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勇者の最愛はこの大陸に見切りを付けました  作者: 因果論
旧大陸編*新章*
46/51

少女は黒磯の海街で食卓を囲う*次*

 *



 その店を一言で表せと言われたら、深緑。たぶんそれに尽きる。

 やや唖然としながら少女が店の前で立ち止まった一方で、嬉しそうな面持ちを隠さず店内へ突入していったのはカイル少年とリーゼの両名であった。


「リースエラ婆様! ただいま!」

「まぁ、懐かしい声がすると思ったら。いつの間に帰ってきたのリーゼ? カイルも一緒ね?」

「婆様、久しぶり。変わらないみたいで何よりだ」


 和やかな会話が、わさわさと生い茂る緑の葉の向こう側から聞こえてくる。

 何やら微笑ましいものを見るような眼差しで見下ろしてくる商人と、相変わらず腕の中で安眠に興じる眠り姫。どちらにも救いを求められない現状にやや遠い目をしながら、少女は目の前の瑞々しい葉をめくり、ほんの少しだけ中を覗いてみる。

 驚くべきことに、中はやはり樹木そのものであった。

 恐らく中心とみえる部分には竜樹の洞。その周りからどのように剪定したものか、竜樹の枝や葉がアーチ状に奇麗に整えられていた。

 伸びた枝には所々に橙炎燈が吊るされており、仄かな明かりに店内は照らされている。

 樹そのものを店とするとは、なかなか豪儀な店主もいたものだ。そんな感想を抱きつつ、視線を巡らせた先では……。


「ふふ、いつの間に声変わりしたのかしら、カイル。逞しく育ったこと。それに身長も少し伸びたかしら?」

「あぁ、これでも結構伸びたんだぜ」


 リーゼが本来の姿に戻ってある人物の周りを飛び跳ねていた。

 カイル少年は控えめに言っても小柄な部類であるが、その人物は更に輪をかけて小柄と言えそうだ。

 全体的に小さく、なんとなく丸みがあって、朽葉色の髪が足元まで輪郭を覆うようにして伸びている。

 その背が、不意にこちらを向いた。


 目と目が合う。

 少女の翡翠色と、彼女の黄水晶の眼差しが交わり、そして不意に――滲む。

 見開かれた双眸から、ひたひたと零れ落ち、葉を伝って、そして染み込んでいく。

 それは涙というよりも、まるで雨滴だ。

 あぁ、ようやく。

 声にならない彼女の口が、そう呟くのを少女は確かに聞いた。


「貴女が来る日を待ちわびていました。終焉の炎を司る、黒の片割れよ」

「……えーと、貴女がリースエラ?」

「ええ、お初にお目に掛かります。私の名はリースエラ・カナリア。貴方の訪れをお待ち申し上げていました」


 ふわり、と周囲と隔絶された感覚と共に流し込まれる思考。

 魔術の一種だと、すぐに察した少女はホッと胸を撫で下ろす。以前にも似た遣り取りをモナリスのお爺様と交わしたことがあっただけに、さほど慌てることもない。

 事態を飲み込み、静かに歩み寄ってくる彼女を待った。

 待ったのだが……。


「あれなのかな、魔術式の副作用か何かで身体能力は大幅に制限されるとか?」

「いえ、あの、そうではなくて……私は元々、あまり身体が丈夫ではないのです。それに加えて、無駄に命を長らえて参りましたから、その……老化、と言いますか」

「途中まで無理をさせてしまって申し訳なかった」

「いえ、とんでもありません。お気遣いに感謝いたします」


 椅子を片手に抱え、よろよろとした足取りの彼女の下へ歩み寄る決断をするまでは、さほど掛からなかったと言っておこう。

 ふぅふぅと呼吸を整えながら、頭を下げて微笑む彼女は外見だけなら幼子のようである。

 何となく師匠の童顔に通じるものがある、と少女は内心で物凄く納得してしまった。

 こと魔術師においては、その外見が幼く見えれば見えるほど、力あるものである。それ即ち、経験則。


「もしかしてだけど、貴女はこの大陸でも高位の魔術師に数えられる人なのかな?」

「……僭越ながら、かつてはそのように称されたこともございます。あくまでも人の身の丈において、ということにはなると思いますが」

「なるほどね。それで、さっきの言葉の意味を改めて問うてもいいのかな?」

「ええ、無論にございます」


 朽葉色の髪を揺らし、見上げてくる黄水晶の眼差しは静謐でありながら、懸命な色を湛えていた。

 それはまるで、己が使命を果たさんとする戦場の騎士のそれを思わせる。


「尊き焔の片割れよ、貴方がこの大陸で始原の炎燈全てを巡る旅路を往くことは予てより承知しておりました。その手助けをするために、私はこの港町で今日まで生き永らえてきたのです」

