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心の扉  作者: 雨宮翼
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第八話

 月明かりが大地を薄らと照らす。周りに街灯はなく、月明かりだけがそこへ続く道標となっていた。

 しかし僅かな月明かりも清良学園高等部と中等部の両敷地を分断する体育館によって断ち切られる。温水プールに格技場、バスケットコートにバレーコートを二面ずつと広大な敷地を有する体育館。わざわざ屋内施設にする必要はないのでは、との声も上がっているとかいないとか。

 時刻は先ほど午後九時を回ったところ。昼間は温かかった風も肌寒いものへと変化している。

 霧也は月明かりの届かない体育館が作り出した影の中へ身を溶かしこませていた。

辛うじて窺えるのは白い色。頭からつま先まで一部ずつではあるが微かに白色が見える程度。直立不動で、姿勢を崩すことはない。

 (暗い。真っ暗だ……)

 暗闇に不安を覚えるのは視覚の機能がうまく働いていないからというが、果たして本当にそうなのか。実はオカルトチックに幽霊が取り憑いているせいではないのか。はたまた暗闇自体が人の心を煽るよう世界が作り出した存在なのではないのか。霧也は空に広がる星空を視界の端に入れながらどうでもいいことを考える。

 本当にどうでもいいことだった。

 (そう、どうでもいいことだ。俺は知っている。こんな暗闇より恐ろしいのは……。本当に恐ろしいのは……)

 ザザ――。

 耳元に付けたインカムからノイズと共に声が鼓膜を打つ。

 「ちょい霧也、ボーっとせんといてや。早よう回答せんと」

 意識を無理やり正気に戻した。

 視界の端に映り込む星空から、目の前に佇む紺色ベースのセーラー服を着た女子中学生へと注意を移す。制服に別段特徴が無いことが特徴の清良学園中等部の制服だった。

女子生徒は両手を胸に付いたリボンを握りしめ、ジッとこちらを見つめている。表情に不安な影はない。中学生とは思えないほど落ち着き払っている。

 どこにでもいるようなごく普通の子。雰囲気は真面目そうで清楚な感じ。夜中に一人出歩き正体不明の不審者と密会し、こんな質問を笑顔でするような子には見えない。

 『クラスメイトの女の子を私の手を汚さず、誰にもバレないよう殺すにはどうすればいいですか?』

 なんて人としての一線を越えてくる質問をしてくるような女の子にはとても見えなかった。

 「オンルッカー様?」

 女子生徒はちょこんと首を傾げ、こちらの様子を不審がる。

 された質問にすぐ答えることが売りの都市伝説的存在が十数秒も黙っていれば当然の反応だ。

 霧也は頭を切り替える。今の自分は清良学園二年二組在籍の沢城霧也ではない。白い布で顔から体から全身を覆った正体不明の人物。都市伝説『オンルッカー』なのだ。

他人が道を踏み外そうとしていても、人間性に異常を抱えていることを発見しても、自分には関係ない。深く関わり合う必要はない。

 なぜなら、これはビジネスなのだから。

 (あいつとの契約だから)

 ザザザ――。

 『霧也』

 再びインカムからノイズと苛立ちを含んだ声が意識を引き戻す。

 霧也、『オンルッカー』はクスっと笑い、女とも男ともとれる少し掠れ気味のハスキーな声で、

 「後悔せずに聞きなさい。あなたの望み、叶えさせてあげる」

 女子生徒の、未だ女子中学生という若者の越えてはならない一線を越えさせた。



 霧也は女子生徒が完全に去ったことをインカムで告げられるや否や、全身を覆っている白装束を脱ぎ捨てた。通気性の悪い布切れだったらしく、霧也の額には汗が浮かび、頬を伝っている。息がし辛かったのか、心なしか呼吸も荒らくなっていた。

 「お疲れ。ホレ、これでも飲んで体冷やし」

 薄ら笑いを浮かべながら現れた有香がコンビニの袋から缶ジュースを取り出し、霧也の手元に放り投げた。ラベルには強炭酸の文字が大きく印刷されている。

 有香は何故か制服姿。学校が終わってから一度も帰宅していないのだろうか。

 霧也は投げられた缶ジュースをキャッチし、プルタブを開けると一気に飲み干す。缶ジュースの中身が無くなっても、最後の一滴まで飲み干そうと首を直角に曲げている。相当白装束が暑かったと見える。

