少女は旧大陸を闊歩する*始*
*
「何だか思った以上に広大だったね……」
「深遠の大陸より、単純に面積だけでも二倍以上ありますからね」
商人殿の相槌を傍らに、ずんずん歩いていく先は見渡す限りの荒野が広がっている。
薄紫のヒースの花。
ゴロゴロと転がるばかりの灰色の岩。
目に付くものは、そんなところだ。
海街を出て、頼もしい案内人たちの背を頼りに歩くこと三日。
本日は数えで四日目の真昼である。
腕の中で身じろぎする灰色のモコモコは、半日前に目覚めるなり一言。
「……嫌な臭いがするの」
そう言い捨てて、モゾモゾとフードの奥へ身を隠し、再び寝息を立て始めた。
どうやら彼女なりに安定する寝床らしい。
半ば定位置になりつつある。
「まぁ、両腕を取られるよりは良いかな」
「……そのモコモコ、ずっと寝っぱなしだな」
「睡眠、大事!」
呆れたような、それでいて微笑ましいものを見るような、微妙なカイル少年の眼差しを甘んじて受けつつ。
ぴょんぴょんと跳ねるように駆けまわるリーゼの動きを目で追う。
一見するとはしゃいでいるようにも見えるが、その実は結構真面目だ。
荒野に仕掛けられた罠の位置を、跳ねながら感知しているのだと言う。
うーむ。出来る子。
見ている分には癒されるし、一挙両得である。
「もう少し進んだら、お昼にしようか」
「ええ、賛成です。それと今晩は恐らく野営になるかと思います。進み具合にもよりますが、この辺りの村落には『鱗』を持つ者たちが多く、彼らは総じて扱いが難しい。無闇には関わらない方が良いかと」
『鱗』と商人殿が口にした途端、首元でモコモコが嫌そうに身動ぎする。
どうやら一種の同族嫌悪らしい。
分かりやすいなぁ。
「あー。分かる分かる。あいつら、独自の価値観の中でガチガチに生きてるからな。関わると碌なことにならないよな」
「避けるの、無難!」
なるほど独特の価値観ときた。それは確かに避けて通るべきかな。
そもそも野営自体に忌避感はないし、面倒事は少ないに越したことはない。
「保存食も思ってたより美味しいし……カイル少年にしても、その辺の野草の見分けやら、調理やら、やたらと有能だし……うん。なかなかいいペースで進めてる気がする」
役に立つよ、と自ら立候補してきただけはあってカイル少年のまぁ有能なこと。
川縁をふらりと立ち寄れば、事もなげに川魚を釣り上げ、そのまま危うげなく調理。
釣りたての川魚は文句なく美味しかった。
食べられる野草の類を気付けば常に腰の巾着にストックしており、踏み込む先に草地があれば、そこに主に出る毒虫の情報なども漏らすことなく教えてくれる。
数日前に毒蛇を見かけた時などは「俺、一応血清も幾つか持ってるから」と宣っていた。
頼もしいことこの上ない。
商人殿の土地柄、地理面での情報通は今更言うまでもなく、リーゼの危機回避能力も馬鹿にならない。
海街を出て、すでに四日。
大きなトラブルもなく進めている。
いやはや、旅の同行者次第でここまで旅が充実するものだとは思ってもみなかった。
「君たちと一緒に旅が出来て、本当に良かった」
「……急になんだよ。礼を言うなら、無事に目的地に着いてからにしろよな」
「あっ、カイル照れてる!」
思わず本音を零せば、カイル少年の貴重な赤面を頂いた。
別にこれまで弟がいたことはないが、何となく弟っぽいなぁと思う。
うりうりと頭を撫で回したい衝動をどうにか堪え、笑み零す。
「それにしても、見渡す限り荒野だよね」
「方角を知る術がなければ、遠からず飢えで死にますよ。通称、惑いの荒野。野ざらしの死体を見つけるのも割とザラです」
「……怖いことをサラッと付け加える癖、何とかならない?」
「怖いですか?」
商人殿もここ数日は、割とご機嫌である。
理由こそ定かではないが、思い至るのは海街を出て一番初めの夜の出来事くらいか。
荒野に入る前の林道で野営をしていた。
スースーと豪儀に寝息を立てるカイル少年と寄り添うように丸まって眠るリーゼの寝顔を傍らに、今後の道筋について『出来るだけ暈して』伝えたつもりである。
