*某兄弟子の辺境語り 後篇*
*
暮れなずむ空に、夕星一つ。
ゴロゴロと足元に転がる芋を、丁寧に一つ一つ拾い上げながら束の間その空を仰いだ。背にしている明かりの灯った屋からは、夕ご飯の催促をしているのだろう。クルルの必死な鳴声が聞こえてくる。
「お疲れさま、ヴァイ兄さん。そろそろ夕ご飯の支度も出来るよ。今日はその辺にして戻ろう?」
大量の芋は、籠二つ分。それを軽々と背に担いで笑う少女。
差し出された手に、彼が手を伸ばし掛け――普段の通りに、飛来してくる銀の閃きを交わしながら家路につく一連の流れ。
それがここ数日の、習慣と化している。
「うん、正直なところを言えば君がここまで頑張れるとは思っていなかったよ。ね、ルーア?」
「……だから、どうして俺に振る。それより師匠、蒸かしイモのお代わりは?」
「ん」
「ルヴィは食べ過ぎ。却下。ヴァイ兄さんはどう?」
「いや、これで十分かな」
夕風の吹き込む食卓。一見しただけなら穏やかにも見えなくもない風景の一部に、自分が混じっていることに一種の感慨にも似た何かを覚えつつ。
ひっそりと、遠い目にもなる。
一日目、無事に朝を迎えられたことにこの上もない安堵を抱いての起床。世界がいつにもまして輝いて見えた。しかし、その結果は暗澹たるものだった。単純に寝不足が大きい。
ハイナスの指示の下、覚束ない足取りで岩間を駆け回った挙句の落下。危うく即死しかけたところを、川で朝釣りをしていたカルーアに間一髪で救われた。
「……昨日忠告はしたと思ったけど?」「面目ない」といった遣り取りがあったのは記憶に新しい。
二日目、昨日のような失態は二度と犯すまいと誓い――可能な限り睡眠をとって臨んだ。
しかし、意気込みも虚しく肝心のハイナスが起床せず。「昨日は珍しく昼前から起き出してたからね……」とカルーアが苦笑混じりにポンポン、と肩を叩いて事情を説明してくれた。
そして、この時のさりげない接触に触発されたものか……。
カルーアの手伝いで菜園を歩き回る最中、銀色の飛来物が絶えることはなかった。初めて会った時とは違い、その投擲は殺気に満ち溢れたものへと変貌している。「分かりやすい事この上ないな……」とは内心の声だ。実際に言葉にすれば、自分に未来はなかっただろう。常に命の危険に晒されながらの、草取り。危うく頸動脈をはね切られそうになりながらの、収穫。
二日目はそうして目まぐるしく過ぎていき、気付いたら正午を回っていた。
「正直、農作業を舐めていた……」
「いや、その認識は正しいけど、なんか違う」
いつしか顔見知りになった隣人のカルディア・ムートと共に、樹の下で軽食を摘まむ。
彼はその年齢に見合わず、非常に優れた力を持つ魔術師見習いだ。同じ見習い同士――いや、それ以上に深い共感の念をもって、彼らはあっという間に打ち解けていた。
まぁ、言ってしまえば『同じ脅威によって、その命を常に危険に晒すもの同士』といった繋がりだ。恐怖心は、人にとってその根源とも称される感情の一つ。初めて顔を合わせた瞬間から彼らは『同士』と言ってはばからない存在であることを、無言の内に理解しあっていたのだ。
「ここで平穏に生きていく術を、貴方はたった数日で実践している。これは、そう易々と実践できることでは無いんですよ? 今までも、幾度となく先生に弟子入りしようと辺境を訪れた猛者たちはいましたけどね……まぁ、要するにあれです。意図せぬ最大の障壁を前にして、多くが涙を呑んで去っていきましたから」
「……平穏。うん、まぁ……辛うじて生きているといった方が正しい気がする……」
「毎日が、奇跡同然といっても過言でないんですよ」
「あぁ、そこに関しては痛いくらいに実感してるかな」
真顔で呟き合う二人。
そんな前向きなのか、斜め後方向きなのかも分からぬ会話を交わしつつも――日々は、過ぎていく。
初めに言われた通り、食費もとい日々の糧は自らの手で得ることが最低条件だった為、ほぼカルーアの助言によって行動する日常が続いた。内訳を纏めれば畑仕事、川釣り、森での狩り(これは中程度の魔獣までを限度とするもの。ただし、あくまでも自分用の制限だった)、依頼の手伝いなど。
