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*挿話 潮騒の畔より*

 *


「今更と言えばそうだけど、さっきの真白の焔……確か伝承で聞いたことがあった気がする。ほら、古代(エイシェント)(・ディア)のさ。『始原(イノセント)息吹(・ブレス)』じゃないの?」


 見渡す限り、視界を遮るものは何一つ残っていない。そんな不毛の大地を眺めつつ、白藍の髪を靡かせて振り返ったヒルトはぬかるんだ大地に浸っている相方を余所に、まるで観衆が如く気楽な様子である。

 まるで御伽語りをせがむ子供のように、恐れよりも純粋な好奇心を宿した薄い色の双眸。それに溜息を隠さないヴァイレット。まさに普段通りの光景だ。


「それを私に聞いて、どうする気だ。まさかと思うが、あの応酬に割って入るつもりじゃないだろうね」

「やだなぁ、隊長。さすがに僕もそこまで無謀じゃない。――純粋な好奇心だよ」


 純粋な好奇心でそんな殺気混じりの目を向けられてもね、と。疲れた微笑を返したヴァイレット。半ば諦めと共に説明を加えることにした。

 自分がこの場で説明を省いたところで、遅かれ早かれ調べようがある情報だ。軍部に所属している以上、その情報網は場合によって王家のそれにも匹敵する。下手に水面下で動かれた上で、自分にまで火の粉が及ぶこと。そちらのほうが余程に面倒だと思う気持ちが勝った。


「確かにあれは、『始原の息吹』に限りなく近い代物だ。ただし、同一ではない」

「……ふぅん。回りくどい言い方をあえて選んだのは、同じ弟子筋としての配慮とか?」

「そんな甘い感情を抱くような間柄に見えるか?」

「いや、見えないね。……なるほど、うん。分かった気がする。曖昧に留めるなりの事情があるんだ?」

「…………」

「ふふ。隊長の沈黙は肯定のしるし、ってね。……あの子の周りは本当に面白いなぁ」


 ヒルトの発言に、上司としても『あの子』と称されている少女の兄弟子としても苦みを潰したような表情を隠さない。ふらふらとして掴みどころがないヒルトの性質は、何も今に始まったことでは無いからだ。

 その出自も相まって、軍部でも殊更異質と嘲笑されることも多い青年。しかし、今に至るまで彼を嘲笑った多くが五体満足でいられなかった。『白藍(フィアズール)悪鬼(ヴィーダ)』の名はけして誇張などでは無く、その実力は折り紙付き。軍における階級だけを例に上げれば、上司と部下として命令を与える側にいるが。正直なところ敵には回したくない相手だ。同じ陣営にいればこそ、その武力において抜群の頼もしさを覚えもする。しかしそれは裏を返せば、それだけ扱いの難しい駒だという事実も同時に示している。そんな青年が一たび反旗を翻すようなことがあれば、それこそ悪夢だ。言うまでもない。

 それを踏まえた上で直属に据えている以上、ある程度は許容するほか無いのだ。ここに、もしあの子がいたら。おそらく儘ならないものだな、と苦笑したことだろう。


「……ヒルト、減らず口も程々にしておけ。いつかその口が原因で死期を早めるぞ、お前」

「ふふ、心配してくれるんだね。ユギ。そろそろ起きてくる頃だと思ってたけど、全身酷い有様だねぇ。汚れもそうだけど、なんか沼地みたいな臭いがするよ?」

「……あからさまに鼻を摘まむな。こう見えて俺は結構繊細なんだ」

「しふ(っ)てるよ、ふぇ(で)もさ、にほ(お)うのは、ふぉ(ほ)んとうだから」

「……おお、神よ! こいつを思い切り殴っても良いですか?!」

「へ(え)んりょしておくよ」


 様々な意味で泥沼化した大地から、起き上がったユギ青年。こんな状況においても彼は普段通り、相方の更生に余念がない。この二人を同じ副隊長の席に任命した意図。それは、もともとバランスを取るという点から試験的に試みた人事ではあったのだ。駄目で元々。登用当時は正直、期待すらしていなかった。

 しかし結果的に、それは想像よりもはるかに理にかなった登用であったと言わざるを得ない。

 ユギくらいだ。この規格外を傍らにして、精神を引き摺られずに自分の足で立っていられる軍人は。普段こそ口調を乱雑に崩してはいるが、その気質は軍部においても良識的。かつ根気強い。当人は自覚こそしていないだろうが、希有な存在だ。

