ビーフジャーキーたべたい
そうして、何日も過ぎた。ガイドはこう言った。「ここは時間が止まった世界なんだ」「時間って? 」「そのまんまの意味だ。何かが動いてるように見えるか?」
目を開けて時計を見ると9時35分で止まっている。カミシロは体の上にかかっている安っぽい赤い毛布を蹴り上げ跳ね起きた。「いや、見えないよ。まったく理解できない、どういう事?」「そのままの意味だって。生きてるやつは止まってる。生きていないやつは動いてる。それだけさ。」
顎に手を当てると髭が酷く伸びていた。いいさ、だれも気にしない。「よくわからない。君は長くここにいるの?」「ああ、結構な。」「色々教えてくれないか?その、止まってる世界のこととか。」「いいぜ。それがおれの仕事さ。」
布団の脇に放り投げていた革ジャンに無造作に手を通した。中で糸がほつれていて、右手の人差し指と薬指が引っかかったので、もう一度通しなおした。「おれの仕事?」「お前みたいに時々迷い込む人間をいなくするのがおれの仕事さ。この世界で人間を消すには一つしかないんだ」
頭が痒かったので、右手で無造作にかくと、ふけがぼろぼろと落ちた。そして、大きな欠伸が一つでた。「いいか」おれを食っちまうとでもいうのか、この化け物。「この世界で、人を消すには、そいつが本当にやりたい事を見つけてもらうしかない」何を言ってるんだ?「そうすりゃそいつは消えちまう。どこかに行っちまうんだ。」「それってつまり……」「いや、何も言わなくていい。おれはガイドってんだ。名前の通り、道案内が仕事さ。お前が本当におれに会いたくなったら、あそこの、クスノキ商店街を抜けて、右にまがった所にある公園に来い。おれはそこに居る。」
カミシロはそれから何度かガイドに会おうと、クスノキ商店街を抜け、十字路を右に曲がった所にある公園に行ったのだが、まったく彼の姿はなかった。クスノキ商店街には自転車に乗った中年の女がいて、女もまた止まっていた。ある日苛立ちきったカミシロが女の自転車を蹴ると、自転車だけが倒れ、女はハンドルを握り、サドルに座ったままの姿勢で宙に浮いていた。それがあまり非現実的でおかしく、カミシロはばかみたいに笑った。
部屋に転がる空いた酒瓶からはアルコールの臭いがした。アルコールの臭いは枕元からも便所からも玄関からもした。ほとんどの商店は自由に入れるようになっていて、カミシロはそこから酒を持ってきていた。最初は食べ物を探していたのだが、この世界では腹も減らないことに気づき、ただ酒と煙草だけを集めるようになっていた。今日で何日目だっけ?壁に書いた 正 という文字は、八つを超えた時から面倒くさくてつけていない。
カミシロはクスノキ商店街をこえた所にある大型スーパーに行こうと思っていた。ビーフジャーキーが食べたかった。ビーフジャーキーはクスノキ商店街には見当たらなかった。ビーフジャーキーを齧りながら、ウィスキーをやるのは、いくらか慰めになる。
そして、家を出た。スーパーのロゴが入ったビニール袋をぶらさげた中年の女、楽しそうに話しながら、その口を開けたまま固まっている小学生らしい男児数人、同じ格好をしたティーンエイジャーの女数人、いかにも忙しそうにブリーフケースを抱えたスーツのサラリーマン。そいつらの脇を潜り、クスノキ商店街のアーケードへと進んだ。そこに、まだ中年の女は浮いていた。まだ、浮いていた。
クスノキ商店街を抜けた所には十字路がある。右に行くと、大きな公園があった。まっすぐすすむと、大きなスーパーマーケットがあった。
カミシロは右へ曲がった。公園につくと、黄色い巨大な鳥がベンチに座っていた。「よお、遅かったな。」ガイドはそう言った。