第13話 王都への外出
「なんでまだ用意してない」
「いや、なんでって言っても」
侍女達の嫌がらせで、着付けがまだ出来ていない私に神は不機嫌そうに言い捨てた。
侍女達は、手伝いもしなかったのに「困った方ね」とクスクスと笑っている。
確かに美しさは必要だけれど、性格もある程度良く無いと難しいんだよ?
そう、まだ若く結婚適齢期に入ったばかりの彼女達に教えてあげたい。
まあ、私の事なんて娶ろうとする物好きなんて居ないし、お前に言われたくないとか言われるかもしれないけれどーーあ、そもそも私、人妻、いや、神の花嫁だった。
「お前達は出ていろ」
侍女達に冷たく命じて追い出すと、神は着慣れない衣装に苦戦する私の前に立った。
「普通、殿方も出て行くものじゃないでしょうか?」
「今更どこを隠す?」
確かに全て見られてはいるが……もう少し、こう気遣いとか気遣いとか気遣いとか。
「貸してみろ」
ガシッと腕を掴まれ、そのまま引寄せられる。片手に私を、もう片方の手に衣装が握られていた。
「はい?」
「着せてやる」
「すいません、女として大事な何かを失いーーぎゃあぁぁぁぁあっ!」
強引に服を着させようとする神に暴れてみるが、ビクともしない。そんなほっそりとした白い腕のどこにそんな力があるのか。
「ふははははっ!恐れ戦け崇め奉れ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁっ」
なんかまた黄牙が説教をしにきそうであるけれど、なんでいつも良いタイミングで来れるのだろう?もしかして仕事が少ない?それとも、どこかで覗いている?
仕事ーー覗き見とか?
瞬間、ぶるりと全身に寒気を感じて私の抵抗が止んだ。
「なんだその下着は、脱げっ」
「ひぃぃぃぃっ」
元々下着なんぞ無かった百年前。
とある高名な官吏が別の国で流行っていた下着を気に入りお土産として持って帰った事で、それを気に入った当時の大王の妃達によって国中に広まったという。
ありがとう当時の妃の皆様。
そして今、私は下着を奪われそうになってます。
「もっとこう色気のあるものが穿けないのか」
「なんでよりにもよって私に求めるんですかっ」
磐とかが穿けば最高に色っぽい。
渚でも良い。
他の女性達でも良い。
あと、神自身が穿けば。
「よし分かった。この、最高に淫靡できわどいのを穿かせてやる」
「ひぃぃっ!それ誰得?!いや、むしろ周囲の目が腐るっ」
「はぁ?!お前、下衣めくって誰かに見せるつもりか?!この不細工な上の卑猥物!とっとと穿けっ!」
「卑猥物とか言うなら穿かせないで!!健全な物を寄越してっ」
「黙れこの不細工っ!お前なんてこれで十分だっ」
「みぎゃあぁぁぁああっ」
強制的に今着けている下着をはぎ取られ、今までも、これからも穿く事のないきわどいそれを無理矢理穿かせられた私は、たぶん今この瞬間に女性として大切な何かを失った気がした。
「もう、お嫁に行けない」
シクシクと泣けば
「もう神の花嫁だろ。言っておくが、この場合の花嫁は人間で言う所の花嫁と同じ意味だからな」
「私の夢を返して」
「馬鹿め、神が清らかで肉欲を嫌うなんて誰が言った」
神自身の言葉で、これ程説得力のある言葉は無いだろう。
「なんだろう?あの斎宮の宮に居た女性達の中で、私が一番理不尽な扱いを受けている気がする」
「大丈夫だ。方向性が違うだけでそんなに変わらない」
「どこが大丈夫ですかっ!」
私が必死に叫べば、神は大して気にせずに再び手を動かし始める。
「喜べ、俺の為に作られた下着だから最高級品だぞ」
「ーー使用前?」
「使用後だが洗ってる」
「んなもん穿かせないで下さい!」
「使い捨てか?やはり皇女だなお前は。どこかぶっ飛んでる」
「お前に言われたく無いわぁぁぁぁぁっ!」
どっすん、ばったんと、それはもう高倉が揺れるぐらいの取っ組み合いで、実際に外から見たら揺れていましたーーというのは、やはりどこかで覗き見、いや、待機していたのか黄牙の言葉だった。
「いいから、とっとと見せろ」
何を?!
