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勇者の最愛はこの大陸に見切りを付けました  作者: 因果論
旧大陸編*新章*
36/51

*挿話 王都より*

 *



 とある少女が海を渡り、それを追って某勇者が彼女の創った道を再び辿り始めてから数えること二日。

 海風から離れた遠方の地にも、広がった波は着実に届いた。

 魔王討伐成功の六文字に未だ喧騒と興奮に冷めやらぬ城下を尻目に、それを睥睨できる都の中枢は揺れていた。


 ――リヴェラ天蓋宮。


 穏やかな陽光の下、初夏の訪れを告げる聖白百合(マロナ・リリー)が風にその花弁を揺れる頃。

 王都リヴェラが中央に、陽光に透かして見える一際美しい建造物。その一角にある中庭で。

 見るからに高位貴族ととれる身なりをした壮年の男が一人、緑柱石のテーブルに俯くようにしてもたれ掛かっている。その様子を見守る数名の侍女たちは、主の命令があるまで動くことはない。

 中庭の主――侍女たちの視線の先に立つ、その青年は。

 ひとしきり副都に比べて整然とした印象を与える純白の街並みを見渡し、金の髪を靡かせて振り返る。

 静けさに沈む中庭を、ゆったりとした足取りで横切り、俯く男の前に立った。


 白磁の器に注がれたたっぷりの赤黄金の水面。

 ゆらゆらと漂う花茶の香りですら、その渋面を崩すには至らない。

 ただカップを手にとるその仕草一つにすら、隠し切れぬ優雅さがあった。


「――つまりだ。あの妹の身一つ。懐柔に十分と読んだお前の判断はすべて過ちであったと、今ここで認めるのだな?」

「……今となっては、そう、認めざるを得ません。私が浅はかでございました」

「ふん、なるほど。とはいえ、お前一人を責めることは出来まいよ」


 ここでようやく正面の椅子に座り、青年は左手で一人侍女を呼び寄せた。


「菓子と、煙管を頼む」

「かしこまりました」


 金色の髪の青年は、視線を遠くに据える。

 音もなく縹色のスカートを揺らして立ち去った侍女の背を見送るわけでもなく、しばらくの間ぼんやりとガラスの天蓋とそれを透かして見える空を見仰いでいた。続く沈黙に、やがて風の音が混じり始める。

 そして頃合いを見計らったように、落ち着いた声で問う。


「正妃は、もう勇者の出奔を嗅ぎつけているか?」

「おそらく」

「ふむ……とすれば、少し妙でもあるな。この好機を見過ごすような(ひと)ではない筈だが」

「それについて、少々気になる噂が耳に入って参りました」

「噂? どんな噂だ?」

「それが……」


 壮年の男の表情を読み取り、控えさせている侍女たちに離れるように指示を出す青年。

 少しの乱れもなく一人、また一人、と身を翻す彼女たち。その姿が全て視界から消えた後、ようやく低い声で語られた内容に青年は瞠目する。


「……落胤が行方知れずだと? それは確かな情報なのだろうな?」

「今の段階で、完全に信用できる話だとは思っておりません。ただ、それが事実だと仮定すれば、神殿が動けずにいるのも無理はない話かと」

「だが、あれを囲う結界は過去の耐久試験において、王宮魔術師たち十人を合わせても一部も揺るがなかったと聞くがな。海都における余波は実際どれほどのものだったと言うのか……」

「もう間もなく、海都に放った影の一人が戻ってくる予定です。情報が確認でき次第、追ってご報告に参じましょう」

「いや、リプル候。そなたがあまり表立って動き過ぎるのも、情勢からして良い選択とは言えまいよ」

「では……」

「そなたの末の息子がいただろう。あれを使いに寄越すといい」

「あの、うつけをですか……」


 壮年の男――リプル候の顔に浮かんだ明らかな困惑を見て取りながらも、ここでようやく青年は楽しげに素行を崩した。薄らと口許に浮かぶ笑みは、束の間ではあったが彼を年相応に見せる。


