少女は潮騒の街で追走の合図を仰ぐ*二日目の旅 延長戦継続*
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アルヴィン・フォーゲルクロウ。今代の勇者にして、この大陸において最強の御名を有する青年だ。
絶世の美男にして(身内の贔屓目云々では無く、客観的事実である)、歪んだ審美眼の持ち主でもある。
そして最強の名の由来ともいえよう、保有魔力の総量は人知を軽々と超えている。まともに計測するのが馬鹿馬鹿しくなるほどの総量だ。
うん、今更だね。あの炎の規模を見れば、誰しも震撼するのは当たり前だ。何だかね、本当に。あの無駄な火力が一体『何』に対して向けられたものなのか。
まずもって、その疑問は否応なしに生じる。とは言え、その疑問に対して答えがほしいかと問われたら、別段欲しくなかったりもする。何故か? それはだね、端的にいえば隣の発言があったから。
ぼそり、と師匠が零した呟きの中に答えは既に示されていたからだ。
「……ふむ。どうやらルヴィ以外に僕の知らない魔力の波形が三つほど感じ取れるよ。それぞれの起原は水、風、……呆れた。闇まで混じっているみたいだ。王都の貴族どもが……。全く。早まったことをしてくれたよ」
「……パーティメンバーの中に王家の姫がいたっけ、そういえば」
「リーディア・クレイ・ローゼンベルク。継承権第五位の第三王女のことでしょ? あの姫、王家の中でも箱入りで有名だったしねぇ。要するに神殿の駒としてパーティへ送り込まれたんだったよね、ユギ?」
「……そんなことよりか普通に会話に参加してるお前の精神状態に、俺は色々言いたい」
周囲が未だに熱波の影響からか、店内は床に転がったままでいる屈強な男たちで溢れている。酒場の主人さえ、カウンターの下でピクリともしない。そんな最中。元より伏せることさえしなかった師弟は窓の無くなった窓枠から、外を注視しつつも落ち着いた様子で会話を続けていた。その異様と言っていい光景にたじろぐ様子も無く、強制参加した白藍の青年。更にその後方から呆れたような声を上げる葡萄色の頭頂部。
ユギ青年は未だに脅威は去っていないと判断したらしく、どれほどヒルトがテーブルの下から引き出そうと奮闘しても頑として出てこない。
賢明な判断だ。
「もしかして、あれが『聖炎の勇者殿』なのかしら? アルヴィン・フォーゲルクロウ?」
「正解だよ、マスター。あれが二日前に魔王を討伐し、凱旋してきた勇者だ」
「更に言えば、君の幼馴染にして、同じ師を仰いだ弟子同士。そして今回の旅路は、彼から逃れるために故郷を出た君の逃亡劇――――だよね?」
「……君がどんな情報網をして、そこまで把握に至ったのかは知らない。だが、大凡は間違っていないよ」
確認するような、マスターの声。少女が肯定し、そこへ更に被せるようにしてヒルト青年が畳み掛ける。
少女のため息に重なるようにして、上空の大気はさらに歪み、雷鳴が混じり始めた。
しとしとと降り始めた雨粒が、強風とともに店内へ吹き込んでくる。「……雨は苦手だなぁ」と呟きながら傍らで顔を顰めている師匠。用意周到なのか、ものぐさな結果に過ぎないのか。腰に巻いていた防水外套をいそいそと被り始めた。
「……ルーアちゃん、本当にあれから逃げてきたの? そうだとして、よく逃げ出せたわね?」
「……勇者殿は、最後まで討伐を渋っていたらしいな。風聞で聞いた限りでは『目を離すと、その間に婚約者が逃げかねないから』と言っていたと。……あながち嘘ではないらしい」
「婚約者?!」
