*挿話 昏き洞窟と蠢く影*
*
灰色の岸壁の上を、緋の色の西日が照らしている。
そこから更に視線を下に向ければ、波によって浸食されて出来た幾つもの洞窟が見えるはずだ。
その無数にある洞窟のうちの一つ。
巧妙に隠された入り口の奥で、八つの篝火が焚かれていた。
「おい、頭目からの指示はまだか?」
「岩間の奴らとわざわざ日にちを調整する必要、そもそもあるのかなぁー?」
「ふん、今回の襲撃を成功させれば、ブールドネージュの血筋も絶えよう。邪魔くさい守の獣も同時に屠りたいものだが……この人数ではまだ不足か。それを考えれば、奴らと示し合わせるのも仕方あるまい」
「楽しみだねぇ。血、沢山見られるかなぁ」
自由気儘に声を交わす彼らの姿に統一感はなく、種族も体格も様々だ。
けれども、浮かべる表情だけは共通している。
海鳴を傍らに『彼ら』――篝火に照らされながら、輪を囲う二十七人の獣人たち――は来るべき時が来たのだと知っていた。
故に、その口許へ醜悪な、それでいて歓喜に満ちた笑みを一様に隠さない。
海の無頼モノと端的に称されることも多い彼ら。
その正式な名称を知る者は、そう多くはない。
彼らと出遭った大半が、その場で殺されるか食われるかの二択に振り分けられるからだ。
「ねー、頭ぁ! イデルグの親爺が呼んでるよぉ?!」
「……全く。頭目は腕がとびきりなのは良いんだが、色と睡眠欲が強くていけねぇ」
「あはは、違いない! でもあれだけ強いなら、女が集まるのも道理ってもんだよね?」
「……ふん、お前もそうなのかフラン?」
「んー、まぁ一回子供産むくらいなら別に良いかなぁ。でも、本音言うともう少しガタイが良くて、男くさい方が私の好みなんだよねぇ」
ほんと、残念。
そう言い足して、あどけなさすら感じさせる微笑みで返すのはフランと呼ばれる少女だ。
彼女は背中の片翼をハサハサと揺らして猛禽のような目を細めつつ、すぐ横に座る男の体臭を遠慮なく嗅いで回る。
「おい、止めろ」
「……うん。まぁまぁかな。タイザー、私と番いたいならもう少し筋肉つけてねぇ?」
「……いつ、だれが、お前と番いたいと言ったんだ?!」
「はいはい、二人ともそのくらいで。痴話げんかは山犬も食いませんよ?」
笑み零すフランと虎の獣人タイザーが普段通りの遣り取りを交わす最中、一見すると穏やかな物腰の青年がするりと話に割り込んできた。
しゅるりと口許から覗く舌は、その白皙の肌と相まってぞくりとするほど紅い。その上、二股に分かれていた。
「もう、邪魔しないでよ。メルロ。折角タイザーで遊んでたのにぃ」
「フラン、タイザーの純情を玩ぶのも程々にしておきなさい。あまりに可哀そうで同性としては見ていられません」
「……お前らな」
溜息を零し、脱力するタイザーを余所に薄ら寒い微笑みを交わし合うフランと、蛇の真性をもつメルロ。
いつしか固定化したこの三者のじゃれ合いを、他の面子は苦笑しながら酒の肴と言わんばかりに眺めるばかりだ。
彼らは彼らなりに、仲間を大事にする。
血を啜り、残酷と呼ばれる獣人の寄り集めの中でも、それなりの不文律があるのだ。
そもそも、古から続く近親婚が故に薄まるどころか濃くなる一方だった獣人の性。
その中でも、一際『悪食』や『狩り』、そして『闘争心』といった諸々が突出して幼少から現れたが故に、同族たちに郷を追われた者たちの大半が、こうして身を窶す先――それこそ『海蛇の沼』だった。
「……それにしても今日は御寝坊さんだねぇ、頭」
「昨夜はそこまで深酒はしてなかったと思ったが……」
「ええ、それに寝所へ連れ込んだ女も二人くらいに抑えていましたね」
「……おいおい、それで本当に抑えてるつもりか」
「ふふ、頭目の性は山犬ですから。発情期を迎えれば、こんなものでは済まないでしょう」
訳知り顔で微笑むメルロへ、半眼になるタイザー。
