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少女は月下の海都で、最凶と対峙する 中盤 *挿話 大水鳥より*

 *


 最悪のタイミングで、考え得る限り最悪の相性の二人が対峙した場合にまず言えること。

 先んじて纏めておこう。それは、周囲への影響が避けられないことに尽きる。ほぼ間違いなく、否応なしに巻き込まれるからね。根拠? そこはあれだよ。『経験則』としか言えない。

 ――――往々にして。厄介事は、忘れていた頃にやって来るものだからね。



 滑空から、旋回へ切り替わった二頭の飛竜たち。その背中から互いに目線を交わして微かに頷き合うのは、巻き込まれる側の二人。互いの心境は推して知るべし。

 稀少な堅実派、ユギ青年。葡萄色の頭を抱える姿勢も堂に入ったもの。この後に繰り広げられるであろう凄惨に関して早々に諦めを抱いているのだろうね。

 それはきっと、正しい読みだ。どれほど否定したくとも、理性はそれに首を振る。


「……鎚矛(メイス)、ね。軍人? 名前すら知らないけど、死んでも構わないってことでいいの?」

「あはは。いい具合にぶっ飛んでるなぁ。僕も相当だけど、聖炎の勇者殿はそれ以上らしいね」

「うん、分かった。とりあえず殺す」

「んー? 何が分かったのか、出来たら先に教えてほしいなぁ……。それにね、とりあえずで殺されるのは勘弁願いたいよ」


 ね、聞いているだけでも具合が悪くなるだろう? 実際、ユギ青年は既に遠方を見詰めているよ。

 この二人の周りだけ、一気に空気を入れ換えたい。換気したい。出来ることならそうしたい。そう思い至るのも、自然の摂理だ。

 そもそもね。

 これ以上に最悪の対面風景、作ろうと思って作れるものでも無いだろうな……うん。


 少女のそんな内心を余所に、切って落とされることとなった戦闘狂二人による戦いの火蓋。

 遥か眼下に地上を見下ろしながら、どうしてそこまで熱くなれるのかは永遠の謎だ。戦闘狂の心理はきっと自分には永遠に解せない。

 その対面風景にもう一点、付け足しておこう。ヒルトの足場にされた二頭の飛竜たちだ。彼らは遠目に見ても、あからさまに迷惑そうな面持ちでいる。うん、その気持ちは痛いほどに分かるな。


「……このままだと収拾がつかなくなるかも知れない」

「いや、いくらヒルトが『悪鬼』として名を馳せているといっても相手が相手だ……」


 うん、まぁね。無謀と当人が言っていた通り、このままだと一方的な殺戮にも発展しかねない。

 あれは規格外だ。紛うことなき大陸の頂点。そこは否定しない。事実から目を逸らしていても仕方がないからね。無駄な時間は省くに限る。実例は目の前にあるのだから。『風』の魔力を極限まで高め、あの師匠でさえ長時間は無理だと明言していた『飛翔』の魔法式を延々と維持できる程の非現実的強者だよ。

 挙げようと思えば、両手の指では収まらない。具体例など一つで十分だ。

 それを踏まえた上で、補足しておく。

 ヒルトも魔力云々を除けば、五分の戦いも不可能ではない実力の持ち主だ。そこは実際に戦ったことのある相手だから、六割くらいの自信を持って明言できる。低いって? うん、そこは仕方ない。一般枠の思考の持ち主ならともかく、生粋の戦闘狂たちの考えることは実際のところ読み切れないよ。


「ちなみに、本当に骨を拾う気はある?」

「……その発言は全く洒落にならない。切実に空気を読んでくれ」

「うーん、でもねぇ。今までの経験上、骨よりも灰になる確率のほうが……」

「この流れで具体例か?!」


 ああ、良識があるって素晴らしいな。

 しみじみとそんな感慨に更ける少女の視線の先で、ヒルトの奮う鎚矛が甲高い音を響かせ続けている。奮闘している様子だ。有り余る魔力格差を、その戦闘センスによって補おうとする姿勢。加えて戦場における人並み外れた勘の良さをして、二つ名を得るまでに至ったのだろう。


 それでも、越えられない壁の高さはある。


 残酷なほどに、躊躇わない。

 その潔さをして、まさに冷血と呼ぶに相応しい。

 白の焔を無数に練り上げ、精緻な唱で淡々と作り上げたのは――(フレイム)(・トーチ)だ。その響きだけでも十分に伝わるところではあると思うけどね、うん。実際この魔法式はえげつない。


