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少女が旅立つことを決めた理由、その実プロローグ

 *



 それは一つの知らせから始まる。

 まだ雌鶏も鳴き出す前の、早朝。朝焼けに染まる町の、東の端。(セラム・)雛罌粟(ポピー)が揺れる丘の上の小さな屋に一つの溜息が零れ落ちた。


「……魔王でも、あれを粛清には至らなかったか」


 仕方が無い。こうなることも予想は出来た。内心で諦めと共にそう呟く。

 あれを如何こう出来るのは、恐らくこの世でも限られた人数しか存在しない。いや、寧ろ自分が知る限りでは一人か二人。そしてその一人二人でさえも、確実にとは言い切れなかったりする。

 魔境の王は風聞ほど力を有するモノでは無かったということ。その名の物々しさには能わず、他愛無いことだ。とはいえ早い段階で分かっただけでも、それなりに意味はあったと思うことにする。何事も無駄にはならないものだね。

 取り敢えず心の中だけで、合掌しておく。南無。


「さてと、まずは荷造りだ。あれが魔境から帰還するのには精々二日か……長く見積もっても四日位だろう。パーティの人間が少しは足止めをしてくれると楽なんだがなぁ」


 それもまあ、いわゆる希望的観測にしか当たらないだろうとも分かっている。

 うんうん、と一人で頷いた後は振り返らない。顧みない。そんな暇はないからね。

「よし、やるか」と。部屋の隅に数日前から纏めつつあった荷物を、魔獣の皮製の頑丈かつ伸縮性に優れた袋へ無造作に詰め込んでゆく。保存食と数日分の衣類、大陸の地形図、大きめの外套、コンパス、魔獣除けの聖水晶、簡易カンテラ、調理用具と小振りのナイフ数本。割れ物は布で包んで、隙間には水蜘蛛の糸を中心に編み込んだ縄を詰めた。その他にも目に留まったものを入るだけ押し込み――――最後に不揃いな二本の刃を重なった荷の上へ重ねた。袋は、あえて薄汚れて見えるように事前に細工してある。本来はそれなりに価値のあるものだ。ただ、その辺の盗賊に目を付けられて厄介事を引き寄せるのも面倒だからね。

 今はただ、出来るだけ遠くへ。その障害になり得るものは事前に潰しておくのが合理的と判断した。あれが容易に捕捉できないくらいに、距離を稼いでおくことが肝心だ。それ以上に優先されることはない。少なくとも、現時点では。


 ごそごそと、袋に詰め込めるだけ詰め込んだ後は。一杯になった革袋の端を、これまた頑丈で伸縮性には定評のある魔獣の尾でぎゅうぎゅうと縛って閉じる。

 よし、一先ずこれでいい。無意識に詰めていた息を長々と吐きだして、そのまま満杯の袋に寄り掛かるようにしながら、愛しの我が家を見渡した。


「……次に帰れるのは、いつになることやら」


 ぽつり、と呟いた彼女。言葉の端に滲む諦観。どこかで帰れないことを受け止めているのだろうと感じさせる色が混じる。

 窓から差し込む朝焼けに照らされるのは、眩しげに眼を細めた齢十五の少女。柔らかな瑪瑙色(アガット)の髪はちょうど背中を覆うほどの長さ。普段は仕事をする時に視界を邪魔しない程度に軽く縛って、残りは背に流しっぱなし。愛嬌のある顔立ちに、くるりと丸い翡翠の目。外見だけなら、まるでコマドリのような愛らしさと称される。あくまで外見だけなら。常について回るその補足に、当人さえも頷く始末。


「はぁ……しんどい。あんまり逃げ回るのも性に合わないんだけどな。でも、このままあれの帰還を待つのは論外だし、やれやれ。どうしてあれも俺なんかに執着するのかねぇ……」


 何も手を打ってこなかったと言われるのは、心外だ。これでも十二分に思いつく限りの案を片っ端から試してきた。例えば、事あるごとに吹き込んでみる作戦。

 何を吹き込んできたか? まずはあれだ。世の中には数えきれないほどの美人や自分よりも遥かに可愛らしい女性陣が、軒を連ねて美形男児を待ち望んでいるという現実をね。

 あれほど煌めく顔貌をして、選り取り見取りじゃないか。人の世には望んだところで、そもそも顔面を入れ替えることも出来ない奴らが沢山いる。その点で、顔貌の良さ。これは非常に有利だ。恵まれている。むしろ生来の武器と言い換えてもいい。云々。

 言葉を尽くして、さあ外へ出ろ。そして世の女性陣たちをその目に映せと説得に励んだ日々。いやはや、懐かしい。別に戻りたくはないが。しかし、あれは言葉を尽くした自分に対して何と返したと思う?

