少女は白猫の尾を追って、海都を巡る*『大水鳥』来店編*
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まさに予定外。そうなれば、思わず見入るのも無理はないと思うのだ。
路上からの外観は張りぼても同然であることが窺えた。雰囲気は内と外でガラリと一変し、色鮮やかな花々が至るところに咲き乱れているのだから。まるで建物と草木が一体となったような、不思議な店構えだ。
これは流石に経験が無い。
「「店主の元までご案内します。時折、飛び出してくる動物もいますので。左右と頭上にご注意ください」」
「……野生の?」
「「いいえ、全て主が購入したものです。それぞれ人馴れの程度も異なりますので、不用意に手を出されないことをお勧めします」」
とんだ危険地帯に迷い込んだものである。魔獣クラスならば寧ろ、安全と言っていいのだけれどね。矛盾している? いやいや、実際のところ魔獣は危険回避に優れた獣たちだ。純粋な危険度は遥かに上だが、不用意に飛び掛かってきたりはしない。しかし、一般の――野生の獣たちとなれば、そうもいかないのだ。状況によっては己の危険も顧みずに攻撃行動に移る場合も無くはない。それであればこそ、厄介なのだ。
加減を間違えて『獣』を『肉片』に変えてしまったら、事の収拾が図れなくなる。どれくらい店主が広い心の持ち主かは知らないが、夕飯のメニューに検討してもらえるほど大らかでは無いだろう。寧ろそんな店主は嫌だ。そんな大らかさは師匠で十二分に間に合っている。従って、細心の注意を払って進まなければならないだろう。
そうして無意識にダダ漏れになる緊張感。それに影響を受けてか、張りつめる空気。霧散するまでには、今暫く掛かりそうである。何故ならば――――早速、遭遇していた。
それは端的にいえば、とてもモサモサしている。
「……ヤギ?」
「「西南の大地に生息する、緋色山羊です。その柔らかくて美しい毛艶から、南の赤絹と称されることもあります」」
「南の赤絹ねぇ……」
「「魔境と西域の狭間に生息地がある為、上級の冒険者でもなかなかお目に掛かれない代物だと聞いています」」
淡々と説明を続ける双子。その一言一句に僅かのズレも無い。まさに神秘である。少女はまじまじと彼らを観察する合間も、突進してくる緋色山羊からひらりひらりと身を躱していた。因みに一頭ではない。茂みに隠れて姿を現していない分も含めれば、おそらく柵に囲い込めるほどの頭数はいる。少なく見ても十五頭。初めは個別に突撃してきたものの、余裕を持って左右に躱していた様子を見て学習したのだろう。今は一斉にタイミングを合わせて突撃してくる。――やれやれ、痛いだけだよ?
こうなってくると、自ずと逃げ場は上に向かう。背負っている荷物の分、それほど高くは跳べないものの。一斉に突撃してくれることで、その背中がそのまま落下地点にもなる。よし、衝撃緩和に努めよう。
ヤギたちのタイミングに合わせるようにして、ふわりと少女が跳んだ先。本来は足場となるバルコニーの縁を掴んで、バランスを取りながら下を窺う。片手で灰色を抱えている分、思っていたよりも負荷が大きい。
円陣を組み、一斉に突進した結果。中央に近い何頭かはバタバタと地面に気絶している。だから痛いだけだと言ったのに。苦笑した少女は、その結果を見届けた後に掌を放した。
ふわり、と浮遊感が全身を走る。着地点を誤れば、両足に皹が入るかもしれない高さ。それすらも躊躇うことなく、重力に任せて舞い落ちる。とん、とん、とんと目途をつけていた三頭の緋色山羊の背を順番に借りながら――――そのまま地面に降り立った。
「「お見事です」」
一連の流れを見届けたらしい双子。姉のメリッサがここで口許に指をあて、軽く指笛を吹く。
それに呼応するようにして、ズルズルと建物の壁面を覆っていた蔓草が伸び上がり、まるで意思をもったように緋色山羊たちを覆って動きを留めていく。見事な魔法式だ。どうやらこの双子たちは、魔術師であるらしい。
「「店主の命により、僭越ながらその実力を計らせていただきました。お気を悪くされたかもしれませんが、どうかご容赦ください。――改めて、お名前をお聞かせ願えますか?」」
この大陸では稀有と言っていい濡れ羽色の髪と、左右で異なる色彩の異彩の双眸。緑の園を背景に、彼らは揃って頭を下げた。じっとその動作を見詰めていた少女は、徐に息を吐き出して諦めたように笑う。
