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少女は酒場にて、諦念に至る*巻貝穴騒動後*

 *



 月明かりに照らされた巻貝(シェル・)行路(ローカス)沿いの、宿場街。ここも巻貝穴と同様に、正式な名称は付けられていない。煌々とした光に満ち、賑やかな街道は夜半を迎えていた。大勢の冒険者、仕事帰りの商人たちその他ありとあらゆる職を営む男たちで溢れ返るその場所は、まさにこれからが本番といった風情に満ち満ちている。巻貝穴とはまた違う、独特の喧騒を纏う街――その街道から少し抜けた先の、東へ伸びる路地の半ば。幾らか周囲よりか静けさを感じられる一角に。

 大ジョッキを傾ける少しばかり毛色の変わった二人の姿がある。


 酒場の看板には『穴熊(ディアドル)』と掲げられていた。この辺りでは珍しい紫炎(ディードロ・)(ベル)を入口の左右に吊り下げている辺りに、店主の過去が窺えるというものだ。何しろこの紫煙燈、魔獣除けの水晶などとは比べ物にならない。遥かに値の張る代物だからね。話に聞いたことはあったが、実物を目にしたのは初めてだ。理由はよく分からないが、魔獣は総じて紫の色彩を避ける傾向がある。稀少な紫水晶をガラスの代わりに嵌め込んでいる紫煙燈はそんじょそこらの冒険者風情にはまさに高嶺の花。それを二つもぶら下げているのだ。何も思わないわけがない。

 しげしげとあらゆる角度から見ようと試みたが、すぐ横には案内してきた青年の愉しげな含み笑い。気が散ってまるで鑑賞には至らなかった。結局諦めて、甲高いベル音と共に入店。

 思ったよりも広い店の中をざっと見渡しつつ、想像していたよりか落ち着いた内装に内心で安堵もする。案内人は自称同行者こと戦闘狂。信用など皆無だ。それにも拘らずどうして行動を共にしているのかって? それは横にいる青年の「今宵の記念すべき出会いに乾杯しようよ。支払いは全部僕が持つからさ」という文言に端を発している。

 詳細は面倒臭いので多少割愛するが、トンネルを抜けるまでは確かに後方にいた彼。それがいつの間にやら、定位置とばかりに横を陣取るようになっている現状。それは全て規格外のしつこさに起因している。トンネル内での攻防を経て、多少察していた部分はあったけどね。まるで無限ループの如き、諦めの悪さ。無視し続けても尚、同じ文言をひたすらに提案され続けた自分の精神状態に思いを馳せてもらいたい。

 一般に照らし合わせたら、とうに殴り飛ばされている範疇だ。一般的な膂力なら頬を切るくらいで済むかもしれないが、自分の場合は細心の注意を払わないと文字通りバラバラになる。何処がって? それは色々なところとしか言えない。その点では、ひたすらに堪えている現状に感謝してもらいたいくらいだ。「無視もそれなりに応えるんだけどねぇ…」とかどの顔して言える文言だろうね。

 いっそのこと奢らせられるだけ奢らせてしまおうと軌道修正を図ったのも平和的道筋の第一歩。酒に罪は無いし、懐にゆとりができるのは結果的には悪くない。そっちが本音? うん、否定はしないよ。どうせ後方を雛鳥よろしく付いてこられるなら、元が取れたほうがいい。まさに、合理的だ。別にヤケクソになっている訳ではない。断じてね。序に寝落ちするくらいに酒を飲ませてしまえば朝にはおさらば出来るかな、と。つらつら考える余裕すらある。

 この短時間で耐性が付きつつある自分の成長たるや、目を瞠るものだと断言しよう。

 それはさておき、だ。実際、案内されてきた酒場の質は悪くない。何しろ無駄に鼻が利くもので、判断までに短時間で済むんだな。これが。

 全体の色彩は、深藍。完全に統一されている訳では無かったが、奇妙なほどに整然としていた。ずらりと並べられたワイン樽と、良質の月満麦酒――棚の端には、他にもいくつか珍しい銘柄が揃えられているようだった。これには目を瞠る。酒には殊更目のない師匠の下で、無意味に充実することになった知識の内の一つ。大陸中の銘柄各種。そこに含まれない銘柄を目敏く見つけた少女は思わず歩み寄って、間近で観察していた。

