*挿話 葡萄色と白藍の合流* 二日目の旅 中盤以前
*
それは少女が街道へと出立してから、暫く経った頃のことだ。
『花鶏亭』の軒先に一人の青年が立ち、丁度庭木に水を撒いていた花鶏亭の主人へ声を掛けた。
「――――すまない、ご主人。ちょっと確認したいことがあるんだが」
「うん? あぁ……あんた役人か。こんな朝からどんな用向きだね?」
外套の隙間から覗く、紋章付の軽装鎧。それを目敏く見つけた宿の主人に対し、葡萄色の髪を揺らして青年は率直に尋ねる。
「ここに白藍の長髪を一つ結びにした低血圧野郎が宿泊している筈なんだが……どの部屋に泊まっているかまで分からなくてな。案内してもらえるか?」
「……こちらも客商売だからな。悪いが、たとえお役人と言えども、はいそうですかと教える訳にもいかねえ。すまねえな」
青年の問い掛けに対し、謝罪を挟みながらも『答えられない』姿勢を微塵も崩さない宿の主。その確固たる意志は、例え国軍に所属している警吏を前にしても少しも揺らぐところが無い。大した胆の持ち主だ。青年は言葉にこそしなかったが、内心では感心すら抱いていた。
「そうか……時間を取らせてすまなかったな。申し訳ないが、もう少し軒先を借りても構わないか?」
「ああ、構わないよ」
青年にそう返答した後は、何事も無かったかのように水撒きを再開する宿の主人。承諾を得た青年は懐からごそごそと小さな袋を出してくる。袋を縛っていた糸を解き、逆さにして掌へ転がしたのは小さな石――――『繋ぎ石』だ。
指先に魔力を注ぎ、対象へ繋ぐ。その一連の動作には全くと言っていいほど無駄がない。
暫く無音のまま、小刻みに震えるばかりだった石にややあって反応が返る。その間に葉煙草を口に咥えておもむろに吸い始めた青年。咥え直すと同時に、低めた声で石へ問い掛ける。
「――――ヒルト、どの部屋だ」
「……ふわぁ。おや、思ったよりも早い到着だねぇ、ユギ。二階の突当りのドアだよ」
返答があった時点で、繋ぎ石に注いでいた魔力を絶つ。再び袋に石を仕舞い直した後は草煙草の火を消して、花鶏亭へ足を踏み入れた。
この時点でカウンターに戻っていた宿の主人は大凡、事情も察していたのだろう。何も言わず、此方へひらひらと手を振る。行っても構わないということだ。
青年はそれに目礼し、宿の二階へ繋がる階段を上がった。磨き上げられた廊下を進み、伝えられた通りに突当りまで来て、遠慮なくそのドアを叩いた。
「はーい。どうぞー」
朝から、思わず気の抜けるような声だ。ドア越しに聞こえてくるそれに溜息を隠すこともなく、青年はドアを開けて中へ入る。決して広いとは言えないものの、手入れの行き届いた気持ちの良い部屋だ。ざっと視線を走らせて、最後に辿り着く先。窓から日の差し込む寝台の上で、既に身支度は整えた後らしい。白藍の髪の青年が「やぁ」と微笑みを浮かべつつ、暢気に手など振っていた。
「おはよう、ユギ。半日ぶりだね。……たった半日程度でも懐かしく思えるから不思議だよねぇ」
「不思議だよねぇ、じゃない。ヒルト、お前の命令違反は今に始まったことじゃないが、一言も残さずに消えるのは流石に勘弁してくれ。お前単体の首で済めばまだ良いが、状況次第では隊長と俺の首が同時に飛ぶことも無くはないからな」
「ごめんごめん。次からは気を付けるよ」
「次を既に想定している時点で、お前が全く反省していないことは理解した」
巻貝穴での騒動後、消息が掴めなくなった相方に『繋ぎ石』で連絡を取り続けた。しかしそれに対する返答は無く、沈黙する石は熱を帯びていくばかりだった。
更に同時並行でアーチ下で起きた混乱とその収拾に駆け回っていた結果が、気付けば夜半。
特大のため息を零しながら、まさに駄目元といった心境のまま。掌に転がした高温の石へ何度目になるのか分からない魔力を注いだ。――――そしてようやく、繋がった先。半ば想定はしていたものの、まるで緊張感のない声で「どーしたの?」なんて聞かれた日には実際怒鳴りもする。怒鳴りたくもなるさ。
「お前今、一体何処で何してる?!」
「うーん、順番に話すよ。二度は言わないからしっかり聞いてね。今は、巻貝行路の宿場街にいる。ちょうど小規模パーティを結成したところ。明日の朝には海都に向けて出立する予定でいるから、隊長には上手く誤魔化しておいて」
「…………もう一度初めから説明しろ」
「ユギ、いつの間に耳が遠くなったの?」
直後、特大の雷が落ちたのは言うまでもない。そして当人の要領を得ない説明に対し、辛抱強くその経緯を探り出していった結果。涙なしには語れない苦悩と忍耐の果てに、ようやく全体像を掴むことに成功したユギ。
彼は警吏たちが昼夜問わずに駆け回る守衛所の一角で、頭を抱えてずるずると壁に寄り掛かった。
「……つまりだ。纏めるとこうだな? あの騒動はお前が今現在付き纏っている『少女』一人がばら撒いた『魔法具』によって引き起こされた結果だと。そして興味を引かれたお前は事情も聴かずにその『少女』に襲いかかったばかりか――――信じられないことに返り討ちにあったと」