そう突っ込む暇は、残念ながら私には無かった。
「ぎゃっ」
コロンと転がされ、いきなり下衣を捲られた。神の眼前に、卑猥な下着を纏った私の下半身が露わとなる。
「っーー」
「お前、これはないな」
なんか酷くけなされた。
「なんだ、そのけしからん姿は」
「誰の、せいで」
「逮捕されるぞ」
「その前に貴方を私が逮捕したいですよ!」
「え?」
どうして、そこで頬をほんのりと染めて私を見る。
「いや、逮捕されるのはお前だ、この歩く淫猥物」
けしからんと言いながら、ゲフンゲフンと咳き込む神に、私はとにかく下衣の裾を降ろさせようと暴れた。
「仕方ない。この国の無辜の民の明るく輝かしい未来の為にも、俺が責任をとろう」
さあ、来いーーと言わんばかりの神に、私は後ずさった。
なんかもう無駄かもしれないけれど。
「善処します、考えておきます、また今度」
「お前、それ東洋の島国における三大いいえ発言だろ」
「あ、通じた!」
「さあ来い」
「そう思った自分がバカだった!!」
半泣きな私の叫びが木霊するが、それで聞いてくれる様なタマではない事は分かりきっていた。
「来ないなら俺が行く」
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっ」
「叶斗様、なんか高倉から悲鳴が聞こえてくるんですけど」
「奇遇だな、俺も聞こえる」
「音羽姫様に何か危機が迫っているのでしょうか?!」
「そうだな、とりあえず精神がごりごり行ってる」
「そんな……なんとお労しい!一体誰がっ」
「……」
丁度運悪く高倉の近くを通ってしまった叶斗は、音羽姫を助けなければ!!と騒ぐ部下の首根っこを捕まえて引きずっていった。
馬に蹴られてまだ死にたくはない。
数十分後、神の顔はつやつやだった、何故か。
反対に、私は息も絶え絶えだった。
下着を取られたかどうかは、聞かないで欲しい。
「さあ、行くか。こいーーぽち」
「おい待てこら」
「なんだぽち」
「誰がぽちですかっ!ってか、それって私の名前覚えてないって事ですよね?そうですよね?」
「いやいや覚えてる。醜女」
清々しい程のドヤ顔だった。
「大王様」
「なんだい?黄牙」
「なんか、音羽姫様の住む高倉から、この世にあり得ない音が聞こえてきているとか。あと、なんか壊れそうな感じですけど、あれ」
「普通の十倍の強度で作ったんだけどね、あの高倉。ほら、神との新婚生活の場だから」
「どんだけくんずほぐれつするんですか」
因みに、大の大人が百人入って飛び跳ねても壊れない強度で作った様だが、その後何度も高倉は揺れる事となる。しかしそれでも壊れない高倉の強度に、将来的に他国にもその高倉の技術が輸出される事となる。とても良い金額で儲かりました。
そんな風に、暴れた私とそれを押さえ付ける神の間でようやく決着がついた時には、既に日が暮れていた。
「お前のせいで」
「誰のせいだと」
結局、おめかしの衣装もボロボロになったせいで、代わりの服は地味な衣となった。たぶん、こっちの方が王都でも浮かないだろうーー平民が着る様な代物だし。
なんでそんなのがいくら代わりの服と言えど用意されていたかと言うと、まあ、扱いがあれだしね、うん。
「言っときますけど、その姿で隣を歩かないで下さいね」
その女顔は仕方ない。
けれど、皇后に相応しい女物の衣装は誰が見ても彼女が皇后だと分かってしまう代物だった。というか、男だと言い張る割には女物を常に身に纏い、私の所に来る時も、一分の隙も無い完璧な女装姿である。まあ、神という素性を隠して人間の皇后をやっているのだから、むしろ男物を着て彷徨いている方が大騒ぎになるだろう。まあ、男物を着ても、その美しさや色香、気品には全く影響は与えないだろうが。