「僕はお前以外を娶る気も、抱く気も、同じ室内で空気を吸う気もまるでない」と来た。

 いや、本当にあれは鳥肌ものだった。必死で押し隠した自分は偉かった。というか、現実的に考えて三番目に上げたやつは無理な話だ。それについても補足しておいた。だがしかし、あれは最後まで訂正しようとはしなかったな。頑固というよりかは只の馬鹿だ。真正の馬鹿という五文字はあれの為にあるんじゃないかと本気で思ったくらいだ。それでも諦めずに、矯正に取り組んできた自分は表彰ものだと思って憚らないね。

 事あるごとに、村でも好意が著しい女性たちへ押し付ける努力は欠かさなかった。

 理由を付けては、二人きりにしてみたり。時には周囲に脅し同然に協力を取り付けて、雰囲気作りに駆け回ったものだ。

 しかしそれも全て、粉塵に帰した。跡形も残らず粉砕される乙女心は数知れず、むしろあれが自分に向ける執着は年度単位で増加し続けるばかり。数々の涙ぐましいまでの努力も、結局は実を結ぶ気配もない。儘ならないね、人生って奴は。


 それはさておき、だ。

 現状は一体どうなっているということを説明せねばならないね。


 端的にいえば、あれは今魔境にいる。少なくとも今現在が先頭に付くものの、その事実は変わらない。肝心なのは、どうして魔境にいるかだろう。それはつまり、あれが勇者という大抜擢のもとに村を出ているからだ。

 因みに村を出たのが、今より数えること七日前になる。あの日は有るか無しかの期待を抱き、夜も眠れずに酒瓶を丸ごと一本空けたのだが……いやはや、早まったことをした。今は後悔している。とっておきの熟成酒を前祝と称して呷った自分の若さが眩しいよ。

 うーむ。どう言い訳をしたものか。あれ、実は師匠の大切な一本だったのだ。こうなった現状では、言い訳のしようがない。次に会う時までに何かしら理由をこじ付けておかないと。うん、確実に面倒事を押し付けられる。そんな機会を与えたら、どんな無茶ぶりを振られるか分かったもんじゃない。


 話が大きく逸れてしまうな。そろそろ現実に戻ろう。


 先ほど、魔術師としてあれに同行していた幼馴染の一人から早文が届いた。

 きっと命がけだったろうな。万一あれに見つかりでもしたら、幼馴染の間柄であったとしても消し炭くらいにはするだろう。あれならそれ位は躊躇わずにやってのける。その危険も顧みず、早文を送ってくれた度胸もさることながら。本当にあいつはいい奴だ。出来ることなら、最期までバレずに寿命を全うしてもらいたい。


 早文の内容は、要するに「さっさと村を出ろ」という警告文に他ならない。一見しただけなら、ただの事後報告にも見えなくはないけどね。

 だがしかし、村でも数少ない、信頼のおける彼が綴った端的な一文。

 それを目にして、思わず空を仰いだ。実際のところ室内だから、空は見えない。天井を見上げながら「やっぱりそんな簡単にはいかないか…」と苦笑混じりに思っただけだ。



 ――――魔王討伐、成功。最短で帰還する。



 魔王よ、出来るならばあれの四肢を奪うくらいは奮闘してもらいたかった。と。

 そんな内心を周囲に零せば、きっと反逆の意図を問われて処刑されかねないだろう。だが、それは紛れもない本心だった。

 可能な限りの手は打った。それでもあれの執着は断ち切れない。そこへ、お誂え向きに下った勇者招致の知らせ。そうしてあれは旅立った。最後まで渋ったものの、国に目を付けられるのはあれとしても本意ではなかったのだろう。対外的には、粛々と従った図だ。しかし期待も空しく魔王は倒され、残された未来は帰還する勇者と据え膳の如く捕食されるであろう自分。いや、そんな未来は御免被る。