口調がどれほど優し気で、かつ丁寧なものであってもその本性は大蛇だ。獲物をジワジワト追い詰め、悲鳴ごと巻き取り、そうして丸々喰らう姿には、内心で畏怖すら覚えることも少なくない。
そして、この蛇が性行為の際には気に入った相手ほど執拗に甚振り、そして最後は食事も兼ねて喰らうことを知った時から、心の距離は更に遠退いたと言っていい。
怖えな、蛇。と。
それこそ紛れもない本音である。
同性異性関係なく、どちらの意味でも食うと聞いたから余計にだ。
「……発情期か。今から考えただけで面倒だな」
「おや、何を他人事みたいなことを言ってるんですか、タイザー? 貴方だって例外ではないでしょう」
「お前らのそれと同列に並べるな。俺はまだ自制も利く」
苦み潰したような顔のタイザーだったが、ふわりと片腕に寄り掛かって上目遣いに「ふぅん、自制ねぇ」とフランに覗き込まれ、束の間ギチリと身体を固まらせる。
そんな二人の仲睦まじいとしか言いようのない空気に「やれやれ」と呟きつつ、肩を竦めて洞窟の奥へとふと視線を逸らせたメルロ。
その細い瞳孔が、微かな違和感を捉えて細まった。
『その声』が洞窟内に木霊したのは、メルロがその違和感を口に出すより、僅かに早かった。
「海の無頼モノたちと聞いてちょっと期待してたのに、これはちょっとガッカリかなぁ……」
耳慣れぬその声に、円陣を組んでいた獣人たちは一斉に振り返る。同時に、臨戦態勢を整えた数名が――その眼に映した光景に、絶句して固まった。
だらりと上半身を俯かせて暗闇から現れたのは、彼らがよく知る頭目だった。それは間違いない。
ただし、その下半身と呼べる部分は漆黒の顎に咀嚼されていた。
それは、彼らをして異様さにその身を震わせる光景だった。
ガツガツと音を立てて貪られ、ぶらりぶらりと揺れているだけの首と半身。死んでいるのは、明らかだった。
「……頭目」
誰が呟いたのか、その呟きを合図にしたように、顎が限界まで開かれる。
そして、バクンと音を立てて飲み込まれた残りの半身。
明らかに生物とはことなる、巨大な漆黒の顎。ガチガチと噛み鳴らすその音の向こうから、ふらりと姿を現したのは小柄な少年だった。
その顔は苦笑しているようにも見えたが、明らかに異質な双眸は昏く、どこまでも濁り切っていた。
「やぁ、こんにちは。港で君たちの噂を耳にしてちょっと遊びに来てみたよ。でも、残念だなぁ。悪しき獣人の性なんて謳ってた割に随分生温いんだね?」
「……お前、誰だ」
「ん、僕? 答えてもいいんだけど、その前に獣だからって礼儀を忘れちゃ駄目だと思うなぁ?」
こてり、と首を傾げつつ「お仕置きだね」と呟き、指をついと振った。
思わずと言った風に誰何した豹の獣人は、その瞬間に言い知れぬ怖気に包まれる。そして本能のままに後退しようとしたが、その判断は遅すぎた。
突然、足元から伸び上がった――巨大な顎。
一息で呑み込まれ、生きたまま咀嚼されることになった獣人の悲鳴は、あまりにも悲惨だった。
瞬きの間に、獣人たちは洞窟の四方に散らばり、そして出口へと駆けだした一人が――同じ運命を辿る。
まるで待ち構えていたかのように伸び上がった顎に、引き摺りこまれるようにして飲み込まれたのだ。
二つの顎から噴き出す鮮血が壁を染め、耳を覆いたくなるような悲鳴が響き渡る。
「誰かに名前を聞く時は、自分から名乗るって教わらなかった?」
そんな情景など見えていないかのように、ひどく無邪気な口調で尋ねた少年。
巨大な顎が五つ目の餌を咀嚼する様など、気に留める様子もなく歩み寄る。
容貌にそぐわず、どこまでも禍々しい微笑みを携えて。
「さて、残りは何匹? 少しくらい噛み応えのある獣はいない? ねぇ、君は?」
「いやっ、見ないで!! 助けて!!」
「もう、失礼しちゃうなぁ。人の顔見て悲鳴上げるなんて礼節以前の問題だと思うけど?」
本当、期待外れ。
