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勇者の最愛はこの大陸に見切りを付けました  作者: 因果論
旧大陸編*新章*
30/51

船上の少女は海釣りに興じる

ここからは、旧大陸編スタートとなります。

これまで読んで頂いている全ての読者の方々へ、感謝を込めて。

 *



 見仰げば、藤黄(ボージ)(・イーグル)

 透き通るような青い空に、それはそれは良く映えている。

 本日も快晴なり。そんな心持ちで迎える、四度目の朝だ。文字通り海を割る騒動を経て、無事に陸を離れた少女が船上の客となって既に数日が過ぎている。


「んー、まさに絶好の釣り日和だな」


 小柄な体を精一杯伸ばして、まずは準備運動から入る。片腕には例の如く灰色のモコモコを抱えたままだ。健やかな寝息は、この間も途切れる気配すらない。

 三本マストの大型帆船(バーク)。その最後尾にはためく縦帆の下で準備運動を終えた少女は、手慣れた様子で自分の背丈を優に超える釣竿を組み立てていく。これは船に乗ってから譲り受けた竿だ。

 無意識に鼻歌を口遊みつつ釣竿の準備を終えた後は、ごそごそと袋の中を漁る。「そろそろ袋の整理もしないとな…」思わず零れ出る本音の合間、そうして見つけた水蜘蛛のロープ。

 これで灰色のモコモコと自分の腰回りをグルグル巻きにして、ようやく準備は完了だ。

 熟睡の最中とはいえ、さすがにロープを巻かれた違和感に身じろぎをするモコモコ。ようやくその淡黄色(ミモザ)の双眸を薄らと開く。


『……朝から一体何の騒ぎなの? 絶妙な寝苦しさなの』

「おはよう、眠り姫。一応朝だということは分かっているんだね?」

『体内時計に基づいて、飛竜は睡眠時間を調整するモノなの。今が早朝だということも把握してるの。だからとっても眠いの』

「眠いのはいつもだろう? 実は頼みごとがあってね、少し意図的にグルグルしてみた」

『いい度胸なの』


 灰色のモコモコ、もとい飛竜族次代の女王竜。彼女は普段と比べて三割ほど据わった目を、少女とその周りの状況に向ける。

 やや間をおいて紡がれる言葉には、若干の不機嫌さと言い知れぬ不安が五対二の割合で混じっていた。ちなみに残りの三割は消えることのない眠気である。


『……まさかと思うけど、釣り餌にするとか言わないでほしいの』

「飛竜の釣り餌ね。……どうかな、大物狙いならあるいは……」

『考え込まないでほしいの』

「ふふ、冗談だよ。そんなことは端から頼むつもりはないから。頼みというのはね、重石代わり」

『……何が言いたいのかさっぱりなの』


 疑問符で埋もれかかるモコモコに、ぽんと掌を乗せて少女は笑う。


「昨日の釣りの教訓を、今日に生かそうと思ってね」

『……』


 数刻後。少女は意気揚々と海釣りを開始した。その腰回りにはグルグル巻きのロープと、その先には再び安眠体勢に戻った灰色のモコモコ。

 周囲から見れば、もはや何がしたいのか頭を悩ませる光景だ。

 事実、その背に掛けられた声には端から隠すつもりはないのだろう。純粋な呆れが混じる。


「まさかと思うけど、それは重石のつもりですか?」

「おはよう、操舵手殿」


 潮風に靡くのは、ゆるゆるとした猫毛だ。砂色(イール)栗色(マロニエ)を半々の割合で混ぜた様な柔らかい風合いの髪は、おそらく混血(ハーフ)の証。確認したことはないから、あくまで推察だ。

 この十七、八の少年はこの船に乗って三番目の知り合いに数えられる。

 キーツ・ヴェン。『大いなる双翼』号における三人の操舵手の内の一人でもあり、年若くとも、その操舵技術については他の二人の操舵手をして「少なくともあれに操舵を任せている間は、この船は沈まないさ」と言わしめる才能の持ち主だ。

 海釣り初日の騒動を経て、不信感丸出しで隠す気はまるでありませんと主張するばかりであった視線も、半分ほどは呆れに傾きつつある。この考察はほぼ間違いないだろう。


「昨日得た教訓を、素直に生かしてみた。疑うより先に、持ち上げてみれば分かるさ」

「……もしかしなくとも、馬鹿にしてます?」

「まぁ、まずは試してご覧よ」


 今まで周囲にはいなかったタイプだ。例えるなら、野性の山猫。……クルルを尖らせてみた感じに近いかもしれない。性質からすれば、些かアルヴィン寄りの空気を感じ取れるがおそらくその本質はまるで違う。


