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勇者の最愛はこの大陸に見切りを付けました  作者: 因果論
過去譚*零章*
25/51

*挿話 ハイナスの受難*

*



 (モス・)(フォルン)特有の、薄暗さを帯びた空気。

 幾年か振りにそれを吸い込みながら、男は森を見渡せる丘陵に一時佇んでいた。その身に纏う衣の色はこの大陸で禁忌とされる漆黒だ。

 しかし身に着けている当人の表情には、僅かの(おそ)れもない。

 男が海辺から歩き続けること約二日が経っていた。

 ようやく見えてきたのは一見したところ何の変哲もない小さな屋だ。一旦立ち止まって気配を探っているらしい。遠くに響く星烏(スライ・メア)の声に耳を澄ませるようにして、影絵のように立つ。

 周囲に広がる景色に、特別思うところはないのだろう。

 その横顔に、特筆すべき感情は浮かんでいないように見えた。それは傍目から見ても、違和感を覚えるほどの平坦さだ。異様と言い換えて差し支えない。ほぅ、と溜息を吐きだして漆黒の男は立ち止まっていた足を進める。

 その先に、(エスタ・)境界(イール)と呼ばれる村が夕霧に包まれてうっすらと見えていた。


「……うーん。何だか嫌な予感がする」

「ウニャ?」


 霧に包まれた村の一角、ささやかな菜園を有する小さな屋の中。

 パチパチと、爆ぜる音は薪だろう。

 赤々と燃える暖炉の傍らから、その屋の住人から発せられたと思しき呟きと同居猫の不審げな相槌が響く。

 彼らは太陽が沈む頃に起き出して、黙々と同じ作業に取り組んでいた。夕食の支度である。

 一人と一匹は、夕刻から空豆(セリーズ)のスジ取りに奮闘しているのであった。

 同居猫――クルルの器用さは、並の猫のそれではない。かなりの集中力でもって、ハイナス二人分の働きをこなしてみせるのだ。

 その最中の、唐突と言っていい呟き。

 三角の耳を(そばだ)てて、一般的なサイズに収まらぬ白猫クルルは間を空けずに響くノックの音に全身の毛を逆立てて低く唸った。その反応一つとっても、通常のことではない。そもそもクルルの聴覚をして、ここまで接近を感付かせなかった『モノ』が真っ当な存在である筈がない。


「……やれやれ、一体全体どこの誰だろうね」


 片手でクルルを(なだ)めつつ、スタスタと屋の扉へ歩み寄った彼――ハイナス・フレイヴァルツはその言葉とは裏腹、躊躇いなく錠を開けて「はいはい、どちらさま?」と言い差しながら訪問者を見上げる。

 そこで彼は、珍しく目を瞠った。

 まるで闇を懲り固めた様な、艶のある漆黒の衣。淡雪を糸に紡いだが如き白銀の髪。身も凍り付きそうな白皙の美貌――――下から順に辿って行った先で、見合う。

 男の双眸は、暮れなずむ空を思わせる色を湛えていた。それは男の佇む背後に広がる空と、ほぼ変わらない色彩。

 まるで記憶の底から掬い上げるようにして、ハイナスは無意識にその名を口にしていた。


「……クレイグ? まさかだけど、クレイグ・ヴェーリン?」

「久しいな、水牢のハイナス。……息災か?」


 信じられないとばかりに、未だに目を瞠ったままの家主――ハイナスとは対照的に男は淡々と問う。それに対するハイナスはと言えば、開いたり閉じたりしていた口をややあって漸く溜息に変える。

 それから、端的に告げた。


「うん、お蔭さまでね」

「何よりだ。今日は、他ならぬお前に頼みたい件があって訪ねさせてもらった」

「どんな用件?」

「子供だ」


 ぽんぽんと交わされていた会話中の、異物じみた二文字。

 事実、まじまじと見上げたハイナスの視線の先で男――クレイグはもう一度「子供だ」と繰り返した。

 共に戦場帰りである二人をして、到底馴染みのない言葉とも言えるそれにハイナスが絶句するのも無理はない。

 そもそも彼ら自身、さほど親しい仲とは言えない間柄なのだ。言うなれば、悪縁。

 この時点でハイナスの内心は、七割以上困惑の思いで占められている。


「……十数年ぶりに訪ねてきたと思えば、何。まさかと思うけど、子守の依頼なの? そもそも君、いつ結婚したの? 君に結婚できる甲斐性があるとは到底思えないんだけど……」