「君たちの動きがそこまで揃っているのは、何故なのか。……ずっと考えていたのだけれどね。正直分からないんだ。双子の神秘で括る他無いのかな?」
その言葉を受けて、双子は揃って目を丸くした。その際も、やはり完璧に揃っている。疑問は深まるばかりだった。泣く泣く問い掛けてみれば、ここで双子たちは揃って口許を押さえて俯いている。同時に堪え切れないとばかりに揺れ始めた肩に、より一層居たたまれない気持ちにもなった。だから直接尋ねるのは避けたかったのになぁ……。溜息も零れる。
「「ふふ……気を悪くする以前に、緋色山羊の襲撃を事もなげに処理してみせた手腕。途中からもしかするとそうなのかもしれないと思ってはいました。貴女はハイナス・フレイヴァルツの御弟子様では?」」
「……否定はしないよ。言い忘れていたね、カルーア・リルコットだ。師の二番目の弟子にあたる」
「「これ程喜ばしい来客は、そうあるものではありません」」
そう言い告げるや、パチリと同時に指を打ち鳴らした双子姉弟。
姉のメリッサが駆け寄って来て「お会いできて光栄です」と満面の笑みを浮かべるのに対し、弟のシトラールはその場で空を仰ぎ「何これ傑作」と笑いを堪えきれない様子である。
そんな彼らの様子を見て、ようやく気付いた。同時に何故思い至れなかったのか、その理由も。姉のメリッサに手をとられつつ、痛恨の思いは拭えない。
「……『協調』の魔法式だね?」
「ふふ、その通りですわ。ちなみに『同調』と『知覚阻害』も加えております」
「成程ねぇ……。思い至らない訳だ」
海都の大門を通り抜ける際、自らも使用している『知覚阻害』。その効果は多岐にわたる。本来ならば疑問に思う事柄や言動を一般的なこと、普通のこととして認識させたり。はたまた指定する範囲によってはその人物だけに限らず伴うメンバー、物品、書類などにまで影響を及ぼすことが可能だ。つまり、正常な判断を奪うのである。
ただし、魔法耐性が強い相手に対しては無効化されることもある。それなりに危険度の強い賭けなのだ。
「店主の元までご案内させていただきます。さあ、どうぞこちらへ。カルーア様」
「様付けは遠慮願いたいな……」
「それは致しかねます」
有無を言わせぬ姉の笑みをいつの間にやら隣へ来ていた弟が横目で見ながら、やれやれと頭を抱えている。そんな光景を真正面で拝むことになった少女の心境は推して知るべし。
儘ならない。兎にも角にもそれに尽きる。世の中のありとあらゆる事柄はいずれ全て其処に至るのだなぁ。いつしかそう思い始めて幾星霜。
諦念は、常に切っても切れない。ある意味で少女の主成分と言って違わない昨今。辛うじて染まり切れないのは、果たして救いか。それとも――いや、あまり深くは考えたくない。
今はただ、逃亡劇の最中にある。それが全てだ。
双子の案内で、ようやくここに来て平穏な道筋を辿る。曰く、彼らの知るルートで進んでいかない限りは先ほどの緋色山羊の例に違わず、ありとあらゆる獣たちの洗礼を浴びる羽目になるそうだ。えげつない。二人とも可愛らしい容姿をしているわりに、躊躇うことなく職務に邁進している辺り――やはりそこは魔術師の性と言っていい部分だろう。具体例として適しているかは分からないが、カルもあれで相当えげつない部分があったりもする。少なからず闇を抱えて生きるのが人間であるとは師匠の言葉ではあるが、殊更魔術師に置いてはその割合が大きい気がしてならない。理由? 経験則としか言えないね。
石畳、レンガ、水晶の順番で移り変わった回廊の奥。白霞草が両側に吊り下げられた深緋色の扉を開けて、中へ通される。上は吹き抜けになっており、差し込む日差しに紅茶色の円卓が眩い。深緑の長椅子が絶妙の濃淡を醸し出している。師匠がこれを見たら、寝心地良さそうだねの一言で片付けることだろう。言いたいこと? それは詰まるところ上質な椅子である。
「お疲れでしょう? とっておきの花茶をご用意しますので、どうぞこちらへお掛けになってお待ちください。今、これが店主を呼んでまいりますので」
「ねえ、これって言った? 双子の弟をこれって?」
「……羽虫が煩いようです。やはり季節が変わると知らない内に増えているものですね。ご安心くださいませ、今片づけて参りますので」
「どこに?!」
仲が良いようで、何よりだ。