「開始早々から、えげつないねぇ」


 いつの間にやら、観衆が増えているのはよくある事。心の声が被るのも(たま)にはあることだ。それはそれで構わない。

 ただし、その観衆が舞台に飛び込んでいくとなれば、その先に待つのはただ混沌のみ。そこは断言できる。ましてそれが、第三の戦闘狂であった場合は余計にだよ。


「師匠……」

「頭痛が止まない……」

「ここは潔く、観衆に回りましょう?」


 合流してきたマスターを含め、三人が上空を仰ぐ。

 真白の焔が夜陰を裂くようにして飛び交い、上空の水分を凝集し凍結させた氷塊――もとい『氷殺(コールド)(・デス)』が降り注ぎ、鎌鼬の如く唸りをあげる鎚矛の銀の軌跡がそれらと交差する。

 そんな悪夢じみた、上空戦。月下の攻防。

 灰白色の翼の上で、なし崩し的に観衆化した。

 三者の戦いを三者が見上げる。

 暫くの間は言葉も失ったまま、その視線の先に戦いの行方を追うばかりになった。改めて言うようなことでもないが、大陸においてはそれなりの名を冠する面々だ。その多岐にわたる戦闘技術に加え、状況に即した魔法式を瞬時に選び取る判断力、複数で戦う上での俯瞰的な視点、ここぞという時の度胸、どれを取っても文句の付けようがない。――それにも拘らず。

 それでも、届かない。

 そんな彼らをしても、掠めることすら儘ならない。

 徐々に、繰り広げられる攻防に凄惨さが混じり始めた。予め想定されていた通り、それはいつしか血で血を洗う応酬へと変化していく。

 最早、言うまでもない。ここで流されている血。これは白の焔を全身に纏わせながら、表情を欠片も変えずにいるあれ以外の二人――師匠とヒルトの身体から流れ落ちてくるそれだ。

 軍務において、凄惨な光景を見慣れていると言っていいユギ青年が思わず顔を背けるほどの残酷。

 過去に冒険業を営んでいたマスターが青ざめたまま、「何よこれ……一方的すぎるわ」と呟くほどの不条理。

 そんな両者を傍らに、俯いたままでいた少女の髪に滴り落ちるのは真紅の雨滴。

 そこに、救いは欠片も見えない。

 見出せるだけの、無知さ。それは彼らにとって無縁であったからだ。


 辛うじて保たれていた均衡が崩れる刻限は、時に呆気ないほど早々に訪れる。

 見上げれば、明らかだ。明らかな変貌を遂げていく、膨大な魔力の中心。真白の焔を纏い、冷然とした表情を崩さない大陸最強にして最凶の、その所以。その掌に集束してゆく酷薄の焔は、まさに無慈悲の三文字が相応しい。

 見えないだけで、上空の魔力は地上へも波及していく。感知できる出来ないに拘らず、人々は言葉にならない畏怖を胸に空を仰いでいる筈だ。

 戦いに身を投じている二人を除けば、それを直に感じ取ることになったマスターとユギ青年。その二人の顔色はもはや尋常ではない。

 目前に迫るのは、未だかつて感じた覚えのない、遥かに膨大な、もはや思考すら塗りつぶされるような圧倒的な魔圧だ。

 声すら、言葉にすら、ならない。


 けれども。


「――――マスター、それからユギ。君らはこの機に乗じて、地上へ退避してくれ」


 まるで、別世界に在るかのように静かな面持ちでそれを見上げる少女が一人。

 紡がれる声はどこまでも冷静で、揺るぎない。

 呆けた様な表情を隠せずにいる二人を順に見遣り、次いで躊躇うことなく上空に残っていた四頭の飛竜――その内の一頭と目を合わせて告げる。


 ――――二人を、地上へ。


『その命、心得た』


 小さく手を振った少女に、二人が反応を示す間もない。

 飛竜に掴み上げられた彼らは凄まじい速度で地上へ向けて滑空を始めていた。

 我に返ったマスターの制止の声と、ユギ青年の絶叫が地上へ吸い込まれるようにして遠ざかる。

 それを見送った少女は、微かに安堵のため息を漏らす。

 叶うことなら、あの二人は無傷で地上へ送り届けたいと思っていた。


 先刻まで上空に犇くようにして飛び交っていた飛竜たちも、その異常な魔圧を前にして多くが下降を始めている。賢明な判断が出来る飛竜たちで嬉しい。例外はヒルトと師匠それぞれが乗り合わせている二頭と、今も少女と共に上空に残る一頭だけだ。

