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勇者の最愛はこの大陸に見切りを付けました  作者: 因果論
旧大陸編*新章*
32/51

*挿話 追走者たちの出航*

 *


 宵の海都に、二組の足音が響く。

 先を進む青年の髪は、街路灯の明かりに照らし出されて、淡い白藍に輝いていた。

 その口元に薄っすらと浮かぶのは、紛れもない微笑み。背後から追従するもう一方――葡萄色の髪を潮風に靡かせる青年はそれを見ながら、少しも溜息を隠さない。


「……ヒルト、流石にこれを実行に移せばもう懲罰は免れないぞ?」


 それでも良いのか、と暗黙の内に問いかける。けれども彼の問いに対し、先を行くヒルトは涼しい表情を崩さない。


「んー? うん。まぁ、そうなるかなぁ」

「……おい。それが分かって、何故そんな呑気でいるんだお前は?!」

「しーっ。静かにね、ユギ。警ら中の連中に見つかって後々面倒になるのは君の方だよ?」

「なんで他人事だ?!」

「だって、今夜を最後に僕は軍部を辞めるから?」

「なっ?! ……初耳だぞ、おい」

「言ってないもの」


 軍から支給される長靴は、雨に濡れた石畳の上で鈍く反響し、うまい具合に二人の会話を打ち消していた。

 ヒルトが揺るぎなく足取りを進める一方で、半歩ほど遅れて続くユギは落ち着かない様子だ。

 懐から取り出してきた葉煙草をおもむろに咥えた。

 暫し燻らせた後で、低く問う。


「本気……なんだな?」

「うん、色々と考えてはみた。けどねぇ……結局のところ、彼女の軌跡を辿ることが今は一番の関心事なんだよね」

「……そうか」


 いつになく静かな相棒の語り口に、じっと耳を澄ませていたユギ。

 手元の葉煙草を持ち替えると同時に、ひっそりと口元に笑みを掃いた。


「まぁ、いいんじゃないのか。お前の人生だ。お前の思うように生きればいい」

「ふふ、ユギって時々とってもイイ男に見えるよね」

「俺は普段からイイ男だ」

「うんうん、イイ男」


 二人は小声で言い交しながら、西に延びた街道を海側へ向けて曲がった。所々にまだ残る騒乱の痕を横目に、生い茂るオリーブの樹を左右に掻き分けるようにして進む。


「なんか少しお腹空いてきたかも」

「あれだけ夕食を食べただろうが……」


 霧雨の中、淡く灯る街燈に照らし出される二人の背中がふいに止まる。

 海都第三の桟橋、水晶海へ向かって西北に伸びるその入り口を示すのは青炎(セルム)(・ベル)だ。


「……もう、この大陸に戻る気はないんだな」


 ユギの零す呟きに、宵の海原を見渡していたヒルトはその視線もそのままに、笑って返した。


「この先のすべては、彼女次第。でも、たぶん戻ることはないんじゃないかな」

「……」


 言い終わりと同時に歩みだしたその先には、軍部所有の小型船が係留されている。潮風に揺れる青炎燈に照らし出され、波間にぼんやりと浮かびあがる船体は夜の海と溶け合いそうな黒一色だ。

「よいしょ」と緊張感のかけらもない掛け声とともに、桟橋と船の間にかけた板の上を足取りも軽く渡り切ったヒルトは、桟橋に立ったままの相棒に向けて手を振ろうとして――小さく息を零した。