「そなたはリギルを過小評価し過ぎなところがあるな。あれも、やる気さえ出せば相応の働きを見せる男だよ」

「……いや、ですがあれは我が息子ながら、何を考えているのやらとんと掴めぬところがありまして。このような大事にあれを関わらせるのが果たして良いことがどうか……」

「構わん。万一あれから情報が洩れるようなことがあれば、その不始末は私がそのまま負うことにしよう」

「殿下がそこまで仰るのであれば」

「我儘を言って、すまないな」

「いえ」


 ――では、御前失礼いたします。

 リプル候は気難し気な調子を表に張り付け、正式な礼をとった。

 それを無言で受けた青年の黄金の髪を、正午の柔らかな風が舞い上げる。


 苦悩に満ちた背中が中庭を去るのと同時、百合の群生の向こうから一人の侍女が頼まれていた菓子と煙管を手に、主の元へ寄り添う。


「ユリウス様、先ほどのお話は偽りではないと思います」

「ふん、やはり聞いていたか。……今回の情報がどこまで広がっているかも把握済みなのだろう?」

「私の知る限り、国の中枢では六割方といったところでしょうか」

「……そうか。ならば、神殿も国も余裕のある状態とは言えまい。今となって思えば、魔境の変化から今に至るまでの流れ全てが抗いようのない『運命』のようにも思えてくるから不思議なものよ」

「……殿下にしては、珍しく詩的なことを仰いますね」

「私も人間だからな。時には弱気になることもある」


 ユリウス・エルスディア・ローゼンベルク――現王家の継承権第一位、グランダル王の長子。

 彼の下には六人の弟と、三人の妹がいる。全員が腹違いであり、グランダル王には現在正妃が一人、側妃が四人、妾妃が二十八人。

 彼の母親は、側妃ウルティア。他でもないグランダル王に侵攻され、攻め落とされた亡国の姫である。


「おそらく私の代までは持たないだろうさ。なにしろ、白炎燈(フェリア・ベル)にも陰りが見え始めたと聞いている」

「……いえ。白水晶(ルミーナ)を新たなものに入れ換えられれば、あるいは」

「人の手では叶うまい。それは他でもない、君が一番よく知っている筈だと思ったがな。エゼル」


 凪いだ海のように静かな眼差しが、傍らの侍女を射る。

 沈黙した彼女は、ややあって小さく溜息を零した。


「……やはりお気づきでしたか」

「先に縁があってな。君の曽祖父の手記を読ませてもらっている。稀代の魔術師として名を馳せながら、ある日を境に位を返上し、西の境に隠棲したサルフェ・ロムラン卿の手記をな」

「確かに曽祖父は魔術の扱いに優れてはいましたが、稀代と呼ばれる魔術師たちに並ぶほどの魔力を有してはいませんでした。事実、すでに他界しておりますし。開国の傑物モナリス・パク・マザール、武神ハイナスなど稀代と呼ばれるに相応しい方々は他にいらっしゃいます」

「あれらは、端的に言って人外の者たちだろうが。元より人の枠に収まるものか」

「……そう、なのかもしれませんね」


 薄らと微笑み、何かを懐かしむようにしながら茶器を傾けた。

 こぽこぽと音を立てて注がれた花茶から、香りを纏った湯気が揺蕩うようにして上へと昇っていく。


「殿下、一つだけ窺っても宜しいですか?」

「……何を聞きたい?」

「討伐後、白炎燈の陰りに変化はありましたか?」

「……」


 交錯する視線と、返される沈黙。それがつまり答えだった。



 *





「いきなり呼びつけるなんて、一体どんな風の吹き回しだい?」


 飴色の髪を遊ばせながら放たれた、ハイナスの第一声。

 それは何時になく、不機嫌そのものといってよい。また対面する相手が相手であるだけに、通常ならば例外なく不敬罪で絞首刑に処せられかねない場面ではあるのだが、端から通常の枠に入らないハイナスである。不機嫌さを少しも隠さない。隠す気すらない。