「……」


 久々に絶句した少女は、まじまじと小柄なその人物を見下ろしつつ、普段はあまり使わない思考をグルグルと回した挙句、ようやく導き出した推測に溜息を殺した。

 世界は広い。

 風聞や御伽語りで聞くばかりだったその存在と、こうして実際に見えて思うのは……。


「存在そのものが反則っぽいなぁ……」

「ふふ、そのように真正面からの感想を頂いたのは久々のことです」


 春の野の花が如く、ふわりと笑う彼女は恐らくこの世界においても、人外と呼ばれる少数に分類される。

 人の身でありながら、魂の半分を人の理以上のところへ置く者たち。

 少女が今までに知る限り、師匠やモナリスのお爺様、そしてもう一人の例外を除く四人目の存在との邂逅だ。

 思いがけない展開になったものだと、少女はポリポリと頭を掻いた。


「うーん、何と言うか手助けを申し出てもらえるのは素直に有り難いし、嬉しいんだけどね……。初対面の相手にそう言われて戸惑わないというのは無理があると言おうかな……」

「ふふっ、正直な方。仰る通り、疑われても仕方ありませんね」

「ごめん、気分を害しただろう?」

「いいえ、むしろ逆です」

「逆?」


 訝し気な少女を嬉しそうに見仰ぎ、リースエラは朗らかに告げる。


「人とは異なる魂と因果を併せ持ちながら、人に出来るだけ寄り添うことを願い、それがどれほど困難であるかを知って尚、諦めるということを知らない……。私を拾い育てたかつての養い親と、貴方はよく似ているのです」

「……そんなに褒められたような存在でもないけどね、俺は」

「いいえ、貴方がここまで歩んできた道筋が、貴女の魂が高潔であることの何よりの証。貴方が諦めるという選択肢を選ばなかったからこそ、三色の焔が元の因果へ還されるという僅かな望みが今、この時に残されているのですから」


 俯いた少女の表情は瑪瑙色に覆われ、誰の視界にも映らない。

 けれどもほんの僅か、その肩が何かを堪えるように揺れたのをリースエラの優しい眼差しは確かに見届けていた。

 もうあと僅かで、周囲のものを視ることが出来なくなるであろう黄水晶の双眸。

 この双眸に残された最期の刻限を知ったあの日から、ずっと待ち続けてきた待ち人が目の前に現れた今この時、リースエラは紛れもない安堵に胸を撫で下ろしていた。

 ずっと、ずっと切望してやまなかったのだ。

 ただ一つ残していた心残り。彼女が本当に果たすべき約束は既に叶わないものと知りながらも。

 かつて『人外』と罵られ、畏れられてきた彼女の心を救ってくれた唯一の人が、最期に残した願いの欠片。

 それに殉じることだけが、今のリースエラの願いであり、希望でもあった。


 ――リースエラ、君は優しすぎるから。


 かつて、繰り返しそう言って頭を撫でてくれた大きな手の平を、彼女はずっと覚えている。

 忘れたことなど、片時もないのだ。


「尊き方。貴方がこれから歩まれる道筋凡てを見通すことは出来ませんが、始原の炎燈へ通じる三つの標は見えております。それを貴方にお伝えすることが、私の今の役目。……間に合って、本当に良かった」