「仕方ない」
そう言って素直に着替えてはくれたが
「よし行くぞ」
どこからどう見ても、高貴な貴族の深窓な姫君が初めての王都にお忍びをする様な姿だった。皇后とは思われないかもしれないけれど、どう悪く見ても美しい姫君としか見られない美しい衣装を身に纏った神。
「隣を」
「さっさと行くぞ」
「わわわ、待って!」
引っ張られそうになった私は、神の手から急いで抜け出して部屋の隅に隠しておいた小さな巾着袋を手に取り懐に入れた。
「これでよしーーってわわっ」
「早くしろ」
そうして神に引っ張られた私は、高倉から引きずり出される様にして外に連れ出されたのだった。
日が暮れ、夜になった王都の中心は光に包まれていた。
「うわうわわわわっ」
「そのアホ面を隠せ」
神は、顔に布を被ったまま私にぴしゃりと言った。
けれど仕方が無いではないか。
斎宮になるまでは宮殿の中が殆どで、斎宮になった後は辺境の地の山の中で生活してきた私にとって、大都会の夜というのは初めてだった。
暗い夜にもかかわらず、あちこちに明かりが灯されており、整備された道の上を人々が行き交う。流石に横道にそれたり、裏通りともすれば人の通りは少ないけれど、主となる大きな道には、両側に沢山の店が連なっており、多くの人で賑わっていた。
それこそ、人と光の洪水がそこにはあった。
「食事の時間だからな」
神が言った瞬間、私のお腹が鳴った。
「何か食べるか」
「あれ美味しそう」
蒸し器で蒸したふかふかの饅頭を指させば
「大きさが小さいし値段が高い。それより、もう少し向こうの店の方が値段も良心的だし、何より大きくて旨い」
意外に庶民派な神だ。
あと、お前は主婦か。
斎宮の宮で磐が言っていた事と似た様な事を言っている。ただし、向こうでは値段じゃなくて大きさと質と量について熱く語っていたが。
磐……良い所の、元とはいえ豪族の姫なのに。
思えば、他の女性達も似た様な考えの者達が多かった。
「いいか?商人に隙を見せるな。カモと思われたら即ぼったくられる。ぼったくられるんじゃない、こっちがぼったくる勢いで行け」
「商人って、悪の手先か何か何ですか?」
「それよりも恐ろしい時がある」
商人に何をされたんだ、どんな目に遭わされたんだ。
「そして隙を突いてやれ」
「何をですか」
「安心しろ、後始末は完璧だ」
およそ、夫婦関係のある男女の会話とは思えない凄まじい内容を話している自分に私は疑問を覚えた。
これ何か間違ってる、絶対に間違ってる。
「あ、でもお金」
「皇女なのに金を知ってるのか?」
「物はそれ相応の品と引き替えじゃ無ければ手に入らない事ぐらい知ってます」
母が生きていた頃はまだしも、母が死んでからは父に疎まれていた私はあっという間に食う物着る物に困った。
いや、着る物は母の衣服を幾つか隠し持ったが、それ以外は全て父の息のかかった侍女達に奪い取られたし、そんな彼女達が大王の怒りを買って殺された皇后の娘の世話などしてくれる筈も無い。
そんなわけで、あっという間に食べる物に困って飢える日々。
隠して置いた母の装飾品を少しずつばらして、それをお金に換えてご飯を買って凌いでいたのだ。
「それでも最初は物を手に入れるのに、それ相応の品やお金が必要だって分からなくて」
「……」
ご飯を求めて宮殿の調理場に行っても食べ物が貰えるわけもなく、侍女達が「そんなに欲しいのならご自分で仕入れてきたらどうです?都に降りて」と言ったので、苦労して都まで降りていった。
「で、美味しそうな匂いにつられて置いてあったのを食べたら、もう怒られて怒られて」
下手したら無銭飲食で突き出されていたが、そこの店主は痩せた私を見て不憫に思ったらしい。