 柔らかな表情を欠片も崩さず、コロコロと鈴の音の如き笑い声で返す一人の美しい女はそれを十分過ぎるほどに承知している。

 その上で、笑う。

 銀の髪を床まで散らばせて、血の気の通っていないような白磁の顔に作り物の笑みを浮かべながら、睡蓮の花を思わせる妖艶な目元を細めてみせる。


「まぁ、冷たいお声。ご機嫌斜めなのかしら?」

「……君」

「ふふ、冗談よ。嫌われてしまったのは、いつの頃からだったかしら? でも久しぶりに顔を見られて私は嬉しいわ。ハイナス」

「僕は全く嬉しくないけどね」

「そんな悲しいことを言わずに、一緒にお茶をしましょう。貴方の好きな花茶も用意してあるのよ?」

「君とお茶を囲むような時間は無いんだ。用件がそれだけなら、もう失礼させてもらうよ」


 そう言い捨てるなり背を向けたハイナスに向け、表面上は聖母の如き慈愛に満ちた微笑みを手向ける彼女。

 柔らかな声はそのままに、ポツリと呟く。


「貴方の大切な子供たち、あとどれくらい生きられるのかしら?」


 それはさり気ない感じを装いながらも、意図してその足を止めるだけの効果を持つ。放った当人がそれを十分すぎるほどに認識しているのだ。

 リディアラ・ロメインディーア。

 教会の最上位にして、聖女。比類なき治癒術師(カモマイレ)として開国の傑物の一人として数えられている。

 聞くところに依れば、非の打ち所のない氷細工のような美貌をして『大陸の氷花』とも渾名されているらしい。

 歴代の王の正妃として位を与えられること七度。現王の正妃でもある。ただし、彼女が子を宿すことはない。

 女神の如きその異能をして、彼女は血筋を残す術を遥か昔に喪っていた。

 そんな彼女は基本的に誰にも執着しない。興味を持たない。昔も今も、唯一の例外はハイナス・フレイヴァルツただ一人。


「……リディアラ。もしも君が僕の愛弟子たちに手を出そうと言うのならこの命、差し違えたとしても君のその首をこの場で手折らせてもらうよ」

「まぁ……なんて情熱的な告白なの。幾年経っても素敵ね、ハイナス」

「僕は君くらい面倒な人間を他に知らないけどね」

「ふふ、素敵な偶然。私も貴方くらい酷い人をほかには知らないわ」


 白磁の肌に、薄らと桃色の色彩が浮かぶ。

 手招きをする彼女に冷ややかな視線を送りながらも、ハイナスは溜息と共に戻ってきた。


「一杯だけ付き合うよ。それでいい?」

「もぅ。そんな怖い顔をなさらないで……ところでモナリスから連絡は来ているの?」

「まさか。あの人がそんなマメな行動を取る筈もない」

「ふふ、相変わらずね。ハイナス、あなたは本当に嘘を付くのが下手」

「言っている意味が分からないよ」

「平静を装っても無駄よ。私がどれくらい貴方を見てきたと思っているの? あれは今、旧大陸にいる。だからあの子たちをこの大陸から逃したのね」

「師は風のような人だ。たとえ弟子の僕でも、その行き先を予見する術などないさ」


 乾いた笑みで、目の前に置かれたティーカップを持ち上げて『解呪』する。

 残念そうに吐息を零した聖女を横目に、何事もなかったように花茶を口に含んだハイナスは一口目で眉を下げた。


「……ねぇ、どうしたらお茶をここまで不味く淹れられるの? 数百年以上も生きていて、どうしてお茶の淹れ方ひとつ身に付かないのか心底不思議なんだけど」

「それもこれも貴方が滅多に顔を出して下さらないからよ? 生まれてから今まで私が自らお茶を注いだのは貴方だけなのですもの」

「……頭痛がする。なら、練習がてら自分で淹れて飲んでみればいいじゃないか」

「一人で飲むお茶は味気なくて、つまらないわ」

「ああ言えばこう言う……君のその口達者なところが僕はとっても嫌いだ」

「まぁ、残念。私はこんなにも貴方のことを大切に想っているというのに」


