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勇者の最愛はこの大陸に見切りを付けました  作者: 因果論
旧大陸編*新章*
33/51

船上の少女は思索する*閑話休題*

 *



 さらさらと耳元を掠めていくのは一面の濃霧。

 それはさながら、雲海のようだ。

 真っ白な甲板の上には、ふわぁーと大きな欠伸をこぼした少女が一人。

 左右に体を伸ばしつつ、大亀の甲羅の上で迎える二日目の早朝である。

 元々目覚めはいいほうだ。ただし昨晩は、殆どまともに眠れていない。「うー」だの「あー」だの寝返りの間に挟みながら明け方まで頑張ってはみたものの、諦めるしかなかった。

 暫くの間は意味もなくハンモックを揺らしてみたものの、最終的にはゴロリと転がって抜け出してきた。

 ざっと見渡す限り周囲に人気はない。

 こつこつと甲板の先まで歩いていき、不明瞭な視界の中、誰にともなく呟きを零してみる。


「何か、嫌な予感がするんだよなぁ……」

『それを一般的にはフラグと言うの。昨日の寝相は酷かったの。寝不足は乙女の敵なの』


 極めて珍しい声の主。

 それは視線をそのまま降ろした先、腕の中から発せられている。

 一日の九割以上を寝ることに費やしているといって過言でないモコモコ。それがこの早朝というタイミングで目を開けているという奇跡的確率は、実際のところ如何(いか)(ほど)か。

