3、神谷老人
博士は神谷老人に会う為、博物館のデータベースから古いデータを引っ張り出し、エレメントで背広とネクタイ、それに革靴を作って準備していた。科学者が嫌いと聞いていたのでいつもの白衣姿だと間違いなく追い返される。その上、役人も大嫌いだそうなので役人が着るシルバーの制服もまずいと考えたのだ。
「先生、本当に行くんですか。すごい変わり者だそうですよ。先に作業ロボットに伝言を持たせてからにした方がいいんじゃないですか」
「いや。君に聞いた話によるとそんな事をしては逆効果でしょう。多いんですよ科学者にはそう言う人が」
「ああ、なるほど。私の近くにも居ました。ちょっと偏屈な科学者が」
「もしかして、私の事ですか」
「さあ」
西田は笑い出すのを我慢して天井を見上げた。
「ところで西田君。ネクタイと言うこのひも状の飾りの結び方知っていますか。こうやって首に巻きつけるようなのですが、結び方が分からなくて」
「知ってる訳無いじゃないですか。古典文化の研究者じゃありませんから。それにそのネクタイとか言う物、男がする物でしょ。てっ、先生もしかしてそれって仕返しですか」
「さあ」
今度は博士が天井を見上げた。
研究室を出ると成田博士はエリア長野の最下部へ向かうエレベーターに乗り込んだ。神谷と言う老人は最下層の北の外れにある一室に住んでいる。と言うよりその一角を占拠して立てこもっている状態だった。
エレベーターが最下層に到着すると博士は北のブロックへ向かった。数歩歩いただけで他のフロアとの違いを感じた。
「何の匂いでしょうか」
博士はそう呟き、北に向かって歩きつづけた。両側に左右に続く通路があり、その通路の両側には同じ作りのドアが同じ間隔でどこまでも続いている。五年前まではここに大勢の人が住んでいたが、閉鎖と共に保守システム上の優先度が低くなり修理も行われず、今は廃墟と化している。ただ、神谷老人が退去を拒否し続けているため、給電と給水のみ継続している。
博士は北ブロックの突き当たりまで来ると右に曲がり一番奥の部屋を目指した。と途端何かが博士の頭上を飛び越えた。
「うおっ」
博士は両手で押えかがみ込みながら後を振り返った。
「えっ、ニワトリ」
そのニワトリが何をしに来たと言わんばかりの顔で博士を睨みつけた。
博士は気を取り直して老人の家の方を向きなおした。
「ぐっ……」
腰を抜かさんばかり顔をして叫びを飲み込んだ。
幅三メートルほどの通路両側には、いろいろな植物がびっしりと並んでいる。そしてその植物の上には先ほどのニワトリが。いや、種類が違うかも知れない。白、茶、まだら、などの鳥がその植物をついばんでいる。
博士は植物の間に残されたわずかなスペースを鳥を追い払いながら老人の家へ向かった。先ほどの匂いはこれらの植物が発した匂いだった。
老人宅のドアの前で博士は一度身支度を直し、軽く咳払いすると
「こんにちは、神谷さん。ご在宅でしょうか?」
中から返事は無かった。予想通りの展開であった。
「こんにちは。神谷さん。入りますよ」
成田博士はそう言いながら、開けてくれないならこちら開けるまでと、ドアの開閉スイッチを押した。ドアが開いた瞬間、中から小型の物体が飛び出して、博士の顔面にあたり、下に落下した。
「虫?」
コガネムシの仲間か、はたまた大昔に最後に生き残る生物として名を馳せたゴキブリだろうか裏返しになって、床の上で数本もの脚をもぞもぞとしながらうごめいていた。顔を上げると部屋の中には草木が生い茂り、鳥が飛び交っていた。その光景はデータベースの中にあった昔の映画で見たジャングルそのものだった。
今まで科学者としてのプライドが許さなかった。だがもう無理だった。
「ぐあああーっ」
何と言えば良いか見当がつかなかったが、とにかく思いっきり腹の底からそう悲鳴を上げた。
「うるさーい!」
部屋の奥からも同じぐらい大きな声がした。
博士は一瞬で我に返った。
「なんじゃい!役人か!何度来てもワシはここを一歩も動かんぞ!さあ帰った帰った」
奥から老人が怒鳴り声を上げながら出てきた。成田博士自身、平均寿命から見ればすでに長寿者だった。だが、この神谷老人に比べればほんの子供にすぎなかった。伸びきった白髪に胸まで伸びた白いヒゲ、ややまっがた腰、叫びながら迫ってくるその口の中にはほとんど歯が残っていない。まさしく今では画像の中でしか見る事の無い老人の姿だった。
「役人じゃありませんよお」
成田博士は小さな声で答えた。
「じゃあ何者じゃ!」
「ええっと」