 ほろほろと涙を零し始める聖女を冷めた目で見遣りつつ、ハイナスは大仰にため息を零した。


「君のその、いつでも泣きだせる技も僕は大っ嫌いだよ」

「……ぐすん。乙女にその言い方はないと思うわ、ハイナス? このまま行けば生涯独身よ?」

「君にだけは言われたくない。そもそも僕の縁談を端から壊して歩いていたのは君だろう?」

「まぁ……知っていたの。困った子ね。気付いていたのならどうして言わないの?」

「……君と会話するとそれだけで精神を削られる」


 情緒も優雅さも何もなく、ごくごくと解呪済みのお茶を喉に流し込んでいくハイナス。

 そんな彼を、クスクスと笑いながら見詰める聖女。

 けれどもそんな彼女の表情も、ハイナスの次の言葉で僅かに苦みを含んだものへと変わる。


「ところで落胤を逃がしたらしいね? それも君の計算の内だったの?」

「……まぁ、珍しい。貴方はあまり周囲のことに興味を持たないスタンスではなかったかしら?」

「ずっと変わらないでいるのは、君くらいなものだよ。リディアラ」

「寂しいことを言うのね。否定はしないけれど」


 貴方にだけは、嘘を付きたくないの。

 そう囁いて、困ったように笑う。

 永遠のような歳月の中で、僅かに残った人間性。それを辛うじて失わずにいられるのは、どこまでも歪みながらそれでもハイナスとリディアラの二人の間に存在する縁があるからだ。


 それを自覚しているのは今となっては片方(ひとり)だけ。

 もう一方の記憶は、二度と取り戻されることはない。


 ――焔獣たちがその記憶を忘却したように。

 国の創り手たちもまた、総じて代償を払わざるを得なかったというだけのはなし。


 リディアラは仄暗い笑みを口許に浮かべ、聖女の声で告げる。


「起こってしまったことは仕方ないでしょう? 放たれてしまった以上、神殿は静観するだけよ。もし落胤が返り討ちにあって命を散らしてくれたら、こちらとしては一番きれいな形に収められるけれど」

「……改めて言うのもなんだけどね。君と、君に追従する神殿の連中に吐き気を覚えるよ」

「随分優しいことを言うようになったものね、ハイナス? 目を背けるのは貴方らしくない。ねぇ、思い出して? 明るく照らされた場所ほど生み出される影は深い闇を孕むの。長い間戦場に身を置いていた貴方なら、それを知らない筈もないでしょう?」


 言い終りを待たず、あからさまに目を背けたハイナス。

 そんな彼を、表面上は慈愛に満ちた眼差しでリディアラは見詰めている。

 見守っているようで、その実観察していた。


「そうそう、白水晶(ルミーナ)の宝刀の使い心地はどうかしら?」

「……僕が宝刀を所有していることを、どうして君が知ってるの?」

「あら……モナリスは言わなかったのね。あの刀は元を辿れば私の父が所有していたものなのだけれど」

「…………」

「ふふ、声もないといった風ね? 可愛らしいこと。ご褒美に、少しだけアドバイスをして差し上げましょうか?」


 無言で見合い、長い逡巡の末にしぶしぶといった雰囲気を隠し切れないハイナスが首を垂れる。

 やや目を瞠って、それを受けたリディアラ。何かを言いかけて、寸前で呑み込んだような顔を一瞬で覆い隠した。

 何かを諦めた様な顔で、溜息を一つ零す。


「……ハイナス、旧王家の滅亡の経緯を詳しく知っていて?」

「いいや。当時僕は戦場にいた上、帰還してから師を問い詰めても何も聞き出せなかったから……」

「そう。あれですら、口を閉ざしたのね」

「当時のローゼンブルグ公爵家が決起した時、それに追従した反王派の手によって王家の血は尽く弑された。ただし末の王子が魔力暴発を起こした為、暗殺の為に差し向けられた魔術師たちが弑することが出来ず、それ故に『彼』だけは地下に幽閉する他なかったと聞いているけれど」