「リースエラ、もしかして泣いているの?」


 ふわり、と。

 リースエラの朽葉色の頭を撫ぜる、優しい手のひら。

 その暖かさに見開かれた黄水晶の双眸が次第に優しく細められ、静かにその色彩を閉じていく。


「ええ、嬉しくてどうしようもないのです。……尊き方」

「うん、何か何度も呼ばれると気恥ずかしくなるよね、その呼び方。……あ、そう言えば俺の方は名乗ってなかったね。遅ればせながら、名乗っても構わない?」

「ええ、もちろんです」


 瑪瑙色の髪。翡翠色の双眸。小柄な肢体。どこかコマドリのような愛らしい姿は『嘗て』とはまるで違う。

 けれども内包された魂の色彩だけは『嘗て』のまま。

 その微笑みも、また。


「俺はカルーア・リルコット。改めて、世話になるよ」

「ふふ、可愛らしい御名ですね。承りました」


 静かに首を垂れ、リースエラは滲む眦を覆い隠す。

 次に顔を上げた時、そこには微笑みだけが残っていた。



 *



 ――紅き尖塔を頂く古城、黄金の双樹、失われた王家の落胤、ねぇ。


 熱々の翡翠鳥のスープをこくりと嚥下しながら、少女は告げられた言葉の一つ一つを反芻していた。

 まるで御伽語りにそのまま出てきそうな言葉の羅列だ。その上、何となく三つ目の言葉に言い知れぬ不安を覚えたのは、たぶん野生の勘とか、第六感とか往々にしてそう呼べるものの影響だろう。たぶん。

 すー、すーと変わらずに胸の中で寝息を立てている眠り姫を抱え直しながら、真向かいで優雅に油豚の丸焼きを腹に収めていく商人のテーブルマナーに戦慄すら覚える今この時。


「どうされましたか、愛しい薔薇?」

「その呼び名、もう固定なの? 正直本当に勘弁願いたいんだけどね」

「ふふ。まぁ、そこはお気になさらず。親愛の証とでも思っていただければ宜しいかと」

「……」


 魔術式が解除され、元の時間軸へ戻った店の中。

 背後からは、ガサガサと表の葉っぱが揺れる音がした。

 自然と振り返った先には、先ほど見えたばかりの案内人の少女と、少女に引き摺られるようにして入店してきた青年の二人組。

「雨の後のせいか、普段以上に瑞々しいわね」「なんか緑臭い」と言い合いながら席へ着くなり、手招きをされた。

 こうなれば否やもない。招かれるままに切り株の円卓をぐるりと囲み、銘々に料理を注文していく流れである。

 静かに視線を交わし、リースエラへ向けて発せられた少女の第一声(あくまでも周囲にとってだが)は何となく間の抜けたものとなった。


「このお店のおススメは何?」

「そうですねぇ……。常連のお客様には平亀のモツ煮込みを御贔屓にして頂いていますけれど、初めて来店される方にはまず翡翠鳥のスープをお勧めしています。滋養強壮の効果も見込めますので」


 ゆったりと微笑んでそう告げる店主へ、なるほどと頷いて返した少女。

 悩んだ時間は僅かだった。


「じゃあ、翡翠鳥のスープと平亀のモツ煮込みを」

「はい、ご注文承りました」

「では、私は油豚の丸焼きと青紫蟹の香草焼き、五色サラダと灰色麦パンとおすすめの銘酒を」

「……相変わらずよく食べるね」

「食べられる内に食べておくことは大切ですから」

「ふふ。ご用意できた順にお出ししていきますので、しばらくお待ちくださいね。お待ちになる間、こちらをどうぞ」


 一人一人に配られたのは、緋色の食前酒だった。

 蒼髪の少女――フラウティーナが薫りを嗅ぎ、ついで驚いたように目を瞠る。


「リースエラ様、これって!!」

「今日は私個人にとっての特別な日。だから、貴方達へもお裾分け」

「……良いの、婆さん? これ相当熟成してるみたいだし、市場へ出せばかなりの値打ち物でしょ?」

「良いのよ。この店に来店した全てのお客様が笑顔で帰ってくれるなら、それよりも価値のあるものなんて私には無いのだから」


 では、ごゆっくり。

 静かに首を垂れ、調理場へ戻る店主を見送った円卓の面々。

 ちなみにカイル少年とリーゼは高知鶉のふっくら蒸しと海鮮饅頭を、フラウティーナは橙鷺の香草焼きを、眠たげな様子の青年ヨハンは、草原馬の馬刺しと檸檬酒をそれぞれに注文している。