とは言え、相手は曲がりなりにも『八枚羽』の名を冠する商人だ。
明かせる範囲で明かした情報――ここには先の海街でカナリアから伝えられた三つの文言も含まれる――を耳にするなり、うっそりと微笑んで成程、と呟いた。
「どうやら、私にも役立てることがありそうです」
ゆっくりと手招きされ、首を傾げつつもすぐ傍に腰を下ろせば。
躊躇いなく伸ばされた両腕に、グッと抱きすくめられる。
グェッと色気も何もあったものではない声が出るのも自然と言えば自然の流れだ。
その胸元から半眼で見上げれば、当の本人は妖艶と言っていい微笑みで返してくる。
「代価は先払いでも宜しいですか?」
「……それは構わないが。先行きに影響が出ない程度に加減してくれ」
「はい、承知しました」
スリスリと懐いた猫が頭を摺り寄せるような仕草の後に、首筋にガブリと噛みつかれた。
数えること、これで二度目。
覚悟はしていても、ほんの少し肩は跳ねてしまう。
分かってはいても、こればかりは反射だ。仕方がない。
じっと見上げれば、壮絶なほどの色気を感じる双眸で見返された。
正直、げんなりもする。
――『吸血種』と呼ばれる、人ならざるもの。
それは古より、長命種の一つとして知られる稀少な種族である。
『血』を代価として求められた時点で、その正体を改めて問う必要もない。
一見したところは人と変わらぬ容貌を持つが、美醜の面では美しい者が多くを占めるらしい。
恐らく獲物から嫌悪感を抱かれないための独自の進化とか、そんなところだと思う。
商人殿曰く、多種族の血を吸うことで、潜在的な魔力を具現化することも出来るらしい。
その為に様々な土地を転々としたのが商人となるきっかけであったとか。
存在を保持するために血は不可欠であるものの、それ以外の食物を摂取することも可能。ただし、あくまでも嗜好品の括りになるのだとか。
「……ふぅ。濃度は濃いのに、口当たりは滑らかです」
「感想はいいから、サッサと終わらせてくれ」
ついでに言えば、ゆるゆると宥めるように背筋を掌で撫でられるのも落ち着かない。
ちうちうとむず痒いような感覚と共に血を啜られるのも、正直あまり良い気持ちはしない。
とはいえ、約束は約束。
それに『血』か『秘密』かを選べと選択を委ねられた末に、己が利も含めて『血』を提供することを選んだのは他ならぬ自分だった。
――中途半端な状態で生き永らえたことによる、弊害。
じわじわと『因果』の境界線を侵してきた自分が飽和状態になりつつあることは、海街に着く前の発熱騒ぎで明らかとなった。
根本的な解決には程遠いが『血』を吸ってもらい、その濃度を下げてもらうことで少なからず猶予を得ている状況は否めない。
焼け石に水であろうと、やらないよりはマシである。
「まるで甘露ですね」
「その味覚はちょっとどうかと思うよ」
種族差はあると言え、己の血を啜られて恍惚とした表情を浮かべられた日にはちょっと引く。
いや、結構引いたな。
とは言え、それから今日に至るまで商人殿の機嫌が大変宜しいことは明らかである。
まぁ、満腹だと余裕が出るよね。多分だけどそんな感じだ。
「ま、あんまり考えないに越したことはないけどね」
「……何のお話ですか?」
サラリと首を傾げてみせる商人を傍らに、物思いから覚める。
視界には相も変らぬ、薄紫の荒野。
幸運なのか、今のところは死体にも出くわしていない。
「ん、ただの独り言。そこのヒースの茂みを抜けたら、そろそろお昼にしよう」
「承知しました。準備はお任せを」
「この分なら、少なくとも夕方までは晴れそうだな……」
「雨期じゃないから、大丈夫!」
割と和気藹々とした旅路であったと思う。
故に、少なからぬ不安が胸に兆していたものの、もう少し見過ごせないかなぁと思っていた。
けれども人は往々にして、それを希望的観測と呼ぶ。
あるいは、現実逃避と。
――始まりは、一つの羽音だった。
夕暮れを過ぎて、昼間から話していた通りに野営の準備に取り掛かっていた。