「片腕で持ち運べる程度の荷で、自分の体重を支えられると思った根拠は?」

「その『荷』はちょっと特殊だからね」

「……特殊、ですか。成程。そこまで言うなら、試しに持ってみましょう」


 どうぞ、と目だけで頷けばようやく近くまで歩み寄り、少年がモコモコに手を伸ばす。

 さて、この後の反応が見物であった。

 概ね、少女が内心で期待した通りだ。呆れは次第に困惑に変わり、半ばに驚愕を挟んで諦観へと至る。


「何ですかこの出鱈目な重さ。これを普段片腕で持ち運んでいる貴女の筋力、正直どうかと思いますよ」

「うん、普段からそれなりに鍛えてはいるつもりだよ。ただし、今の状態で持ち運ぶとなれば『片腕で』というのは自分でも難しいかもしれないが……」


 少女の物言いに対し、対面する少年はあからさまにその眉を顰めた。


「物事を煙に巻くような言い回し、そこは天然ですか? それとも意図的な? ……まぁ自分には関係ありませんけど。それはさておき、甲板に若干めり込んでます。修理費については後日請求という形でいいですか?」

「ん、……うーん。微妙に調整が足らなかったか。船を傷つけてしまって申し訳ない。もちろん修理費については追加料金という形で諸々請求してもらって構わないよ」


 モコモコの下を覗き込み、素直に頭を下げる少女に半ば脱力した様子で肩を落とした少年は溜息で返す。


「では、後日請求します」

「うん、本当に済まない。明日からは、甲板に被害が出ないように努める」

「明日からは、ね。そもそも客船で釣りを試みること自体、大分常識の範囲外だと思いますけど?」

「生憎と、他にすることがなくてね」


 諦観よりの苦笑を見仰ぎ、ああこれは割と見慣れた表情だとしみじみする。例えるなら、苦労性の幼馴染を彷彿とさせるそれだ。

 これには、苦笑しか返せない。

 大切な人たちと、離れざるを得なかった自分の因果。それは今までもこれからも変わらない。足掻いた末に、得られた今の形。

 だからこそ、もうこれ以上の後悔も痛みも絶望もごめんだ。たとえ、身勝手だと断じられても仕方がない。発端は、その在り様と言ってしまえば元も子もないのだろう。それでも、辿り着いた。

 選択してこその『今』である。


「――やぁ、おはよう若人たち」

「んー。おはよう、商人殿。今朝もいい天気だね」


 タイミングとしては視線を外海へ向け、一際強い潮風に瞬きをした直後だったと思う。

 ふいに後ろから声を掛けられ、振り返るまでもなく挨拶を交わした。その特徴と言っていいほど穏やかな声の調子から、顔を確認するまでもなく『誰』であるかは言わずもがなだったからだ。

 視界の端に、世の女性陣であれば誰もが羨むほどの艶やかな漆黒がさらさらと靡く。肌は陶磁器のように滑らかだ。些か人間味に欠けるほど端麗であるのに加え、海の色彩をそのまま溶かし込んだような(フロア)の双眸は、柔らかな弧を描いて細められている。一般の認識に照らし合わせればそれは恐らく『絶世の美貌』と称されておかしくない。

 まぁ要するに美男子だ。乙女たちを酩酊に導くそれだ。言わずもがなだ。

 ただし普段からアルヴィンという人外めいた美貌を知る身としては、まぁ平静を保てるレベルである。言ってしまえば耐性とも称せそうなそれのお蔭だ。

 それがなかったら、まず間違いなく目の毒だ。

 この船に乗船し、船長の次に顔見知りになった彼は――まぁ、実際のところは本名すら知らないものの――副都で主に宝飾の類を扱う店を営んでいるという。

「周囲からは、北方(ニーヴ・)(マス)(クレイヴ)などと呼ばれることもありますね」と笑みを含ませて紹介された日には、色々と考えることすら面倒になり「とりあえず、呼び易く『商人殿』で」と無難な返答に留めたのだが。

 まぁ、結果的にはどこかしらの琴線に触れたものか。お近づきの印に、と銘打って破格の値段で釣竿を譲り受けたという経緯がある。


「お嬢さんからすれば、絶好の釣り日和になるのかな。ふふ、その釣竿の使い勝手はどうです?」

「二日目までは中々素直とは言えなかったけれどね、今はとても使いやすいよ」

「それは何より」


 うん、いつどの角度から見ても完璧な笑顔だ。寧ろここまで徹底した美を突きつけられると清々しいくらいに思えてくる。商売人としては、この美貌を自覚した上で、余すところなく普段から活用しているのだろう。