弟のシトラールの耳を掴み、ごく自然な様子で退室していく姉のメリッサ。薦められた椅子に腰を落ち着け、荷物を床に置いた少女はそれを見送る他ない。いやいや、弟君。シトラール君。助けを求められてもここは所謂アウェイだ。郷に入れば郷に従え。その教えは今もまた有効である。視線だけで頑張れと励ましてみた。伝わったかは謎である。暗黒の扉の先に彼を待つものが何かは感知できない。否、するまい。
それはさておき、だ。
彼女の微笑みが、どこか恐ろしいのは――うん、正直あれと似た雰囲気を感じ取っているからかもしれない。
あれは……否、ルヴィはここ数年で多大な変化を遂げてきた。それでも、変わらない部分がある。その代表的なものが仮面的な表情。これに尽きる。この上なく危うく、美しいだけのあの微笑み。あれが昔から大の苦手であった自分。だからこそ、事あるごとに否定してきた。
けれども、今思えば――過ちであったのだろう。そう思えてならない。いや、正確にはそう思えるようになったという方が正しいだろうな。
そして思わず口を割って出た呟きは。
「……本当に、儘ならないなぁ」
「それはどうして?」
「いつからだったかは、正直もう分からない。けれども、あるべき距離を見誤っているような恐れが常にあったよ」
「そうなのねぇ……」
ふんふん、と相槌を打っている声。その当人の姿は、ざっと視線を巡らせた限りは見えない。うーん、とこめかみを揉み解した少女は、徐に体勢を低めた。二の轍は踏まない。これは大切なことである。
円卓の下を逆さになって覗き込んだところで、ばっちりと視線が合う。
――――こう言っては何だが、思う。この登場の仕方はこの上なく素材の味を殺してしまっていると。
「取り敢えず、そこから出てきて話そうか?」
「……ここが落ち着くのよぉ。出たらまともに話せないけれど良いかしらぁ……」
今にもさめざめと泣きだしそうなほど、潤んだ両眼。
改めて言うのもあれだが、割と綺麗どころに囲まれて日々を暮していた自分。そんな自分が思わず息を呑むほどに美しい造形である。想像してもらいたい。円卓下の暗がりでも、無駄に眩しいのだ。寧ろ目の毒と言えそうな美貌の主だ。
描写すら、儘ならない。
それがどうしてか、円卓の足を両手でしっかと掴みながら身を縮こまらせてこちらを窺っている現状。その経緯は推察すら及ばないものの、取り敢えず一つだけ確かなこと。それは眩暈だ。眩暈を覚える。
「……俺はカルーア・リルコット。飛竜の尾こと、『穴熊』のマスターの紹介で、今日は魔法具を売りに来た。ひとまず貴女の名前を聞いておきたいけど、構わないか?」
椅子を降り、膝をついて手を伸べる。さながら野生動物のように身を震わせるばかりの彼女へ、苦笑混じりに付け足した。
「名前を聞けばわかる通り、俺は訳あって性別を偽っている。――だから、貴女が怖れるような危害を与えることはまず無いよ。それは確約出来る」
「……そうだったのぉ。うう、いきなりメリッサが見知らぬ殿方を客間へ通すものだから……驚いて咄嗟に隠れたのよぉ。……そうなのねぇ。貴女は女の子なのぉ?」
「うん、一応はね」
「んん、確かによく見れば女の子だわぁ。御免なさいねぇ。あんまり驚いて、殆ど確認する間も無く潜り込んだものだからぁ……」
もぞもぞと円卓の下から這い出てきた、残念仕様の美貌の主。日差しに当たると、より一層その美しさは際立った。目が痛い。妙なる、としか称せない色彩を有する人だ。艶やかさ、清楚さ、小悪魔的な、どれもが当てはまるようで。けれどもその実、完全に言い表せる一語が存在しない。
「飛竜の尾――ベリル・クラウレッドの紹介と言ったかしらぁ? 懐かしい名前ねぇ。彼の人はお元気かしらぁ?」
「うん、元気だったよ。もし『大水鳥』の店主に会えたら、宜しく伝えてほしいと言っていた」
「……何よりだわぁ。こちらこそ宜しく伝えてほしいものねぇ」
ふふ、と笑み零した表情は一枚の絵画にして買い手を募りたいほどの花の顔。もはや眼福と言うほかない。まるでその思考を読み取ったように、向けられるのは眩い笑顔だった。
「カルーアちゃん、ね。ふふ、覚えたわよぉ。今日は来店してもらえて光栄だわぁ。遅ればせながら、わたしがこの『大水鳥』の店主、蒼褪めた双翼よぉ。これから宜しくねぇ……?」
ここまでが、魔具商『大水鳥』に至る顛末と店主、蒼褪めた双翼との初対面。その一連の経緯であった。