そんな呟きと共に、少年の周りに伸び上がるのは無数の顎だ。
それは全て、飢えを堪えるようにガチガチとその顎を噛み合わせ、主人の命を待っていた。
溢れる唾液は尽きることのない飢えを物語るように、滴り落ちている。
「全部……は流石に勿体ないかな。うん、二・三匹残して残りは全部ご褒美にしようか」
左右の顎が歓喜に震えるさまを、微笑ましそうに見上げた少年は漆黒のそれらを撫で擦った。
周囲で狂乱を起こし、洞窟の壁を引っ掻くもの、どうせ死ぬならばと捨て身の攻撃を仕掛けるもの――その全てを一顧だにせず、優し気に告げる。
「お腹を満たしておいで、同胞たち」
――少年の言い終りと共に、周囲は阿鼻叫喚の地獄と化した。
*
『海蛇の沼』でも強者と恐れられた面々が、次々に死んでいく。
赤熊の獣人ホランは、両側から伸び上がった顎に左右に噛み裂かれ、即死した。
灰狼の獣人グインデールは半身を喰らわれながらも少年の目の前まで迫ったが、次々に伸び上がる顎からは逃れ得ず、苦痛と憎悪のままに喰らわれて死んだ。
緋狐の獣人レーナは仲間が喰らわれている隙を付き、出口から海中へと飛び込んで逃れようとしたが――突如として水中から現れ出た大海蛇の生餌となり、死亡した。
「あー、一匹シーラの餌になった。まぁでも残りの首が再生するのに栄養も足りてなかったみたいだし、丁度よかったね」
海風ですら、大量の血の臭いをすべて吹き浚うことは出来ない。
地獄の如き悲痛の叫びが、やがて恐ろしいほどの静寂へと移り変わった頃。
顎の一つに腰掛けて、ぐるりと洞窟を見渡した少年――クロウ・ヒルデガルドは「そろそろ良いね」と呟き、顎から滑り降りる。
ズルリと鮮血に足を滑らせかけるも、危うげなく姿勢を整えた。
そして生き残った三人――いや、三匹の獣人を興味深そうに眺めて総評する。
「えーと、左から虎。蛇……と、あとお前は何の獣だい?」
「……教えないよぉ、アンタなんかに」
「ふぅん、反抗するんだね?」
つい、と動きかけた指の動きを見逃さず、一番左側から声を上げたのは虎の獣人――タイザーだ。
「待て! 俺が教える。だからそいつを殺さないでほしい」
「うん、物分かりの良い獣は嫌いじゃないよ。お前に免じて赦してあげる」
「……感謝する」
「で、その女はなんの獣?」
「……大鷹だ」
「へぇ、羽を有するモノかぁ。よく見たら片方だけ羽、残ってるね。良かったよ、間違って殺さなくて」
――毛皮を持つモノ、羽を有するモノ、鱗を有するモノ。
偶然にしては全てが上手く残った結果だ。これは中々面白いと、クロウは内心で嘯く。
「さて、生き残った君たちに三つの選択肢をあげる。一つ、斥候として働く。二つ、僕の同胞の非常食になる。三つ、僕の愛玩動物が全快する為の生餌になる。さぁ、選んで。どれでも構わないよ?」
「……一つ、質問しても宜しいですか?」
「ん、蛇の君。いいねぇ、その丁寧口調。やっぱり礼儀は大事だよね。今は機嫌も良いし3つくらいまでなら答えてあげる」
「では、お言葉に甘えて……私たち三人で選択肢が被ってもいいのですか? それとも早い者勝ちですか?」
「あはは、思ったより冷静な質問だね。うん、答えは前者。別に被っても良いよ。三人とも生きてここを出たいなら僕の手足、斥候になればいいさ」
口元だけ微笑みながら、陽気な調子で返された答え。
蛇の獣人メルロは内心の冷や汗を押し隠し、微かに肩を落とした。
詰まるところ、現時点において唯一生き残れる希望は「斥候になる」という答えのみだ。けれども、それはいつ非常食へ変わるとも分からない。
恐らくすべては働き次第。いずれにしても死を隣り合わせに感じ続けるというのは、ある意味では喰われて即死するよりも悲惨なのかもしれなかった。
「もう質問は良いの?」
「では、もう一つだけ。貴方は一体何を望んで仲間たちを殺したのでしょうか?」
