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第14話

「んーー」


 頭が冷える。

 いや、冷えすぎた。


 口づけ。

 それは、神聖なる物。


 良い?音羽、口づけは本当に好きな相手とするものよ。貴方だけを愛してくれる優しい人とするのよ。


 お母様、それは叶いそうにありませんーー



「落ち着いたか?」


 ようやく唇が離れ、神が聞いてくる。


「なんで泣いてるんだ?」

「だ、大事な物を奪われました」

「誰に?!」


 お前だよーー


 そう言いたいが、口にするには私のお育ちは良かったらしい。あれだけ、斎宮の宮で走り回っていたのにーー磐が甘やかすからだ!!


 斎宮様、姫様、貴方様は特別なのですと磐が甘やかしたせいでこうなったと、私は理不尽にも磐に全てを押しつけた。


「くっ!磐は人を駄目にする子ですっ」


 甘やかし過ぎて


「そうだな、おかげで光明の仕事の処理速度が5.5倍になったとかで、部下達が疲れ果てーーたと見せかけて、部下達も奥方に甘やかされて仕事の処理速度が10倍になったから問題はないそうだ」

「いらない、そんな情報いらない。あと甘やかされてどうして仕事の倍率が上がるんですか?!」


 兄とは殆ど話をした事がないし、そもそも小さい頃なんて会った事もないーー記憶の中では。いや、実際には小さい頃も殆ど会った事は無かったが、もしや兄は超人?!


「腐っても、第一皇子だぞ」

「その哀れむような視線は止めて下さい」

「まあ、元々公私は分ける男だし、なんと言ってもあいつは仕事人間だしな。妃を膝に乗せて仕事してる」

「全く公私を分けられてないですよね?!それっ」

「その通りだ。気が合うな、俺達」

「そこで合ってどうすんですかっ!!」


 キィキィと叫ぶ私の姿に、周囲からは内容はともかく痴話喧嘩として見られたか、クスクスと笑いながら人々の止まっていた足が動き出した。

 程なく、また周囲の動きは止まる事なくそれぞれの方向に進み、思い思いに流れは動いていく。


「あんまり騒ぐな。周囲に結界を張るのも大変だ」

「はい?」

「誰が聞き耳を立てているとも知れないからな。話の内容が全て単なる痴話げんかに聞こえる様に操作している」

「なんで」

「こんな所に大王の妹姫が居たら大騒ぎになるからに決まっている。相変わらずバカだな」


 そう言われ、私はハッと我に返った。


 そうだ、確かに大王の妹がこんな所に居たら騒動になるし、そもそも私の口からは結構大王に対する不敬罪発言もしている。

 宮殿に帰るや否や処刑は流石にご遠慮願いたい。


「落ち着いたか?」

「落ち着いているように見えますか?」

「見える。さっきみたいに震えていないからな」


 その言葉に、私は先程の事を思い出した。


 何も言い記憶が無くて、こみ上げ来る感情に振り回されそうになった、あの時。


「さて、さっさと夕食にするか」

「そういえば、貴方様も人の食べ物を食べるんですか?」


 一応神なので、様をつけて見た。なけなしの敬意だった敬意は敬意だ。


「別にあまり」

「やはりそういうもんなんですか?」


 私に食事を取らせていた時も、この神自身が食べている所は見た事がなかった。


「人間界の物は別に食べなくても良い。まあ、食べたら駄目だという事もないが」

「そうですか」

「饅頭だったな。向こうの安い店に行くぞ」

「分かりました。だから引っ張らないで下さいっ」


 腕を掴まれ、そのまま抱き込まれる様にして歩かされた私が文句をつけるが、その手が離れる事は無かった。



「肉饅二つに餡饅二つ、あと飲物も頼む」

「あいよっ!」


 手慣れた注文に、やはりこの神は俗世に染まっていると私は確信した。


「食べろ」

「凄く手慣れてますね」

「俺に買い物をさせてみろ。常に言い値の七割引、元値の半分で手に入れている」

「それ、どんだけ相手がぼったくりの店ですか。あと、ぼったくりじゃなかったら相手が可哀想過ぎます」

「姫のくせに厳しいな」

「斎宮の宮には色々な女性達が居ましたから」


 それこそ、貴族から庶民まで。

 お金持ちから貧しい者達まで居た。


 女性達は、自分達に無い知識と価値観、考え方をそこで学び、互いの生き方とこれまでの人生を

尊重し、敬意を示した。否定する所もあっただろうが、まずそれをそのまま受け入れ、互いに足りない、至らない部分、誰が見ても間違っている部分を改善していった。


 色々な考えの者達が居た。

 色々な生き方をしてきた者達が居た。


 それでも、あの閉鎖された場所で女性達は助け合って生きてきたのだ。


 おかげで、貴族やお金持ち出身の女性達が貧しく下の身分の女性達に読み書きを教え、反対に家事の出来ない者達にそれを教えてと、そこで彼女達は多くの財産を増やしたのだった。