 どこか割り切った、淡白な空気を纏っているように思える。

 さらさらと潮風に揺れる漆黒の間から、海原へ向けられる双眸にはさり気なくも、どこか意味深な色。

 もしかしたら、一番表情を察しやすいのは商人殿の場合はこの目なのかもしれない。


「この辺りの海域は天候が崩れやすいと伝え聞きましたが、ここ数日は素晴らしい航海日和が続いているようだ。操舵手殿の見立てからして、今に至るまでの航路は順調と言えるでしょうね?」

「……ええ、まぁ。今のところは順調と言って差し支えありません」


 不意に水を向けられて、どこか戸惑った様子で返答している操舵手殿を横目に再び意識を釣竿の先へ戻す。

 比較的穏やかな波に、ユラユラと漂う浮子。魚の文様が施されたそれは船の帆先から生じる波を受けながら、浮き沈みを繰り返している。

 大陸を後にして、早四日。

 総評を下すまでにはまだ残りの日数もあるが、中々に充実した日々を送れていると思う。それもこれも、この船の船長並びに専属の料理人の面々はもちろんのこと、同船に乗り合わせた方々の好意と理解のもとで成り立つ毎日。本当に、ありえないほどに恵まれている。

 一度は水晶海に落ち、あわや指定された乗船時間に間に合わないかと思われたところを海原を飛び回っていた飛竜たちに掬い上げられ、辛うじて繋いだ旅路だ。

 一人では、決してここまで辿り着くことは敵わなかっただろう。――もしもの話。今回の逃亡劇をたった一人で完走しようとしていたらと思うとぞっとしない。きっとその時には海都へ辿り着くことはおろか、潮騒の畔であれの腕に掴まり、道が途絶える可能性は大いにあった。

 万一そうなっていた場合、遠からず周囲も巻き込んでの破滅の二文字しか残されなかっただろう。


 ――果たしてここまでの道筋が、本来の因果を取り戻すべく定められたモノか。それとも混迷極まったが故の、奇跡的な道筋か。今はまだ、判断の下しようがない。

 その判断を下すための道と言い換えても差し支えない旅路なのだから、尚更だ。


 元より定められた『大陸』とそれに準じた『色』。

 生まれ落ちた地に守護を与え、バランスを取る本来の在り方は既に失われて久しい。今に至るまで騙し騙しできたツケは、本来ある筈のない『緋』の色を取って現れた。大方の記憶を喪失しても尚、その色彩に危機感を覚えられたのは紛れもない幸運だったと言えるだろう。

 それでも全き姿とは呼べない在り様で、どのような道筋を選べばいいのか判断が付かずにいた数年間。それはもう、悩みに悩んだ。ある程度の事情を明かしている師匠の他に、頼れる情報源はなく。下手に情報を得ようと試行錯誤すれば『国』に気取られる恐れすらあった。それに加え度々、『白』と直接対話を試みたものの尽く沈黙しか返らない。

 まさに八方塞がりと言って、過言ではなかったのだ。『白』の望みは今もって、自分には判断が付かずにいる。不確定要素しか得られない現状に見切りをつけ、先の見えない旅路を選択するまでに至ったのはそういう経緯があってのことだ。


 頭上の蒼天を仰ぎつつ、思う。果たして、あれは追って来るだろうかと。

 問い掛けに意味など無いことを知りながら、それでも内心に問うのはきっと自分が冷静でいたいからだ。

 海原へ踏み出した以上、どうあっても元々あった形には戻れない。戻りようがない。知っていて尚も、矛盾する心はまるで荒れた海原が如し。

 目の前に広がる悠々とした水平線には、似ても似つかない。


「……海月(イース)(ヴェル)の一夜が明けて、今や王都でもそれなりの騒ぎとして伝えられているようです。様々な憶測が飛び交い、国軍が動く事態にまでなっているとか。民衆からすれば束の間の『興』が齎されたといったところに過ぎないのでしょう。ただ、その実情はけして支配階級の望んだ展開とは言えないのでしょう」


 思考を汲み取るような、商人殿の滑らかな語り口。視線こそ合わせてはいないのに、それでも言葉を手向けられているのは十分すぎるほど伝わってくる。

 あれだけ大っぴらに騒ぎを起こせば、情報を生業にしている者もしくはそれに準じた面々に顔を知られても仕方がない。遠からず波乱を招くと知っていて、それでもあれと対峙する道を選んだのは簡単な話。

