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勇者の最愛はこの大陸に見切りを付けました  作者: 因果論
旧大陸編*新章*
44/51

少女は黒磯の海街を散策する*序*

 *



 まるで透き通った魚の尾びれだ、と思う。

 四方に広がる、真珠色の装飾は緻密に彫り込まれた幾重もの線によって、キラキラと輝いていた。

 少女は甲板に立ち、黒磯の海街が誇る船着き場の中央大門を見仰ぐ。

 周囲にはひっきりなしに耳を掠める船乗りたちの喧騒と、潮風と波に揺れる帆船が軋みを上げる音とが混ざり合い、まさに混沌といって過言でない様相を呈していた。

 この空気はなかなかどうして、悪くない。



『着いたの?』

「獣人がこんなに犇く光景は初めて見たな。風聞で聞くばかりだったけど、納得したよ」


 ――旧大陸には、獣の血を残す種族がいまだに多く残る。先の戦乱で敗戦を喫し、隷属を厭って海を越えた生き残りが、海の向こうの大いなる大陸で脈々とその血筋を残しているが故に。


 かつてモナリスのお爺様がひっそりと語った言葉を思い返しつつ、灰色のモコモコを手の中で遊ばせていると、まるでタイミングを見計らったように背後に立つ気配が一つ。

 言うまでもなく、潮風に舞う髪色は艶やかな純黒だ。


「割合としては、毛皮を持つモノ、羽を有するモノたちとで半数以上を占めているらしいですね。あと少数ではありますが、鱗を有するモノたちが、砂漠などの奥地に生き残っていると聞きます」

「……成程な。辿る道によっては全部目にするのも夢じゃないか」

『……鱗とか、正直勘弁なの。派生した同族と顔を合わせると碌なことにならないの』

「鱗と一言で言っても、全てが飛竜の系譜を受け継いでいる訳じゃないだろうに」

『……』

「まぁまぁ、色々と複雑な事情もおありなんでしょう」


 人で例えるなら、たぶん膨れっ面に等しい。一回り身体を膨らませた灰色のモコモコはずしっ、と地味に重みも増して腕の中でふて寝を始めた。

 これには苦笑するしかない。

 そうこうしている間も、着岸の準備は次々に進んでいく。

 生半の刃物では傷一つ付けられないだろう四本の係留縄が港の桟橋へ向かって投げられ、港の船員たちの助力によってグルグルと抗に巻かれていく。感嘆すべきは、見るも鮮やかなその手腕。

 そこでようやく、巨体を休ませた大いなる双翼号。

 とんとん、と労わりの気持ちを込めて少女は船体に手を当てて感謝のことばを呟く。


「ふふ、古風ですね」

「この身一つでは、あの大海を超えることなどとても叶わなかった。自ら望んだ道筋とは言え、こうして辿り着けた今、それを叶えてくれた全てに感謝をするのは当然の話だと思うけどな?」

「そんな義理堅い面も含めて、私は貴女を好ましいと思いますよ」

「はいはい」


 ここ数日で、何となくであるものの適度な距離感を掴む少女。

 その対応は、最早安定の域に達しつつある。

 何だかんだで、周囲は面倒かつ面妖且つ、変人の巣窟であったのだ。思い返すもそうである。

 であればこそ蓄積された経験や耐性こそが、確実に後の自分を助けるのだとしみじみ思う。

 とんとん、と靴先を揃え、背負い直した荷物は大陸を出た頃よりもほんの少しだけ重くなっている。

 並みの男では、両腕で抱えることすら困難な幼竜を片腕に、翡翠の眼差しをすでに港の向こうへ向けて立つ。


「まずは、情報収集といくかな」

「そうですね。加えて、もう少し衣類や保存食、旅に必要な物品を買い増ししておいた方がいいでしょうね」

「どこか一括で買いそろえられるような場所は?」

「お任せください、(ディア)しの薔薇(・レスト)