 ただそれだけのことが、これほどに深い感慨にも似た感覚を覚えさせるのだな。うん。人生って深い。


「乙女…ね」

『言いたいことがあるなら、私が起きている間に言うの』

「ごめん、寝相のことについてはひとまず謝罪するよ。改善できるかどうかは、正直確約できないが」

『……むむ、この際仕方がないの。悩みを話すの。今なら特別に耳を傾けてあげるの』

「うーん、でもなぁ」

『いいから早くするの』


 もぞもぞと腕の中で体の向きを変えた灰色のモコモコ。じっと見上げてくる淡黄色の目はこの上なく眠そうだ。

 とはいえ、基本的にはこれが常態なのである。


「んー、分かった。分かったよ、相談する」

『なるべく簡潔にお願いするの』

「……了解。つまるところね、この船が大陸につく前にもう一戦交えなければならない予感がするんだ」

『それは誰を想定しているの?』

「……この世で一番諦めが悪くて、不可解な審美眼を持っていて、とてつもなく面倒な……」

『皆まで言わなくていいの。十分察したの』

「それは助かる」


 そう言って苦笑して見せた少女を見上げたまま、一際大きな両目をクルクルと回すこと暫し。

 次代の女王竜は、少しだけ眠気の覚めた様子で問い掛けた。


『そもそも、なの。貴女はどうしても逃げる必要があったの?』


 ひたりと据えられた眼差し。

 そこにはひどく純粋で、同時に少女にとっては残酷な色があった。

 昔から今に至るまで、常に周囲にあり続ける「疑問」と「諦観」。

「どうして受け入れないの?」あるいは「彼の何が気に入らないの?」といった殺気混じりのものから始まって、「もう諦めたらいいのに」に繋がる一連の過程。

 幾度繰り返されたことか、当人ですらもう分からない。

 贅沢だ、調子に乗ってる、信じられない、何様のつもり……等々。まぁ、一生分の罵倒は耳にしたと思うのだ。

 とうに耳慣れたと思っていたが、改めて突き付けられた少女は、ここでふと気付いてしまう。

 真白の霧に覆われ、曖昧にぼやける視界の中で掠める、一瞬の切れ間。


 思えば、正真正銘いわゆる「本音」といったあれこれを言葉にして返したことはなかったかもしれない、と。


「……どうしても、と言われると。うーん。実際どうなんだろうなぁ……」

『悩むようなことでもないの。ヒトはもっと単純でいいの』

「良いのかな?」

『いいの。死の過程でどう生きようと、そのイキモノの自由なの。向き合うのも逃げるのも、元よりそのイキモノの本能が導いた答えなの。ヒトは理性を絶対視しすぎなの』

「そんなものか」

『そんなものなの……』


 そう言い終えるまでが限界だったのだろう。

 ずしんと重みを増したと同時に、健やかな眠りの世界へと旅立っていく腕の中のモコモコ。

 満月のような両目は、話の中盤からしきりと瞬きを増やしていたが、今はもう完全に閉じられている。

 すぅーすぅーと規則的なその寝息を苦笑交じりに抱えなおした少女。

 誰にも聞こえないように、ぽつりと呟いた。


「理性の絶対視、ね。否定できないのが辛いところだな……」


 結局は言えなかった。周囲にも、本人にも伝えないまま飛び出してきてこそ今がある。

 たぶん、歪みすぎたのだ。

 取り返しのつかないところに落ちそうになっていることを自覚しながら、どうして他に気をやれるゆとりが持てただろう?

 突き詰めていけば、とても単純な話。一杯一杯だったのだ。

 仕方がなかった。他にどうしようもなかった。時間が欲しかった。

 まだ、どうにかできると信じたかった。

 羅列すれば、それこそキリがない。

 船の縁に背中を預けて、甲羅と船底が擦れ合って響く音に耳を澄ませながら、目を閉じる。

 タイミングとしては、それとほぼ同時。

 こつこつと甲板の向こう側から迷いなく歩み寄り、すぐ傍で止まる気配が一つあった。


「随分、早いな」

「やぁ、おはよう船長殿。大海亀からの伝言があるんだ。彼の見立てだと、今日の昼前には近くの孤島に着けるらしい」


 見上げるほどの上背に加え、際立って印象的な灰薔薇の髪が潮風に靡くさまは、壮観の一言に尽きる。

 大抵の者が、意識する前に気圧されるだろうなぁ……と初対面の少女はまず思ったものだが。

 実を言うと、乗船後も、それとなく遠目から観察はしていた。

 時々、言葉遣いが船乗り特有といっていい荒々しさを纏う以外は、磨き抜かれた刃のように冷静沈着。

 嵐の夜を経て、その存在の稀有さを再認識したところ。現状把握をした上で、途中経過について感想を述べるならば。

 うーん、そうだな。この船は塩味が強すぎる。

 何といっても、濃いのである。

 そもそも生粋の商人、生粋の船乗りに加え、本来遭遇するはずのない大海亀の背に乗っている時点で役者過多だ。

 正直、これ以上のワクワクはいらない。子供だって遠慮する度合いだろう。


「……狭霧(ルミスティ)孤島(・ラグーン)か。補給地としてはまぁまぁだな。そのまま進めと伝えてくれ」

「了解。ちなみに狭霧の孤島がどんな処か、聞いておいても?」

「……ああ、殊更見るべき場所はない静かな島だ。だがこの季節なら、岬の周囲に夕花蔓(ラグナリア)が群生で咲いている。海都でも海岸線に沿って咲く花だ。気候のせいか、土の違いか、孤島に咲くのは深紅色をしている。遠目からならば、陸地に火がついているようにも見えるだろうな」