灰色のモコモコは、礼の如く外套のフード部分でスゥスゥと寝息を立てており。
それを横目に天幕を張る少女の脇では、商人殿が夕食の準備兼明日以降の荷物整理。
カイル少年とリーゼは、近くの河川へ水の調達に出かけていた。
実にバランスの良い振り分けであったと思う。
事実、その襲撃があった時に二人がいなかったのは不幸中の幸いと呼べるだろう。
少女と商人殿が、ほぼ同時に捉えた音。
それは羽音に似たものと、もう一つ。
聴覚で異常を察知し、身を翻した瞬間には、張りかけの天幕は上空へ吹き飛ばされていた。
体勢を低めて見仰いだ先に、迫りくる真っ赤な口腔。
滴るのは、唾液。
毒の牙と腐臭。
大海蛇の口は、大きさだけなら十分に一口で少女を飲み込めるだろう。
けれど、少女の眼差しは酷く醒めていた。
「……ひとの食卓を邪魔するからには、相応の報いを受ける覚悟はあるんだろうね」
片腕でその衝撃を相殺すると同時に、握りしめた毒牙を単純な膂力のみで粉砕する。
大蛇の眼に映るのは、真顔の少女。
もう片腕が振り上がると同時に、横っ面を殴り飛ばされた首が何度も地面を跳ね、そのまま地に沈む。
そして訪れる、一時の静寂。
「あーぁ。だから先走るなって言ったのに。返り討ちにあったら元も子もないじゃない」
折角、気配を消して奇襲をかけたのにねぇ。と。
夕暮れを背に、既知感のある小柄な影が一つ落ちてくる。
ふわりと地を踏み、風に長い尻尾のような黒髪を遊ばせ、偽りの笑みを張り付けた花の如き顔。
直視することさえ躊躇われるような、仄暗い薄闇の双眸が三日月のように細められる。
「やぁ、お姉さん。会いに来たよ」
今度こそ、名前を教えてくれるよね?
陽が沈む間際、残照を背にして少年は嗤った。
☽
視界の端で揺れる、ヒースの薄紫。
そこまで地理に詳しくはないが、相棒の嗅覚に頼れば水源を見つけるのはそこまで難しくない。
荒野の端であっても、それは同じだ。
細い川縁を、トントンと石伝いに跳ね回るリーゼロッテ。
そんな彼女を柔らかな眼差しで眺めつつ、カイルは野営に必要なだけの水を汲み、微かに残照が残る空を見上げた。
「リーゼ、そろそろ戻るぞ」
「はーい。あっ、カイル。そこの草むらにカモの卵見つけたよ!」
「……ほんとだ。明日の食料分として幾つか貰っておこう」
人数分の卵を拝借し、リーゼの背に乗って野営地へ戻ろうと背を翻したその時だ。
ピリ、と微かに背筋を這いのぼる違和感。
リーゼが毛並みを逆立て、微かに威嚇の声を発する。
「……おやおや。どうやら炎孤に気付かれてしまったようですね」
ガサリと音を立てて、姿を現したのは見知らぬ男。
不健康なほどの真白の肌に、微かに見て取れる鱗。しゅるりと口許を舐める舌は、先が二股に分かれている。
「……この辺りの集落の者か?」
「いいえ。私はとうに同胞を捨てた身の上ですから。ふふ、そんなに警戒しなくとも大丈夫ですよ。少なくとも、今この時点であなた方と争うつもりはありません」
「カイル、あいつ危険。たぶん海蛇の沼の……」
リーゼの唸り声に、微かに笑み零す男。
カイルはじりじりと足を後退させながら、なるべく距離を稼ごうとしていた。
リーゼの口にした『海蛇の沼』。本当に目の前の男がそれに所属する獣人ならば、まともに戦って勝ち目の望める相手ではない。
「ご安心を。繰り返しますが、あなた方に手出しをするつもりはありませんから。私たちの目的は、あくまでも『彼女』一人です」
「……カルーアのことか」
カイルは愚かではない。男の遠回しな言動から導き出される答えをポツリと口にして、眉を寄せた。
向かい合う男は、うっそりと微笑みを手向けるばかりで、確かに攻撃の意思は感じられない。
「ええ。私はあなた方の足止めに遣わされました。私たちの主であるあの方が、あの娘を所望しているのです」
「カルーア、危ない! カイル、戻ろう!」
「僅かばかりの良心からご忠告申し上げますが。今、あちらへ戻るのはお勧めしませんよ」
「……カイル?」