「……マスターそれは、大嘘だ。あれの妄想の産物に過ぎないよ」
「あはは。そこまで言い切っちゃう? でも実際、あれに掴まったら君の意思に関係なく、それが事実になり得るんじゃないの?」
「ヒルト……お前本当に空気を読め。読めないなら、口を閉じろ」
状況からして逼迫していると言っても過言ではないと言うのに、なかなかどうして弛緩した空気である。
「中々楽しい同行者を見繕ったね、ルーア」と。そんな師匠の声に、曖昧に笑うに留めた少女。状況が状況だ。視線の先には、尚も広がり続ける魔力の波動。恐らく、あれの箍が外れかけている。
「……師匠、どうやら海原を前にするよりも先に向き合わなければならないらしい」
「いいや、そうさせない為に僕が来たんだ」
珍しく、語調を強めて言い切った師匠の声に思わず横を向いて、視線で問う。その先には、底知れない色の双眸。正直なところ、懐かしいと思う。滅多なことでは、師匠の双眸が澄み切ることは無いのだ。
例外は、睡眠を阻害された時と戦場に立つ時。そして――――本気で怒っている時だけだ。
「ルーア。君は先に海都へ向かうんだ。その間は、僕がルヴィの足止めをしよう」
「……街が壊れるよ、師匠」
「そこは、最低限に留められるように努力するさ」
疑わしげな視線を向けられても尚、任せておいてと言わんばかりに普段は張らない胸をぽん、と打つ。何処から来るのさ、その自信。半眼の少女はその内心を少しも隠そうとしない。こう言っては何だが、最盛期の師匠をしてもルヴィが暴走状態になった場合は無事では済まない。これは推察では無い。事実だ。
それ程にあれは、規格外なのだ。あれと向き合う際の基本姿勢は、あれを本気で怒らせないこと。それに尽きる。
カルがあれの隣にいて生き延びているのは、その強運によるところも勿論あるが。それ以前にその基本姿勢を頑なに守り続けているからだ。
「……トンネルの一つを崩壊させた人が言う言葉じゃないな」
「ああ、巻貝行路のことだね? あれは不可抗力だよ。そもそもそんな昔の話、よく覚えていたねぇ……」
ああ、覚えているとも。あの日は師匠が悪酔いをして帰って来たことに加え、その全身を砂埃まみれにしたまま家中を飛び回られたからね。当時、ルヴィと共に半日中雑巾がけに明け暮れたことを今もまだ、覚えている。「このまま永眠させない?」と笑顔でルヴィが聞いてきた時も、辛うじて頷きこそしなかったが……正直半々で揺れていた。寝汚さについてはまだ良い。ただ、酒を起因とした悪癖については看過できない。単純に、自分たちを含めた周囲の迷惑だ。
翌朝にケロッとして懲りずに酒をちびちび飲んでいた際には、思わず漬物石を投擲もする。これを器用に避けた時の師匠のしたり顔程、殺意を覚えるものもなかなか無い。
「……ほら、昔は昔。今は今、だよ」
「ご都合主義にも程度があるよ。……まあ、いいか。でもね、師匠。それ以前にここからどう逃げ出せと?」
「まぁ確かに、飛竜は目立ちすぎるね。確実にルヴィの炎に巻かれるだろう」
――――だから、今回は特別だよ。
師匠がそう、声に出したのとほぼタイミングを同じくして。雨風とは異なる一際強い風が吹き付けてきた。次に目を開いた時には、見知った気配が窓辺に立つ。
「……クルル、ルーアを頼んだよ。『夜光の森』を抜け、最後の平原を駆ければ海原が見えて来る。絶対に送り届けるんだ。分かったね?」
「ニャア」
月明かりを寄せ集めて形にしたような、優美な白。今の今まで野良猫たちと戯れていたのか、気配は唐突にあった。風を纏い、屋根を駆けあがって来たその巨大な白猫。窓枠に体を寄せ、主の声に一声鳴いてグルグルとその喉を鳴らした。