 この先も、軍部に籍を置き続ける限り彼ら二人のペアリングを解く気は更々ない。ユギには同情を禁じ得ないが、元より軍人である以上は多少の犠牲は厭わない。それは切っても切れない本質だ。残酷だと言われようと、そこは諦めてもらう他ない。少なくとも自分はそう割り切っている。

 そう――割り切れないのは『あの子』に纏わる様々くらいの話。対象は限られる。だからこその例外だ。


「仲が良いのはいいが。――――そろそろ周囲にも目を配らないと、な」


 何かに耳を欹て、言葉少なに注意を促したヴァイレット。

 カチリ、と引き抜いた大太刀(ラズール)が朝日に煌めく。タイミングを図り、それを地面に突き入れた直後だ。


 地面が、一段と大きく揺れた。その揺れは今までの比では無い。

 潮騒(シーノイズ)(・サイド)の周囲、その一帯を巻き込んで地盤が一気にひび割れていく。突き上げられるような感覚と共に、大地が轟音と共に崩れ落ちた。砂塵と、熱風が一面に吹き荒れる。この間、状況は殆ど視認できなかったと言っていい。永遠にも感じられる時間もやがて過ぎ去り、熱波も次第に凪いだ。そして訪れる静寂。崩落した大地から噴出した地下水が、水煙となって辺りを覆っていた。

 その水煙越しに周囲を見渡し、天変地異も同然の状況を創りだした当人たちを探す。しかし、なにぶん視界が悪い。三人の内誰一人として影すらも捉えられずに時間だけが過ぎていく。

 大太刀を用いて咄嗟に張った簡易結界。それにより、辛うじて足場こそ保持していた。しかし状況はけして楽観視できない。簡易結界である以上、強度はそこそこ。今、この瞬間にも足場が崩れ落ちないとも限らない。だからと言って張り直せば、魔法式を張ったことで生じる微かな反動でやはり崩落する可能性が残っている。魔術はけして万能ではない。師匠も予てよりそれは繰り返し言っていた。

 ――――まさかあの人に限って、万一のことは無いだろうが。

 それでも、不安は過る。その静寂が示す意味を、深く考えたくはなかった。


「あ、火柱が見えなくなった。噴出した地下水で多少なりとも鎮火されたのかなぁ……」


 上空を仰いでいたヒルトが、そう言って首を傾げる。結果的にその気楽な調子が功を奏し、張りつめていた空気がほんの少し緩む。この場に限っては、思わぬ恩恵となった。

 ユギがその声につられて視線を上げれば、確かに地盤崩落の直前まで空を焼いていた火柱が見当たらない。紅蓮の火柱は、いつの間にやら消えていた。


「隊長……いったいこの状況は」

「ユギ。私にも分かることと分らないことがある。ただ、確実に言えることは……『軍神』をもってしてようやく足止めが叶ったという現実だよ。分かるかい? 決して状況は芳しくない」


 すっ、と徐にあげた視線の先で遠方から近づいてくる羽音。紺碧の空に、初めは黒い点であったそれも近づくにつれて次第に大きくなり、それが起こす風圧によって辺りの視界は一気に開けていく。

 その灰白色の色彩と、風に靡く柔らかな双翼。

 吹き上がる風と共に、舞い降りてきたのは一頭の飛竜だった。淡黄色の双眸を瞬かせながら「クェ」と一声鳴く。その背中から、馴染みのある声が三人の元へ届いた。


「――――三人とも、怪我は無いわね?」

「あれれ、マスター? 浮島(フロート)に一旦退避したんじゃなかったっけ?」


 ヒルトが発した疑問符に、いつになく曖昧な笑みを返すベリル・クラウレッド。月の色の髪を風圧に靡かせ「色々事情が込み入っているの……」そう呟きながら、吐息をつく。

 長らく『飛竜御者』として名を馳せてきたベリル。それに伴って数々の経験もしてきた。並大抵のことで冷静さを失うような軟な神経はしていない。それでも今回の状況は、彼の想像も及ばない規模で展開し続けている。それは今も同じだ。

 矢継ぎ早に進んでいく逃亡劇と追走劇。その絡み合う二つ。実際、一般枠を大きく逸脱した災害規模のそれには最早遠い目をするしかない。――殊、追走劇によって周囲が被る甚大な被害。それを目の当たりにして、改めて思うのだ。


