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第2話 斎宮の宮


 そうーーそれは、今からもうずっとずっと昔のお話だ。

 今はもう誰も語るものも居ない。


 その世界は遙か昔に一度壊れ、それよりもずっと前にその国は存在していた。

 まだ人と神が近かった太古の世。


 不思議な力がまだその身近にあり、人の手にあった頃の世。



 そんな、遠い遠い昔のお話である。




 山から流れ出る湧き水が、至る所から流れ出る。

 その一つーー宮殿からそう遠くないその湧き水が生み出した池の前でしゃがみ込み、水面を眺めていた少女は後ろから自分を呼ぶ声に顔を上げた。


斎宮様さいぐうさま、斎宮様ーーどこにおわすのですか?!」

「私はここよ!」


 声を上げれば、枯れ枝の積もった道を小走りに長い裾を翻しながら、一神の女性が駆け寄ってくる。


「斎宮様、またここにいらしたのですか?いいえ、いらしても良いですが、お一人で出歩くのはやめて下さいとあれほど」

(いわ)は本当に心配性ね。別に、何も起きないわよ。そもそも、ここは斎宮さいぐうみやの敷地内。それも中心部に近いわ。それに、大王おおきみが直々に命じた斎宮に何かするという事は、大王に刃向かうも同然の事。いえ、それ以前にこんな辺境の地にわざわざ来る様な輩もいないでしょう。ここは、【死に地】なんだから」


 この国は元は小さな小国から始まり、今では五つの小国と三つの中規模程度の国、そして一つの大国を支配下においた大国であり、大王という存在によって統べられていた。そんな大王がある日、神々からの神託を受けて生まれたのが斎宮という存在だ。斎宮は未婚の処女が選ばれ、都から遠く離れた辺境の地に造られた宮殿から当代の大王の治世が末永く続くように神々に祈る存在だった。いわば、巫女の中で一番偉いといった地位だが、実際には何の権限もなくただ祈るだけのお人形だ。

 そして、斎宮の宮は【死に地】と呼ばれる、辺境も辺境の地に造られている。

 海と山に囲まれ、他国からも入り込む事が難しければ、自国の者もまた入り込むのが難しい天然の要塞。


 領地にしたは良いが、使い勝手のないただ自然が広がるそこを、神のおわす場所としたのは良い。そして神のおわす場所なのだからと斎宮を置いたのも、まあ良いだろう。


 ただ、女として産まれた幸せを全て都に置き、男を近づける事なくひたすら祈りと潔斎の日々を過ごすのは、年若い少女にはある意味酷な事だ。


 斎宮は、大王の姫の中から選ばれる。

 大切に育てられた姫達の中には過酷の余り拒否する者達も現れるのが常で、結局一番立場の弱い者に押しつけられる。


 自分もまたそうだった。


 皇后だった母は、まだ年若くして大王への忠誠の証と捧げられた。そんな母はもう亡く、母の実家も内乱だかで新しい家が立った。

 そんなわけで、後見も何も無い姫である自分は、例え正妃腹とはいえ立場の弱い存在だった。


「斎宮様ーー」


 斎宮となった時に、本来の名前は捨てる。


 オトワヒメ


 もうその名を呼ぶ者は居ない。


(いわ)、磐、ここには誰もいないわ」


 それでも、彼女だけは別だ。


「斎宮様」


 彼女ーー自分が拾い連れてきた彼女だけは、自分の望みを叶えてくれる。両親に似ぬ平凡な顔立ちだが、それで可愛らしく小首を傾げればそれなりに見える事は知っている。そんなあざとさも父から嫌われた原因の一つだろうが、磐にはよく利く事を理解していた。


「……仕方ありませんね、私のヒメは。音羽姫おとわひめ

(いわ)、大好きっ!」


 そう言って飛びつけば、磐はやれやれといった感じで自分を抱き留めた。

 磐と自分は同い年の十六だが、中身はきっと磐の方がお姉さんだろう。


 この国では、女は地位や身分のある者達は若くて十歳、遅くても十五歳までには結婚する。それを越えれば完全な嫁き遅れ。よって、既に適齢期を過ぎた私と磐は、完全な嫁き遅れだった。