ここで言う依頼とは、大抵がハイナスの古い知人からの「それなんて無茶振り……」と思わず呟きも零れるくらいの頼みごとの数々だ。辺境の地とも称される東域だけあって、御伽語りとも笑い飛ばされそうな代物の採集がわんさかある。
ハイナスに同行し、その目で見てきたものは常識外の範疇のモノばかりだったと言っておく。
気付けば、七日があっという間に過ぎていた。
振り返ってみても、息もつかせぬほどの濃い日々だ。おそらく送ろうと思ってもう一度送れるようなものではないだろう。
日めくりを眺めつつ、彼は内心でそう思っていた。
どうして父が、自分をこの地へ寄越したのか。今ならば少し、分かるような気がする。
*
良く晴れた一日。菜園のハーブを摘み終えた彼は裏庭に立つ背に、ふと思ったことを問うていた。
「……どうしてあの人は、あれほどまでの睡眠を必要とするんだろうか?」
「んー、一気に核心に迫ろうとする質問だね。……それほどに、師匠の生態が気に掛かる?」
「いや、気になるだろう」
思わず、といった心境で零した問い掛けに洗濯物を片手にしたまま振り返るカルーア。その問いに対して、苦笑を混じらせる。
ここ数日で、大分打ち解けた様子を見せるようになってくれていた。
そもそもの話。当初から彼の世話を焼いてくれるのは彼女以外にいなかった――その双眸に灯る感情が、徐々にではあっても和らいでいくことに彼は気付いていた。
気安い調子で紡がれる言葉と反するように、彼女はどこかでいつも『線引き』を崩さない。
それが彼女のどのような過去に基づくスタンスなのか、正直なところは分からない。けれどもハイナスの下で仮弟子を名乗る間、常にと言っていいほどに彼女の支えが確かに存在していた。寧ろ感じなかった日がない。
同情か、哀れみか、優しさか……はたまた単なる性分か。答えの分からぬ問い掛けを、日々の暮らしの中に見出そうとするかのように。
彼はいつしか辺境の地で、一つ一つの在り様を観察する姿勢を身に着けていた。
「本当に知りたいと思うなら、当人に直接聞くしかないだろうな。……なにしろ、俺がここに来た時には既にああだったから。それに、睡眠の長さ自体はそれほど問題にはならないだろう?」
「……問題。まぁ、そう言われてしまうと確かにそうなるのか?」
「どちらかと言えば、酒癖の方が遥かに有害だ。それと比較すれば、睡眠欲旺盛なくらいは気にもならないさ」
「それを言われてしまうと、もう何も返せないんですけど……」
「あれは気質だよ、おそらくね。少なくとも俺はそう思ってる。師匠には眠りが必要で、人は心身ともにバランスを保つのに眠りを絶対条件にするだろう? ただその割合が、人よりも多いだけのことだよ」
やんわりとそう言い差しながら、シーツが皺にならない様に広げていくカルーア。ひらひらと風に舞う洗濯物の隙間から、今日もまた銀色の反射が垣間見える。その執念には脱帽の二文字を贈りたい。
とは言え、投げてはこないあたりは配慮も分別もあるのだろう。
真白のシーツに鮮血が跳べば、いずれにしてもカルーアの怒りを買うことは分かり切っている。
「正直、分かったような……はぐらかされたような」
「ヴァイ兄さんは真面目だからね。でも、程々に留めた方がいいこともあるよ? 突き詰めすぎれば、何事も毒になりかねないさ」
「ルーアは時々、意味深なことを言うね」
「んー? 貴族連中ほどじゃないよ」
「例えが正確過ぎて、まったく笑えないんだが……」
裏庭を離れ、炊事場へと並んで向かう合間も風を切る微かな音と、刃を弾く音が重なりあう。
横目にそれを見ていた少女は、ひっそりと溜息を零した。
当人は意図せぬうちに、その視野を嫌が応にも広げられている。たった数日でも、目覚ましい成長を遂げていく彼。
一日目に、あの質問に返された答え。その時点でもう気付いてはいた。「運も実力の内、生と死は常に背中合わせ」が信条のあの人が、拾い上げるのはこれで三人目。