「……ユギ?」

「何だ」

「独り身とはいえ、そんな軽々しく選択してしまったら後悔すると思うよ?」

「独り身を強調するな。お前と組むことを承諾した時点で、俺はとっくに選択し終えてる。お前みたいな歩く災害を放置しておくのは……色々と寝覚めが悪すぎるんだよ」


 小型船の甲板に立ち、互いの葉煙草を交換し合う二人。

 雨の降りしきる海上へ煙を燻らせながら、もう二度と戻ることはないであろう海都へ視線を手向けた。


「やれやれ、ユギは本当にお人好しが過ぎるね」

「そこはせめて男気があると言っておけ」


 小さく笑い、濡れた甲板の縁でプカプカと煙草の煙を遊ばせていたヒルト。ここでふと思い立ったように呟く。

 それはひどく自然でありながらも、傍らに立つユギを戦慄させるのに十分すぎる一言だった。


「それで? あんたも彼女を追って、この大陸に見切りをつける決心がついたのかい?」

「――――口の減らない軍人だ」


 その直前まで、まったくその気配に気付けずにいたユギは絶句したまま『彼』を見上げる形となった。

 船倉の上、マストを背にして立つ漆黒の影。

 雲の切れ間から覗いた月が照らし出すのは、淡いブロンドと緋葵の双眸だ。


「な、な、なんで」

「ユギ、どもりすぎ。もしかして乗ってからも気付いてなかったの?」

「……気付いてたなら、どうして言わない……」

「えー、言うまでもないと思ったから?」


 あっけらかんとした返答に、絶句したまま虚空を仰ぐユギ。そんな彼を呆れたように見やったヒルトは、そのまま視線を斜め後方に戻して「おや?」と首を傾げる。

 てっきり一人かと思っていたところ、もう一人乗り合わせていることに気付いたからだ。


「そっちの人、見かけない顔だね」

「こんばんはー。不運にも腐れ縁で巻き込まれただけの、しがない魔術師です」

「ふぅん、名前は?」

「蛆虫」

「いやいやいや、勘弁してよ。何これ公開虐め? 名前ぐらいはちゃんと名乗らせてくれない?」


 栗色の髪をした青年は、灰色の外套越しに深い溜息を零した。一見したところ地味そのものといった印象を抱かせる全体の色味や様相に加え、その気配は視線を固定して尚も、ほとんど感じられない。

 これは非常に特異なことだ。


「それ、もしかして『希薄』と『認識阻害』の合成術? 一般的には暗殺者が好んで用いる術式だと聞いた覚えがあるけど?」

「あぁ、オリジナルはそうだって聞いたことあるかなぁ……。俺のこれはオリジナルにあと二つ形質を加えてあるから、正確には暗殺者のそれというより、どちらかと言えば隠密向きだね」

「んー、なるほど。魔王討伐において君が果たした役割は大きかったのかな、魔術師殿?」

「いや、正直俺の偵察の有無に関わらず、ルヴィ一人いれば魔王討伐にかかる日数はさして変わらなかったんじゃないかと思う」

「あはは、魔術師にしては随分と正直なんだね」

「言葉を返すようですが、あなたも軍人にしては随分と砕けた態度に見えますけど」

「はは、そこは否定できないなぁ。上司からも常々言われてたんだよねー」

「……一体全体何なんだ、このカオスは……」


 ユギの至極まっとうな指摘も空しく、状況はすでに彼の許容するところを大きく逸脱しつつあった。

 彼は自身の冷静さを保とうとする過程で、最も目を離してはいけない人物の動向から目を離してしまったのである。

「まだ今なら引き返せる……」そんな内心の言葉と、今更言い出せない空気の両端に挟まれた精神。その両天秤が冷静を取り戻す前に、事態は取り返しのつかないところへ進み終えていた。


「……あ」


 遠ざかる、青い灯り。

 右に向けた視線の先には、不吉な相棒の微笑み。

 視線を下せば、その手に巻かれた係留綱。

 まさに三重苦だった。


「ふふ、俄然楽しくなってきたよね?」


 男に二言は許されない。

 無言のうちにそう念押ししてくるような、ヒルトの微笑に額を抑える不運な男が一人。


「俺はお前のその感性に、全力で物申したい」

「まぁまぁ、そうカリカリしないで」

「……お前な。初めてあれにケンカを売った時のことを思い出してみろ。それがどうしてこうなった? 人並みに気の毒だと思う心はないのか?」

「あるよぉー。もちろん」

「おい、あるなら目を合わせて言え。どうしてあいつらを乗せたまま出航した?!」

「……目の届く範囲でその動向を把握するだけでも、十分に利点はあると思うけど?」


 ひそめられたヒルトの声と、いつになく冷静な眼差し。

 ユギは驚きと感慨の両方をないまぜにしながら一瞬声を詰まらせたものの、次第に毒気を抜かれたような面持ちになり、そのまま黙り込んでしまった。色々と思うところがあったのだろう。