 といっても、私に仕えてくれている女性達は若くて十二、一番上で二十五、六だ。斎宮の任が解かれる頃には完全な嫁き遅れになっているだろう。


 斎宮は新しい大王が立つ事で新しい斎宮に交代する。

 ただし、私の場合にはそれは当てはまらないと思われるが。


 父に疎まれ、追放の様にしてこの地に斎宮として送られた私だ。そして、付き添ってくれた者達も、何かしら罪を犯した者達だとして処刑を待つ身の者達だった。それらを、斎宮としての体裁を整える為に私に付けた時点で、父の私に対する思いなど知れているだろう。


 それでも、ここでの生活自体には不満はなかった。


 まるでここだけが別世界の様に穏やかに流れる。

 送られてくる物資は少ないけれど、豊かな自然は沢山の恵みをもたらしてくれる。山の恵み、水の恵み、河や湖の恵み。それらの恵みに加え、斎宮の宮の敷地内には宮の住人達の食料を賄えるだけの畑が宮殿内の者達の腹を満たしてくれる。


 男達は居ないけれど、それでも仕える女達は質素ながらも十分な生活をしていた。


「今年も実りが多く、豊作ですよ」

「本当?!それは良かったわ」


 この地に来て、もう五年になる。

 それでも五回目の実りの知らせを聞くと、心底ホッとする。


「ただ、流石に布類が少し不足しているようですが」


 布類もここに来る時には必要なだけ持ってきた。ただし、余り良い質の布ではないので、何回も洗う内にすり切れて駄目になってきている物も多い。

 今すぐどうなるという訳ではないだろうが、それでも来年には新しい布類を補給して貰う必要があるだろう。


「大王様に手紙を書くわ」


 ここでは紙類の類いは大変貴重だ。だが、出し惜しみをしている余裕はないだろう。布類を頼む時に、紙類も補給して貰うとしよう。



 そうして今年も無事に季節は巡り、冬を迎えて年が明けた。





「問題があります」


 年が明け、今年も質素に年越しをした斎宮の宮で、斎宮付き侍女である磐が口を開いた。


「……私もうっかりとしていたわ」


 私は大きく溜息をついた。

 その手には、書き上げた書状があった。


「そもそも、いくら手紙を書いても、それを届ける術がないのよね」


 思えば、ここに放り込まれてから一年目は、向こうから使者がやってきた。けれど、それ以降は全然来ていないのだ。

 一応、腐っても大王の姫君であり、斎宮でもある者への対応とは思えない。毎年必要な物資類だって存在する。しかし、品質は別として押しつけるようにして斎宮の宮に運ばれた物資は数年分はあったし、ここに放り込まれた時には国のあちこちで内乱の種が燻っている状態だったから、そちらでかかりきりで遅れているのだろうなんて当時は思っていたがーー。

 思い返せば、その年、その次の年もそんな感じで「仕方ない」と完結していた。


 しかし流石にそれが続けて四年ともなれば、仕方ないでは済まないだろう。


 何かあったとしても、四年も続けて何の音沙汰もないとなれば、これはもう完璧に放置されているのか。


 ただその場合の対応が二つに分かれる。


 一つは、もう向こうは頼れないと見切りをつけるか。

 一つは、それでも向こうに連絡を取って物資を融通して貰うか。


 ただし、後者の場合はくれるかくれないかの二つに分かれるが。


 だが何にせよ、問題はただ一つ。

 この辺境の地からどうやってこの手紙を届けるかである。


 首都から遙か遠く、男の足でも二月(ふたつき)以上の旅となる。女の足ならば、その数倍はかかるだろう。それに、この斎宮の宮内はまだしも、その外に出れば女性だけで彷徨くのは難しい。道中、盗賊や海賊の類いだって出ないとも限らないし、村や町だって女性だけの旅となればよからぬ考えを持つ者達が出ないとも限らない。