「……その誤解を招く様な言い回し、勘弁してくれないか?」

「ふふ、免疫がないのですね。そんな貴女の初心さをこれから先も愛でられると思うと、この先の旅路が今から楽しみでなりません」

「……」


 やはり、これを旅の供に選んだのは軽率だった。

 死んだ魚の如き目をして、薄曇りの空を仰いだ少女は遠くを見やった。

 あぁ、この先がまったく思いやられる……。そんな思いで脳裏が一杯になりかけた間際。


「おーい、先に腹ごしらえにいくんなら、古なじみの旨い店知ってるんだ。礼も兼ねてご馳走させてくれ!」

「任せて、下さい!」


 氷色の髪を靡かせ、甲板の向こう側から駆け寄ってくる少年と銀色の狐が一頭。

 ここ数日間、船の下働きで忙しなく動き回っていた彼らと会話を交わすのは、よく考えたら久しぶりだ。

 何だかんだで義理堅い少年と、幼馴染同然の炎狐たちの元気そうな姿を確認し、少女は一方に傾きかかった考えを、ギリギリのところで改める。

 まぁなんだ。結局のところ、こんな彼らの笑顔を見られたのも、元を辿れば商人の交渉術があったからこそ。

 何事も、表裏一体だ。

 良くも悪くも、ついて回る。


「良いのか? もちろん、案内してもらえるならそれに越したことはないが……」

「長年の望みを叶えてもらった相手だ。少しの恩も返せず見送ったとなったら、寧ろその方が一族の名折れになる」

「その通り! カイル偉い! 成長した!」


 やや照れくさそうな様子を隠しきれていない少年と、その周りを跳ね回る銀色の狐の微笑ましい様子を眺めていたら自然と和む。

 やっぱりこの二人、見ていて飽きないなぁ。

 いつしか少女は、ゆるく微笑んでいた。


「じゃあ、頼んだ。楽しみにしてるよ」

「よっしゃ、任せとけ。たらふく食わせてやるからな!」

「頑張る! 任せて!」


 二人との会話を終えて、ふと見上げたところには、普段と変わらぬ微笑の商人。

 けれどもほんの少しだけ、違和感を覚えた。


「……何か、不満か?」

「いいえ。どうして、そう思われました?」

「いや、何となくな」

「…………はぁ。天然が、こうも質が悪いものだとは」

「は?」


 商人が訳の分からないことを言いだすこと自体、今に限った話ではない。

 暫くじっと無言で見上げていたものの、次第に面倒になり、まぁいいかと話半ばで視線を外した。

 少女にとっては、目の前に広がる全てが未知のもの。目新しいものに意識を持っていかれるのは、当然の流れだった。

 船から桟橋に降りる準備が整うまで、引き続き甲板の上から周囲を観察する。

 珍しい種族、見慣れぬ形状の小型船舶、色鮮やかな孤島由来の果実や野菜の積み下ろし、そして……。


青蛇巨魚(ラージナーダ・エル・フィッシュ)ほどではないにしろ、奇怪な魚が大量に水揚げされてるな……」

「流石はカルーアさん! 早速そこに気付かれるなんて!」


 元気な声につられて視線を向けると、案の定立っていたのはクイン少年だった。

 おそらく、調理室から甲板まで走って出てきたのだろう。若干、息が上がっている。加えて何より目を引くのは、利き手の左手に握りしめられた艶々と磨かれた見事な包丁だ。

 本人的には早く魚を捌きたくて仕方がない、という心境だったのだろう。

 とは言え、対外的には思わずギョッとする姿とも言える。

 まぁ、実際のところ少女の周囲でギョッとした様子を見せたのはカイル少年くらいのものだが。


「この馬鹿っ! 包丁握って外へ飛び出していくんじゃない。もっと周りに目を配れ!」

「痛っ! 痛いから、止めてよ兄さん! ごめん、反省するから!」

「……はぁ。全く、この料理馬鹿が……」


 相変わらず、エージル青年の気苦労は絶えない様子だ。

 弟を追って飛び出して生きたのだろう彼もまた、若干息が上がっている。こちらは別の意味で興奮した結果だと見ただけで察しがつく。

 この料理人兄弟を眺められるのも、今日が最後。そう思えば、寂しい気持ちも自然と込み上げた。

 叶うならば、この先もずっと兄弟仲良く過ごしてもらいたいものだ。

 本心から、そう思う。


「あの紅い魚は……」

「あれは深紅目鯛(カーディナ・アイ)です! こちらの大陸では珍しくもありませんが、深遠の大陸へ冷凍保存式を掛けて持ち込めば、なんと十倍以上の値がつくこともある魚なんですよ!」

