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心の扉  作者: 雨宮翼
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十二話

 目をうっすらと開けて最初に見えた景色は暗闇に浮かぶ真っ白い天井だった。今寝ているのは自分の部屋ではない。どこか他の場所。

ベッドを囲む白いカーテンと薬品のような臭いが漂うことからここが病院だということはすぐに分かった。

 起きたばかりで頭はボーッとしているが、ゆっくり記憶を辿っていく。

 (そういや車に撥ねられたんだっけか……)

 ゆっくり手足に力を込めてみる。鈍い痛みが所々に走るが、動かすことに支障はない。どちらかというと体育祭後の筋肉痛のほうがしんどいくらいだった。

 わざと体に痛みを与えて頭を起こしていくと、カーテンの向こうに人の気配を感じた。

窓から差し込む陽の光で浮かび上がるシルエットを見る限り、人影はスカートを履いている女子のようだ。

 霧也が寝返りをうった際、ベッドのスプリングが軋む。

 音を聞き、霧也が起きたことが分かったのか、影の人物はしずかにベッドを覆うカーテンを開く。

 目を痛くするほどの太陽光が眩しい。

 「気分はどうや」

 姿を見せたのは制服姿の有香だった。

 学校はサボってまで重症の霧也に付き添ってくれていたのだろうか。

 「体があちこち痛いけど特にこれといった違和感はねえよ」

 「当たり前や。ただの打撲と擦り傷で死ぬわけないやろ」

 「は?」

 「ん?」

 かなり意外な事実を言われたような気がした。

 「あれ、俺車に撥ねられたんだよな?」

 「ウチは見とらんから正確には知らんけど、車と事故ってへんで。派手に車道へ飛び込んだだけや。だからあんたの症状は打撲、擦り傷のみ。まぁ、あんたを避けた車は電柱にぶつかってポシャったらしいけどな」

 全く記憶になかった。

 車道に落ちて車が近づいてきた辺りから全く覚えていない。目を瞑っていたからとかではなく、記憶自体が欠損している。つまりこれは記憶障――。

 「事故る直前ビビって気絶したんやろ。どんだけチキンやねん」

 「おまっ。あれどんだけ恐かったか――」

 「分かっとる。冗談や。それよりも聞きたいことあるやろ。質問受けたるわ」

 霧也は好意を素直に受け取って、遠慮なく質問をぶつける。

 質問をして分かったのは、どうやら本当に車と接触事故はしていないようで怪我は大したことはないらしい。けれど、念のため精密検査を行うとやらで入院する羽目になったようである。

 それとなく耳に残ったのは、相対した久住はどさくさに紛れて姿を消していたということ。周囲に他に目撃者もいなかったことから久住が疑われることも今のところないようだ。霧也と乃衣の証言次第では警察を動かすことも可能かもしれないが。

 斗羽も今回のことにはショックを受けていたようだが、状況を把握した有香がうまく宥めておいてくれたらしい。たぶん今頃ベッドでゆっくり体と心を休めているだろう。

もう一つ、聞いておかなければいけないことがある。霧也にとってはこれが一番重要だった。

 「……乃衣はどうなった?」

 「ああ、あの可愛らしい親戚の子か。やけにテンション高い母親と一緒に帰ったで。てか、あの母親なんやのん。ダークスーツ着た強面の男二人も引き連れて病院来るとかギャップありすぎやろ」

 「あの人の仕事上仕方ないねえよ。つか、あの人のことはどうでもいい。乃衣はどうだったんだよ」

 「錯乱……までは行かへんけど、結構パニクってたで。目の前で自分が事故りそうになったのもあるけど、トラウマの元に会うたってのが一番やろな」

 今回のことが原因でまた引き篭ってしまうのではないか、という不安が霧也の頭を過った。

 俯き、シーツをギュッと握る。

 自分の失態を思い返していても、後悔先に立たず。しかし、頭では過ぎたことだと分かっていても、心が失態を悔いる。あの時こうしていれば、こうだったら、とイメージ映像が頭の中を動き回って離さない。

 「それとな、最後にもう一つ」

 霧也が顔を上げて、有香と視線を合わせる。

 ベッド脇に置いてある緑のパイプ椅子に置かれていた鞄を手に持つところを見ると、今から学校へ向かうようだ。

 ちらりと有香の腕時計で時間を確認したところ現在午後十一時を回ったところ。重役出勤もいいところである。

 だが、そんな微笑ましい思考は次に有香の口から飛び出してくる言葉によって、完膚無きまでに叩き砕かれた。

 「八尋親子の会話から推測したんやけど。どうやら乃衣ちゃん、今日登校するらしいで」

 体が勝手に動く、とは正にこのことだろう。

 霧也は薄手の掛け布団を跳ね飛ばし、スリッパも履かずにベッドを飛び降りた。体の節々が痛いはずなのに、何の痛みも感じない。

 「ちょい待ちぃ、霧也!」

 病室から響く有香の静止の声も振り切り、霧也は病院服のまま廊下を疾走した。有香が未だ何か叫び続けているが、霧也はお構いなしに走る。途中で車椅子の子供や杖をつくおじいさんと接触しそうになるも、ギリギリのところで回避した。