 ちなみにその一頭。共に旅立った、あの灰白色の飛竜である。


 ――――本心を言うなら、君も巻き込みたくなかったんだけどね。


『旅の翼、誓約した』


 やはり、どこまでも頑固だった。呆れと諦めを混じらせて、これには少女も笑う他ない。飛竜族は他種族の中でも比類なき、誠実さも併せ持つ種族だと。いつであったか教えられた言葉が過る。

 会話を交わし、それを確かめた少女はもう何も言わないことに決めた。

 上空に残ることを選択した時点で、あとはもう、真上のあれと対峙する他に道は残されていない。


「カルの最高密度の結界をしても、五つの山肌を焼失させた『始原(イノセント)火炎(・エーダ)』。あれが地上へ放たれたら、海都も含めて、ここら一帯の壊滅は免れないな……」


 おそらく、魔王と対峙した際にもあの純度の火炎は放つまでに至らなかった。魔境一帯が壊滅的被害を被ったという報せが届いていない以上、そこは確信を持って言える。それを踏まえた、現状だ。

 あれが抱いている苛立ちも、憎悪も、その奥にある感情も含めて思い至るすべてに眩暈がした。それと同時にもう逃避の刻限は終わりを告げたのだと――否が応なく、察しもする。


「……はぁ。仕方ないと言えば、そうなんだろうなぁ」


 ……でも、本心は勿論真逆だ。 抜かずに済んだならその方がもっと良い。それに越したことはない。

 でも本心は言葉にせず、内心に留めるに限るからね。


 苦笑を混じらせながら、呼吸を整えた。限りなく、静謐な――全てを呑み込む真白の視界の中で、少女は決める。

 一息だ。大きく息を吸い込んだ後は、双眸に揺れていた迷いも消える。

 その手に抜き放つのは、二振りの刃。

 二色の刀身を、頭上の焔に透かし見る。


「貴方との誓いも、ここで終わるらしいよ」


 それが誰に手向けられた言葉なのか、少女を除いてその場にいる者は誰も知らない。

 静かなその呟きと。響くのはただ、刃の擦れる音だけだ。

 緋の刃と、青の刃――――その二つが、少女の視界で重なり合う。

 燃え立つような歓喜は掌を通して伝わってくる。それに、ため息すら零して。


 少女は囁いた。


()いて――――『紫炎(モーヴ)』」


 まるでそれに呼応するように、重ねられた刀身が混ざり合い、溶け合う。

 見る見るうちに色彩が、変化し――――現れたのは一振りの刃だった。

 その色彩はたえず移ろい、揺蕩い、定まらず。

 けれどもその刃、その芯だけは異なる。目に焼き付く様に鮮鋭な。それは見るものを魅入らせる深紫だ。

 まるで焔が宿るように刃の中で脈打つそれに大気が震え、波紋を打っていた。



 少女が囁いた直後、放たれた真白の火炎。

 それはまさしく絶望の焔だ。灰すらも残さず、行く手にある全てを無に帰す力を秘めている。

 それは血に塗れ、満身創痍となったヒルトとハイナスを直撃して地上へと落下する軌跡を描くために創りだされた。

 その絶望的な行方は、既に定められたものだ。


 ヒルトはもはや身動きすらできず、二頭の飛竜の背にうつ伏せに倒れている。ここに至っても、背中の『荷』を放り出して地上へ下降しなかった二頭。その双翼を広げ、真白の火炎を見据えたまま上空に留まっていた。

 一方のハイナスは両腕と片足を潰され、見るも悲惨な状態だ。しかしヒルトと比べ、まだ意識も片足も機能している。灰白色の双翼に辛うじて掴まり、最後の足掻きとばかりに魔法式を展開しようとしていた。

 どちらに転ぼうと、『始原(イノセント)火炎(・エーダ)』が直撃して生きていられる道理は存在しない。だからこそ地上への被害を少しでも抑えようと思考を切り替え、魔法式を半ばまで唱えていた最中。