「世話自体、それほど手は掛からないだろうな。問題は、拾い主が自分だという一点だ」

「……君も揺るぎないな。ちっとも人の話を聞かないんだもの。ん、ちょっと待った。……拾い主って言った?」

「海辺に流れ着いた。おそらく旧大陸から流されたのだろう。これだ」

「これだ、って……えー」


 ばさり、と覆いが外れるようにして漆黒の衣が翻った――その中から現れたのは、この辺りでは珍しい瑪瑙色(アガット)の髪をした子供だ。

 暖炉の明かりに、閉じていた双眸はゆっくりと開いてパチパチと瞬きをする。

 灯る色彩は翡翠。子供らしからぬ、どこか憂いの混じったそれが真っ直ぐにハイナスの双眸と見合った。


「……戦災孤児?」

「海辺で拾った。おそらくそれはない」


 静寂の中には、二人の男と一人の子供。そして欠伸混じりの白猫。

 暖炉の薪が爆ぜる音だけが、完全な沈黙に沈むのを辛うじて防いでいる。そんな状況で。


 ポツリと。


「お腹がすきました」


 非常に端的かつ、これ以上無いほどに真っ直ぐな眼差しで見据える先には。

 暖炉の明かりに照らされた、つやつやとした空豆の山があった。

 くぅ、と物悲しい音も相まって、夕食の時刻が早まることとなったのは言うまでもない。



「ウニャ、ニャ」

「ねこ、ねこ。大きいねこさん。付け合わせのポテトもたべますか?」

「ウニャ」


 暖炉脇、いつしか意気投合した一人と一匹のやり取り。テーブルを挟んで、それを見つめる男が二人いた。

 視線の先のほのぼのとした情景とは対照的に、こちらは淡々とした遣り取りを継続している。

 いつしか彼らの前に置かれているスープは冷製となっていたものの――これは時間の経過による――それでも美味しいのが、空豆の力だ。

 ずずず、と冷めたスープを啜りながらハイナスは溜息を隠さない。


「それで? どうして僕なのさ」


 その問い掛けは、当然と言っていい。

 なぜならば、ハイナス当人が戦場を離れて久しいばかりか……まして目の前にいるその男とは、過去にも数度会話を交わした程度の仲である。

 旧知と、そう言い表すことにさえ首を捻りたくなるような深みも何もない関係性だ。

 それにも拘らず、こうして連絡一つ寄越さずの直接訪問。それだけに終わらず、依頼同然に『子供』の世話を頼まれたとあっては疑問の一つも浮かぶだろう。いや、浮かばなかったらどうかしている。これは極めて一般的な感覚だ。

 ――――だがしかし、ハイナスはまだこの男を測り切れていなかったと言わざるを得ない。事実、返ってきた言葉がそれを明示していた。


「……分からん」

「分からん?! ……呆れたなぁ、全く。君ってば色々考えてそうな顔して全く考えていないんだねぇ」


 僕は改めてその辺りを認識したよ、と。

 ぼそりとそう付け足したハイナスへ、どこか静けさに満ちた双眸が向けられる。相も変わらず、空虚さを纏う色彩である。ハイナスほどの武芸者であればこそ、動じることなどまるで無いが。それ以外にとっては畏怖を抱かせる程度の魔圧を存分に孕んでいる。

 男は暫く何事か考えを巡らせたらしく、言葉は少しの間を置いて返ってきた。


「……否定はしない。考えるのをやめてから、随分長い年月を戦場で過ごした」

「君ってば、僕以上に周囲に気を遣わない筆頭だったものねぇ。戦狂(ヘル・イーター)い、という呼称もある意味では核心を突いていたという訳だ」

「ああ」


 まるで人形じみた肯定をする漆黒の男に対し、何度目になるか分からない溜息が返される。


「うん、まぁいいよ。理由を聞くのは諦める。これ以上突き詰めたところで、どうせ帰って来る答えに期待は持てそうにないしねぇ……。ただし、一つだけはっきりさせておこうか」