 有香もその横で自分の持つ缶ジュースのプルタブを開け一口。

 「ぷはぁ! この一杯の為に生きとんなぁ!」

 口の端から垂れたジュースの雫を袖口で拭う。

 仕事が終わって一杯やっているオヤジの如き台詞と行動を一介の女子高生が行うとは。

 見た目は綺麗系女子高生、中身はおっさん。嫌な特徴である。

 「しっかし、今回のお譲ちゃんも飛んだ質問してきとったなぁ。ま、自分も相当飛んだ解答しとったけど」

 「どこが飛んだ解答だ。ちゃんと相手が満足するような答えだったろうが」

 「はっ。あんな適当で曖昧な答えのどこにそないな自信を持つ個所があるんかいな。『その女の子を好きな男子を使いなさい。そうね、自分でその子を殺せば未来永劫あなたの物になる、とでも言ってみればいいわ』なんてあんな隠喩だらけのコトバ、解読するだけでメンドイわ」

 自分の手を汚さずに特定の誰かに危害を加えようとするのなら、第三者の手を使え。霧也が導き出した答えである。とは言うものの、対面した女子中学生に告げた解答は、ドラマに出てくる殺人者が罪を暴かれた際に述べるような大人のドロドロした恋愛感情からなる愛憎の果ての結果である。思春期の男子生徒がそこまでの愛憎を孕むのかと問われれば微妙なところ。

 「どんな解釈にでも化ける万能な回答だろ。満足して帰ってったんだ。文句垂れんな」

 「文句なんて垂れてへんよ。単純にウチは自分からあーゆー答えが出るなんて思ってもみぃひんかったからな。ちょっと不思議に思とるだけや」

 「単純にそっちのほうが面白くなりそうだろ。それに、あの子がどういう結末を辿ろうと俺には関係ない」

 普段のお節介焼きの霧也からは想像もつかない言葉。有香は「おお、怖っ」と呆れにもにた苦笑を浮かべる。

 霧也は以前も中学生を相手にした時、わざわざ感情を逆撫でするような発言をしていた。高校生や大学生相手ではまず余計なことを口走らないのだが、どうやら中学生は特別らしい。それも悪意を持って接するほど。

 しかし、有香は霧也のそれを止めようとはしない。彼女も霧也同様相手が自分たちの回答でどんな行動を起こし、どんな結末を迎えようと関係ないと思う人種だった。今まで大切に築き上げてきた人間関係が壊れていく様ほど心躍るものはないと思う。むしろ悪い結果に転んでくれたほうが今後の展開を心躍らせながら見物できる。まるでテレビドラマを見ているかのようにワクワクしながら。

 さらに、悪い結果に転べば転ぶほど『オンルッカー』に頼る声が増えていく。悪循環は悪循環を重ねていくものだ。

 問題を解決せども解決せども、人間の黒い感情がなくならない限り回答を求める声が消えることはない。中学生のような感情が不安定な時期であれば尚更だ。

 霧也が中学生に抱く感情がなんであれ、自分のビジネスが潤うのなら敢えて静止をかける必要はない。

 (後はまぁ、こんなことくらいで自分の傷を癒せるんならウチが口出しすることあらへんしな)

 有香は多少なりともお堅い思考したために肩が凝ったのか、首や肩を回してコリをほぐしていく。

 「そういや」

 「うん? どないしたん? はっ! やめてや、ウチに欲情すんのは……」

 「誰がするか! どっかの叔母さんみたいなこと言うな! 今までの会話からどうやったらその流れに持ってけるんだ! って、そうじゃねえよ」

 「言いたいことあるんならハッキリと言いや。もじもじしとる男ほど気持ち悪いもんあらへんよ」

 「誰が話逸らしてたんだよっ、誰が!」

 眉間に皺を寄せた霧也が有香の鼻っ面に人差し指を突き刺して唸る。これが漫画ならば額に怒りマークが三つほど浮かんでいたことだろう。

 さすがに詰め寄られたことで多少なりとも身の危険を感じたのか、有香は苦笑いを浮かべながら手を前に突き出してそれ以上の霧也の進行を妨げる。これが昼間で誰か他にも人がいたのならツッコミを入れて終わりだったろうが、誰にも見られていない空間で無駄なエネルギーを消費する気はなかった。