「なるほど」

「まあ私の場合は甘やかされている事が多かったですけれど、それでも貴方のやり方が相手の商売に多大なる影響を与えている事ぐらいは分かります」

「そういうものか。まあ、光明も苦笑している事が多かったが」


 ただし、その後はきちんとお詫びも兼ねて大王が手の者達に命じて、その店に多くの客が行くように仕向けているので、結局は儲かっているぞーーと神は説明した。


「人の世と言うのは難しいな」

「いえ、もう十分人の世界を楽しまれていると思います」


 買い物で商人相手に勝利し、人の生活を十分に楽しんでいる神はどう見ても俗世に染まりきっていた。というか、神がここまで染まっていても良いものなのだろうか。


「不細工、あまり離れるな。いくら治安が良くなったとはいえ、よからぬ事を考えるバカは居る」


 それに、人が油断ならない生き物であるとか、治安について詳しいとか、それに対する対処方法とかも熟知している。どう考えても、世間知らずの清らかな神とはほど遠い。


「……」


 私は手の中にあった肉饅にかぶりついた。


「歩きながら食べるな、座って食べろ」

「お腹空きました」

「そうか、なら他にも食べるか」


 いつもは小食の私の空腹発言に神が驚いている。

 斎宮の宮では人並みに食べていたけれど、大王の宮殿に連れ戻されてからはすっきり食欲が落ち、体調を崩す度に食べる量は減った。


 まあ、無理矢理食べさせられてはいるけれど、それでも斎宮の宮に居た時とは比べものにならない程にその量は減っている。


「これとこれ、あとこれも頼む」

「はいよっ!」


 なのに次から次へと買う神に、流石の私も慌てる事となる。


「ちょっ!それ多すぎます!」

「食え、そして肉を付けろ。じゃないと、骨があたって痛くてかなわん」


 私の脳裏に、沢山餌をやって太らせた豚を屠殺する神の姿が浮かんだ。


「どうした?」

「いえ、結局最後はやられるんだなぁと思いまして」

「当たり前だ」


 当たり前かよっ!!


「うぅ……せめて女に産まれたからには、好きな人と結婚して、結婚式して周りから祝福されて」

「儀式はしただろ」

「してないですっ」


 いきなり襲われた。

 いや、色々な事実を明らかにされた後に襲われた。


「神との婚姻は、交わる事だ。交合を果たした時点で成立する」

「なぬ?!」

「まあ、神に真名を教える事でまず婚姻を結び、その後に交合という場合が殆どだが」

「ーーっ!!」

「人間にもあるから大丈夫だろう。出来ちゃった結婚」

「ーーっ!!!」


 口をぱくぱくさせるが、言葉にならない。


 ってか、順序に則ってないんじゃないかやっぱり!!


「式は諦めろ。それにそもそも、他の奴等もしていない」


 この時、私は神の言葉の裏にある物に気づかなかった。


 それすなわち、相手が拒否して今の状態では結婚式が行えない場合と、兄の様にまだ神が皇后の座に居る為に磐を皇后に出来ない為、神が皇后の座を退いた後に大々的に磐を皇后として結婚式を行なう予定であるという場合を、「他の奴等もしていない」という発言に繋げているという事に。


 言葉が足りないにも程がある。


 あと、結局私は式が出来ないのか。


 まるで周囲から隠れる様に婚姻を結ばされるなんて、周囲が知ればとんだ身持ちが悪い女と思われるのが通常である。まあ、結婚相手は神だけど。


「……私だって結婚には夢があったんです。普通の、ごく普通の結婚を」

「皇女の時点で普通も何もかもあるか。皇女の普通の結婚は政略結婚だ」

「うーー」

「自国か、それとも他国の王族か貴族に嫁がされるしかない。まあ、お前の不細工面なら、せいぜい沢山の妃が居る王か貴族の末端の妻で、それこそ政略的な扱いにのみ始終する事になるだろうが」