そう遠くない内に、きっと師匠は何らかの形で答えを出すだろう。
そして、それは『彼』もまた同じ。
「あと半月もすれば、ここ一帯も大分冷え込むようになる。とは言え、その頃にはヴァイ兄さんは副都へ戻っている頃だろうけどね」
「副都も王都に比べれば、朝夕の寒暖の差は辛いものがあるんだけど。……ただ、ここに来て大したことはないと気付けたな。辺境ではあと二月もすれば、雪も舞い始めるだろう?」
「辺境に秋は来ないと言われるくらい、雪は早々と積もってしまうからね。標高の高さと、元々の地形がここら一帯を辺境たらしめている訳だ。それが同時に、師匠が好んで住み着いた理由でもある」
「なるほど」
「納得したかい?」
そんな会話の合間も、彼らがその手を休めることはない。
炊事場に到着するや否や、山積みになったジャガイモと格闘を始めた。スルスルと慣れた手つきで皮を剥いていく両名。
仮にも公爵家の嫡男がこうして芋剥きを淡々と熟す様になるまでに、それ相応の苦難があったことは念のために付け加えておきたい。ただし、詳細については其々に黙して語らない。様々な意味で、血塗れのジャガイモなどに需要はないだろうと判断した結果だ。
初めの一週間を過ぎれば、辺境での毎日は比較的平穏でもあった。
時折、起床時間が奇跡的に重なる仮の師――ハイナスとの修練に明け暮れた日々。銀色の軌跡と共に在った、食糧調達と炊事洗濯その他諸々の経験(寧ろこちらがメイン……)。夜の闇に紛れて、命がけで刃を合わせた複数回(相手は言わずとも知れているな……)。
朝夕に、クルルが一鳴きずつして積み重なった日々は気が付けばあと『二日』を数えられるところまで過ぎていた。
「さて、そろそろ約束の期限が迫ってきた訳だけど……これまでの様子を見る限り、君も何かしらの答えは掴んだみたいだしね。今更、答え合わせもいらないだろう?」
朝食を済ませ、一日目と同じ岩間へ呼び出された彼。そこで仮の師であるハイナスと向き合った。
ざあざあと流れ落ちる水音を傍らに、その背を真っ直ぐに伸ばす。
その地特有の緑がかった靄に、籠るようにして紡がれる声。そこに初めての頃のようなたどたどしさはもう無かった。
「はい。今までの視野の狭さを再認識するいい機会を頂けたことに、心より感謝しています」
「ふふ、君のその生真面目な語り口。初めの頃は都の貴族どもを思わせるから、正直不快でもあったんだけどね……不思議と慣れるものだ。おかげさまで今は、割と平気になったよ」
「それは良かったです」
ふふ、と互いに笑みを交わしながらも張り詰めていく空気は――背筋を冷たくさせる何かに満ちていた。
すらりと互いがごく自然な様子で刃を抜き、風を切る。
呼吸が重なり、刃が擦れる。
大気が揺れ、水滴が舞う。
一連の流れ、その全てに背中合わせの『死』が色濃くあった。
これが『試し』であることに、彼は声を掛けられた時点で気付いていた。
それと同時。
暗黙の内に、それに頷かなければ平穏無事に都へ戻る道筋もまた用意されていることに気付いてもいた。――それでも、選んだのだ。確実に生き延びて戻る道筋ではない、もう一方を。
願った。それを掴み取るために今はもう、迷わない。一息で身を低め、迫る。
振り抜いた刃が、硬質な音と共に受け止められた。
互いに、薄い笑みを交わす。
「伊達に、今までルヴィの刃を躱してきたわけじゃあないね。もしかしたら、君は君が思っている以上に大きな器になり得る可能性を開花させたのかもしれない……だからこそ、今一度だけ聞くよ?」
「何をですか、師匠」
「僕の弟子として、生きる因果。それはけして軽いものにはならない。それでも、いいんだね?」
「――望むところです」
二拍分の沈黙は、擦れ合う刃の響きに置き換えられた。
刃には刃を。双眸には相貌を。そして、問い掛けには答えを。
仮初の師弟は、互いの答えを出し終えて微笑み合う。
「君も、大概だ。自ら修羅の道を選択するあたりは前の二人以上にね」