「うん、殺した理由ね。それは生きたまま使うより、こうしたほうが役に立つと思ったからだよ」
言葉の終わりを待たず、少年の傍らに現れた一つの輪郭。
それは彼が同胞と呼ぶ黒い顎――ではなかった。
本来、少年の足元に留まっている筈の影は蠢き、伸びて、無数の輪郭を浮かび上がらせる。
生き残った三人はそれに見覚えがあることに絶句し、立ち竦んだ。
「……皆、なの」
フランの声に、輪郭だけの影たちは何の反応も返さない。
けれども立ち現れた二十五の影を、彼らは見間違えることなどあり得ないほどに知っている。
全て、今さっき喰われた筈の仲間たちの形そのものだ。のっぺりと輪郭だけで、何も答えず、ただ全部が佇んでいる。
「僕の同胞に喰らわれた魂は、同胞たちが地上に顕現する為の現身……まぁ、要するに器代わりになるんだよね。本当は生きたまま全員を手足として使うつもりだったんだけど、あまりにも君たちが脆弱すぎたから予定を変更するしかなくて、ね。余計な手間は増えたけど、まぁ結果的には同胞たちの駒も増えたし、無駄足にならなくて良かったよ」
にこにこと表面上は微笑む少年へ、ゾッと三人は背筋を震わせる。
その内心には大切な仲間たちをそんな理由で殺されたことへの憎悪や目も眩むほどの怒り、そして隠し切れぬ嫌悪が渦巻いてはいた。
けれどもそれすら霞むほど、タイザーもメルロもフランも、目の前の少年に未だかつてない恐怖を覚えていたのだ。
こんな化け物が、人の姿をして、この地上に存在していること自体が悪夢みたいなものだ。
正直、直視することすら悍ましい。
そんな彼らの内なる叫びを聞き届けたように、クロウは静かな悪意を表に張り付けて、嗤う。
「さて、質問はもういいかな? そろそろ答えを聞かせてよ。君たちはここで死ぬ? 後で死ぬ? それとも生きたまま僕の手足として働く?」
「……俺はここで死ぬわけにいかない。故に、あんたの手足となることを誓う」
最初に答えを出したのは虎の獣人タイザーだ。内心に紛れもない憤怒を抱えながらも、それでも何もせずに死ぬことだけはその矜持が許さなかったのだろう。
ぐっと身をかがめ、深く叩頭した。
その姿を見て、束の間瞑目したフラン。彼女は片翼を畳み、背に沿わせると静かに膝を折る。
「アンタのことは死ぬまで赦さない。でもこの命ある限りは、私はアンタの手足になる」
タイザーとフラン、二人が共に叩頭する姿を見届け、メルロの安堵したような溜息が零れ落ちた。
二人はちらりと視線をあげ、最後に残った仲間の決断を待っている様子である。
何だかんだ言いながらも、この三人は今まで少なくない日々を共にしてきた。だからこそ、互いを案じる心は無言の内に伝わるのだ。
――おい、メルロ。まさかと思うが、ここで死に急ぐほど馬鹿じゃないだろうな。
――あんな化け物の生餌になるくらいなら、外で戦って死ぬ方がいくらかマシよ。違う?
最後に残ったメルロは微笑みを張り付け、その場で優雅に跪いた。
「わが主、これより死を迎えるその時まで私共は皆、貴方の手足となり働きましょう」
そうしてようやく出揃った三人の返答。
対面するクロウは彼らを銘々に眺め、そして静かに笑った。
艶やかで、美しく、一欠けらの心も無い微笑みで。
「うん、じゃあこれから宜しくね。流石に虎、鷹、蛇と呼ぶのも味気ないし、名前があったら聞いておこうかな」
「俺はタイザーだ」
「私はメルロと申します」
「……フランよ」
「ん、分かった。じゃあ早速それぞれに仕事を割り振らせてもらうね。あと、初めに伝えておくけど一人でも裏切ったら残りの二人は非常食にするから。そこは承知しておいて?」
さらりと釘を刺し、久しぶりに生きた駒を三人抱えることにしたクロウは思う。
暫くは退屈しないで済みそうだなぁ、と。
ここまでお読みいただき、感謝です(´-ω-`)
今しばらく、お付き合い頂けると幸いです。