 ガルルル、と獣のような効果音が出始める前に有香が口を割る。

 「あれやろ、あれ。あの子から何貰ったか気になるんやろ? ホンマお節介焼きやなぁ」

 「ここでお節介焼きとか関係ないだろ。単純に興味があるだけだ。俺は俺の欲しい情報のために協力してるわけだが、お前は直で報酬貰ってるわけだろ」

 「せやな。まぁ、貰とるっちゃ貰とるな。大したもんちゃうときもあるし、ありえへんもんまで貰うこともあるな」

 ありえないもの、とは果たして一体なんなのか。報酬イコール金、と平凡なイメージしか持ち合わせていない霧也には到底思いつかないものなのかもしれない。

 「まぁ、大体は金品やけどなぁ。中には地位とか実績を貰うこともあるわ」

 「は?」

 霧也が素っ頓狂な声を出す。

 予想が半分的中していたことにも驚いたが、もう半分は理解に苦しむもの。いや、意味が分からない。

 物質ではないものをどうやって手渡すことが出来るのだろうか。地位ならば、例えば生徒会長の席を譲る、などではないだろうかと想像がつく。

 しかし、実績を貰う。

 これに関してはノーアイディア。既に過去、その人物に付いた半ば歴史のようなものを如何にして譲り受けるというのか。

 「解釈がちゃう。その実績をウチ個人のものするんやなくて、それをウチが自由にどうこうしてええってことや」

 「だから?」

 「頭回っとらんな、自分。つまりな、その実績を好きなように取り消し、もしくはそれを好きなように汚し貶めることが出来るってことや」

 「最悪だな」

 飄々と語る有香の黒い発言に、霧也はわずかながらも嫌悪感を覚える。

 自分に向けられた感情を感じ取ったのか有香は、

 「自分のこと棚に上げて何言っとんのや相棒。そもそも、自分は身内やない赤の他人が傷ついたとしても動じへんやろ。嫌悪感とか感じとんなや」

 それに――、と有香は霧也の耳元に口を近づけて続ける。

 「自分も片棒担いどること忘れんなや。前みたいなことが起こってもウチらは一蓮托生。表裏一体の存在で、運命共同体なんやからな」

 耳元で囁かれたことがくすぐったかったのか、それとも有香の言葉に悪意でも感じ取ったのか、霧也は飛び跳ねるかのように数歩後退した。

 悪寒が走ったかのように冷えた汗が背中を伝う。

 脳みそへ無理矢理イヤホンを差し込まれたかのように、頭の中をいく数の言葉が木霊する。

 『だからお前は駄目なんだ』『助けてって言った覚えなんてない』『君は優しいね』『こんなこと今すぐやめなさい』『こいつは悪くない』『うるさい』『お前のせいだ、お前のせいで』


『償え!』


 霧也が胸の辺りを掴み、呼吸を荒くし始めた。それに伴い目の視点が泳ぎ、瞬きの回数が多くなる。

 その姿を有香はジッと見つめている。日常で見ているのかさして興味がないのか、心配しているのでもなく、哀れむでもなく、ただただ無表情に無感情にジッと網膜へと焼き付けている。

 霧也は過呼吸のように呼吸を荒くし、時折口の中の唾液を吐き出す。

 だが、自分の身に起こる激しい動悸に愉悦を覚えるかのように笑顔を浮かべていた。

 そして、蘇る過去の言葉を飲み込むように喉を嚥下させていく。ある程度頭に響く言葉を飲み干したところで過呼吸に逆らい、

 「誰が……逃げるか」

 と、消え入りそうな声にならない声を搾り出し、胸を抑えたまま有香を上目遣いで見据える。

 「お前こそ……約束忘れるなよ」

 「安心し、約束は守る。嘘はつかん。それがウチ、『オンルッカー』の信念や。ま、代価が貯まるまで頑張りぃや相棒」

 と、有香が労いの言葉を投げてやるも、霧也はフルマラソンを走りきったかのように苦しそうに俯いており、聞いているのかどうかも分からない。しかし、力なく有香を指さしてくる。