 ならばと手紙を誰かに託そうにも、首都まで無事に届くか分からない。多くの者達の手を通す場合も、一人で届けて貰う場合も。それに、そこまでの旅費はどうしたら良いのか。


 金銭類の類いは残念ながら持ち合わせてはいなかった。それに、装飾品の類いも質が良くなく、到底数ヶ月分の旅費には見合わない。


 それに、そもそも誰が繋ぎを取りに外に出るのか。


 思えば、周辺には村や町はなく、一番近くても男の足で二日はかかる。


 そこまで行くだけでも事である。


 それを考えれば、改めてここでの生活が質素ながらも恵まれていた事に気づいた。一応、この斎宮の宮から出なくても生活がしっかりと回っていたのだから。


 それは、斎宮の宮近くに塩の採れる塩湖の存在も大きく関係しているだろう。


 人は塩がなければ生きてはいけない。


 少なくとも、今まで衣食住で困る事はなかったし、獣害の被害に遭う事もなかった。


「けど、このまま何もしなければ食料はまだしも、布類の物資は尽きるわよね?」

「ええ、針と糸の類いも」


 せめて金銭類があれば、周辺の村や町に時間をかけても買い出しに行くことは出来た。しかし、それも難しい。


 となれば、残りは一つだ。


「まあ、捨てられてるも同然のここから手紙が行って、それでも物資をくれるかは分からないけど」


 何とか手紙を届けるしか無いだろう。


 しかし、その人員をどうするかだ。


 ここには、斎宮である私を除けば、年齢様々の百名ほどの女性達が仕えてくれている。

 その彼女達の中から選ぶとしても、そういった事に長けた者はまず見当たらない。それに、危険も伴う。


 いっその事、自分が行けないだろうか?と思っていると。


「斎宮様、何にしろ焦ってはいけません」

(いわ)

「確かに物資は減ってはきていますが、今日明日にどうこうなるわけではありません。それに、事を急ぎすぎて良い事は一つもありません。もちろん、向こうとの連絡が付かないのは問題ではありますが、それでも何か大きな事をするならば、それなりにしっかりとやり方を考えなければ」

「でも……」

「それに、今までは向こうからの連絡はありませんでしたけれど、今年は違うかもしれませんし」

「それでも来なかったら?その時にはどうにかしなければなりません。ですから、どうしたら良いか?それには何が必要かをもう一度考えてみましょう」


 磐はそう言うと、柔らかい笑みを浮かべて私を慰めた。


「幸いな事に質素な生活を続けてきた事もあり、すぐにどうこうはなりません。大丈夫です。ですから、そんな顔をなさらないで下さい」


 そう言って優しく私の両手を握る磐に、私は頷いた。


「ありがとう、磐。なんか、磐の方がよっぽどお姫様みたいだわ」


 いつも落ち着いていて、頼りがいのある磐。それに、(いわ)は自分よりもよっぽど綺麗で美しい少女だった。それこそ、お姫様の様に気品があってーー。


 けれど、磐は私の言葉にゆるゆると首を横に振った。


「斎宮様、磐はただの平民の娘ですよ?斎宮様がここに来る道中に私を拾って下さらなければ野垂れ死んでいた、そんな女です」


 磐は、他の女達とは違い、ここに来る道中で拾った少女だ。拾った時には、ボロボロでぐったりとしていた彼女を自分の輿に乗せた。

 そんな自分に、斎宮の宮に送る兵士達が眉を顰めたけれど、私は気にしなかった。それに、斎宮の宮で生活する女性達も磐を受け入れ慕ってくれている。


 それを考えれば、自分達をここに送ってさっさと帰って行った者達の行動は喜ぶものだったのだろう。


 大王の命令でここに自分達を運んだ者達は、運び終えるとさっさと戻ってしまった。その余りのそっけない様子に唖然としたものだが、彼ら彼女達が残っていてもきっと色々ともめ事が起きただろう。それを考えれば、こうして気の置けない者達で営む生活はかけがえのない恵まれたものだった。