 ……ルーアちゃん、これから逃げ続けるのは相当骨が折れるわよ。と。


「おーい。それよりも君たち、早いところ足場を移らないと崩れるよ、そこ」


 しかしここで、ベリルの感慨など知る由もない一声が上がる。それは飛竜の翼を掻き分けるようにして、ひょっこりと顔を覗かせる人物によって紡がれた言葉だ。

 飴色の髪が、その寝癖ごとふわふわと揺れている。


「師匠……何がどうしてそんなところにいるんです……」

「ん? ……そうだねぇ、端的に纏めてみようか。うん。まず上空へ巻き上げられたんだよね。暫くそこで攻防を続けていたんだけど、とうとう両腕を切断されてね。あれも昔から躊躇いの無い子だよ。全く……まぁ、今更だけど。それはさておき、落下していた最中にね、折よく戻って来た飛竜の背中に拾ってもらったんだよ。で、今に至ると」

「……私の目の錯覚でなければ、師匠の両腕は繋がっているように見えます」

「うん、これね。実は御者殿が『(セレディア)(・ティル)』を携帯していたから、分けてもらったんだよねぇ。危うく失血死で死にかけたよ。――ふふ。でもまだ、僕の運は尽きていなかったらしいね」


 ヴァイレットを始めとして、これには絶句する面々。

 言いたいことは其々にあっただろう。しかし、この話の要点は基本的に四つだ。いつの間にやら上空で繰り広げられていたという師弟間闘争の非凡さ然り。仮にも師その人の両腕を切り落とす弟子の非情さ然り。更に言えば、落下の最中に飛竜の背中に落ちる確率だ。事前に示し合わせていたなら兎も角、偶然通りがかったという。その奇跡的な巡り合わせ――と揃いに揃って非現実的な話ばかりだ。

 そして何よりも、『竜の涙』。それを携帯していたというベリルに全員(ハイナスを除く)の視線が集中した。

 無理もない。そもそもが伝承物に近しい存在がさらりと登場してきたばかりか、『奇跡の秘薬』もしくは『神の慈悲』とも称されるそれによって命をとりとめた云々など。普通に考えれば、夢物語と一蹴されてもおかしくない。


「おいおい……『始原(イノセント)息吹(・ブレス)』だけで飽き足らずに『(セレディア)(・ティル)』まで出てくるのか。ははは。この分だとその内、伝承云々なんて言っていられなくなるな。それにしても何時からここは創世の時代に逆戻りしたんだ?」

「ユギ、空笑いは痛々しいから程々にしておいた方が良いよ。でも、驚いたなぁ……本当にあの子の周りは常識外ばかりで、全く退屈しないね」


 沈黙に耐えられなかったらしい。ユギ青年の乾いた笑いが辺りに響いた。まるでそれをフォローするように、その肩をポンポン叩きながらにっこりと笑うヒルトである。笑顔の中身が全く異なる二人であった。


「……元々わたしが携帯していたモノではないわ。それだと意味合いが違ってしまうもの。この『竜の涙』はルーアちゃんからの預かり物。もしもの時の為に、と。だからね、実際のところはわたしが救った訳ではないの」


 まさかこの事態を見越していた訳では無かっただろうけど、間に合ってよかったわ。と。

 柔らかく微笑んだ月色の髪の青年に、少し目を瞠ったハイナス。やや間を置いて、「そう、ルーアが…」と呟いた言葉にはほんの少し寂しげな色が混じった。それに気付いたのは、おそらくその場では彼の弟子であるヴァイレット一人だけであっただろう。


 おそらく途絶えた言葉の先に、続くはずだった言葉は。


『あの子はいつでも自分より、周囲を優先させてしまう……変わらないな』


 そこで不意に、師から感じた視線。それを受け、見合った瞬間に何故だか分かった気がした。

 何故、あの出不精な師匠が進んで山を降りるほどに怒りを覚えたのか。その意味が、ようやく。

 ――この刹那に、かちりと噛み合った気がした。


 思わず口にし掛けたが、首を振る師匠の双眸の色に気圧された。辛うじて留め置いたそれの代わりに、小さく溜息を零す。


 儘ならない、本当に。

 昔から、三人の弟子の中で誰よりも優れた才を持ち、努力家で、忍耐強く、逞しくもあった彼女(カルーア)