 最善など、とうに残されていなかったからだ。


「一応これでも、被害は最小限に留めたつもりなんだけどね。……儘ならないな」

「ええ、それは存じています。ただ、人の世において情と情が絡み合って拗れた場合ほど厄介なものはありませんからね」

「全くだ」


 つい、ついと竿の先が揺れている。目を凝らし、魚影を確認しながら慎重に手繰り寄せていく。今はまだ、勝負の時ではない。


「船上では、くれぐれも騒ぎを起こさないでください。……先のように、巨大魚と熾烈な戦いを繰り広げられてはいい迷惑です。この船は漁船ではありませんので」

「あぁ、前回の……あれは見物でしたねぇ。あれほどの大きさの黒斑(ドット)マンタは、昨今の市場ですら中々お目に掛かれない代物ですから」


 そんな背後の遣り取りを横目に、さてさて今回はどんな獲物が掛かったかとじっと海面に目を凝らす。


「……(フェル)(シャーク)だ」


 ややあって、その魚影の正体を少女が口に出したところで背後の喧騒が倍になる。


「白鮫! ここ水晶海でしかお目に掛かれない幻の高級食材ですね?!」

「騒ぐな、馬鹿。今集中力を切らせば、全てが水の泡だろうが!!」

「――二人とも、声が大きい」


 初めに声をあげたのが、料理人見習いのクイン・モス。赤毛の少年だ。白い頬を紅に染めて、興奮を抑えきれない様子で身を乗り出したところを背後からの手に容赦なく叩かれたらしい。「うぅ、少しは手加減をしてよぉ……」と小さくうめき声を上げている。そんな彼を見下ろす浅黒い肌の青年、エージル・モス。彼はこの船の副料理長である。

 姓が同じところで分かる通り、クイン少年とエージル青年は兄弟だ。そんな兄弟たちの喧騒に耳を塞ぐようにして、遅れて現れた大柄な影が一つ。

 双方に向けて声を掛け、静かに少女と鮫の攻防を見守る。


「……料理長、昼食の調理中では?」

「状況確認だ。釣れたモノによっては、前回のようにメニューの変更も視野に入れている」

「前回のエイの鰭酒は美味でしたからねぇ……他の船客からの評判も上々だったのでは?」

「ああ、好評だった」


 訝し気に、というよりかはどこか諦めた様子で尋ねたキーツ。それに対して『大いなる双翼』号の総料理長マティ・カミルレは淡々と言葉を返した。とは言え、その口許に薄らとした期待が籠っているのは一目瞭然だ。

 いつの間にやら隣に立っていた商人と和やかに会話をしながら、少女の釣りの成果を待ち焦がれているらしい。

 その両手には既に、磨き抜かれた調理包丁が握られている。穏やかな波の上とはいえども不安を隠せない光景だ。いや、そもそも普通に危ない。


「大丈夫なのか、この船……」

「そういった発言は、一操舵手として慎め」


 思わず、といった形で零した呟きに頭上から声が落ちてきた。船尾のマストの半ば、藤黄(ボージ)(・イーグル)の旗が靡く物見台に影は一つ。

 逆光で輪郭しか見えなかったそれも、徐々に目が慣れてその特徴的な髪色を判別できるまでになる。


「船長、自分は初めに問いました。あんなのを船に乗せても良いんですかと。覚えてますよね?」

「こちらに客を選ぶ権利はない。キーツ、同じことを何度も言わせるな」

「……海釣り初日に黒斑マンタと海上綱引きをする羽目になって、危うく転覆しかかったことをもう忘れたんですか?」


 半ば遠い目をしながら、それでも率直なところを曲げずに問う姿勢。これこそ海の男と呼ばれる者たちの本質だ。そういった面で、キーツはまさに生粋の船乗りと言えるだろう。

 灰薔薇の髪を潮風に遊ばせ、船長――メルバ・シレーディングは改めてその辺りを認識に至る。殊、船上においては厳しい表情を崩さないと評判のその口許に、今は微かな笑みすら浮かんでいた。


「……確かにあれは規格外だ。それは否定しない。だが、どのような客を前にしても基本的なスタンスは変えるな。俺たちの限界に客を合わせるんじゃない。その時々の客の規格に俺たちが合わせてこそ、客船としての商売が成り立つ。安全面を重視するお前の姿勢は間違っていない。だが、そこに甘んじるな」