「じゃあ、あっちの真っ黒な……」

「あれはっ……! 数年に一度獲れれば奇跡といわれる三日月(ハーフムーン)(・シャーク)じゃないですか! 僕も実物を見たのは初めてです!」


 凄いな、相変わらず。まるで歩く魚図鑑だ。

 しみじみとそんな風に思う少女を横目に、クイン少年は次々に引き揚げられていく稀少な魚介類に釘付けとなっている。

 エージル青年はもはや色々と諦めているのだろう。片手で頭を抑えながらその横に付き添い、こちらへ向けてポツリと言う。


「航行の間、色々と世話になった。お蔭でこの馬鹿と総料理長共々、良い刺激を貰えたように思う」

「いや、こちらこそ散々迷惑をかけたし、世話にもなったよ。ありがとう」

「よい旅路を」

「ああ、兄弟共々健やかに」


 その後、無事に船を降りる所に至って追加料金(要するに修繕費用)の未払いに気付いた少女。

 桟橋の上から視線を巡らせ、見覚えのある砂色(イール)栗色(マロニエ)を半々の割合で混ぜた様な柔らかい風合いの髪を探してみれば、さほど掛からずに目的の人物を発見した。

 すっと目一杯息を吸いこみ、騒がしい周囲の喧騒に掻き消されない程度の声量で、彼の名を呼ぶ。


「おーい、そこの有能なる操舵手殿! 君だよ、キーツ君!」

「なっ、な……そんな大声出さなくても、聞こえてますよ! 少しは声を抑えてください!」


 叫び返すなり、足音も荒々しく橋げたを駆け下りるキーツ青年。

 目前まで降りてきた彼の顔は、まるで茹蛸を思わせるほどに真っ赤だった。

 ふむ、成程。意外と恥ずかしがり屋と……。


「ごめんごめん。甲板の修理費用、未払いだったと思ってね。合計で幾らだったかな?」

「……はぁ。もう、構いません」

「……?」

「貴方が海釣りで引き揚げた魚介類、あれの総計だけで凄いことになりましたから。その半数以上が船の食事に上がっている時点で、被害額などとうに相殺されていますよ……全く、呆れた人だ」


 苦虫を噛み潰したような顔というのは、多分これだ。まるでお手本のようなそれを見上げつつ思う。

 この人とだけは初めから終わりまで、まるで打ち解けられなかったなぁ、と。

 少女は、しみじみと振り返った。

 そもそも互いの性格もあるし、こちらが仕出かした大半が生粋の船乗りである彼にとってみれば常識外。かつ少なくない被害を与えたのも事実とくれば……うん。仕方がない。


「なるほどなぁ。キーツ君が途中から怒らなくなったのには、そういう理由もあったか」

「……貴女自身に害意がないことは、初めから分かってましたよ。ただ、やること為すこと全てが規格外すぎました。正直貴女のような面倒な乗客は、当面の間は御免です……まぁ、いないとは思いますが」