「さて……そろそろ行きますかね。めくるめく官能の世界なんてお呼びでないんだ。残念ながらね」


 よいせ、と。詰め込めるだけ詰めた革袋を軽々と持ち上げて小柄な少女はドアに向かって歩き出す。


 タイミングとしては、少女がドアに手を掛けるのと、駆け込んで来ようとした来訪者が開け放とうとしたドアがその顔面を強打するのが同時であったらしい。

 乙女としては若干、野太いかな程度の悲痛な声が早朝の丘に響いた。少し間をおいてからドアの外を確認する。額を押さえて悶絶している少女が一人。まじまじと彼女を観察し、それがレベッカ・ノイン。村長の一人娘であることを確認しがてら、ドアに鍵をかけて回る。表と裏口、それから隠し扉の全てにだ。


「いっ……痛いじゃないの! この馬鹿女、男女、怪力娘! この美しい顔が造形を崩したらどう償ってくれるのよ?!」

「やあ、おはよう。レベッカ嬢。じゃあ、俺は急ぐからこれで」

「相変わらずの男っぷりね? そのガサツさは生涯直す気はないのかしら? 嫁の貰い手も困る……。って!! ちょっと、無視して歩きだすんじゃないわよ?!」

「はいはい。失礼っと、通して通して。とにかく急いでるんだ。ああ、それと」


 急にくるり、と向き直った少女へ勢い余ってか。つんのめる形になったレベッカ嬢。流石に虚を突かれたのか、直前まで文句を続けていた口も半開きのまま声も出ない様子だ。


「場合によっては、今後村へ戻ることは無いかもしれないから。数年たっても戻らない時には、土地の権利書を村長へ譲渡するつもりでいると伝えておいてくれるかな?」

「え、な……貴女一体何を言って……」

「君が何をしに来たのかは、察しがついてる。つまりは、村を出て相応な男へ嫁げと。それに近い助言をしにわざわざ来てくれたのだろう? 君の懸念は、最もだ。あれに俺なんて分不相応だよ。正直自分でもそれは痛いほどに自覚してるさ。だから、先んじて旅に出ることにしたよ。ちなみに他に言いたいことはある? 出来れば端的にお願いしたいのだけれど」

「あ、あなた……いいえ、いいわ。行って。その通りよ。他に言うべきことはありません。村長への伝言も、私から責任を持って伝えるわ」


 半ば呆然としていた目も、次第に満足げな色に染まる。よし、首尾は悪くない。では後をお願いするよ。レベッカ嬢。自分が村を去り、そしてあれが戻った後も――――叶うなら、君の生命が無事であらんことを願うばかりだ。


「あ、貴女もそれなりに元気で暮らしなさい。そうそう、以前に村へ来ていた商人が言っていたのだけれど、今は北側の治安が良くないらしいわよ。参考になさい」

「有難う、レベッカ嬢。早起きは三文の得という言葉もあるように、俺からも一つ。有るか無しかの善意から伝えておくよ。あれが帰還した時に、けして貴女自身が俺を見送ったことは言葉にしないように。これを守る限り、きっと貴女は不慮の事故で命を落とす羽目にならずに済むだろうから」

「……? 意味はよく分かりませんけれど、承知しましたわ」


 今は分からなくてもいい。とりあえず、命が助かることが優先だ。とはいえ、具体的な話をしている時間もないからね。レベッカ嬢、貴女に幸せな日々が残されることを願わずにはいられない。


 丘を下り、大量の荷物にやや引き攣った表情を隠しきれていないレベッカ嬢へ手を振って別れる。愛しの我が家とも、おそらくこれが別れの時。束の間見上げ、その後は振り返らない。昨夜の雨で、所々にぬかるんだ地面を踏みしめて歩き始める。

 今はまだ牧歌的な空気に包まれている、穏やかなリー・デルッカ村。その名の由来は、『西方の葡萄畑』らしい。確かに、村の至る所で葡萄畑が段を作っている。こうして村を出る間際になって、ようやく思い返すというのも考えてみればおかしな話だ。


「さらば、第二の故郷。もし再び帰る時があれば、ここを終着の地と定めよう」


 葡萄の葉に付いた露を、指で弾いて。その露が地面に落ちた後には既に、村を背に歩き出している。

 こうして少女 カルーア・リルコットの逃亡劇は幕を開けたのだった。


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