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*挿話 師弟間戦争開幕編*

 *


「……思ったよりも生育したか」


 微かに漏らした舌打ち。実際のところ、誰に言うとでもなく風に紛れて消えてゆく筈のものだった。

 巻き上がる炎を横にして、その瞳には僅かな恐れも見えない。自身の魔力が齎した結果を前に、何一つ思うところなど無いと言わんばかりだ。

 炎風が頬を掠めて吹き降ろしていくのもそのままに、その視線は『街』の方角へと向けられる。緋葵の双眸を揺らめかせ、歩き出した先――――

 一際強い、風が吹きつけた。

 気配は背後にある。この時既に足を止めていたが、振り返る素振りは見えない。


「以前に比べても、遜色のない火柱を打ち上げたね。ふ、態々あの子に自分が到着したことを知らせるなんてお前らしくもない――――ルビィ」

「…………」


 沈黙を返答に、互いに身を翻した。

 刃風が頬を掠め、常人では目で追うことすら叶わないであろう速度で繰り出された軌跡。それが交差する。しゃらん、と涼しげな音が周囲へ響いたかと思えば。既に留め合った刃の下、冷めた視線を向け合っていたのだ。

 互いに殺意こそ含めてはいないものの、それはとても同じ師をもつ弟子同士とは思えぬ色だ。


「兄弟子との久方ぶりの再会に、一言の挨拶も無いのかい?」

「……姦しいなぁ……」

「…………んん、終わり? え、本当に一言なの? ……昔から思ってはいたけど、お前は本当に可愛らしさの欠片もないねぇ」


 まるで羽虫を見るのと変わらない視線を向けられてなお、苦笑に留める辺りはやはり慣れだろう。こうしている合間にも、刃は互いの間で悲鳴を上げ続けている。一見して拮抗しているように見えなくもないが、実際のところは辛うじて留めているに過ぎない。

 それもその筈。

 実力差を鑑みれば、言うまでもなくアルヴィンに分がある。大陸最強の名は伊達ではないのだ。それを辛うじてでも抑えられているのは、ヴァイレットが長きに渡って積み重ねてきた軍務経験――それに加え、寝食を共にしていた頃にアルヴィンの太刀筋を間近に見て、時に刃を合わせた経験があればこそだ。


「……はぁ。少しでも時間稼ぎになればと思ったけど。相も変わらず……いや、以前にもまして厄介になったものだね。お前とやり合うのは本当に面倒だ」


 容赦のない魔圧を受け、ふわりと膨らんだ灰色の髪の先がじりじりと焦げていく。まさに消耗戦だ。

 それでも体内の水分量を調整しながら戦うことに慣れている所為か、軽口を叩ける余力は残せているのだから大したものである。

 魔術師と戦う事も少なくない、その戦歴があって初めてなせる技だ。


「……手加減している間に退いておけばいいのに」


 ぼそり、と呟かれた声。それを機に、明らかに周囲の空気は変化していた。

 咄嗟に間合いを取ろうとしたヴァイレット。しかしその足は、まるでその影ごと地面に縫い止められたように動かない。


「……っ、本当に質が悪い!」

「これ以上、時間を割くゆとりはないから」


 指先に灯した炎は、徐々に高温に高められていく。その色彩は緋から青、次第に淡い色に変わり――最後には真白き焔となって凝り固まった。

 今や骨身を焼き尽くすほどの熱を発しながら、掌の上で揺らめいている。

 バイバイ、と声にせずに紡がれた口許。細められた目に、躊躇いは微塵もない。

 ふわりと伸びた手指が、躊躇うことなく真白の焔を放った直後――――先ほどの火柱が空を焼く風圧よりも、更に強い振動が大地を揺らした。

 まるで天空から飛来した一塊の岩石が地面へ落下し、その周囲を吹き飛ばしたような凄惨。草木も跡形も無く塵と化し、抉り取られた大地の一部が露出している。それが全て、掌に収まるほどの真白の焔一つでなされた事実。それは多くを戦慄させてしかるべき光景であった。