「あはは、うん。多分いないね。200ルク賭けたって良いさ」


 最後の最後、苦笑混じりの表情を引き出せただけでも良しとしよう。

 そんな密かな自負と共に、少女は軽く後ろ背に手を振って、大いなる双翼号に別れを告げる。

 すーすーと寝息を立てる灰色のモコモコは、いつも通り腕の中。

 傍らを、艶やかな黒髪を靡かせて歩く商人はいつの間にやら機嫌を直している。

 先をゆく二人――氷色の髪の少年と緋銀の美女は久しく訪れていなかった馴染みの地に、嬉しそうな表情を少しも隠さない。

 それは見ていて、とても微笑ましいものだった。


 長い桟橋を渡り切り、水面と大地が切り替わったその直後。

 少女はとん、と地面を踏みしめた瞬間から不思議な感覚に包まれる。

 ほんわりと、胸が暖かくなるような。心が浮き立つようでいて、同時に締め付けられるような痛みも伴う感覚に。

 それは紛れもない、懐かしさ。

 ようやく雲の隙間から差し込んできた陽光を仰ぎ、ああ、と嘆息する。

 なるほど、これが帰郷の念というものだ。

 しみじみ思い、ひっそり笑う。

 そうして誰にも悟られぬまま、懐かしくも新たな地平へと踏み出していく。


「まずは、腹ごしらえ。その次は、買い物か……。全く、出だしから楽しいことばかりで息を突く暇もなさそうだ」


 船旅を終え、再びの陸路を前に進む少女と青年、少年一人に狐とモコモコ。

 彼らの進む先を、竜樹の木漏れ日が淡く照らし出している。



 *



 海側へ吹き抜ける潮風に、灰薔薇の髪が揺れていた。

 じっと『彼ら』の背を見送った眼差しは、一見すると険しいだけにも見えるだろう。けれども見る者が見れば、何かを案じるような色合いも混ざり合っている事は明白だ。

 これはとても珍しい。

 総料理長マティ・カミルレは内心でそう思いつつ、あえて口に出すこともない。

 出来ることならば幸多かれと祈るのみ。

 それはここに至る歳月の間、ずっと変わっていない主義の一つだ。口は禍の元。口数が少ないに越したことはない。

 ささやかな心残りがあるとすれば、一つだけ。


「潮風が縁を結べば、その時こそ貴女の口を満足させられる甘味を用意してみせよう」

「僕も次にお会いすることが叶ったら、もっともっと美味しいスープを用意して、カルーアさんをびっくりさせてみせます!」

「あの子の進む道は決して容易ではなさそうだ……。せめて美味い飯にありつける幸福くらい、願ってもいいだろうさ」


 三人の料理人たちは、銘々の思うところを呟きながら、密かに『彼女』の行く末を見送った。

 そんな彼らと少女が再会を果たせたか否か、それは銀の海を吹き抜ける風すらもまだ見通せぬ、果ての先。


 ――誰もがまだ知らぬ、ひとつの旅の終わりに示されることだろう。



 *



 見知らぬ土地を進む際、大切なのは一つ。

 自分の知る常識が相手にとっても同じであるという希望的観測を捨て、物事を客観的に見ること。それに尽きる。

 黒磯の海街は、大まかに三区画に分かれて築かれた交易都市だという。

 中央通りに面した商業区(イシュータ)、食材や生活用品を雑多に扱う大市場(デルマーケット)、そして地元民が暮らす生活区(スール)

 区画に限らず、年中夜店が開いているような不思議な喧騒に包まれていることの方が常であり。

 その印象を一言で纏めてしまえば、混沌といったところだろう。

 さすがは多くの吟遊詩人をして『この都は、まるで夢の残り香である』と謳われるだけの、海辺の都。

 まぁ、何だ。色々と頷ける。


「かつて二つの大陸を渡った隊商の人々は二つの海都を、それぞれ姉妹に例えて呼んだそうです。築かれた年代の古さを鑑みて、黒曜の姉、水晶の妹と」

「黒曜?」

「ええ、今は黒磯の海街と呼ばれていますが、かつては黒曜の女王と呼ばれた時代もあったとか」

「……ふぅん、大層な呼び名だな」


 商人の語る過去と、目に映る現在。

 どれ程の変化があったのか、実際のところはまるで分からない。

 分かるのは、何も拒絶しない代わりに、普通の都市にあるべき秩序や整然とした景観といったあれこれを喪ってしまったかのような、どこか退廃的な空気くらいか。

 街のあちこちに点在する独特な文様も、道行く人が羽織る衣服も、複数の文字で吊るされた店の看板も。

 全てが混じり合いながら、存在を許されている。

 道行くだけで、それは肌を通して伝わってきた。


「あぁ、確かに『黒曜』の頃は、もう少しここらも貴族的な街並みだった気がするな」

「きぞくてき?」

「あー、つまり華美で、洒落てたってこと。あの頃の領主家は何だかんだで資金源も沢山持ってて、結構潤ってたからさ。街の整備やら警備やらに割く余力もあったんだろうな、多分」