 そんな少女の元へ、殆ど気配を感じさせずに歩み寄る一人。そのしなやかな動作はまるで深森にいるという黒豹の如く一切の無駄が無い。

 ――間一髪で、接近の末の捕獲を免れた少女は、初めこそ状況を把握に至らない。とりあえず棚に沿って一定の距離を置きつつ、その店の店主との初対面を迎えることとなった。

「あら、ここいらじゃ珍しいくらいに敏捷な子ねぇ……」と。残念そうな響きを隠さぬまま、男は妖艶に笑った。その笑みを崩さぬまま、さらりと衝撃的な事実を挟んでくる。「自分がこの店の店主よ」と。動作と同じくらい、会話の流れにも無駄が無かった。中々に濃い人物であることは、これだけでも十分に伝わるはずだ。

 大陸では少数の、浅黒い肌と月の色の波打つ髪。それはもう、見事な美丈夫である。その口調に違和感を覚えなかったと言えば嘘になるが。しかし、人のことは言えない。それはもう、あっさりと腑に落ちた。店主もまた察したのだろう。一段と柔らかな視線に迎えられつつの、二度目の抱擁未遂。縮まったかに思われた距離が遠のくのも無理は無いね。それはもう残念そうな色の籠った視線を右から左へ受け流しもする。

 こうして一区切りついたところで、ようやく第三者の声が割って入った。二人のやり取りを後方で見ていたらしい青年の「紹介も済んだみたいだし、そろそろ飲もうよ」の一声で、乾杯に至ったのが先ほどのこと。

 外套越しにもっと早く分断しろ、どうしてこういう場面では空気を読むんだ、と。横目で睨んでいた経緯はさておき、肝心の青年はどこ吹く風だ。いい加減慣れもする。溜息で行き場のない感情をごまかしながら月満麦酒(フォイーユ・モルト)の芳醇な香りを喉の奥へ一気に流し込み、ようやく人心地もつくというもの。うん、やはり美味しい。この店は当たりだ。店主を含めてそう言えるかは、正直なところ微妙だ。でも、飲める酒が美味しいに越したことは無い。


「マスター。何だか普段とまるで違うね。すごく嬉しそうだ」

「そりゃそうよ。何が哀しくてむさ苦しい男どもに囲われて日々笑っていられると思うの? その点、今日は素敵よ。言うことなし。褒めてあげるわ、ヒルト」


 看板と紫煙燈、次いでマスターの順に視線を傾けていけば言いたいことは幾らでもある。ただ、酒場でなによりも大切なのは空気を読むことだ。口を噤んでこそ得られる平穏もある。酒気はとりわけ人を狂わせるものだ。身近に具体例を見てきた経緯があれば、否応なしに学ばざるを得ない。因みにここで言う実経験とは師匠とその周囲のことだ。懐かしいなぁ、酒に酔った師匠が巻き起こす壊滅的な被害の数々……そして泣いていた複数人。さらば過去の日々。全ては酒と共に記憶の彼方へ封印されれば尚良し。


「ふうん……そんなものかぁ。正直僕にはよく分からないよ。何せほら、酒も色も一晩しか持たない夢幻も良いところ。やっぱり戦いの高揚に勝るものは無いよね?」

「呆れたわ。ほんと、あんたは戦闘狂いもいいところ。……ね。貴女もそう思うでしょう? 可愛らしいお嬢さん。その無粋な外套、ここでは外しても良いのよ。色々言う輩がいたら私が丸ごと叩きだして、漏れなく肉片に変えてあげるから」


 色々発言がギリギリですよ、店主(マスター)。苦笑を隠せなかった少女は、ここに来てようやく外套の端に手を掛けた。美味しい酒を振る舞ってもらった上に、無粋もいいところだと認識したからだ。ふわりと露わになる少女の瑪瑙(アガッ)()の髪。「やっぱり奇麗な色。思った通りだわ」とお褒めの言葉を頂きながら「それはどうも有難う」と軽い返答に留めた。