 そこには何も残っていない。そこに在ったモノが尽く焼失した為に。

 しかし、物事には総じて表と裏が存在して然るべきだ。

 残されたのは、限りある希望。――――それは死体すら、ましてその痕跡すら残っていない事から生じる、もう一つの可能性である。


 辛うじて失われずに済んだもの。その存在を示すが如く。

 その声は、砂煙の向こう側から響いた。


「軽々しく命のやり取りをしないように。以前にもそう、教えた筈なんだけどねぇ……」


 小柄な影が、その腕を何でもなく横へ一振りする。それと同時に大気に切れ目が走ったようにも見えた。ざあ、と舞っていた砂埃が一斉に吹き払われ、視界が開かれる。そうして露わになった面々。

 それは飴色(コレット)の髪を靡かせ、ひらひらと手を振る一見したところ少年にしか見えない人物と、その背後の数名であった。


「やぁ、ルヴィ。久しぶりだね。今日は君の足止めに来たんだ」


 周囲に広がる光景など気にした素振りも無く、実に気楽な調子で紡がれた言葉だ。この場に少女がいたならば、おそらく「空気を読まないにも程がある」と称していたことだろう。実際、その場にいた面々の反応がどのようなものであったかと言えば――――

 声を向けられている当事者よりも、その背後の反応のほうが大きかったのである。ここで言う面々とは、言うまでもなく白鯨の副隊長二人組だ。片や、頭を抱えて空を仰いでいる。片や、久方ぶりに手にした鎚矛(メイス)を準備運動がてらにトントンしていた。改めて見ても、この両者は非常に対照的であると言えよう。

 補足がてら、彼らのすぐ傍に諦念の視線を隠さないヴァイレットもいることを付け加えておきたい。

 ざっと見る限り、彼の身体に大きな外傷はないようだ。

 紙一重のところを、他ならぬ師匠の手で窮地を救われた形であった。焔が放たれた直後、背後から伸びた手。それに勢いのままに放り投げられたところで「……ようやく来たか」と咄嗟に過った辺りは、やはり師弟である。


「ふむ……久しく見ない間に、また一段と無駄に端麗さを上げたものだねぇ。正直なところを余さず伝えれば、君の先行きが不安になるばかりだ」

「…………」

「ふむ。ものぐさな処も相変わらずのようだね? ルヴィ」


 事情を知らぬものが見れば、奇異な光景だろう。何しろ、一見して少年にしか見えない『師』が見上げる形で『弟子』へと苦笑を交えながら会話をしているのである。

 否、正確には会話とは呼べないかもしれない。実際『師』からの言葉を受けながらも、その当人はまだ一言も言葉を返していないのだ。

 沈黙を保ったまま、それでも視線だけはひたりと噛み合ったままの両者であったが。その均衡は、今にも崩れ落ちそうな緊張を確かに含んでいる。

 浮かべる表情は全く違えど、その目には僅かの笑みもない。そこだけが共通していた。

 実に嫌な師弟だ。


「……師匠、あまりそれを刺激しないで貰えますか。助けてもらっておいてあれですけど、二度は拾ってもらえないですよね?」

「ふふ、ヴァイは昔から小心の気があるものね。……いいよ、分かった。ここから先は言葉でなく、行動で語れと。詰まるところ、そう言いたいんだね?」


 背後から差し挟まれた声を受け、前を向いたままでいたハイナスが少しの間を置いて答えた。合間に寝癖が付いたままの髪を掻き混ぜながら、言い終えた口許はふわり、と綻ぶ。

 少なくともそこまでは、非常に緩慢な動作に見えた。

 ――――けれども、瞬きをするよりも早く『それ』は始まっていたのだ。


 抉られた地層から、染み出していた『水』がいつしか大地を浸している。

 それに気付かなかった者も、先んじて気付いていた者も。それは等しく、逃れようがなかった。その場にいる全員が足元を水に浸したままで、魔法式は既に次の段階へと至っている。

 パチリ、と。ハイナスがこれまた緩慢な動作で指を鳴らした刹那。その指先が定めた地点を中心に、水面がグルグルと渦を巻きはじめた。動作を封じることを主体とする『水牢(アクティス)』の魔法式だ。それ自体は大して珍しくもない非常に基礎的な魔法式の一つである。