 その聡明な眼差しで、事あるごとに助けになってくれた妹弟子だ。

 四人で共に暮らしていた頃。思い返せば、その存在に甘えてばかりだった。それは自分だけに限らない。凍てつくような双眸を絶えず周囲へ向けていたアルヴィンがあれ程までに心を許したのも、全ては彼女であればこそだろう。他の誰でも、おそらくあの氷を溶かすことは叶わなかった。

 昔に関わらず、今もそうだが。その口調から誤解を受けることも多かった。それでも頑なに変えようとはしない。いつであったか尋ねた時にも、返って来た答えには一片の揺るぎも感じ取れなかった。

「私、として生きられなかった自分も俺、としてなら生きられるんだ」と。そう言って笑った少女に、こんなに不器用な子がいるのかと呆れよりも感心に似た思いを抱いたのは、他でもない自分であったのに。


 今の今まで忘れていた。

 優しく、不器用な――――カルーア・リルコットという少女のことを。


「……さてと。ほらほら、放心状態も程々にして動かないと間に合わなくなるよ?」


 飛竜の背の上、絶妙なバランス感覚を駆使して仁王立ちしたハイナス。彼が発した声はまさに鮮烈だった。意識を戻してくるのには、十分だ。

 まるでそのタイミングを図ったように、頭上に差し込んで来た影。それは一つや二つでは無く。

 それを見上げて一番初めに息を呑んだのは、果たして誰だったのか。


「――――三十二頭、全部連れて戻ったの?」

「……女王竜に押し切られてしまったのよ。はぁ……ルーアちゃんに何て説明したものかしらね。困ったわ」


 蒼穹を、灰白色の飛竜が飛び交う様はまさに壮観であった。


 言葉とは対照的に、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべる『飛竜御者』その青年。――ああ、これが本当のヤケクソという心境かと。いずれともなしに、全員が察することになった。

 今回ばかりは、ヒルトも何を言うわけでもなく微笑むだけに留めていた。ここに来て、賢明な判断が出来るようになったとユギが目頭を押さえて俯いている。


「泣いても笑っても今夜中には、あの二人は海都で対峙せざるを得なくなる――それはあの子が、逃亡を決意したその時から決まっていたことだからね。その時に、あの子の助けになれるように僕は『海鳴(シーホルン)鐘楼(・カロン)』へ向かう。君たちがどうするかは、其々に決めればいい」


 ――――前にも伝えた通り、ここから先は人外の領域だよ。


 そう言い残し、ハイナスは緩慢な動作で飛竜の首をポンポンと叩いた。同じ飛竜に同乗しているベリルはそれに苦笑こそしていたが、何も言わない。合図を受け、心得たとばかりに舞い上がった双翼。残された面々は、遠ざかる飛影を見上げていた。

 ヴァイレットはここで、言葉少なに言い切る。


「ここから先は、軍務を外れて私用で動く。君らの動向は一切関知しない」


 返事は元より待つ気も無かったのだろう。口許に指をあて、高らかに鳴らした指笛に一頭の飛竜が舞い降りてきた。その背にひらりと飛び乗るや、間を空けずに上空へ飛び去ってゆく。

 そんな上司の背を、やはり見送る形になった最後の二人。自然と顔を見合わせる流れになる。


「ふふ、ここまで来て引き返すなんて選択肢は無いよ。ね、ユギ」

「……前にも言っただろう、俺の意思は」

「うん、だから賛同を求めただけ。元々強制する気はないよ」

「……そうかい」


 笑顔のままで、上空を振り仰いだヒルト。手慣れた動作で指笛を鳴らし、舞い降りてきた灰白色の背に足を掛けた。「クェ」と小さく鳴いた飛竜に海都までよろしく頼むよ、と告げる。それから、振り返った先。

 そこで、ふふと笑み零した相方に小さく舌打ちを返しながら、ユギはふわふわの双翼の間に陣取った。自らの意思で同じ飛竜の背を選択した彼に、やはりヒルトは何も言わない。


「さて、準備は整ったし。行こうか――――『水晶海の女王』へ」


 ふわり、と離陸した最後の飛竜。その体躯が舞い上がると同時に、辛うじて支えられていた足場が崩落した。ガラガラと崩れ落ちていく音を背に、潮騒の畔その一帯を周回していた他の飛竜たちもまた、海都へ向けてその双翼を閃かせる。

 刻は正午前。晴れ渡った空の下。

 其々が選択した先に向け、蒼穹を駆けていった。


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