 それは最後まで紡がれずに、途絶えた。

 背筋を走り抜けた既知感が、ハイナスの唱を半ばで手折ったのだ。

 背後から放たれたもう一つの魔圧。それに気付き、反射的に振り返ったその先――真白の視界へその手を伸ばし掛け――だが、それは届くことはない。


 深紫の刃とそれを真白の火炎に翳している愛弟子の姿。そしてその頬を伝う、一滴。

 その全てが、意識の消失と同時に真白に染め上げられた。



 その、一振りの刀が震えるまでは。

 少女の囁きが、響くまでは。

 定めは、その真白の軌跡と共にあった。

 しかし、それは紫の波紋によって歪められ――――その全てが、放たれた方角に向けて放出される。

 真白の焔を放った、その当人に火炎(エーダ)がその牙を剥いた。

 彼の耳に、待ち望んでやまない『少女』の静けさに満ちた声が届く。


「前にも伝えたはずだ、アルヴィン。――――大きすぎる力は、往々にして何も生み出さない」


 自らが放った火炎を、相殺するために紡ぎかけた唱。しかしそれは半ばで途絶える。

 その口許に、微かな笑みが混じった。

 相殺するための大気中の水分は既に――先の戦闘で師が凝集させた後だ。ここ一帯に、相殺に用いることが出来る『水』は現時点で残っていない。

 それに気付いた時、彼が選んだのは腕を広げて火炎に身を委ねる選択だった。それはさながら自らを火刑に処すように。目を閉じ、自らに繋がる全ての魔力を切り離す。


「ルーア、君に殺されるなら――それはそれで構わない。君と共に在れない未来に、興味はないから」

「……何度も言わせないでもらえるか」


 それは一呼吸分。誰よりも、何よりも、愛おしい少女。その呆れた様な呟き。

 それを幸福感と共に受け入れる。


「重いよ、――ルヴィ」


 全ての魔力を切り離し、開かれた双眸に宿るのは(マロウ)の一色。

 懐かしそうに微笑んだ一瞬と、続いて落ちるのは――――胸を突く遠慮のない回し蹴りだ。


 目も眩むほどの真白の火炎は天空を焼き尽くし、海上へ落下する影は一つ。

 灰白色の両翼に支えられた少女は、未だ明けぬ夜を見上げて溜息を零した。


「……明けない夜はない、か。信用ならないね、全く」


 眼下から水煙が上がり、海面に映る月がユラユラと揺れて形を失う。

 長い長い夜の半ばにして、過去の因果との邂逅の最中。

 まだ、安寧には程遠い。



 *


「それにしても、派手ねぇ……」

「「主様、特製チャイ・ティーをお持ちしました」」


 広大な緑の花園を眼下に、屋上で夜の茶会に興じる面々。

 さながら夜空に花開く華炎(アズ・フレイ)を観覧するが如く。その戦火を見上げて動揺するどころか、安穏とした姿勢をほとんど崩さない。

 甘く煮出した(ミル)(・ティー)へ、独自にブレンドした香辛料を無造作に足していく店主。その華奢な指先は加減というものを知らない。スプーンでクルクルと渦を巻くようにかき混ぜながら、七杯目で満足がいったのか。

 ようやくかき混ぜるのをやめて、優雅に口許へ運ぶ。

 甘さよりも、周囲に立ち込める香りからして香辛料が風味の大半を占めていることは明らかだ。

 だがしかし、店側の人間は誰一人としてそれに突っ込むことはない。

 例外は、この場において只一人だ。


「おい、いきなり呼び出しを受けたと思えば何の騒ぎだ」


 あれは、と顎をしゃくる様にして上を示す『彼』に店主――蒼褪(セレ)めた双翼(ディア)は薄らと微笑む。

 この場において店側ではない唯一こと、呼び出された青年はその微笑みを見て溜息を隠さない。それなりに長い付き合い(無論これは私的なものでは無く、仕事上のだ)をしてきた彼からすれば、それが『今は説明をする段階にあらず』という意味にあたることを知っているからだった。