 しかし、患者の無茶な行動及び病院内でのマナー違反を院内の関係者が許す訳ない。直ぐ様若い女性看護師と警備員に捕まった。不運なことに看護師は霧也の担当らしく、日頃の仕事で溜まったうっぷんを晴らすように、病院内マナーに関するお小言を口にし始めた。

 後ろから有香も追いつき、お小言を鬱陶しそうな表情でもらう霧也の顔に容赦なく一発拳をブチ込む。担当看護師や周りの患者に見られていようとお構いなし。有香的にはどうせ殴ったところで若いカップルの喧嘩が始まったとしか思われないだろう、という考えがあった。

 「アホかお前は!」

 耳元で叫ばれた霧也は思わず両耳の穴を人差し指で塞いだ。

 だが行動遅く、キーンと超音波にも似た甲高い音が鼓膜の奥で鳴り響く。

 「こっち来ぃ!」

 首根っこを掴まれた霧也は、抵抗するも虚しく周囲の視線を一同に受けながらズルズル引きずる。看護師も警備員も有香の勢いにポカンとした表情で二人の後ろ姿を見つめていた。

 有香に連れて行かれたのは、病院内でもある程度人気が少ない端にある階段脇。連れ込まれるなり有香は霧也を壁に叩きつけ、胸倉を掴んだ状態で顔を鼻がつくんじゃないかという距離まで近づける。

 「……いい加減にしいや。ウチが口挟む事やないけどな、一応協力しとるさかい言わしてもらうわ。やる気ないんならもう止めたらどうや? 不特性多数の恨めしい中学生の人生狂わせるんなんて。自分の心の傷癒す方法自体が狂っとるっちゅうに」

 有香が顔を離し、嘆くように額を手で押える。

 「ああ……、十分に理解してんよ。自分が異常だってことくらい。でも、いいだろ。これが俺の唯一傷を癒せる方法なんだから。それに、そろそろ蒔いた種が開花する時期なんだ。今さら止められねえよ」

 「なら、今お嬢ちゃんのとこ行くんは得策やないやろ。わざわざ出た芽を自分で摘む気か?」

 有香が掴んでいた霧也の胸倉をゆっくり放す。

 掴まれてくしゃくしゃになった服の胸元を霧也は両手で正した。服装を正した霧也の表情はどこか暗い。

 事実、今ここで乃衣の所へ飛んでいくことは得策でない。言われるまでもないことくらいは分かっている。

 霧也が狙いを定めていたのは、観察のしやすい様身近な場所である清良中学。現状『オンルッカー』の心理操作によって清良中学の一部の生徒の心身は不安定な状態にある。それは依然霧也が相談相手になった少女の口から出た言葉からでも明白だろう。

 『クラスメイトの女の子を私の手を汚さず、誰にもバレないよう殺すにはどうすればいいですか?』だなんて、普通の心理状態から発される言葉ではない。そんな不安定な場所に部外者の自分が飛び込んでいけば、少なからず綻びを崩壊させてしまう恐れがある。自分の力で、だ。それは追い求めていた崩壊の姿ではない。

 それに理由はどうあれ登校拒否だった乃衣が登校したのだ。久住が居ようとも、乃衣の友達が守ってくれるかもしれない。あの役に立たない川内じゃなくても他の教師が助けてくれるかもしれない。必ずしも悪い結果に転ぶとは決まっていないのだ。全てがうまい具合に作用し合って乃衣が学校復帰出来る可能性だってある。機転になるかもしれない時を、自分の独りよがりな行動で不意にしてしまうことはない。

 けれど、どうしても乃衣の様子が気になってしまう。親戚だからか、同じ状況下にある人間だからか。

 「止めてくれたことには礼言っとく。けど、乃衣の様子だけ後で教えてくれ」

 「ふーん。そこだけは譲れんか。同類相憐れむ、ね。そんで? それだけじゃないんやろ?」

 「お前の先読みスキルなんなんだよ……。まぁ、やることはある。あのガキ、俺を敵に回してことを後悔させてやる。『オンルッカー』のサイト使いけどいいよな?」

 「好きに使い。ログインパスは前回のままや。その代わり、全部終わったらウチとの約束も忘れんといてえや」

 有香は霧也の胸に拳を軽く当てて、薄く笑みを浮かべた。

 「分かってる。約束……てか契約だからな」

 「忘れてないんならええわ。ほな、ウチは学校行くけど、自分さっきみたく突っ走るのだけは気ぃつけや」

 と皮肉も若干含んだ物言いを残して、有香は玄関入口へ歩いて行った。

 遅刻していようが特別焦りも急ぎもしない相棒の背中を見送って、霧也もサイトへアクセスするため、携帯の元へ。つまり元いた病室へと戻ろうと傍の階段へと足を伸ばす。しかし、一段目に足を乗せるなり、ピタっと動きを止めた。

 「……俺の病室ってどこだっけ」

 周囲を見渡すも、地図らしきものは見当たらない。結局ロビーまで戻り、受付カウンターで自分の病室を聞くことになる。その際、何故かまだそこに居た担当看護師から再びお小言を頂いてしまうのは自分の不幸体質を嘆く他なかった。


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