「昔の街、奇麗だった! でも今の方が好き!」

「だな。俺もどっちかっていうと今の方がしっくりくる」


 先頭を行く二人の掛け合いに耳を澄ませながら、色々と思うところが無いわけでもない。

 とは言え、あんまり物事を深く掘り下げたりするのは元より苦手である。そこは自覚済みだ。だから、敢えて会話にも混ざらない。

 灰色の外套を被り直しながら、少女は主に進む方角を把握する方に集中していた。


「この街を把握するときは、北を軸にした扇状をイメージすると分かりやすいのか……?」

「ええ、的確だと思います。現在進んでいる方角は、およそ北北東といったところでしょう」

「大きい通りは、甲板から見た感じだと三本あった気がしたが」

「ええ。中央通りは、その名の通り商業区(イシュータ)へと直結する最も広く賑やかな大路。その左右に伸びる路が、それぞれに大市場(デルマーケット)の両端へと通じる蒼蛇通りと、朱鳥通りと呼ばれています。ちなみに生活区(スール)は大市場のさらに外側の地域、最も海側に大半が寄り集まっている感じでしょうか」

「つまり、大きな路は三つ。主な三区画は中央から順に商業区、大市場、生活区といった内訳か」


 ふむふむと首肯し、納得する少女。

 しかし同時に、危うさも覚えた。

 水晶海の女王とはまた異なる、実に合理的に創り上げられたであろう、都の形。多種族が身を寄せ合い、数々の苦難を乗り越え、発展してきたであろう街の土台を考える際『竜樹』と『交易』という二柱は絶対に外せない。

 どちらが欠けてもいけない。

 その何れもが見渡せる、海辺。

 見上げるほどの巨木を礎に、絡み合うようにして生育を続ける枝を足場に築かれた一種の樹上都市という一面も持つ海の街。

 察するに、この街の心臓部は見かけとは裏腹、街を取り囲むようにして在る生活区だろう。

 これを叩かれたら、遅かれ早かれ、都市全体が機能しなくなるのは目に見えている。


「目指す店は、大市場の端にあるんだ。蒼蛇通りを抜けて、二つ目の路地の辺りだったと思う」

「リースエラ婆様のお店!」


 器用に人波を避けながら、こちらを振り返って補足してくるカイル少年は今まで見た中で一番自然な笑顔を浮かべていた。

 少年に寄り添うようにしてピョンピョンと跳ねるリーゼにしても、それは同じだ。


「身内の欲目かもしれないけど、結構美味いんだ」

「香草詰めの橙鷺! 油豚の丸焼き! 翡翠鳥のスープ!」

「もともとは結構有名な占術士だったんだけどさ、今は引退して食堂を開いてるんだよ」

「沼ウナギの白焼き! 高知鶉のふっくら蒸し! 海鮮饅頭!」

「……ちょっと癖はあるんだけど、悪い人じゃないから」

「平亀のモツ煮込み! 草原馬の馬刺し!……」

「……っ、リーゼ! いい加減に店のメニューを叫ぶのやめろよ?!」


 周囲の視線を浴びて、茹蛸のように顔を赤らめたカイル少年と、ようやく理性を取り戻したらしいリーゼの遣り取り。

 生暖かい眼差しで見守っていたのは自分だけではなかったらしい。


 いつの間にか、背後に佇んでいた二人組。

 くすくすと口許を抑えながら、こちらへ微笑む一人の美少女とその傍らには、ひょろりと見上げるほどの上背をした青年がいた。


「ごめんなさい、あんまり可愛らしかったものだから」


 本心からそう言っているだろう言葉に加え、澄んだ菫色の双眸はただただ美しい。

 そこらの男衆であれば、たぶん一発で堕ちているだろうなぁ、と少女は内心で推察した。


「貴方たち、旅の人? もしかして向こうの大陸から渡ってきたんじゃない?」

「ん、どうしてそう思った?」

「ふふ、一言で言えば勘ね。長年案内人なんて勤めていると、知らず知らずに嗅ぎ取ってしまうものなの」


 どう、当たっているかしら?