 実際、店主は説明しない。


「ふふ、相変わらず目つきは悪いのねぇ。でも顔に見合わず律儀なところは、信頼しているのよぉ? だから今回は、あなたに依頼しようと思ってねぇ」

「その間延びした話し方は如何にかならねぇのか……。毎度のことながら、地味に苛立ちを覚えてならないんだが」

「「そこは慣れて頂くほかありません、メルバ様」」

「言っとくが、お前らのそれも俺はあまり好きじゃない」


 端からタイミングを図っていたように差し挟まれてくる双子たちの声すらも、ばっさりと言い捨てる『彼』ことメルバ・シレーディング。野性的な美しさを持つ青年だ。どこか貴族然とした雰囲気を纏いつつも、その双眸は油断のないそれである。身に着けている衣服は大陸では滅多に見られない翡翠鳥(メル・スィア)の羽毛織。腰には磨がれた無数の短刀(コーダ)。鍛え抜かれた鋼の如き肢体は、見事としか言いようがない。

 そんな彼と数年ぶりに対面した双子たちは、向けられた苦言に苦笑で返した。


「あんまりうちの子たちを苛めないでやって頂戴ねぇ? ――あなたが知ってる通り、その子たちは見た目よりもずっと繊細なところがあるのよぉ……」

「そんなことは言われずとも知ってる」

「うふふ、怒らない怒らない。ね、そろそろ堪忍袋の緒が切れるのは分かっているわぁ。本当はもう少しほのぼのお話していたかったけれど、あなたも忙しいものねぇ?」

「分かっているなら、さっさと本題に入れ」

「冷たいわぁ……シクシク」

「「主様、そろそろ焦らすのはお止めになった方が宜しいかと」」


 通常運転の店の主に対し、青筋を隠すのも限界に近付いている青年の内心を汲んだギリギリのタイミングでのフォローであった。


 そんな双子たちの声が響くのとほぼ同時、頭上から大気を伝って地上へ齎された変化。それまでは穏やかと称しても過言でなかった屋上においてもそれは例外ではなく。

 ――空を揃って仰いだ双子たちの双眸が、緊張を帯びて眇められる。その横で鋭い眼光を隠しもしない青年が微かに舌打ちを漏らす。それらを順繰りに見遣った店主は、小さくふうっ、と息を吐いて席を立った。

 カチリ、とソーサとカップが触れあって立てた音が耳朶を打つ。


「メルバ。貴方に頼みたい『積荷』が一つあります」


 普段の間延びした口調は鳴りを潜め、落ち着いた声が屋上に響いた。夜の闇の中でも、ざわざわと葉と花を薙ぐ風の音。そうして満ちる薫りの中。それに紛れることなく、凛とした響きを伴う。