 その様子を横目で見ながらふと笑み零したヒルト。意図的なところであるのか、それとも天然かはいざ知らず。

 肝心なところでは、相変わらず空気を読まない。


「――それで? 失恋の痛手からは少しは回復出来たってことでいいの?」


 その瞬間、船上の空気はある一点を中心に凍てついた。

 冗談でも、ましてや比喩ですらもなく、それは現状において最も踏み抜いてはいけない地雷そのもの。

 結果は言うまでもない。薄い色の双眸と緋葵の二色が交錯し、甲板の上に銀色の軌跡が飛び交うまでには数秒の間もなかった。


「よほどに死にたいらしいね、軍人もどき?」

「おっと、確かに。今の俺たちは軍人もどきだよね。ねー、上手いこと言うと思わないー? ユギ?」

「やめろ、俺を巻き込むな!!」

「あ、生きてるね。安心安心」

「どこがだ?!」


 ユギの悲痛な叫びも虚しく、今や出航したての船上は血を血で洗う戦場と化していた。

 さすがに白焔が飛び交うまでには至っていないようだが、それも時間の問題だろう。それを端から見越していた男が一人、ここでようやくその重い腰を上げる。


「ルヴィ、ここで船を沈めたらルーアに追いつくまでにあと何か月ロスするか分かってるんだろうなー?!」


 それは知らないものからすれば、まるで状況に似つかわしくない安穏とした響きに聞こえたかもしれない。

 だが、しかしである。

 カルディア・ムートは長年の付き合いによって副産物的に得た勘と、その時々で最も命を繋げる可能性が高いタイミングを計る不屈の冷静さと、死と隣り合わせの毎日で身に着けた諦観、それら全てを()い交ぜにして声を上げていた。

 その結果は間を入れず、飛来した鈍色の液体入りの瓶。

 少しの無駄もない動作で身を翻しつつ、カルディアはこの時点で軽度の戦慄を覚えている。


「明らかに前回申告した分より在庫が増えてる気がするんだけど?!」

「蛆虫一匹のために、僕がどれだけの労力を払っているかやっと分かった?」

「いや、分かりたくもないけど。ねぇ、少しは冷静になった?」

「煩いよ、蛆虫」

「はいはい」

「残り、まだ八本あるんだけど」

「予想外の残数?!」


 どこか間の抜けたやり取りを挟みながらも、徐々に空は明らみ、朝風が船上に立つ四人の頬を撫でていく。

 ふわり、と刃に付いた鮮血を払うルヴィ。

 直前のやり取りで興を削がれたのか、ここでようやく殺気を鎮め、低めた声で呟く。


「余計な体力を消耗した。……これから昼まで寝るから、その間の操舵は頼んだよ。蛆虫」

「まったく、自由人にも程度ってものが……」

「そんなに栄養ドリンクが恋しい?」

「…………」


 にっこりと微笑み、手の中の瓶を左右に振るその姿。背後から差し込む朝日によって天使もかくやといった佇まいを醸し出していたが、彼に慈悲の類など一切合切存在しないことは船上にいる全員が知っていた。

 無言のまま、了解の意味を込めて伸ばされたカルディアの親指を陽光が照らし出す。

 それを確認した上で、溜息一つ。

 ひらりと船倉に消える背中には返り血一つ付いていない。


「……やれやれ、どうやら昔っから相当苦労してきたらしいね。魔術師殿?」

「苦労なんてものじゃ、とても語り切れませんよ。ええ……」

「うんうん、そうだろうねぇ」

「頷いてる場合か。まったく……お前も懲りないな。あれだけ遣り合って、よくそれだけ口が回る」

「やっぱり軍人さんだけあって、一般人よりはるかに丈夫だ。うん。ルヴィとあれだけ刃を交わせるなんて、それだけでも大したものですよ」


 懐をごそごそと探り、カルディアが「ほい」と手渡したのは治癒薬である。そのいかにも手慣れた様子に、相棒の代わりに受け取ったユギ自身、苦笑するしかない。


「はは、こんなの傷のうちに入らないよ」

「ここまで血塗れになっておいて、どうしてそんな口が利けるんだ……」

「ユギは一々細かいなぁ……あんまり若い内から些末なことに気を揉んでいると、禿げるよ?」

「大きなお世話だ!」

「この調子なら、完治まで数日で済みそうですね」


 甲板を抜け、帆を膨らませる潮風に白藍と葡萄色、栗色の三色が舞い上がる。

 互いに顔を見合わせて、三者三様の表情を浮かべて見せた彼ら。

 ――――その視線の先には、旧大陸とも称される『黎明(ホライズン)大陸(・ティーン)』が待つ。


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