「斎宮様」

「ん?」

「磐は本当に幸せです。私だけではありません。此処に居る全員がそう思っています」


 斎宮の宮に仕える女性達は皆、当時罪を犯した罪人とされ、処刑を待つ身だった者達だった。

 それらを私は根こそぎ連れてきた。


 どうせ死ぬなら無給で沢山働かせてからでも良いではないかーーと。それに、強制労働という罰はなかなかに辛いものだ。


 私に人員を割きたくなかった大王ーー父上は、それを受け入れ彼女達を私付きの者達とした。その罪人達に与えた恩情に、大王の株が上がったのは言うまでも無い。


 大国と言えど、残念ながら我が国は一枚岩ではない。当然ながら権力争いがあちこちで発生しており、大王だって下手すればその地位から引きずり下ろされる。


 だから、その地位を守る為には常に沢山の目と耳、そして手足を使い政敵を葬り、自分の評判を上げ続けるかない。そして時には、恩情を、時には無情を民達に知らしめる必要がある。


「さあ、まずは食事にしましょう。朝に、大きな川魚が捕れたそうですよ」

「本当?!」


 そうして(いわ)に促され、私はとりあえずお腹を満たす事にした。




 それから更に季節は流れ、雪解けもかなり進んだ頃の事だった。




未緒(みお)、気をつけるのよーー」


 斎宮の宮で勤める女達の中では、年若い方に入る今年十二の未緒は、「は~い」と元気に返事をして森の中へと駆けていった。

 斎宮の宮の敷地内からは出るが、それでも周囲の森は自分の庭の様なものである。


 斎宮様の食事に必要な木の実を探すのもいつもの事。

 ただ、今回は少しばかり目当ての物が見つからず、未緒は木の実を探して一歩、また一歩と森の奥に進んでいった。


 いや、正確には森の外。

 斎宮の宮は山深い奥に位置している。

 それに対して、未緒の進む方角はその山奥から森の外へと向かう道だった。五年前、道は違うけれど今行く方向を逆に辿って斎宮の宮へと向かった。


 本来で森の外に行くのは危険だと禁じられているが、未緒の他にも森の恵みを探して斎宮の宮がある森の入り口付近まで出歩く者達も居る。

 それに、外は危険だと言われても、近隣には町や村は無く、森を出てから二日近く歩かなければならないのだから、盗賊の類いなどもまず出ないだろう。

 山賊だって、獲物が近くに居なければその山には住み着かない。

 それに、いくら山賊でも斎宮に手を出したら唯では済まない筈だ。


 まだ子供の未緒は、どこか楽観的に考える所があった。

 それは子供故の部分もあるが、性格からの部分もあるだろう。


 そうして、いつもの様に彼女は森を駆け回って木の実を集めた。ただ、その日は少しだけいつもとは違った。


 木の実集めについつい夢中になっていた彼女は、気づけばいつもよりも森の入り口に近い場所まで来ていた。そして、あと少しで森の外に出るといった所で、森の入り口の向こうーー森の外に人影を見つけたのだ。


「あれ?」


 自分よりずっと背の高い人影。

 今までは見た事がない。


 未緒は一瞬緊張に身を固くしたが、ふと彼女は気づいた。


 もしや、あの人影は都からの使者ではないだろうか?



 それに、時期的にはそろそろ来てもおかしくない筈だ。


 未緒は斎宮の宮に戻ろうとした所で足を止めた。

 というのも、五年前に斎宮の宮まで通った道は今、去年の大雨で道が一部崩れている所がある。だから、別の道を使わなければならない。


 それを知らずに通れば大変な事になるし、もし道が通れないからと言ってそのまま帰られたら大変だ。



 未緒は使者を案内しようと思った。



 木の実集めに駆けずり回って泥だらけだけど、そこは目を瞑って貰いたい。



 未緒は、森の入り口に向かって駆けていった。


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