成田博士は素直に科学者だと言えば間違いなく追い返される。何と言おうか迷った挙句データベースで観た古い映画のセリフを思い出した。
「旅の者です」
我ながらいい答えだと成田博士は思った。
「バカな事を言いおって。それになんじゃい、その古風な格好は。博物館の職員か」
そう言う神谷老人は作務衣姿だった。
「さあ、用があるんなら早く上がれ。ドアが開けっ放しじゃとニワトリが逃げちまうわい」
「もう外にいっぱい出てましたけど」
「おう、あれはもう慣れておるから大丈夫だ。遠くへは行きやせん。この部屋の鳥はこの前獲ってきたばかりの新参者じゃ。慣れておらぬからなあ、突付かれるかもしれんぞ。気をつけろよ」
「はあ、ではおじゃまします」
「バカもん!他人の家に土足で上がるヤツがおるか!」
「はあ、すいません。で、どこで靴を脱げば……」
「そこじゃ、そこ」
「えっと、この辺で」
辺り中いろいろな草を入れた鉢やバケツのような物が置かれており、まさしく足の踏み場も無い状態である。
「おお、そこでいい。靴を脱いだらぼけーっとつ立っておらんでこっちへ来て座れ」
成田博士は言われるままに部屋の中央まで進んだ。そこには囲炉裏があり、小枝が燃えていた。その上には鉄瓶が湯気を上げている。見上げると天井は煤で真っ黒になっていた。
「ところで何の用じゃ」
神谷老人は茶を入れながらそう言った。成田博士はタイムスリップしたような気分になり、その仕草に見とれていた。
「うん。お前やっぱり博物館の職員か。おお、確かにこの鉄瓶も急須も博物館から頂いてきた物じゃ。だがこれはエレメントで造ったレプリカじゃろ。見る人も居ない博物館に飾っておいても勿体無い。だからワシが使ってやっておる。文句あるか」
「いえいえ、文句なんて……。実は、私は」
「ああ、分かっておるわ。役人がそんな古風な格好してる訳がない。博物館にはもう誰もおらん。もうこの老人を調べようなんて言う奇特な科学者なんぞおりゃせん。さて、それではこの居住区に住んでおると言えば、あの人類再生プログラムとか言う訳の分からん研究をしておる科学者だけじゃ。違うか」
「お察しの通りで」
「やはりな。で、その科学者が何の用じゃ。もうワシをいくら調べても、屁ぐらいしか出んぞ」
「実は……」
そこまで言いかけて成田博士は言葉に詰まった。別段用があった訳ではない。でも会いに来ただけなどと言おうものなら蹴飛ばされそうな気がした。
「実は折り入ってご相談が……」
つい口から出てしまった。と言うより本当に誰かに相談したかった。昔は有名な生物学者だったという老人。そして人間嫌いなこの老人なら他人に話す事も無かろう、成田博士はそう信じ、人類再生プログラムが行き詰まっている事を正直に話した。心を持った人間が再生出来ない事を。
「うーん。ワシにそんな難しい事を聞かれても返答のしようが無いわい。ただなあんた。そもそも機械で人の心が作れると考えているのが大間違いなんじゃよ。心ってもんはな……」
老人はそこまで言うと腕組みをして、上を向いたまま黙り込んでしまった。
静かな時間が流れた。成田博士は先ほど老人がやったように、みようみまねで鉄瓶の湯を急須に注ぎ、老人の湯飲みに茶を注いだ。
「心ってもんは不思議なもんだ」
老人はそう言うと成田博士に向き直り、茶をすすった。
「ワシもこの歳になるまで心とはいかなる物か考えた事も無かった」
老人はまた茶をすすった。
「昔、遠い昔だ。中国に気功と言う考えがあったそうだ。自然の中にはエネルギーが満ちており気功術によってそれを体内に取り込むそうじゃ。心とはそれと同じような物ではなかろうか」
「はあ?」
成田博士は老人が言っている事が良く理解できなかった。
「つまりじゃ。あんたたち科学者は手を尽くして人間を造ろうとした。でも心は造れなかった。DNAデータの何処にも心を作る情報は無かったのじゃろ。しかも後天的に発生する可能性を考えて、そのコピー人間を卵細胞から育てる実験もやった。でもダメだった」
「はい、その通りです」
「とっ、言う事はじゃ。心は体の中で出来るのではなく、外から、まったく別の場所から取り込んでいると考えるのが妥当じゃろ」
「はあ」
「人間は猿の頃から、とてつもなく長い時間をかけて心を手にした」
「はい」
「もし仮にだ、心が一個体の中で作られるとする。DNAデータの中にその情報が無いのだとすれば、その個体が死ねば、また一から始めなければならぬ。これでは豊かな心など育つはずも無い。じゃが現実には人間は心を手にした」
「はい」