「真紅の夕花蔓、か。貴重な情報をどうも、船長殿」

「……いや。船員たちのことも含め、色々と世話をかけている。この程度の情報で感謝されても逆に困るところだ」

「ふふ、船長殿は律儀だね」


 少女が潮風に長い髪を遊ばせながら笑い掛ければ、ほんの少しだけ表情を和らげた船長殿。

 そのまま片手を上げて去っていった。

 非常にスマートかつ、好印象の背中である。

 しかし同時に、少し虚しさを感じもする。何故って? その背中を通して気づかざるを得ないからだよ。

 結局のところ、周囲は変人奇人ばかりだという現実に涙するだけなんだ。

 世知辛いね、まったく。物事にはいつだって裏表が付いて回る。


「この先は一体どうなることやら……」

「ふふ、若人らしい悩みを抱えていらっしゃるようですね」


 こちらは殆ど気配を感じなかった。猫か。猫なのか? クルルだってもう少し存在感があると主張できる。

 船乗りは元より、商売人もまた早朝活動に勤しむものらしい。

 中々どうして、自由時間というものは欲しい時に限ってもらえない。

 やや霧の薄れ始めた甲板の上で、振り返った先には爽やかな微笑。

 朝日はまだ差し込んですらいないのに、この無駄な眩しさたるや色々と目の毒だな。


「おはよう、商人殿」

「悩み事があるようでしたら、微力ながらお役に立ちますよ?」

「いや、結構。先んじて連れに聞いてもらったばかりなんだ」

「それは残念。どうやらタイミングを逃したようですね」


 その目的とするところは、未だ謎。

 先日、酒を酌み交わした際の印象はそこに終始した。要するにプラスにもマイナスにも転じていない。

 元より敵も味方もないが、何も好き好んで『謎』の人物と交友を深めたいとは思うまい。人間心理だ。叶うならば、当たり障りのない関係性をこのまま維持していきたい。

 そう考えるに至ったところで、不思議さの欠片もない筈だ。


「日が昇る頃には、狭霧の孤島に船をつけられるらしい。商人殿は立ち寄ったことは?」

「……さて。狭霧の孤島ですか。これはまた懐かしい島の名だ」


 碧の双眸を柔らかく細め、まるで記憶を手繰るように晴れかかった霧の向こうを見つめる横顔。

 その絵画的な美しさも、ふいに上がった彼自身の声によってあっという間に霧散する。


「そういえば、あの島にはとても珍しい種族が棲まうと風の噂に聞いたことがありますね」

「珍しい種族?」

「ええ、通称は様々あるようですが……大抵、水糸(スィーラ)(・メア)と呼ばれているとか。聞き覚えはありますか?」

「水糸の守、ね。多分聞いたことがある。水蜘蛛の生息する太古の森、(セリア)樹海(パーム)を守る一族だったかな?」

「ご名答です」


 黎明の大陸と、はるか後方に置いてきた大陸。その間で最も主要な交易品といえば。

 それは間違いなく水蜘蛛の糸だ。あらゆる布織物に利用され、保温性と通気性の両面を併せ持つ。

 長く希少品として貴族の間のみで占有され続けた糸も、いつしか大衆の元まで卸されるようになって久しい。


「水糸の守は、てっきり蒼の樹海を住処にしているものだと思っていたが……」

「黎明の大陸は、異なる種族同士が微妙な均衡を保って暮らす多種族国家ですからね。それは同じ種族間でも言えることです。水蜘蛛の糸が大衆の元まで卸されるようになった過程をご存知ですか?」

「……いや。でも、今の感じで何となく伝わるものはある」

「よろしければ、もう少し詳しいところをお話ししましょうか?」


 こと、こと、かたん。

 商人殿の手元で鳴る音に、視線を下げるとそこには大陸渡りの茶器が並んでいる。

 相も変わらず、用意周到だ。

 いくらか引きつった表情を誤魔化そうと試行錯誤している合間にも、どこから出してきたのか沸きたての湯、茶葉の順に次々と揃えていくのだから堪ったものではない。


「さて、お茶でも飲みながらお話ししましょう」

「……分かった。分かったから、そんなに茶菓子を並べないでもらえるか。朝食が入らなくなる」

「淹れたては美味しいですよ。さあ、どうぞ」

「……さすがは商売人、といったところか」

「ふふ、褒め言葉として受けておきます」


 溜息一つ、差し出された茶器を受け取って甲板に座り込む少女と微笑みを隠さない商人。

 ようやく差し込み始めた朝日の下、波を掻いて進む大海亀が朝を告げるように天高く鳴いた。


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