騙されやすい。
斎宮の宮に行く前にもそれで痛い目を見ている。
まあ、あれは騙されるとは少し種類が違うけれど、それでも装飾品を安く買い叩かれた事は数多くある。それで苦労した事も多々あった。
「騙す方が悪いのです」
「巷では、騙される方が悪いんですよ」
確かに騙す方が悪いが、騙される方だって悪いという言葉は悲しい事にあるのだ。そして、騙す者達が居なくならない限り、騙されない様に自衛する事は必要である。
ただ、余りにも周囲を疑い過ぎるのもまた疲れる事なので、疑わなくても済む相手を作るのも大切だって母が言っていた気がする。
「良い?音羽。皇女として今後生きる貴女には多くの者達が利権を狙って群がるでしょう。まず大事なのは、情報を集める事です。そして、すぐに人を信用しない。人を疑う事も大切です。そして、自分の信を置ける部下を作り、自分の価値を高める事も重要となるのよ」
……思えば、母は色々と大切な事を私に教えてくれていた気がする。いや、教えてくれていた。
私が思い出せないだけで、きっと沢山私に大切な事を話してくれたのだろう。
それを果たして実行出来るかは別としても、それを聞かされているかどうかで心構えは変わってくる。
「貴女は今後多くの者達と関わっていく。その中で、貴女の考えに賛同し付いてきてくれる者達も居るでしょう。けれどね、音羽。貴女の考えに賛同はしても、貴女が間違っている時には厳しく指摘してくれる者達を蔑ろにしてはいけません。貴女と意見を違える者達を感情のままに廃してはいけません。違う意見、厳しい意見、それを大切にしなさい、音羽」
母の、笑顔がーー思い出せた。
「……お母様」
「音羽姫様?」
ああ、そうだ。
母は、そうやって私に教えてくれたのだ。
どうして忘れてしまったのだろう?
例え理解出来なくても、それでも、母は私を。
「そして音羽、いつか貴女のお兄様を」
ええ、お母様。
「助けてあげてねーー」
私が助けられなかった時にはーーそう、母は言い残して間もなく。
母は死んだ。
父に殺された。
産まれてすぐに父に奪われ、返して欲しいと訴え続けて。それでも返して貰えず、聞こえてくる父の兄に対する非道に嘆き悲しんでいた母。
逆らえば殺される。
自分以外の者達にまで累が及ぶ。
一族を見捨てられず、私を身ごもった後は私を守る為に、母は強く出られなかった。
それでもあの日。
母は父に酷い目に遭わされ続ける兄の姿に耐えられずに。
そして、一族が兄を大王に捧げる手助けをした事に絶望して。
一族は、自分達の利益の為に、母から兄を奪い父へと渡したのだ。
母は絶望に染まりながら、それでも兄を助けに向かった。
そして、殺された。
一族が滅んだのは自業自得だ。
今も生き残っていたとしても、きっと滅ぼされただろう。
一族を守る為に兄を捧げたのでなく、更なる利益の為に一族は兄を捧げ、自分達は見目の良い奴隷達を買い漁り囲った。
そんな一族に愛想を尽かした母は、自分の死後に一族にも累が及ぶ様にした。
ただ、私ーー娘だけが生き残る様にして。
政略結婚の道具とされた母は、決して満足な教育を受けられたわけではない。それでも、心ある者達の言葉を聞き、学び、そしてその聡明さでもって母は足りない部分を補っていった。
決して顔だけの存在では無かった。
「音羽姫様ーー」
「お母様……」
兄は可哀想だと思う。
自分は役立たずの皇女だと言われていたけれど、母が傍に居た。母との時間は長くは無かったけれど、それでも美しくもない私の利用価値は無きに等しく、母の傍から引き離される事は無かった。
大王に、父に疎まれ、一族からも役立たず扱いされ、その美貌によからぬ思いを抱く者達の魔手をかいくぐりながら、母は私を愛してくれた。
そんな母の愛情を傍で受けられなかった兄。
でも、母は兄の事も愛していた。
私がいなければ、きっと母は父と差し違えてでも兄を助けに向かっただろう。いや、差し違えていれば、きっとまた別の相手が兄を囲った筈だ。けれど、頭の良い母であれば、きっと何か兄が自由に生きられる方法を考えてーー。
返してーー私の息子を
母は寝言でよくそう言って泣いていた。
母は最後まで兄を取り返したがっていた。
兄を取り戻し、その体を抱きしめたいと願っていた。
けれど、私がいたからーー私が、お腹に出来たからーー
お兄様は、一人ぼっちになってしまった
お母様に抱きしめられる事も無かった
普通の親子の様に、暮らす事すら叶わなかった
「お兄様が苦しんだのは、私のせいもあるのね」
「音羽姫様?」
兄と母を引き離したのは、あの父。
けれど、引き離し続けたのは、私だ。
「みやさま」
「私は」
くすくすと笑う声が聞こえる。
私を嘲笑う声。
ああ、また聞こえてくる。
貴女が居たばっかりに、皆が不幸になるーー
それは真実なのだ。