「……?」

「君の頼みを聞くことで、僕が得られるメリットは何?」

「……特にないと思うが」

「へぇ……」


 それでどうして、断られるとも思わずに突然の来訪に踏み切ったのか。


「頭痛い……僕自身もはたして智略家とは到底言い難いけれど、それにしたってこれは……」

「戦場で出逢った人間の中で、お前が一番適任だと判断した」

「その根拠のない自信は一体何処から来てるのさ?」

「自分の目をまともに見返せたのは、過去にも数人だけだ。その中で、今も存命しているのはお前只一人。端から選択肢は、限られていた」


 ぴくり、と告げられた言葉に反応したハイナス。

 その双眸に、普段は見えない色が入り混じった。そのまま低めた声で、短く問う。


「それが、理由?」

「これはおそらく自分と同じ『モノ』だ。だからこそ、成長しきるまでは強い庇護が必要になる」


 これ、で指を指された少女は大きく目を瞬いた。豆を頬張ったまま、フォークを片手に微かに首を傾げる。

 サラサラと音を立てそうな瑪瑙色の髪に、先ほどから白猫クルルがじゃれていた。


「三色の一つ、紫炎(モーヴ)だ」

「君、あの噂が事実だったと、この場で認めるつもりなの?」

「端から隠す気などない。周囲が問えば、それには是と答えただろう」

「……頭痛い。うわぁ……寄りにもよって隠居した人間に持ち込むような話では無いからね、それ」


 自覚ある?

 そう問いかけたハイナスに対し、肝心の元凶は何やらピンと来ない様子で首を傾げた。


「俗世の者に伝えれば、無用な混乱を招くだけだと思うが」

「正論はいい。正論なんて、いつだって人を救いはしないんだから。――それで? 『黒炎』の君が僕に依頼するのはつまり『紫炎』が独り立ちするまで見守れと、そういう話なの?」

「そういう話だ」

「帰って」


 ばっさりと切り捨てたハイナスである。

 それもその筈。面倒事は御免です。それが彼のモットーと言って差し支えないのだった。

 しかし、そんな彼の前で漆黒は明確な拒絶を受けて尚も涼しげな――否、正確には特別驚いた様子も見せない。

 それがむしろ、恐ろしく思えてくるハイナス。

 実際、その勘は間違っていないのだった。


「では、後のことは任せる」

「意思疎通が出来てない!!」


 滅多なことでは声を荒げないハイナスであったが、あまりに一方的な展開に思わず椅子を立っていた。

 しかし往々にして、後悔は先には立たないものであり。

 既に事象は進み――――薄れた漆黒と、残されたのは書置きが一片。そして、少女。


「……やりやがった。うわぁ、完全に油断したんだけど。僕は阿呆か、そうなんだね。うん、阿呆でした……ああ、扉を開ける前からやり直したい!!」


 テーブルに飲みかけのスープ皿ごと突っ伏したハイナスに、気遣わしげな声が一つ掛けられる。


「……家主さん、大丈夫ですか?」

「ウニャア?」


 白猫クルルの半分ほどの背丈しかない、そんな少女が自分を気遣っている。

 じっとその目を見詰め、告げられた言葉を反芻する。


『三色の一つ、紫炎だ』


 ――――こうしてみれば、普通の女の子にしか見えないんだけどねぇ。

 そんな内心の声はさておき、ハイナスは突然の訪問劇の末に半ば無理やり押し付けられた形の『養い子』を見詰めていた。

 あらためて、まじまじと。その双眸に普段の淡さはなく、酷薄と言っていい色さえ滲んでいる。

 それにも拘らず、少女はあの男と同じように目を逸らさなかった。


「……クレイグの言った話をそのまま鵜呑みにするわけじゃないけど、でも……やはり君は普通じゃあないらしい」

「……?」


 首を傾げるばかりの少女に、いくらかの苦笑を滲ませてハイナスは告げる。


「君の名は?」

「なまえ……?」


 ことば自体の意味は分かっているらしいのだが、どうやら今に至るまで固有名詞で呼ばれたことすらもなかったらしい。その辺りを、うーんと首を捻るばかりの少女の様子で察したハイナス。