「うん、概要はそんなところかな。ところで、ユギ。君に頼みたいことがあるんだけど」
「概要はそんなところかな、じゃない。そんなさらりと流せるような話では無いだろう。おい、一体その少女は何者――」
「取り敢えず、勇者の位置情報とリー・デルッカ村の現状を調べてね。分かった時点で、合流してくれればいいからさ」
「…………はぁ。聞いちゃいない」
そのまま一方的に絶たれた魔力に、呆れを超えて脱力を覚えた青年。琥珀色の目は既に諦観に染まっている。
表向きは、海都の守護を預かる近衛団直轄部隊『白鯨』。その部隊長はヴァイレット・スカイピア。スカイピア公爵家の嫡子である。そんな彼の下に編制された『白鯨』。そこに所属する全員が、個々に有する技量を買われて招集された面々であること。通常任務はほぼ割り振られることがなく、特殊任務に特化した部隊であること。主にその二点の特徴をして、軍部でも所謂『始末屋』としての立ち位置を与えられている。
すなわち、実力がモノを言う軍部においても際立って異彩を放つ部隊と言っていい。
その白鯨の中でも、突出した実力を有するのがヒルト・ガーファンクル。『白藍の悪鬼』とも称される白鯨の副隊長だ。
――――過去、彼が膝をついた光景を少なくとも自分は一度も見た覚えがない。同じ副隊長に任じられているとは言えど、その実力差は歴然としている。敗北の二文字など、全くもって似つかわしくない。
だが、そんなヒルトが『とある少女』に敗北を喫したという。それを聞いて耳を疑ったのも無理はない。その実力は年がら年中その隣にいる自分が一番よく知っているのだ。
「――――で? 小規模パーティを組んだ筈のお前がなんで今も寝台の上にいる?」
「うーん。どうやら寝起きが悪すぎて愛想を尽かされちゃったみたいなんだよねぇ。それにしても、見てよこれ。ここ」
「ん?」
余りにも予想通りの答えが返って来た為に、今更コメントを付け足すのも馬鹿馬鹿しく思えてきた。ヒルトの寝起きの悪さは軍部でも有名な話だ。中にはその隙をついて暗殺を仕掛けてくるような馬鹿も過去にはいたが、その全てが肉片に変わっている。
寝起きの悪鬼に挑みかかるような行為は、総じて悲惨の二文字に帰結するのだ。肉片の数が二桁になったところで、ようやく周囲はそれを悟ったらしい。一転し、不気味なくらいの沈静化をみせた。せめて一桁の間に気付く思考があったなら、もう少し被害も抑えられたことだろう。とは言え、全てはもう昔の話だ。手遅れな感が否めない。
「……なんだその瘤。寝台の角に寝返りでも打ったか?」
「これね、目覚めの鉄拳なんだよ。右が一発目。左が二発目ね。凄いよね? 昔、修行中に岩石に頭から落ちた時だってこんなに腫れなかったのに」
見事なたんこぶを拵えた『白藍の悪鬼』。その表情は今まで見たことがないほどに、充足感に溢れて生き生きとしている。
「……どんな拳をしてたら、そうなるんだ。おい。そんなに筋骨隆々とした女か?」
「ふふ。それは見てのお楽しみだね。――――さて、ユギも無事に情報を携えて合流してくれたことだし。そろそろ後を追って出立しようか」
相変わらずのマイペースぶりに、軽い眩暈すら覚えるというものだ。
しかし元より、そのペースに付き合って今までやって来た。今更過ぎて涙も出ない。やれやれと葡萄色の髪をかき混ぜながら、何処へ向かうのかを尋ねる。
白藍の髪を窓から吹き込む風に靡かせながら、悪鬼は笑ってこう言った。
「今頃は――――そうだね。恐らく『蜂蜜ヶ丘』辺りにいるんじゃないかな」
*
クシュン、と唐突にくしゃみをする少女。傍らを行くマスターが心配そうに「風邪かしら?」と声を掛けるのに対して「いや、多分誰かが噂でもしてるんだろう」と。
まさに的を得た発言をしながら、間もなく抜けるであろう湿地帯の先を仰いだ。
一面に咲き誇るのは、野イチゴの白い花弁だ。青々とした葉に混じって、唸るような羽音が聞こえてくる。そっと手を伸ばして葉を退ければ、琥珀色の蜂が夢中になって蜜を吸いだしている最中だった。その様子を満足するまで観察した後には、静かに葉を元に戻した。食事を無暗に妨げるのは、相手が何であれ信条に反するからね。
「『琥珀蜂』はここ一帯くらいでしか生息を確認されていないわね。針は強力で、普段はそれなりに毒素も蓄えているのだけれど……春先は毒も薄まるみたい。仕組みはまだよく分かっていないらしいわ」
「……マスターは物知りの域を優に超えているな。因みにその情報元は?」
「腕のいい養蜂家に伝手があるのよ。店に置いてある蜂蜜酒は其処から一手に仕入れているの」
ふふ、と笑み零すマスターに対して苦笑混じりの少女。
ブゥン、ブゥンと周囲を埋め尽くす琥珀色を横目に、再び靴を履き替えて歩き出す。丘とその名にある通りだ。なだらかに弧を描く野イチゴの茂みの先には、蜂蜜の産地として有名な『蜂蜜ヶ丘』が見え始めていた。