「やっぱり君、リー・デルッカ村にいた子だよね? その目に、何だか既視感を覚えたんだよ。うん、僕の記憶力も偶には役立つよね」

「…………」

「ふうん、また黙秘ね。……何となくだけど、君の行き先が見えた気がするなぁ」


 意味深な発言を続ける横の青年の口へ、つまみの『淡水(リバー・)巻貝(シェル)香味炒(ガルニ)め』を突っ込んで黙らせる。「これ苦手なんだよねぇ…」などという発言には一切反応せずに、現状では最も有用と思われるマスターからの情報収集に努めることにした。

 何事も、準備の段階が大事になる。それを怠れば、最終的に足を引っ張るのは自分の不備という何とも救いようのない事態を招くことになるのだ。海都までの行路はまだ半ばといったところ。明日は何としても七割方まで歩を進めておく必要がある。単純に間に合わないのだ。その為には、最短のルートを常に模索し続ける姿勢が必要不可欠。その上で振る話題は、目下『飛竜(レバンテ)』の調達に尽きる。


「マスター。貴方の好意を見込んで、一つ聞いておきたいことがある。この時期、飛竜を飛ばせる御者(エア)はどこに行けば見つかるかな?」

「あらあら、慎重な性格に思えたけど……意外と無茶をするタイプなのかしらね。一応確認しておくけれど、それ程に急いでいるということよね?」

「言うまでも無く」


 ふうん、と精悍な顔に手を添えて考え込む店主。その口許には微かな笑みも混じる。なんだろう。僅かだが嫌な予感を覚えた。横の青年が含み笑いを漏らしているのも、不安に拍車をかける要因だ。もしかすると、先の発言は自分の首を絞めるものだったのかもしれない。

 そんな少女の不安を知ってか知らずか。隣の青年は追加の酒を注文する序に、さらりと店主へ告げる。その内容だけで、少女は自ら地雷を抱えた事実に気付かざるを得ない。

 それはまさに、転がる石はそのまま坂を下り落ちるように。もはや為す術はない。一度口にした言葉は、今更引っ込めることも叶わないのだ。


「マスター。次は『(ヴァンデ・)(アイ)』をお願いするよ。――そう言えば、昔『(レバ)(ンテ・)御者(エア)』として名を馳せた凄い奴がここらにいたよね? 風聞を頼りに、一目そいつに会おうと紫のカンテラを目印に訪れた冒険者たちが他の客に迷惑だからという理由だけで、揃って店外に締め出されたこともあったっけ……ふふ、懐かしいね」

「ヒルト、存外あんたも口が軽いわね。ほら、あんたのせいで可愛らしい双眸に余計な色が混ざってしまったじゃないの。……責任はきっちり取ってもらうわよ」

「じゃあ、手っ取り早くマスターへ慰安旅行をプレゼントするよ。同行者は可愛らしいお嬢さん一名と、気が利く若人が一名。ね、十分に元は取れるよね? ちなみに行先は海都……で、合ってると思うけどね。詳細は横のお嬢さんに聞いて。旅程も任せてるからさ」

「ふぅ。……成程ね。何となくだけど掴めてきたわ。あんたがそこまで肩入れするのも珍しいわね。明日は空から槍でも振るんじゃない? あと、気が利く若人というのは誰のことかしらね? ――まあいいわ。あんたにしては上出来よ。代金はこの時期だから二割増しで手を打とうじゃないの。勿論それくらいは出せるわよね、白鯨の副隊長さん?」

「そうだねぇ……折角だから三割増しでも構わないよ?」


 並々と注がれるのは『赤竜』という名を持つ、大陸でも最高度数に数えられているカクテル。その数は三つだ。まだ口に付けてすらいないのに、眩暈すら覚える。

 成程、自分が甘かった。極上の酒気に惑わされた挙句が、辿り着いた先は蜘蛛の巣でしたというおとぎ話の顛末にも似た現状。いざそれを前にする時になって、遅ればせながら天井を仰ぐ。口火を切った自分の浅はかさを噛み締めているのだ。ああ、やらかしたなという話。これは思ったより堪えるよ。