「いいえ、尽く違うわ。正しいのは末の子が魔力暴発を起こしたことくらい」


 ハイナスが微かに目を瞠るのを横目に、リディアラは内心でどこまで明かしてしまおうか悩んでいる。

 彼女が知る内容をこの時点ですべて明かせば、風向きは大きく変わるかもしれなかった。

 動き次第では、流れずに済む血は幾多にのぼるだろう。


 けれども、それは彼女が本当に望んだ形ではない。


 ――彼女は選択する。今回もまた、望むモノの為に。

 それが必ず後悔を運んでくることを知っていても、彼女はそれを他の誰かに委ねようとは思わない。

 柔らかく微笑んだリディアラ。その内心に秘めるものなど何もないという装いを纏ったまま、彼女はゆったりとした口調で語り始める。


 それは幼子に語る様に優し気で。

 大抵の男を酩酊させるほどに美しい声でありながら。

 どこまでも残酷で、欲に塗れて救いがない。

 端麗と、淡々と、言い紡ぐ。


「先のローゼンブルグ公を、覚えていて?」

「いくら僕でも、そこまで耄碌してない。でも特別個人的な親交はなかったから、人となりはよく分からないけど」

「そう……ならこれは知らないのね? アリア王妃がお輿入れされる以前から、かの公爵は一回りも齢の離れた彼女に心を傾けていた。それは正式に王家へ迎え入れられてからも変わらず、むしろ執着は増すばかり。王妃への妄執がローゼンブルグ公を狂気に走らせ、旧王家を破滅に導いた」

「……まさか」

「そうよ、あのクーデターで掲げられていた名目は全て後付けに過ぎないわ」



 ――――今と同じ、夏の初め。美しく晴れた空の下。

 庭を散策していたアリア王妃とヒルデガルド王。

 年齢も近しく、どちらも穏やかな気質であった二人の仲睦まじさは海を挟んだ大陸間においても知らぬものはいないほど。

 その日も肩を寄せ合い、つかの間の休息を楽しんでいた。

 それは丁度、揺れさざめく白薔薇の小道の半ばへと差し掛かった時のことであったという。

 回廊に身を潜めていた公爵が駆け寄りざま、過たず振り上げた白刃。一瞬の躊躇いもなく主君の首を刈り取った刃から流れ出た血は、周囲に咲きそろっていた白薔薇を紅に染めあげた。

 真昼の庭園は王妃の悲鳴と血の香に満ち、若き王の命は慈悲の欠片もなくそこで潰えた。

 他でもない、最愛の王妃の目の前で行われた、惨劇。

 それが全てのはじまりであり、終わりの合図でもあった。



「アリア王妃はその時に、心を壊してしまったわ。駆けつけてきた王子たちと共に城の地下へ幽閉されて後も、頑なに王の死を認めなかった」

「ちょっと待った……王子たち? 長子がクーデターの折に殺されたというのは嘘?」

「……ハイナス、貴方がこれからもずうっとお馬鹿さんでいてくれると嬉しいわ」

「喧嘩を売ってるの?」

「ふふ、貴方は本当に可愛らしい」


 一人の愚かな男の横恋慕から流された血を浴び、産声を上げた二つの怪物。

 一方は外界へ逃れ。

 もう一方は、闇の中に残された。

 そんな二つが再び出遭う時、果たしてそれらは喜びの声を上げて抱擁を交わす? それとも……


「私から貴方にあげられるヒントはこれで全部。残りのピースは貴方に託すから、好きになさいな」


 リディアラが少女の如き微笑みを手向ける一方で、どこかで『その可能性』を捨てきれずにいたハイナスは少しの容赦も猶予もなく突き付けられた刻限に、奈落の底のような溜息を一つ零して項垂れた。


「……ルヴィ。君は本当に、拾った時から一等手のかかる子だと思っていたけど」


 本当にどこまでも世話を焼かせるんだろう、と。言葉にならない内心を包み隠したままでひっそりと口許に浮かべる笑み。

 それは、諦観のほかに別の色も含んでいるようであり。

 やれやれと軽く首を振り、ハイナスもまた何度目になるか分からない選択をする。


「じゃあ、そろそろ僕も向こう側へ渡ることにするよ。生死は問わず、もうこちら側へ戻ることはないと思うけど……まぁ、あれだね。怠惰な生もほどほどにしないと君もその内干からびてしまうと思うよ?」


 淡い色の双眸が、睡蓮の色彩に据えられた刹那。

 瞬きの奥に、ほんの僅かだけ残された明かりが灯る。


「――ハイナス、私の生はいつも貴方と共に在るの。だから私の命は貴方次第。貴方が生まれ落ちたその日から、生を終えるその瞬間まで私はずっと幸福なままでいられる。だから何も、心配はいらないのよ?」


 氷花の如き大陸の聖女はそう告げて、微笑んだ。


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