 そう。基礎的な魔法式なのだが……。


「……ヴァイ隊長殿、あれは救出に行った方が」


 ユギ青年が思わずそう呟いていたのも、無理はない。何しろ、合図と共に渦を巻き始めた地点――それが他ならぬ発動者本人の足元であったのだから。

 言い差して、そのまま足を進めようとしたユギは非常に良識的と言えよう。

 しかし、左肩に置かれた手がその動作を留める。訝しげに振り返った先でユギ青年が目にしたもの。

 それは予想に反し、隊長その人が静かに首を振っている姿。思わず胸に兆したのは、見捨てるつもりかという疑念だ。ただしそれも、もう一方の肩へ乗せられた手。その先を辿って、やや首を傾げるようにしながらヒルトが言った言葉で霧散することとなる。


「ユギ。君って案外、物覚えが悪いところがあるよね? ――特別にヒントを上げる。『軍神(カルフィア)』が今まで戦場に出て、無傷で戻った所以(ゆえん)。そこを、まずは落ち着いて思い出してごらんよ」


 はた、と止まった足。『無傷で戻った所以』その言葉に、どこか引っ掛かりを覚えて思考を巡らせる。それは、時間としては短いものだっただろう。そして最終的に辿り着いた答え。それに対し、当人は脱力を覚えたらしい。その場で、再び頭を抱えるユギ青年であった。


「……『軍神(カルフィア)蒼盾(・セリード)』、まさか水牢の魔法式を応用したものだったとは……」

「そのまま蒼い盾だと思ってたんだ? 妙なところ素直だもんねぇ。やっぱりユギは軍人向きだね」

「…………穴があったら入りたい」


 足元まで来ている水へ、顔を浸けんばかりに膝をついたユギ青年。その傍らに立つヒルトは、その様子を眺めるばかりだ。フォローする素振りは欠片も窺えない。寧ろ、覗き込むような体勢を取りつつ「これから掘ろうか?」との発言を挟み、楽しそうな様子を隠しもしないのだ。

 そんな二人のすぐ後ろへ、気配を殺して立った人物。

 その両手から繰り出された二つの軌跡が、過たず二人分の頭部へ到達し――結果、見事に水面と挨拶することとなった彼らだった。

 先にヒルトがブルブルと水を切りながら顔を上げ、「やっぱり怒ってたかぁ……」と暢気に呟く一方で。ぼたぼたと水滴を滴らせながら「結局こうなるのか……」とぼそりと零したのはユギである。


「……命令違反に背いたからには、海都へ着いた後は然るべき処分があると分かっているね? 始末書だけでは済まないから、両名ともに覚悟しておくように」


 灰色の髪を靡かせ、水面に膝をついたままの部下たちを見下ろしたヴァイレットは薄い笑みを張り付けていた。これは相当機嫌が悪い時にしか見られない表情だ。

 それを見上げる形になった二人の部下たちは、珍しく顔を見合わせて苦笑を交わしていた。ここまで来た以上は、どう足掻いたところで一蓮托生。そんな思いが根底にあったのだろう。


「危機察知能力だけは人並みにあると思っていたんだけど……寄りにもよって『死地』と称せるこの場面に居合わせるとはね……ある意味、私は君らを見縊っていたらしい」


 二人が顔を見合わせて苦笑するところを、呆れたように見下ろすヴァイレット。其処には隠し切れない疲労感が入り混じり、時間が経つと共にその背には哀愁の二文字が浮かび上がってくるようだ。

 こうして水際で、白鯨の面々が顔を合わせている合間――――その背後。切って落とされた師弟戦争の真っ只中であった。それはまさに大地を揺らす応酬である。

 今や大陸で最も死に近い場所と称せそうな其処には、弟子と師。人外と称されるべき二人のみ。

 いつ終わるともしれぬ『焔』と『水』の攻防の果てに齎されたもの。それは時間だ。

 久方ぶりに顔を合わせたもう一人の弟子。彼に告げた「足止め」その言葉通り、二人が対峙することでようやく生じた貴重な刻。

 ――――それは全て、とある少女の為に。始まりの弟子であると同時に、最愛の娘でもある彼女。

 カルーア・リルコットへ贈る、ささやかな(はなむけ)であった。

 それは空が明らみ始める頃になっても続いている。


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