 薦められた乳茶に端から手も付けず、立ったまま会話を交わしていた青年の灰薔薇(オールド・ローゼ)の髪が夜風に舞い上がり、鋭い双眸が露わになった。

 言葉を交わす前から、目と目で。互いに思うところが伝わるのは彼らだからだろう。

 毒にも近い、純度の美貌は夜の闇でも損なわれるどころか、むしろその艶を増している。それを真正面から見つめて正気を保っていられる『彼』が異常なのだ。


「まさか、あの上の騒動に関わりのあるもんじゃねえだろうな?」

「変わらずに勘が良くて、素敵よ。メルバ」

「――――おい、冗談じゃねえぞ。どんな事情があるかは知らねぇが、見るからに面倒しかない『荷』を引き受けるほど善人になった覚えはない」


 言い切るや、身を翻そうとした彼の背に掛かる声。それは決して大きくはない。だが、決して抗いようがない何かを秘めた美声だ。


「善人云々は関係ないわ。これは依頼よ、メルバ」


 決して振り返ってはならないと、彼の本能が告げていた。けれども、今回もまた例外なく。はっきり言ってしまえば、その本能を上回る感情が優先されただけだ。

 ――――彼は進めていた足を止め、横顔だけで振り返って問う。そこには微かに自虐めいた色も混じっていた。


「依頼、か。貸しを返せと言えばそれで済む話だろうが?」

「あら、貴方に貸していたモノがあったなんて初耳よ。ふふ、具体的には、どんな『貸し』だったかしら?」

「…………」

「あら、今度は私が苛めすぎてしまったかしらね?」


 成程、これがいわゆる悪魔的笑みの一種だと思い至る。その諦観に染まった思考に、追い打ちをかけるように双子たちの二重奏が響いた。


「「主様……あまりにも残酷に過ぎます」」

「あら、あら。それは意外な評価だわぁ。そもそも、私は善人ではないのだもの。ねぇ?」


 ねぇ、じゃない。ねぇ、じゃ。そもそもいったい誰に同意を求めている。

 普段の調子に戻りつつある美貌の店主に、内心で毒づく彼ではあったが。

 最終的には疲れ切った様子で空を仰ぎ、尋常でない魔圧をその頬に感じ取りながらも。長々とため息を零した。


「――――出立は明朝、二つ音だ。目印は青地に藤黄(ボージ)(・イーグル)。『積荷』本人への伝言はそっちで済ませろ」


 一刻でも遅れれば、例え『依頼』だろうと置いていく。

 そう言い置き、今度こそ身を翻した彼は『大水鳥(グラン・ペリカム)』を後にした。その背を見送った双子たちと、微笑みを浮かべた店主の三人。

 再び席についた店主へ、無言で一礼した双子たち。

 徐に魔法式を展開し、蔦を足場に上空へと駆け上がっていく。

――言うまでもない。少女へ伝言を伝えに向かったのだ。


「ふふ、私に出来る助力はここまでかしらねぇ。……ルーアちゃん、あとは貴女次第よ」


 柔らかな微笑の中にも、どこか悼むような色を混じらせて『大水鳥』の店主は欠けることのない月を仰ぐ。

 彼女が、自ら称した通り。その本質に、善の部分は殆ど含まれていないと言っていい。とは言え、悪かと言えばそれもそうとは言い切れない。――中庸とは、言い得てして妙。

 彼女はつり合いのとれる事象にしか、自ら動くことはない。良心と呼ぶべきそれも、他者を気に掛けるための思慮も、優しさを起因とするすべてをこの店を継いだその日から喪い続けてきた彼女だ。

 それは、今も変わらない不問律。

 表向きは『魔具商』として看板を掲げてはいるものの、その実は『情報の集積場』として対価の代わりに求められた情報を売る。どのような身分にも、武力にも膝を付かずただ等しい対価だけに基づいてのみ、その門戸を開く――――それが『大水鳥』の本来の姿だ。


「でもね、ルーアちゃん。わたしは貴女の見方で在り続けられることを願ってやまないわ」


 貴女の思い、貴方の本当の願いを聞いて――――柄にもなく、懐かしくなってしまったの。

 だから、願わくば貴女がこの大陸を無事に出立できるように。

『今』の自分ならまだ、助力を惜しまずにいられるから。

 どうか、愚かな王家が出張ってくる前に。

 貴女から得た『対価』の開示を求められる、その前に。

 ――逃げ延びて。それが、蒼褪めた双翼としての私ではない、ただの私が願うことだから。


 言葉にならない呟きは全て、その胸の内に籠る。

 取り出されることはないまま、いずれは朽ち果てていく。

 それが彼女が、自身に科した制約の結果だ。


 合間にも周囲に満ちていく、不穏。焼き尽くされる海都の情景は、もはや目前まで来ていた。

 けれども彼女は、知っている。そう――まるでそれに相反するように、異なる波紋。その存在を。

 ふわり、と魔圧が天空を焼き尽くした刹那。

 真白の焔に照らし出された美しい顔に、一筋の雫が伝う。吹き付ける熱波に、花々が荒々しく揺れて。

 次いで耳に届くのは、海が分かたれるような盛大な水音だ。

 蒸発によって生じた霧が、水路に乗って海都一帯に立ち込める。

 それはさながら、天地を分かつ創世の動乱を目の当たりにしているが如く。


 流石に呆気にとられた様子の店主の視線の先で、月明かりを透かすように大気を染め上げる深紫の波動。

 それを傍らにしている少女のことを思い、ほんの僅かに嘆息する。


「……それにしても、派手ねぇ。ルーアちゃん?」


 秘めやかに浮かぶ微笑みと、広がっていく畏怖。それに加えて確かな、安堵。

 話では聞いていたけれど、やっぱり聞くのと見るのとじゃ大きな違いがあるものだわ……。

 この分なら、わたしが心配しているようなことは起こり得ないかもしれない。

 何故? ううん、それはね。要するに、の一言で済むわ。


「揃いも揃って、規格外にも程度があるわよぉ……?」


 ――――そんな美貌の店主の視線の先で、まだまだ夜が明ける兆しは見えない。


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