「いいか?物を得るには、それ相応の品か金が必要なんだよ。それと交換して初めて手に入れられる。まあ、品や金の代わりに労働ってのもあるがな」
お金というものを理解出来なかった、ましてや売買のやり方を理解出来なかった私に、その店主は色々と教えてくれた。今思えば、面倒見の良い人だったのだろう。
まあそのおかげで、買い物とお金について理解したのだ。
「……」
「ただ品物って言っても分からなくて、装飾品をばらしたのも、私バカだから、安く買い叩かれたり、騙し取られる事も多くて」
子供が、ましてや見窄らしい子供がそんな物を持っているという時点で盗品扱いされた事もあった。それでも、何とか少ないお金に換えて、食料を買っては日々を過ごしていた。
「そこの店主には本当にお世話になったんですよ。夜も危ないから出歩いたら駄目だって言ってくれたの、その店主さんでしたし」
誰からも無視されて、居なくなっても気づかれやしなかった幼い私は、それを利用して真っ昼間から王都を歩いた。最初の日から。
そしてそれが正解だった。
「いいか?夜は彷徨くんじゃない。特に、夜は昼以上に治安が悪くなる。攫われたり恐ろしい目に遭いたくなければな」
店主は、時々顔を出す私に、そう言って注意してくれた。
「まあ当時は、父王が統治していましたしね」
「ーーああ、あのバカは統治に関しては全く駄目だった。王都の治安なんぞあってないようなものだった。夜は狩り場だ。だが、光明が大王になってからは治安は大幅に改善された。裏通りにさえ入らなければ、夜に出歩いても問題は無いぐらいに。警備の兵も巡回している」
「そっか~、なら、お店が突然壊される事もないですね」
店主の店ではなかったが、突然荒くれ者達や、素行の悪い兵士達が難癖をつけて店が潰されるといった光景を何度か見た事があった。
泣いている人々、傷付けられる人々。
そういった人達が治安の改善と共に少なくなるのは嬉しい。
「ん?どうしました?」
「いやーー王都に出るのは初めてだと思っていたからな。王都に来るのは初めてだと聞いた」
「夜の王都の方は初めてです」
「ふぅ~ん」
「何か?」
そう言いながら、ふと私は気づいた。
斎宮の宮になる前の、大王の宮殿での暮らし。
ひもじく辛い記憶はこんなにも忘れられないのに、そういえば斎宮の宮で思い出した事は無かった。
いや、違う。
斎宮の宮に居た時の私は、宮殿に居た時の暮らしを覚えていなかった。
忘れていた。
そう、忘れていた。
「思い出したのか」
「っ?!な、なに」
「忘れようとしている顔じゃ無かった。忘れていた。火を付けられ死にそうになり、術を使用した事だけじゃなくて。お前の記憶はあちこちが穴だらけなんだ」
「……」
「なのに、ようやく思い出せば、それか。もう少し違う記憶を思い出せば良い物を」
知ってる?
知ってる。
神は、私が食べる物や着る物に苦しんでいた時の事を。
「……違う記憶なんて、ない」
「ない?」
私の口が、勝手に言葉を紡ぎ出す。
「辛くない記憶なんて、ない。そんなの、幸せだった記憶なんて」
幸せと言えるのは、あの斎宮の宮での事だけだ。
兄とは殆ど会えもしなかったし、唯一傍に居た母の記憶はーー。
「お母様」
思い出せない。
おかしい。
顔が、名前が。
真っ黒に塗りつぶされていた。
「おい」
「思い出せない、思い出せない、思い出せない」
ぶつぶつと呟き出す私に、歩いて居た人達が次第に足を止め始める。
「おい」
「どうして?なんで?私ーー」
「ーーっ」
ぐいっと神に引寄せられる。
そして抵抗する間もなく、いつの間にか露わとなった神の唇が近づき、私は口づけられた。