蛇のように細められた瞳孔を見返し、カイルはしばらく無言だった。
溜め息を一つ。
そして戸惑うようなリーゼロッテの眼差しを見返し、静かに首を振る。
「リーゼ、今は駄目だ。今俺たちがあそこに戻れば、逆に足枷になり兼ねない」
「でも、カイル!」
「リーゼ。俺を信じろ」
「……うん、カイル。信じてる」
しょんぼりと耳を垂らすリーゼロッテ。
そっと頭を撫でてから、カイルは視線を上げて目の前に佇む男へ問う。
「足止めといったな。お前の主はこの大陸の者か?」
「……いいえ。我々が今主として仰ぐ者は、元々は海の外からやって来たそうです」
淡々とした返答ながら、その眼差しに微かに垣間見える色。
それはおそらく、憎悪だ。
そこに僅かながらの打開策が隠されている気がした。
カイルは糸口となりそうな情報を引き出そうと、会話に集中する。
「その主とやらに仕えているのは、あんた一人なのか?」
「ふふ。いいえ、私の他に二人いますよ。まぁ、生きている駒としてはという話になりますが」
「……呪術を扱うということか」
「ええ、まぁそんなところですね」
飄々とした受け答えの中に、微かに混じるのは苛立ちだろうか。
カイルはじっと男を眺め、少し迷いながらも、短く問うた。
「あんた、主を憎んでいるのか?」
「それについては言葉にしないでおきましょう」
言外に是、と言われているも同然であった。
ふむ、とカイル少年は得た情報を頭の中で整理する。
目の前の男はおそらく、蛇の獣人である。
彼のいう所を信じれば、他に種族の同じか違う獣人が二人、駒として生かされている。
主とやらは、カルーアを目的として襲撃を仕掛けている最中。
この大陸の者ではなく、恐らくカルーア同様に深遠の大陸からやって来た。そして、呪術者でもある。
ひとまずこんな所か、と嘆息する。
自分達への足止めなど、ほとんど意味のない行為であるとカイル少年自身は考える。
しかし、それでもこうして一人向かわせたということは万全を期したいということか。それとも。
「……あんたの主とやらは、俺が水糸の守に連なる者であると知っているのか?」
「ええ、存じているようです」
核心を突いた、とカイル少年は向かい合う男の双眸を見て確信する。
一呼吸の後、カイルは後ろに寄り添うリーゼへ叫ぶ。
「リーゼ、守の糸を咥えていけ!」
「分かった!」
躊躇うことなく、カイルの掌から『糸』を咥えたリーゼロッテ。
刹那、跳躍する。
男が咄嗟に放った鋭利な鱗を空中で見事に避けながら、リーゼはそのまま樹上へひらりと身を躍らせた。
「……素晴らしい跳躍力。流石は炎孤ですね」
「最初から見逃す気だったな。……命でも握られているのか?」
「ええ、まぁそんなところです」
苦笑する男へ、薄らと憐れみすら覚える。
しかし男はカイルの向ける視線の意味を悟ってか、小さく首を振り、呟いた。
「憐れみは不要。これも結局、私たちが選び取った業なのですから」
*
刻は少し遡る。
残照を背に舞い降りてきた少年の姿に、辺りの空気は急速に張り詰めた。
微笑む少年の問い掛けに、少女は沈黙を返す。
それもその筈。
何度問われたところで、教える気は皆無だったからだ。
「……やっぱり教えてくれないか。ふふ。本人が駄目なら、別の手を考えないとね」
ちら、と視線を逸らせたとほぼ同時。
商人殿を囲むように、四方から出現するのは漆黒の顎。
一斉に襲い掛かるも、この程度なら相手にするまでもないのだろう。
ガツンと鈍い音。
当然の如く、空振りに終わる。
「……なるほど。ならば私から聞き出そうということですか。やれやれ嘗められたものです」
一欠けらの笑みも浮かべていない商人殿の横顔は、氷のように凍てついていた。
どうやら、かなりお怒りのご様子。
ふわりと中空に跳んだかと思えば、猫のような身軽さで着地する。
着地と同時に無数の顎が伸び上がるが、それに対しても一切危うげは見えない。
岩場を伝い、難なく攻撃を受け流していく。