 見かねた有香は頭を搔き、霧也に近づく。おもむろに、苦しく歪む霧也の顔を右手で掴むと、自分の顔を霧也の顔に重ねた。もとい。自分の唇を霧也の唇に重ねた。

 お互いの息が混じり、交換されていくのがわかる。

 十数秒程が経過しただろうか。

 有香のおかげでなのかどうか分からないが、過呼吸が治まりかけた霧也が突き飛ばすように有香の胸を両手で押した。

 「な、なななななななな何してんだよお前は!」

 「何って、苦しそうにもがいてる相棒の過呼吸を治したろうと思ったウチの優しさやけど?」

 「余計な優しさだ! どういう理屈でこんな行動に持ってくんだ!」

 「あん? 自分がウチを求めてきたんやろ? 指までさしよってからに」

 肩を竦めてため息混じりに、目の前で騒ぐ貧弱男を見つめる瞳を細めた。

 「お前じゃない! お前の持ってるビニール袋を指差したんだよ! 俺の持病知ってんなら分かれよ! ヘタしたら俺死んでたぞ!」

 有香は左手に持つ緑色のロゴが印刷された白いビニール袋に視線をやる。

 過呼吸の対処法としては袋などに口を当てて吐いた息を再び吸い込む、という行為を繰り返し、血中の二酸化炭素濃度を上げる方法が一般的と言われている。袋に関しては紙袋でもビニール袋でも構わない。しかし、密封の袋で行うと酸素不足に陥ることもあるため、袋を口に当てる際少し感覚を空けなければならない。

 だが、今回の場合は口を完全に塞がれていたため、多少なりともリスクを負っていたことになる。

 「方法はともあれ助けてやったんや、感謝しぃ。お礼は明日の昼食で――」

 「今の対価はこれで勘弁してやる」

 霧也はズボンのポケットから四つ折りにされた真っ白な紙を取り出した。

 「ちょい、ウチが対価払うんか! おかしいやろ。乙女の唇をやったんに、こないな仕打ちて!」

 「あぁん? 純情少年の唇を奪っておいてそのセリフか? 痴女として学校中に広めれても仕方ない行為をこれで見逃してやるってんだから、有り難く受け取っておけよ」

 「ぐぬぬぬぬ……」

 納得いかないといった表情で差し出された白い紙を睨みつける有香。だが、脅しの恐れもあったのか、これ以上粘っても自分に不利だと判断したらしく、白い紙を奪うように乱暴な手つきで受け取る。

 奪い取った流れのまま有香は器用に片手で紙を広げ、中を確認し始めた。

 そこには、時間をかけて丁寧に書いたつもりの角張った字がびっしり書いてある。記述してあるのは複数人の人名とその人物に対する調べて内容等。書き終えた直後、パソコンで書いて印刷すればよかったと後悔したのは今更である。

 「これ、いつまでにやればええん?」

 「お前の都合で構わないけど、なるべく早めにしてくれると助かる」

 期日は特に無い事を伝えるとも、有香は「ウチを舐めるなよ」と言わんばかりの余裕の笑みで返してきた。

 伊達に知識欲を満たすことを趣味として生活していない。

 「ほいじゃあ、今日は解散としますか。また仕事あったら連絡するさかいな」

 「オーライ。あ、っと有香。もう一ついいか?」

 「ん? 他の情報を求めとるんなら追加料金もらうで?」

 「ちげえよ。それはそれでもういい。これだよこれ。どうにかなんねえか? 暑すぎて息止まりそうになんだよ」

 地面に叩きつけたままの白装束を指さす。汗が染み付いたそれは選択するにも隠れてしなければいけないし、干すにもこれまたシーツと一緒に干すなどのカムフラージュを必要とする。

 だが、今一番言いたいのはもっと改良の余地があるだろうということ。真剣に取り組んでもらいたい。

 決定権を持つ有香は、霧也のどことなく必死な表情を一瞥すると、「ふっ」と鼻で笑い、

 「無理や」

 と提案をたった一言でバッサリと切り捨てた。


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