「……あぁ、至福だわ。なんて芳醇な薫りなの」


 食前酒を一口嚥下したフラウティーナは、心なしか潤んだ眼差しでほぅと溜息を零した。

 これは無類の酒好きに違いない、と長年の勘が囁くと同時にどうして自分の周りには酒好きだの、蟒蛇だの、戦闘狂だのしか集まって来ないのだろうなぁ、としみじみする少女。

 指先でグラスを軽く弾いて、リンと涼し気な音が返るのに微かに微笑んでから、緋色の食前酒を口許に寄せ、一口。

 うん、美味しい。あと、不思議と懐かしいような……。


「さてと、食卓が並ぶ前に少し話を聞いておきたいの。いいかしら?」


 少女がしげしげとグラスを木漏れ日に透かして見ている間に、いつの間にやらフラウティーナは食前酒を飲み干していたらしい。

 じっと野良猫が獲物を見定めるような視線を寄越されれば、苦笑して頷くしかない。

 クルルにどことなく似ているなぁ、と密かに思っていたりもする。


「どうぞ。答えられる範囲なら、答えよう」

「ふふ、じゃあ遠慮なく聞かせてもらうわね。一つ目、今回船に乗り込んできた人たちの中で、それなりに裕福で、尚且つ、こちらの大陸で商売を考えているような商人の噂とか聞いたりはしなかった?」

「……それなりに裕福で、こちらでの商売を考えている商人ね。……残念ながら全部当て嵌まりそうな人間に心当たりはないかなぁ」


 大陸でも有数の八枚羽の商人で、こちらへは商売目的でなく『帰郷』をすべく同席している商人ならもれなく知っているんだけどね。

 内心で呟き、ちらりと視線を上げた先で、ふわりと微笑み返された少女は何とも言い表しがたい心情のまま、続く質問に端的に答え続ける。


「案内人を急いで探しているような知り合いに心当たりはないかしら?」

「いや、特には」

「ここまでの船旅で、何かしらのアクシデントとか、旅程へ影響するような出来事があったりは?」

「うーん、まぁそれなりにあったけどね」

「具体的には?」

「大海亀との邂逅とか、ね」

「……それは珍しい話ね。時々船が沈む話は聞くけれど、大海亀は温厚な種族として知られているし、滅多に人目のある処に姿は見せないもの。大烏賊とか、迷い霧とかはよく聞く方ね」

「……烏賊。残念ながら釣りの戦果には無かったなぁ」

「釣り? あなた、もしかしてここまで来る間に海釣りをしてきたの?」

「いや、まぁ……あんまり暇だったもんだからね」


 残りの食前酒を小分けにして飲みながら、何でもないように返答する少女へフラウティーナはややあって、噴き出す。

 クスクスと笑う声は、まるで鈴の音のように軽やかだ。


「貴女、大物になるわよ。あの双翼号で海釣りをしながらここまで来たような乗客の話、初めて聞いたわ。よくあの船長が許したわね?」

「……まぁ、最初は渋い顔をされたけどね。戦果を半分食卓に提供すると約束したら、渋々といった感じで頷いてもらえたよ。それなりに食卓を彩るのに貢献できたとは思うけどね」

「あははは。面白い。貴女、本当に面白いわ。ねぇ、ちなみに貴女幾つになるの?」

「俺の年齢を聞いて、何か役立つことでも?」

「まぁ、良いじゃない。私が個人的に貴女に興味が湧いたの。ちなみに私は今年で十八になるわ」

「……うーん、まぁいいか。一応、十六ということになると思う」

「一応って?」

「正確な生まれ年を知らないものでね。だから、推定」


 打てば返るような、さばさばとした少女同士の遣り取り。

 思えば、昔も今もこんな和やかに同性で会話を出来た例はなかった。それを思い返し、少女は何となくむず痒いような、それでいて心の奥底に何かが灯るような不思議な気持ちになる。

 少女のそんな内心を見抜いたわけではないのだろうが、コホンと一つ咳払いをしたフラウティーナは質問の矛先を、少女から傍らの商人へと変えたらしい。


「ねぇ、ちなみにそちらの商人さんは、こちらで商売をするつもりはないのかしら?」

「私ですか? いえ、今回は見送ろうと思っていますよ」

「普段はどんな商品を取り扱っているの?」

「装飾品が主ですね。まぁ、要望に応じて基本的にはどのようなものでも取り扱いは致しますが」

「今回は商人としてじゃなく、護衛としてこちらへ?」

「いえ、殊彼女に関して言えば護衛は必要ないと思いますよ。私は彼女の案内役です」


 隙のない笑顔で、卒の無い受け答えに終始する商人を傍らに見上げ、少女は何となく人の縁とは不思議なものだなぁと考える。

 そもそも商人が案内役を自ら打診してこなければ、今こうしてのんびりと食事を楽しむゆとりはなかったことだろうし、無数に立ち並ぶ紹介所(リングル)を回って、信用出来そうな案内人を探すことでかなりの時間を削られたことだろう。