 ――――正直、今の自分は良くも悪くもあれで手いっぱいだ。いや、良くは無いな。良さは無い。誰が好き好んでこれ以上の不安要素を抱えようと思うだろう? ただ、どうあっても海都に辿り着くことが最優先であるのは変わらない。飛竜を使えば、移動は格段に早く済む。この時期、と初めに話に上げた通り、丁度『交配期』に当たる今の季節は飛竜を扱うのに一層の危険を伴う。素人には到底制御は儘ならないし、経験の浅い御者であれば決して首を縦には振らない。

 だからこそ、そう簡単には見つからないことを承知で『技量があり、挑戦心も兼ね備えた御者』についての情報を求めたのだ。結果、それ自体が青年の企みにまんまと嵌る結果であったと。そういう次第だろう。分かるよ、分かった。この流れでは致し方ない。今更蹴るような愚は犯さないよ。だがしかし、一杯食わされたのは事実だ。事前に場を用意するという搦め手を用いられたばかりか、ぎりぎりまでそれを気付かせなかった傍らの青年に脱帽もする。その結果、行き場のない思いは全て少女が手を伸ばした先のグラスに一点集中した。

 ――――力を込めた素振りは無い。それにも拘らず、まるで凍り付いた水面がある一点を中心に(ひび)を広げていくかのよう。一瞬にして、グラスの上から下までが破片と化し、そのまま崩れ落ちる。


「……御免よ、マスター。どうやらグラスに皹が入っていたみたいだ。少し触れたら割れてしまった」


 弁償させてもらうよと言いながら、少女のその目は全く笑っていない。「気にしないで良いのよ」と。事情を察しながらも新しいグラスを取り出しながら、砕け散ったガラスの回収も行うマスターの手際は完璧だった。一方の青年は、少女から放たれている無言の怒りを苦笑しながら受けている。

 ここまでの一連の流れを振り返りつつ、代わりの酒が用意される合間、カウンターに脱力感も露わに突っ伏す少女。ここまでが、幸先の全くもって見通せない小規模パーティが結成することとなった経緯と言うことになるだろう。うん、まずもって不安だ。これ以上無いほどに、経過としては順調といって良い結果を得られている筈なのにね。何がどうして掌で踊らされている。


「――――君、白鯨の副隊長と言ったね。今代の隊長はヴァイレット・スカイピア?」

「へぇ。隊長の名は知ってるんだ。そうだよ、ヴァイ隊長。階級は先月大佐になったばかりの若手最有望株」

「あれが最有望株、ねぇ……。それを聞いた後だと、とてもじゃないが軍部の未来は明るいとは思えない」

「……ふふ、流石。そこまで分かってるんだ。それで、ヴァイ隊長とはどういう経緯で知り合ったのかな?」

「あれは兄弟子だ」

「……ちょっと待って、もう一度いい?」

「二度は言わない。聞き間違えたと思うなら、それはそれで構わないさ」


 極端な話、負かした直後でさえも隣の青年の表情にはどこか飄々とした空気があった。こうしてトンネルを出て、初めて見る正真正銘の瞠目だった。そこから少しずつ元々あった空気を取り戻しながらも、やはり完全にとはいかなかったようだ。


「――――はは、納得したよ。そういうことなんだねぇ。通りで軽々と躱された訳だよ。君、あの『軍神(カルフィア)』の愛弟子の一人かぁ……」

「師匠はそう呼ばれるのが嫌いだったみたいだけどな。……気を付けた方が良いよ、君。師匠は自分と違って手加減をしたがらない。場合によっては不用意な一言がそのまま死因に直結し兼ねない人だからな」


 例えそれは弟子であろうとなかろうと、全くもって変わらない条件だけどね、と。そう付け加えながら、ゆるゆると顔を上げてきた少女は苦笑する。苦い部分は嘗ての師匠関連、その弊害的な部分を含んでいる一方で、僅かに笑みがあったのは。意図したところでは無かったものの、ここに来てようやく青年の素の表情を引き出せたこと。それを見て溜飲が下がったという意味合いが大部分だ。改めて思うことでもないが、性格はお世辞にも良くない。良識はそれなりに身についていると信じているものの、やはり本来の意味では世間とのズレを感じざるを得ない。