「クルル……久しぶりだな」
「ウニャ」
少女が軽く手を上げて巨大な白猫に声を掛ければ、嬉しそうな表情で左右に尻尾を揺らした。三人いる弟子の中で、唯一クルルが懐いたのはカルーアのみ。ヴァイレットはそもそもあまり動物好きではなく、好んでは近寄りたがらなかった。アルヴィンに至っては、暇があれば少女にすり寄る白猫へ事あるごとに毒入りのご飯を差し入れていた。質が悪い。その日々の積み重ねによって、彼らの関係が修復不可能なほどに険悪なものになったのは言うまでもない。
要するに少女が特別なわけでは無く、他の二人に懐かれる要素が無かっただけの話だ。
「……師匠、ありがとう。ただね、」
「うん、分かってるよ。飛竜を林に置いているんだろう? でもそれは……『飛竜御者』として名を馳せたベリル・クラウレッドを前にしてするような心配かい?」
「…………読心術を多用し過ぎだよ、師匠。ここまで先んじられると逆に気持ち悪い」
「仮にも師に気持ち悪いって……ルーアちゃん。いえ、問題は其処じゃないわ。そもそもね、わたしの名前を知っていることに逆に驚きを禁じ得ないのだけれど」
「マスター、師匠は二つ名を持つ武人の類はほぼ暗記してる」
「何よその無駄な特技!?」
「……それは当人に言ってくれ」
苦笑した少女は、思う。たった数日の旅路でも、周囲にいつしか集う輪があることを。その事に対する不思議な感慨と、感謝の気持ち。そして後には退けないという思い。
ここまで背中を押された上で、首を振る理由も無いね。変人ばかりが集ったものの、案外ここに至る道は『彼ら』と共に歩んでこそ得られた道筋であった気がしないでも無い。ややこしい? 仕方も無いよ。本心から素直に認められるほど大人でも、物分かりが良い訳でも無いからね。
「……今回は師匠に甘えよう。ごめんな、クルル。山を降りたばかりで疲れているかもしれないが、もう少しだけ頑張ってくれるか?」
「ウニャ」
任せておけ、と言わんばかりの得意げな一声。うんうん、師匠の不確実極まりない『任せておけ』よりも余程に信頼がおけるね。昔から頼りになる子だったけれど、久しぶりに会うと余計に頼もしく思えるものだ。
荷物を背負い直し、そのまま窓枠を軽々と乗り越えた少女は手慣れた様子で白猫の背に乗った。勿論、その腕には灰色の塊を抱えている。まだ微かに香ばしい香り。微妙な心持ちにもなる。
こう言っては元も子もないが、飛竜よりも乗り心地は格段に良い。ふかふかした毛に顔を埋めたらそのまま眠ってしまいそうだ。この点に関しては、逆に雨の日で良かったと思う。
湿った毛に躊躇なく顔を埋められるような猛者は、おそらく師匠くらいなものだ。恐るべし、猫毛。そして流石は師匠。またの名を眠りの権化とも呼ぶ。
「じゃあ、後は任せたよ。君たち。死なない程度の検討を祈る」
「うわぁ、見事に迷いのない笑顔。よっぽど会いたくないんだねぇ。因みに、出立前に一つだけ!」
「……ヒルト、だからもう何度言ったら……はぁ」
「あんまり暗い顔ばっかりしてると、女の子が寄り付かなくなるよ。ユギ?」
「誰のせいだ! 誰の!」
「……あんた達、仲がいいのは分かってるけど大概になさい。時間が無いのよ?」
「よく分かってるねぇ、マスター。ほら、ユギ。空気読んで」
「お前だけには言われたくねぇ!」
……無視して出立していいかなぁ? 馬上ならぬ、猫上で視線を交わした一匹と一人。全くもって話が進まない。こうしている合間も、空を焼く火柱は刻々と街へ迫っているのだ。