「……」

「叶わぬ夢を見るなど止めろ。所詮、皇女であるお前には、庶民の様な結婚は無理だ」


 私が願う物を適確に当てた神は、ゴミでも捨てる様にその言葉を放り投げてきた。


「……」


 叶わぬ夢ーーそんな事は分かっている。


 それでも、あの斎宮の宮で、様々な身分の女性達が居て。

 庶民の、普通の平民の娘達も居て。


 好きな人と結婚する、憧れの人と結婚する事の素晴らしさを教えられた。

 また父親が結婚相手を見つけるといった場合でも、どんな人が自分の夫になるのか、素敵な人なら良いと期待した事について、教えられた。


 私には誰も居なかった。


 結婚相手どころか、許嫁すらも。


 父が生きていれば、絶対に結婚なんてさせなかった、どこかの条件の悪い所に送り込んだのは間違いない。


 けれど、少しぐらい夢を見たって良いでは無いか。


 皇女であった時には、そんな事は考えもつかなかった。


 ただ、いつか国の為に結婚し、国の為に生きるのが当然だと考えていた。その為に自分を磨き、いざとなればこの首一つで民を守れる価値を持ちなさいーーそれが民の税で生きる皇族の義務だと母は教えてくれた。


 その生き方しかなかった、私には。


 けれど、父王や周囲は、そんな私の生き方さえ奪った。


 誰にも期待されず必要とされない日々。


 居ない者として扱われた日々。


 教育だって満足に受けられない、誇りすらも打ち砕かれたゴミくずの皇女。


 売買に金銭が必要な事すら、分からない。


 それが本来なら決して出会う事のない階級ーー殆ど全ての階級の女性達と出会い、そこで色々な話を聞いて、学び、その中で思う様になったのだ。基礎的基本的な事も学んだ。


 そして


 夢見る様にもなれたーー結婚と言う物に。


 まあ実際には、斎宮になり、斎宮の任を解かれない限りは無理で、たぶんそれはずっとずっと先で、結局斎宮のまま結婚適齢期を過ぎてしまって。

 結婚なんてもう無理だと思っていた。


 適齢期を過ぎても、男性側から熱望されるだけの物なんて私は持っていない。

 皇女の身分だって、先代大王の皇女自体が沢山いる。

 それに、美しい皇女なら沢山いた。


 その上、際だった才能もなく、母の一族は既に亡い。


 不細工で、才能も無くて、後見となる一族も無い。


 与えられなければ日々の生活も困る程の、一切の財産もない、ただの不良物件。


 誰が妻に欲しいと思うかーー。


「まあ安心しろ。神に嫁いだ時点でお前は、国の女性達の中で最もーーおい?」


 はらはらと涙がこぼれ落ちる。


「どうして泣く」

「……皇女になんて」

「え?」

「どうして私、皇女になんて産まれてきてしまったんだろう?」


 いや、そもそもはあの父の娘に産まれてきた事が不幸の始まりだがーー。


 そうでなくとも、明らかに分不相応なのだ。誰から見ても。

 そもそも、皇女という立場に相応しくないのに、どこをどう間違ってそうなってしまったのかーー思えば、常々そう考えていた。


「庶民なら、後妻のもらい手ぐらいあったかもしれないですね」


 いや、皇女でも後妻のーーいや、数多い妻の一人、その末端にでもなれば。

 庶民が夢見る様な恋物語とは無縁でもーーいや、最初からそんなものは私には無かった。


 ならば、せめて少しぐらい私が夢を見ても良いじゃないか。


「庶民だろうと、お前がお前な限り、無理だ」

「夢見る事ぐらい許されないんですか?」


 唯一幸せだと思えた場所を壊され、連れてこられた。


 だからといって、神の言い分は正しくないとは思わない。


 こちらの本意ではなくても、神の力を勝手に使い今も持ち続けている。それを本来の持ち主である神が返せと言えば返すのが道理である。

 そんなの知らないと突っぱねたり、それを持って逃げるならば、それは神から無理矢理力を奪い取った父王と同じになってしまう。


 父なら絶対に返さない。


 私は父と同じになりたくない。


 自分の罪から逃げる様な人間には。




 そう思ったのにーー



「ーーお前はいつも泣いてばかりだな」


 伸ばされた手を、反射的に振り払ってしまう。夜空に響く破裂音に、我に返った私が見たのは、神のーー。


「ご、ごめんな、さい」


 謝罪はした。

 けれど、余りの自己嫌悪に、私はその場に居る事が耐えられなくなった。


「ーー」


 神がもう一度私に手を伸ばす。

 その手が私に触れる寸前、私は後ずさった。そしてそのまま、踵を返して走り出す。



 後ろから私を呼ぶ声が聞こえたが、私は両手で耳を塞ぎ走り続けた。

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