 何度目になるのかすら分からなくなった溜息を零すと共に、幾つか小さく口の中で呟いてから一番しっくり来たものを提言する。


「うん、何となく察したよ。ではね、ここにいる間の仮の呼び名として『駒鳥(カルーア)』と呼ばせてもらっても構わないかい?」

「……カルーア。わたしの、なまえ?」

「うん、君の呼び名。ただし、あくまでも仮名だからね。正式なものを付ける合間の、便宜的なものだと考えてもらえばいいさ」

「べんぎてき……?」

「まぁ、そこは深く考えなくてもいいよ」


 やはりと言うか、何というか。

 暫く首を傾げるようにしていた少女であったが、小さく頷いた後に一言一言を確かめるようにしながら感謝の気持ちを言い紡いだ。


「……なまえ、とてもうれしい。ありがとうございます」


 柔らかな風合いの少女は、そう言って顔を和ませる。――それにはどこかしら、儚い印象が強く纏わりつく。

 風前の灯火を思わせるそれだ。辛うじて命を繋いでいるような、そんな印象。目の前の少女を通してハイナスは感じ取っていた。その危うさに早々に気付きながら、その時のハイナスはまだ『三色』に纏わる諸々。……その難儀さについて見縊っていたと言わざるを得ない。

 そう、まだ知らずにいられたのだ。少なくともその時までは。

 紙片に残されていた『二月後』の伝言を横目に、安穏とした心地でいられたのも理由の一つだろう。


『紫炎』と呼ばれた少女は、かつて『軍神』と呼ばれた男の下、こうして名を得ることとなる。その数奇な巡り合わせが、『黒炎』――クレイグの思うところに依るものかは何とも言いようがないが。

 元より「考えることをとうに止めた」と零していた男の導き。それに端を発している以上、今となっては確かめる術がない。

 それはさておき。

 ハイナスと白描、そして少女の三人だけの平穏な暮らしは始まった。

 それは(つつが)なく始まり――――その期間は、およそ半年ほどに渡って続くこととなる。

 名を得たことで、同時に自我を得たかの如く。苗木のようにすくすくと成長を始めた少女。その順応性には幼子ながら、目を瞠るものがあった。

 周囲のあらゆるものに興味を示し、その一つ一つをハイナスへ問うてくる。若干及び腰でいたハイナスに臆することもない。

 その翡翠色の瞳と小さな耳で、知覚し得る限りの多くを見聞きする。そして覚える。実践する。

 真綿が水を吸い込むようにして生活に必要な知識を身に着けるまでにそう長くは掛からなかった。


「知識欲というのは、これ程までに凄まじいものだったんだねぇ……」と。ハイナスが思わずそう零すほどの見事な貪欲さをして、少女は一人と一匹の生活の中へ馴染んでいったのである。


 霧に包まれた最果ての村で、少女は束の間の安らぎと充足感を得ることとなった。

 きっと、おそらく。もう二度とは得られないであろう平穏で、安息に満ちた、人としての暮らし。

 それは半年後の、その日。あの運命の刻限まで確かに続いていた。

 今となっては取り戻せないモノになってしまったが、それは確かに少女の中に在ったのだ。

 少女が『わたし』でいられたまでの、儚くも鮮やかなかけがえのない日々――――その終わり。


 それは雲一つない澄み切った青空の下で、無残にも、一つの慈悲も残さずに、儚く。

 そう、散ったのだ。

 粉々に砕け散り、そしてもう二度と戻ることはない。


 黒炎が死んだ。

 そして二つの刃を手にした少女が、再び扉を叩いたその時に。

 それは雨の降り頻る、夕刻。

 今もなお、はっきりと脳裏を過る。


「もう、かの人は還らない」


 そう言って、少女が涙を零したあの時に。

 大陸は一つの色を喪い、残された二色を巡る因果が――――そうして幕を開けたのだ。


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