「年齢からすれば、あの二人は弟妹弟子になりますから。大抵の場合、上が無茶をして、身を張って下に教えるものです」
「はは、違いない」
どこか乾いた笑いを交わし合い、ようやくその腰に刃を収めた彼ら。
その背後から掛かった声に呆れが混じるのに、どこかで予期していた部分もあったのだろう。互いに驚く様子はなかった。
「はぁ、結局ヴァイ兄さんも毒されたね……いや、元々同じ穴の狢だったのが明らかになっただけか」
岩間の横の茂みから、がさがさと葉を退けつつ顔を見せるルーア。その背中に張り付くように、アルヴィンも姿を見せた。
「ルーア、心配はいらないよ。そう遠くない内に纏めて消しておくつもりだから」
「むしろお前が心配だよ。……はぁ。他人事のように言うけどな、ルヴィ。お前も同じ穴に足を突っ込んでいる自覚を持つべきだ。刃で分かり合う前に、人並みの会話を学んでおけ」
「ルーアと言葉を交わせるほかに、何かを望む必要があるの?」
「頭が痛いな。どうしてお前は俺が関わると思考が馬鹿になる。……まぁ、あれだ。ルヴィ、先んじてヴァイ兄さんから人間関係の重要性を学んだ方がいいんじゃないのか? 誰もが、子供のままではいられなくなる時が必ずやって来る。きっと役に立つ」
まさかのタイミングで水を向けられ、引き攣った笑みを隠し切れない。ポンポンと肩を叩かれ、少し視線を落とせば『正式』に師となったハイナスの労わるような笑み。
そこでようやく気付くのは、三人目として迎え入れられた少なからぬ意図だった。
「あれから学ぶ必然性、僕にはまるで感じられないけど? 心配しないで、ルーア。君を養っていく為に必要な知識については、身に着ける努力を惜しまないから」
「惜しまない気持ちがあるなら、先んじて周囲との関係性をどうにかしてくれ」
「……どうにか? とりあえず片付けてみる?」
「その思考回路からして、お前は紛れもない馬鹿だと断言できるな」
触れれば切れそうな弟弟子からの氷雪の如き眼差しと、疲れ切った色を隠さない妹弟子の双眸。
それを交互に身に受けて、小さく吐息を零した彼――ヴァイレット・スカイピアは自ら選び取った因果に、苦笑しながらも告げる。
仮初ではなく、同じ師を仰ぐひとりの弟子であると同時に――彼らの兄弟子として紡いだ第一声は。
「ひとまず、ナイフ投げの回数を減らしていくことから始めたらどう?」
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その時の一言をきっかけに、数年がかりで取り組むこととなった『対アルヴィン矯正計画』。結果は現状を見てもらえれば分かる通りだ。銀の煌めきこそ、今では殆ど見られなくなったものの――まるで状況に改善の兆しは見えてこない。
妹弟子であるカルーアが逃走の一路を選び、弟弟子であるアルヴィンがそれを追走し、満を持して海都で繰り広げられた両者の対峙。
それは、この大陸の歴史に名を残すに相応しい規模にまで発展した。
人は愛によって救われる一方で、愛が故に争う。まさにその具体例と言っていいだろう。
潮風を浴びながら、今は海原の先を見据える。
「出来るだけ国の介入を遅らせて……風聞の鎮静化にも努めるか。やることは、山積みだな」
兄弟子として、その背を見送れた幸運を噛み締めながらも。
時は、止まらない。果たして幾重にも絡まり合った命運が一体この先どこへ向かうのか。
叶うならば、最後まで見届けたい。そして、その先に待つものが彼女にとって幸福であればと。
――そう、願わずにはいられない。
「クルル、師匠を頼む」
「ウニャン」
そんなことは言われるまでもない。そう言わんばかりに頼もしい鳴声を返されて、苦笑を返すヴァイレット。
波打ち際を背に、これまで脱いでいた軍服を纏う。風ではためく灰色の髪と、その隙間から覗く抜身の刃の如き双眸。
そこには揺らがぬ決意が、見て取れた。
「さあ、正念場だ」
新たなる嵐の到来に向けて、その足は迷うことなく王都へと向けられる。