「……おそらく海都に着いた後、落ち合う場所に関して確認したかったんだろうさ。ルーア、以前に僕が知人と待ち合わせによく使っていた『海鳴の鐘楼』の下で落ち合おう。海都のシンボルだ。あそこならまず、迷うことは無いからね」
「分かった。もしお互いが無事に辿り着けたときは――鐘楼の鐘の下で」
「久しぶりに酒を酌み交わせてよかった。――ルーア。君に幸運を」
背後で言い合いを続ける三者を尻目に、暫しの別れを告げた師弟。見送る師がパチリ、と指を鳴らしたのを合図に跳躍した白猫。その背に少女を乗せ、疾風の如くその場を去った。
そうして酒場の屋根の上に残った師――ハイナス・フレイヴァルツ。見送りのその瞬間まで、柔らかさを残していた表情も、ここに来て別人の如く冷ややかな気配を纏った。同じく微笑みを形作っていても、明らかに違う双眸の色。
ややあって振り返った彼は、いつの間にか沈黙していた彼らへ淡々と告げる。
「ここから先は、死地だ。あれはカルーア以外に対して一切の情の類を抱かない変態だからね。命が惜しいなら、ここに残るといい。この酒場は街のほぼ中心だ。ここまでは炎が及ばないように、一応踏ん張ってはみるつもりだから、生存率は格段に上がる。――――選択するのは君たちだ、白鯨の双補佐殿」
「……わたしは」
「ベリル・クラウレッド。君は駄目だよ。死地には連れていけない。その実力を疑って言うわけじゃない。君には別のやるべきことがあるだけだ」
「……そう、ね。分かったわ」
静かに首肯し、背を翻した。月の色の髪がふわりと熱風に晒されたが、その横顔には少しの迷いも見えない。
「飛竜を一旦浮島の方角へ戻すわ。ルーアちゃんからの預り竜をこんな所で焼死させるわけにはいかないもの。それに――――これは御者としての矜持でもある」
ひらひらと後ろ背に手を振り、隙の無い身のこなしで階段を降りたマスター。猫と少女に続いて酒場を去っていく。
「……それで? 残る君たちの答えを聞こう。さっきみたいに仲良しこよしを始めるなら、無視していくからそのつもりでね」
「答えなんて初めから出てるよ。誰が止めようと、あの火炎の下へ行く」
「……俺はここで」
「ユギ?」
「……俺の意思」
「はい、決まり。二人ともお供しますよ『軍神』殿」
にこにこと笑み崩さぬ白藍の青年の背後、未だにテーブルの下に半身を残したままの葡萄色の青年が「俺の本心は真逆です」と言わんばかりの必死の表情を浮かべていた。
だがしかし、基本的にその場に善良な性質の人間は残されていない。そもそも存在したのかと言う問いかけは無為だ。答えは分かり切っている。これ以上、時間を無駄には出来ない。
「……まぁいいよ。じゃあついておいで。命の保証はしないけどね」
「ほら、行くよ。ユギ。渋るならテーブルごと引き摺って行くけど?」
「……これで死んだら、悪霊として舞い戻った後、お前の背中に張り付いてやるからな……」
「うんうん、やる気があるのはいいことだね。さあ、いざ往かん死地へ!」
「お前は一度、悲壮感というものを覚えた方が良いぞ……」
「君たち仲がいいのは良いけど、程々にね」
言い終りと共に、鳴り響く轟音と上空から飛来する塊。雨粒に入り混じるようにして、地上へ降り注ぐ炎を纏った無数の岩だ。
咄嗟にそれを躱したユギ青年以外の二人は、其々の得物を用いて、物理的に飛来物を弾いていく。
「……化け物が二人いる」
思わず口に出して零していたユギ青年を振り返り、『軍神』と称された男は尚も飛来し続ける炎を纏った岩の塊を打ち砕き、微笑んで告げた。
「そう。ここから先は――――人外の領域だよ」