「……はぁ。船長命令となれば、自分たちはただそれに従うだけですよ」


 溜息混じりに返答したキーツに対して、表情を普段のそれに戻して来たメルバは酷薄さを滲ませた双眸で、部下を睥睨する。


「勝手に言葉を曲解するな。端から、盲目的に従うだけの船員を置くつもりはない」

「はいはい。こう言っては何ですが、船長ともそれなりに長い付き合いですから。その辺の好き嫌いに関しては熟知しているつもりです」

「分かっているなら、何度も繰り返させるな」


 心地よい正午の風が、甲板を吹き渡る。

 銘々に向けた視線の先には、海原を舞台に繰り広げられる波間の死闘――というのは言い過ぎかもしれないが、まぁそれなりに衝撃的な光景ではあった。


「……片腕一本で白鮫を海上に引き上げるって、どんな馬鹿げた腕力ですか」

「海都での攻防を遠目に見た後だ。大方の無茶は、カウントすること自体馬鹿げているだろうな」

「感覚を麻痺させたら終わりですよ、船長」

「違いない」


 ここ『大いなる双翼』号においては比較的常識的な視点を保ち続けている両名、その視線の先で。

 まるでそのタイミングを図ったかの如く、波飛沫をあげて水揚げされた白鮫は――その優美な白い巨体をくねらせ、鋭く尖った歯で吊り上げた当人を一口で呑み込もうと迫ったが――立ち上がって迎え撃った少女のその一刀の元、瞬く間に頸部を一閃されていた。「あ、力入れ過ぎた」という妙に緊張感の薄い少女の呟きと共に、ごとりと両断された白鮫の身体は跳ね上がったままの勢いで、墜ちる。

 その巨体の重みで、軋む甲板。

 束の間の静寂の後には――周囲から、歓声が沸き上がった。


「よし、ひとまずは昼食用確保!」

「まだ釣る気?!」


 少女が空に向けてぐっと握りしめた拳に、背後から高らかな突っ込みが上がった。しかしそれも周囲の喧騒に紛れて、肝心の当人までは届いていない。

 いそいそと解体作業に入る船の料理人たちを余所に、両膝を甲板に着くただ一人。沸き立つ周囲とは対照的な彼の苦悩は、まだ始まったばかりだ。そしておそらく、それは少女が船を降りるまで続くであろう。

 半ば、それを悟った形のキーツの無言の背中にコツコツと近づく足音と、掛けられる声。普段の穏やかさに加え、所々に喜色すら滲ませる商人――北方(ニーヴ・)(マス)(クレイヴ)

 彼は独白のようにして、その内心を吐露した。


「あの釣竿の特性をあそこまで活かせる人物は中々いません。いやはや、私の目もまだ衰えてはいなかったようです」

「……商人殿、貴方は随分と怖いもの知らずな人ですね」

「ええ、それもまた商人の性でしょう。否定はしません。期待した以上の商品を見出す喜びもやはり大きくはありますが、その見出した商品の価値を最大限に活用できる『買い手』。これに出会えることもまた、一商人としてこれ以上無いほどの喜びでもある」

「商品を活用できる買い手、ですか……?」


 いまいち言葉の意味が掴み切れない、と言った様子に対してどこか憂いを滲ませた双眸が、訥々と語る。


「買う側は、普段殆ど意識などしていない部分です。モノと人の間には目には見えない相性のようなものが存在する。本当の意味で必要としている者の元へ届けることこそ、本来の意味では『商人』としての意義と言えるでしょう。ただそれは鷹揚にして難しいのも事実。取り扱う時期、場面、タイミング、全てが複雑に絡まり合う中で見極めなければならない。だからこそ商品そのものに比べて、優れた買い手を見出す方が遥かに稀なのです」

「……ちなみに、どのようにして見極めるんですか?」

「ふふ、興味がおありですか?」

「まぁ、そこまで語られれば……」


 少しずつ周囲の喧騒が普段の穏やかさを取り戻し、海鳥たちの声が耳元を掠めて飛び去って行くその合間。

 ちょいちょい、と手招きを受けて顔を寄せる。その耳元で、無駄に艶のある声がこう言った。


「――そこは内緒です」

「…………」


 はは、と快活な笑い声のみを残して美貌の商人が去った後。

 正午を迎えた甲板に、水揚げされた鮫は勿論その周囲を囲んでいた群衆の姿すらも見えない。件の白鮫は、頭の先から尾びれまで見事な素早さで解体されて既に調理場へと運ばれている。もう暫くすれば総料理長の指示の下で変更された昼食――そのメインにはまず間違いなく獲れたての白鮫が使われている――がお目見えする手筈になっているのだろう。

 真昼だというのに、一人黄昏る操舵手の少年。その背後には、灰色のモコモコと少女。


『大いなる双翼』号のお昼時は、こうして今日も比較的和やかに過ぎていく。


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