「……へぇ。こっちもこっちで面白いね。兄さん以外に僕の攻撃を躱し続けられる人間がお姉さん以外にもいたんだ」
「申し訳ありませんが、正確に言うと、私は人の括りには入りませんよ」
殺伐とした現状とは見合わぬ、飄々とした会話。
合間に同様に攻撃をかわし、殴り、顎を幾つか粉砕しながら少女は苦笑する。
その内心はかなり複雑と言っていい。
うーん。そこを訂正されてしまうと、ちょっと身の置き所がないんだよね。
口にこそ出さないが、そんなところである。
「ふーん。君、人に在らざるもの? あぁ、そう言えばこっちの大陸には多いんだったっけ」
何かしら納得した様子の少年は、うっそりと嗤って見せる。
「まぁ、僕も元は人であったけど今じゃこんなだし……そんなに珍しいものでもないのかな。ねぇ、もしかしてお姉さんも人じゃなかったりする?」
正解。その通り。
しかし少女は顔色を変えず「さぁね」と嘯くだけである。
少年は商人殿の牽制を交わしつつ、くすくすと笑った。
「あー、楽しいなぁ。余裕があれば朝まで遊んでいたいんだけど……でも、そろそろ兄さまもこっちの大陸に着く頃だろうし。ねぇ、お姉さんは兄さまの大切な人なんだよね?」
突然の静寂。
不意に少年側からの攻撃がすべて止み、地面から無数に生えた顎が一斉に地面に沈んだ。
微かに残っていた陽光は飲み込まれ、月と星の灯だけが頼りなく照らし出す大地の上。
七つの鎌首が赤々とした眼光と共に、空を覆うように広がる。
真ん中の首の天辺。
こちらを見下ろす表情は暗くてよく見えない。
塗りつぶされたような漆黒だった。
それでも分かる。
少年は、確かに嗤っていた。
「ねぇ、お姉さんを僕に頂戴?」
まるで地鳴りのようだった。
それほどに静寂を打ち破り、地を割るようにして伸び上がった顎は巨大で、内包される魂の数も、殻の硬度も明らかに今までとは異なっている。
まさしく異常。
相対する商人殿も、感覚だけでそれを掴み取ったのだろう。
咄嗟に半身を翻すも、あと一歩足らない。
易々と穿たれた腕を自ら切り落とし、後退したところへ更に迫った顎の一部は――辛うじて少女の繰り出した刃によって防がれる。
「やれやれ……どうやらアレの次に厄介なモノを引き当てたらしいね」
シャリン、と澄んだ音を立てて擦り合わされた二色の刃。
やがて溶け合い、闇に溶け出すのは深紫の輝き。
少女は深々とした溜め息を隠さない。
過去に、ルビィ以外に『紫炎』を向けたことはなかった。
「啼いて、紫炎」
少女の声に応えるように、月夜に燃え上がる軌跡。
躊躇うことなく跳んだ少女は、見据えた先の赤々とした深淵を凪いだ目で覗き込む。
「こんなもので俺を飲み下せると思っているのなら、甘いよ」
流星の如く、墜ちる。
待ち望むように開いた顎に、まるで自ら飛び込んでいったようにすら見えた。
商人は微か、息を呑む。
少年は何かに魅入られたかのように動きを止め、ただその軌跡を受け止めた。
突き立つ、炎。
――リィン、と涼やかで不可解な音が響き渡る。
顎が粉々に粉砕されると同時、大地に亀裂が走った。
闇と焔が入り混じり、瞬く間に周囲の大気が凝縮する。
一瞬、音が消えた。
「あ……力入れ過ぎたかも」
どこか気の抜けたような、少女の呟き。
対ルビィでしか抜いたことのなかった弊害は、あまりに大きい。
大地の崩落と共に、凄まじい量の粉塵が視界を覆い尽くした。
咄嗟に伸ばした手も、空を掻く。
底知れぬ、浮遊感。
――馬鹿みたいな最期だね。
誰かが叫ぶ声。
上滑りしていく思考と、ほんの僅かな諦観。
冷え冷えとした風に、束の間の瞼の闇。
ふわり、と指先に絡んだ感触。
「ルーア! 掴まって!」
僅かに温もりを帯びたそれに、目を見開く。
粉塵の切れ目。
見上げた先には、緋銀の獣。
「リーゼ?」
指先に絡みついたそれは、一見すると頼りない一本の糸。
けれども、想像を超える強度で少女の身体を吊るしていた。
久々の投稿となりました。
お読み頂いた方に、心からの感謝を込めて。
引き続き、亀の如く地道に綴って参ります。