 そう言って、蒼い髪を潮風に揺らして微笑んだ少女。

 可憐な容姿に似合わず、何となく獲物を狙う猫を思わせる雰囲気を纏っていた。


「当たり。俺たちは、海を渡ってさっき船を降りたばかりだよ」

「やっぱり! ねぇ、もしかして貴方達が乗っていた船って『大いなる双翼号』かしら?」


 ぐぐっと前触れもなく距離を詰められ、流石の少女も一歩後退する。

 敵意のない相手だと、どうもやりにくい。

 今更ながらに自分の身の回りの不穏さに、眩暈を覚えずにはいられなかった。


「ちょっと待った! 情報を売ってほしいなら、それ相応の誠意をそっちから先に示すべきだろ?」


 少女が眩暈を覚えると同時に、ほんの僅かに生じた返答の間。

 まるでそれを図ったように、ずいっと身体を割り込ませ、蒼髪の少女に真っ向から意見を上げたのはカイル少年である。

 彼の足元には、先ほどまでの興奮状態を脱したリーゼも寄り添い、そうだそうだと言わんばかりに頷いていた。


「カイルの言うこと、正しい! 名乗りは礼儀!」

「……ごめんなさい、失念してたわ。その点については正式に謝罪する」


 ペコリ、と頭を垂直に下げた蒼髪の少女は、再び顔を上げたところで正式な名乗りを上げた。


「初めまして、旅の方たち。私の名はフラウティーナ・エル・ストーレ。後ろにいるのは、相棒のヨハン・ウルド・ディザイア。どちらも『竜の庭』に所属する案内人よ」


 改めて、宜しくね?

 そう言って、可憐に微笑んで見せた少女は白魚の如き手指をのばし、仁王立ちするカイル少年と握手を交わした。

 ここでようやく警戒を解いたらしいカイル少年は「で、どうする?」と臆面もなく言いながら、少女を振り返った。

 その言わんとするところを察した少女は、暫しの黙考の後で、ひらひらと手を振る。

 すなわち、任せるという意図である。

 別段、カイル少年に明かした情報くらいであれば秘匿の必要もないという少女なりの判断だった。

 事実、少女の傍らに佇む商人を見上げても、鷹揚に微笑みを維持している。

 問題はないという何よりの証だ。


「道端で聞くのも何だし、良かったらリースエラ婆様のお店にご一緒させてもらってもいいかしら?」

「あー、うん。それもそっか。俺たちは構わないけど……」


 再び振り返り、無言で意思を問われた少女は苦笑して返した。


「俺もいいよ。商人殿は……? うん、構わないと。まぁ、食卓は大人数で囲むほど美味しくなるからな」

「ありがとう。ねぇ、初対面の人に言う言葉じゃないかもしれないけど、あなた一人称、男前過ぎない?」

「うん、よく言われる」


 相手に名乗らせた以上は、こちらも名乗るべきだろう。

 遅ればせながらそこに思い至った少女は、ここでようやくフードを外していた。はらり、と一つに纏めていた瑪瑙色の髪がふわりと風に揺れる。

「あら、可愛い」と思わずと言った風に零れた一言の先、蒼髪の少女――フラウティーナは興味津々といった色を隠す気も無いのだろう。

 まじまじと眺められ、少女はやはり半歩程身を引きながら、一呼吸おいて名乗る。


「名乗りが遅れたけど、俺はカルーア・リルコット。横にいるのは商人殿。本名は知らないけど、仮の名は北方(ニーヴ・)(マス)(クレイヴ)。あとは、友人のカイル少年と炎狐のリーゼロッテ。最後にこの腕の中で睡眠中のモコモコは、飛竜の幼竜。以上、紹介終わり」

「……何と言うか、とっても変わったパーティーね?」

「まぁ、否定はしないでおくよ」


 顔を見合わせ、苦笑し合う二人の少女。

 背丈もほぼ同じで、髪色はまるで異なる彼女たちはいつしか自然と横並びになって、賑やかな通り沿いに歩調を合わせていた。


久方ぶりの投稿となりました。

少しでも楽しんで頂けたなら、幸いです。

黒磯の街篇、今暫く続いて参ります<(_ _*)>

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