 そう考えると、なかなかどうして縁というものは馬鹿にはならないものである。


「……もしかして、あなた同業者?」

「ええ、嘗ては……。けれども今は違いますね。本業はあくまで商売の方ですから、今回は例外ですよ」

「嘗て、ね。分かったわ。それ以上は詮索しない。でも、貴方の本業が案内人でないというのなら、一つ提案があるのだけれど、耳を貸してもらえる余地はあるかしら?」

「……なるほど、そう来ましたか。まぁ、良いでしょう。話だけなら別段構いませんよ」


 表面上は寛容に微笑む商人へ対し、ほんの少し憮然とした面持ちを隠し切れない蒼髪の少女。

 フラウティーナは内心で、相手にしている商人と自分との力量を計りきれないことに不快さを覚えていたのだ。

 とは言え、許しを貰った以上は遠慮する必要もない。

 気持ちを切り替えたフラウティーナは、ふたたびここで少女へ向き直った。


「ねぇ、もしよかったら私たちを案内人として雇う気はない?」


 驚いた様子で瞠られた翡翠色の双眸に微かな望みをかけ、フラウティーナは言い切った。

 これを逃せば、きっと後悔する。そんな直観じみた感覚を抱いた瞬間から、フラウティーナは案内役として自ら売り込む方針へ舵を切った。

 本来であれば、タブーである。すでに案内人が決まっているパーティーへ別の案内人が口を挟むことは不作法であるし、暗黙の内に禁じられている。

 けれども今回は例外的に本業でない案内役であると知った上での、ギリギリの交渉だ。

 それに加えて、行く先の難易度によっては、複数の案内人が雇われる場合も少なからずある。

 しかしながら少女たちが目指す場所が何処であるか、それすらも把握していない時点で交渉に入るという短慮を本来ならば、相方の案内人が止めて然るべき場面であったが……。

 曲がりなりにも相棒であるヨハンはと言えば、ユラユラと潮風に揺れる竜樹の枝を、興味なさげに観察するばかり。

 話すら、聴いていないのではないかという体たらくであった。


「ちょっと待った。案内人として売り込むのは自由だけどさ、あんたたち優良案内人だろ? それを二人も雇うなんて依頼料からして馬鹿にならないと思うんだけど?」


 けれどもここで、冷静な指摘を挟んできたのはカイル少年である。彼のすぐ横に座って、長い手足をぶらぶらとさせていたリーゼも、同意するようにうんうんと頻りに頷いている。


「まぁ、確かに正規の依頼料を貰うとなったら、それなりの値段にはなるのは否定できないけれど……」

「だろ? 大体、優良案内人なんて高ランクの案内人を雇うのはそれこそ裕福な商人が遠方で商談をまとめに行く時とか、国同士の使者が護衛兼仲介役として依頼する場合とか、それなりに限られた場合だよね? こんな小さいパーティに一人でもあり得ないのに、二人も雇うなんてはっきり言えば不自然だし、正直言って割に合わないと思う」

「……うっ、それを言われると返す言葉がないわ。でも、一つ忘れていない? 私たちは何もそういう場合だけを依頼として受けるばかりじゃないってことを」

「んー、あぁ……もしかして学者とか魔術師の探索依頼のこと? 未開の地や辺境と呼ばれる地域に行く場合は、一部非営利目的での同伴も認められてるってやつ?」


 言い差しながら、でもなぁとこちらへ無言の視線を手向けてくるカイル少年。

 彼の言わんとするところは、それだけでも余さず伝わってくる。


「残念ながら、俺たちは魔術師でもましてや学者でもないね」

「ええ、あくまでも私たちの目的は観光の方が主軸ですから」


 少女の返答へ被せるようにして発せられた商人の言葉が、最後に残されていた交渉の余地を跡形もなく砕き落す。

 そもそもの話、何となくここまでの話の流れを分かっていて、観覧的に眺めていた風情が否めないんだよなぁ。

 最後の最後でその一言を躊躇しない商人の性質というか、そう言った諸々が端的に言って怖い。

 いやはや、絶対にこれを敵には回したくないものである。

 そもそも味方に引き込むことすら心臓に悪いのだから、初めから関わらないことが最善なのだ。多分ね。


「話を持ち掛けてもらえたことは嬉しいけど、俺たちみたいな小パーティに君たちみたいな優秀な案内人は勿体ないよ。フラウティーナ、もし君が最初に言っていたような人物像に心当たりが出来るような時には、真っ先に貴女に知らせることにする。それでもいいかな?」