 ――環境と、元々の本質。そのいずれもが作用しあって、今の自分がある。元よりそれは自覚しているが、今更変えるのも億劫だ。その辺りに少女の基本的思考が見え隠れしているが、そちらについては当人も丸ごと見ない振りをし続けている。何事も程々が丁度良い。直視するのも程々に留めないと、人はバランスを保てない。


「――――さてと。そろそろ宿を取りに行かないと。マスター、ありがとう。とても美味しかった。お酒も料理もね。……先ほどの話だが。横のが言った通り、行き先は海都だ。もう少し先まで含めて伝えると、船旅で大陸を出ようと思っている。正直、猶予はあまり無いんだけどね。それでも構わないなら、正式に依頼したいと思うよ」

「横の、って……。そろそろ名前を覚えてくれてもいいと思うけどなぁ」

「煩いわよ、ヒルト。肝心なところで空気を読まない癖、いい加減に直しなさい。――お嬢さん、貴女が気付いているように、わたしは貴女に好印象を抱いている。これ、結構珍しい事なのよ? 理由は外見云々の好みというよりも貴女自身の纏う空気。でもね、仕事を受けるかどうかはまた違う基準。要するに、気分次第なのよねぇ。……そう、その点では貴女はとっても運がいいわ。わたし自身が丁度退屈し始めた頃なのよ。だから、今回の仕事は特別に受けてあげる。受けた以上、必ず期間内に貴女を海都まで送り届けるわ」


 店主はそう言って、妖艶に笑う。琥珀(ミステ)の双眸は柔らかに細められていた。それを見て、少女も微かに笑った。同時に決意も固まるというもの。――腹を、括ろう。ここまで来た以上。巻き込んだ以上は。もう決して、後には退けない。


「分かった。海都までよろしく頼むよ、マスター」


 もし、海原を前にあれと対峙することとなっても。決して『彼ら』は殺させない。元より捕まる気は全くないが、それに併せて誓約を胸に刻む。言葉には出さずとも、密かな約束として残しておかないとね。

 これは逃避を選んだ自分が、最低限背負うべき責に他ならない。


 *


 翡翠色の双眸を瞬かせ、『穴熊』を後にした少女。酒気が入ったとは思えないほどに足取りも軽く、街道沿いをぐるりと見渡した。昼間マーケット街で薦められた『花鶏亭』の看板を探しているのだ。


「何処かもう、目星は付けてるの?」


 後方から支払いを済ませたらしい青年が寄って来て、興味津々といった様子でそう問いかけるのに対して『花鶏亭』の名を告げて反応を窺う。「うん、悪くない選択だね」とのお墨付きを頂いた。やはり、良宿としての評判に間違いはないようだ。


「ここからだと……そうだね。二番目の路地を抜けた方が近いかな。あ、ちょっと待って。流石にこれ以上は無視できないみたいだ」


 後半の言動に首を傾げた少女を余所に、青年がごそごそと懐から出して来たのは紛れも無く魔法具の一種だった。それも、特殊任務に就いている軍人に限定して配布される『(コール・)(ライア)』。国が占有する魔法具として、知る者は知る代物だ。魔力を注ぐことで、同じ魔石同士で声を届け合うことが可能となる。付加されている属性は主に『振動』と『認証』の二つだ。

 既に点滅し、相当の熱を持っているらしい。「うわぁ、火傷しそう」と呟きつつ交信を始める青年を横目に、どれだけ無視をし続ければそうなるのかと半眼になる少女。


 そうして始まった会話にさり気なく耳を傾けつつ、外套を被り直した。そのまま夜空を見上げて猫のように伸びをする。夜風が心地よい。

 さて。――当初考えていた通りにはならなかったものの、旅となれば全て計画通りとはいかないもの。不安は売るほど余っているが、抱えきれないほどでもない。ともあれ、何とか纏まりそうだ。そんな内心を抱いて迎える逃亡初日の終わりである。


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