「つまり、心は体の外にあり、しかも蓄積し育つ。人間は生まれるとそこから少し心を分けてもらう。そして死が訪れると、またその場所に自分が育てた心を返す。数え切れないほどの人間が延々と心を育んできた。みんなでじゃ。それがワシの考えじゃ」
「心が蓄積する場所とは」
「全世界に住む人間が平等に心を持っておる。と言う事は特定の場所ではなく大自然の中にあると考えるのが順当じゃな。あんた見たかい外の有様を。あれじゃあ豊かな心など育む事は出来ん」
「ではもう心は無くなってしまったと」
「いやいや、自然と言うものはそんなに軟弱なものではないわ。現にほれ、この部屋の植物も鳥たちも自然の中から採ってきた物ばかりじゃ。もう少しずつ自然は回復を始めておる。植物はともかく、この鳥を見てみい。ワシはニワトリと呼んでおるが分類的には別物じゃろう。体つきはニワトリに似ているが恐ろしいほどの飛行能力を持っておる。あの環境をどう生き残ったか知らんが、たいしたもんじゃ。そうは思わんか」
老人はまた茶をすすった。茶をすする度に饒舌になる老人を不思議に思い、成田博士も出された茶をすすって見た。だが、その茶のあまりの苦さに顔をしかめた。
「なあ、あんた。最近この辺でもたまに雨が降るのを知っておるか」
「はあ、気象衛星のデータで」
「また機械頼みか。それがいかんのじゃ。自然から目を背けてはいかん。それがいくら岩と土だらけの大地だとしてもだ。ワシが始めて雨に降られたのは、もう五年前になるだろうか。ちょうどこのエリア長野が閉鎖されたすぐ後だったからな。その時は水滴が一滴、二滴落ちてくる程度じゃった。それが岩と土を黒くするほど降るようになり、最近では降った雨が地面に流れを作るようになった。すぐ地面に染み込んでしまうがな。その雨が草を呼び、草が虫を呼び、虫が鳥を呼んだ。まだこの辺りは岩だらけじゃが、自転車で二時間も走った山影じゃ草むらが出来ておる。この部屋の植物も鳥もそこで採ってきたものじゃ。まあ、この囲炉裏で燃やしておる小枝ばかりはそれほど採れんので、一本採れたのをコピーして使っておるがな」
「よく外へ出てみようと思われましたね」
「ああ、最初は勇気が要ったよ。ちょうどここが閉鎖になって、博物館に誰もおらんようになったもんじゃから。消防服と監視タワーのゴーグルを拝借してな。ワシが子供の頃は外へ出るなんてとんでもない事じゃった。監視タワーから眺めるだけじゃったよ。ワシの親父は生物学者でなあ。よくあの監視タワーへ連れて行かれたもんじゃ。ワシは岩だらけの、あの外の風景を見るのが恐ろしくてなあ。イヤじゃった。その時、親父から言われたのが、さっきあんたに言った言葉じゃよ。自然から目を背けてはいかん、とな。親父が死んでからも度々あの監視タワーに登った。そう十年ほど前じゃろうか。ワシは遠くの山に鳥が飛んでおるのを見たんじゃ。ワシはアルプスの山奥に自然が息を吹き返しておると確信した。その頃、ここにはまだ大勢人が住んでおったが、誰一人としてワシの言葉を信じる者は居なかった。ウソつきよばわりじゃよ。だがワシは本当に見た。ワシを調べに来た科学者にもその話をしたが聞く耳持たずじゃった。それでいつかは自分の目でそれを確かめてやろうと思ったんじゃ」
成田博士は空になった老人の湯飲みにまた茶を注いだ。
「ああ、すまんのう。つまらん話を聞かせてしまったようじゃ。歳をとるとどうもいかん」
「いえいえ。とても参考になります」
「ところで、何じゃったか。自然の中にはもう心が無くなってしまったか、どうかじゃったか」
老人はまた茶をすすり、しばらく考え込んだ後に話を続けた。
「自然と言う物は冷淡な部分と優しい部分を併せ持っておってな。不必要な物は切り捨てるが必要な物は大切に守り抜いてくれる。草や鳥のように。それが自然じゃ。心も何処かで守られているはずじゃ。わしはそう願いたい」
しばらく沈黙が続き、囲炉裏の小枝が音を立てた時、成田博士は老人に訊いた。
「人間が心を取り戻すには。いや、分けてもらうにはどうすればよいのでしょう」
「まあ、働く事じゃな。汗水流して働いておれば、何れ自然も認めてくれる事じゃろう。働かざる者食うべからずじゃな。それと、さっき、あんた旅の者と言いおったな。旅をするのもええと思うぞ。可愛い子には旅をさせろじゃ。まあ、先に心が必要じゃがな。あはははは」
「なるほど……」
なるほどと成田博士は答えたが、老人自身が言うように、まず心が無ければ働く事も、旅をする事も出来ない。答えになっていないと成田博士は思った。
「あっそうそう。もう一つ。あんたネクタイの結び方違っとるぞ」