「……とても残念だけれど、そうね。ちょっと私も冷静ではなかったみたい。困らせるつもりは無かったの。御免なさい」

「いや、謝らないでくれ。付いてきたいと言ってもらえたこと自体は嬉しかったし、年の近い同性と和やかに話せたこと自体が初めてだったから、この時間が楽しいよ」

「初めて……?」

「うん、初めてだよ」


 何しろ、殆どの時間を『あれ』を傍らに過ごしてきたせいで、思い出す限り、年の近い女性陣から敵意、殺意、嫉妬、その他諸々の感情以外を向けられたことが殆どない。

 何だろうね、哀しみすら覚えるよ。


「もしかして、あなた同世代の友人がいなかったりする?」

「……それは幼馴染を含めて?」

「うーんと、その返しを聞いただけでも何となく察したわ。きっと貴女、その年に見合わず苦労人なのね」


 苦労人。

 その三文字に親近感しか覚えないなぁ……。


「苦労はそれなりにしている気がする」

「……声に疲労感が滲み出ているのだけれど、あなた大丈夫? これからこっちの大陸を移動するんでしょう? 身体はしっかり休めてから出立することをお勧めするわ」

「ありがとう。心に留めておくよ」


 無意識に遠くを眺めていた所為か、フラウティーナから本気で心配されている気配が直に伝わってくる。

 いやはや、初対面の相手にここまで心配されるのは相当だろう。休息って大事だ。ここは忠告通りに、今日明日くらいは骨休みに時間を割いた方が良いのかもしれないと思う。

 ちらりと視線を向ければ、勝手知ったる面持ちで微笑み返された。恐るべき、以心伝心ぶりである。


『ここで、少し休息をとっていきましょうか?』


 声に出さず、唇の形だけでそう問われれば、微かに頷く以外に取るべき返事はない。

 長年に渡って仕えてきた執事の如き安定感すら感じさせる、このやり取り。一体何を目指しているんだろうなぁ、この商売人は、と思わなくもない。


「ところで、この辺りにいい宿はないかな? できれば値段は抑えめで……」

「ふふ。任せて。とっておきの良宿を紹介するわ。もちろん、値段も手頃なところから順番に案内させてもらうし、こう見えても私、この辺りでは結構顔も利くのよ?」

「それは素直に有り難いな。宜しく頼むよ、フラウティーナ」

「ふふ、フラウで良いわよ?」

「じゃあ、俺のことはルーアと」

「分かったわ、ルーア」


 瑪瑙色の髪の少女と、蒼髪の少女がそう言って微笑み合うのを微笑ましそうに眺めるカイル少年とリーゼ。そんな彼らとは対照的に、どこか無機質な微笑みに終始する商人と、そもそも興味も関心も感じられない面持ちのヨハン青年。

 そんな彼の耳が、微かにピクリと動いたのをその店にいる誰も気付くことはなかった。

 少なくとも、この時点ではまだ。



 *



 リースエラ婆様の料理は、噂に違わぬ美味だった。

 正直、見た目だけなら「食うの? これを?」と真面目に聞き返したくもなる想像を絶する造形の品々ばかりだったが、口に入れれば全ての思考は広がる旨味に占領され、頬張る以外の選択肢など残されてはいなかったのである。

 結果、全員が終始無言で食卓を囲んだ。

 最後の一口、最後の一滴まで腹に収まった時点で、ようやく感想と言える何かが口から零れ落ちる有様だった。


「こんなに美味しい料理、初めて食べたよ。ありがとう、リースエラ」

「うふふ、そう言って頂けただけで十分です」


 にっこりと満面の笑みを浮かべて、空の皿を何枚も重ねて片付けようとするリースエラ。

 もちろん、それを黙って見守るなんてことは出来る筈がない。立ち上がり、恐縮するリースエラを説き伏せた少女は重ねた大皿を軽々と厨房の流しまで運んだ。

 残りの小皿は、カイル少年とリーゼが往復し、食後のお茶を囲む頃には木漏れ日が橙色に変わっている。


 淹れ立ての穀物(ルーフ)(ティー)は、仄かに野の花の薫りがした。


今しばらく、旅は続きます。

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