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心の扉  作者: 雨宮翼
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第九話

 眠気と戦いながら怠惰的に受けていた午後の授業がすべて終了した。午後のとはいえ、果たして午前中は真面目に取り組んでいたのかと問われれば首を傾げるしかない。

しかし、閉じられたノートには黒板に書かれた文字を、一文字一句間違わずに写してあった。講師の付け足しなどは完全にスルー。それでも写しておかなければ後々の宿題やテストに大きな影響を及ぼすのは必至。直前になって友達のノートを必死に写すことこそ時間の無駄である。

 タイムイズマネーではないが、時間は大切なものだ。今からの時間も自分が生涯過ごす人生の重要で貴重な数時間になることは間違いない。

だからこそ、とっとと帰宅して準備をしなければならなかった。

 霧也は本日の宿題に使う教科書とノートを茶色い鞄に仕舞い、隣の席で爆睡している有香の頭を一発叩く。

 そういえば、有香は今日一日ほとんど授業に出ていなかった。午前は全てサボり、午後は六時間目から参加。

 「おい、俺先行くからな。お前本当に来んならゆっくり斗羽と……あん?」

 一発叩かれて多少覚醒したからか、有香は手を制服の中に入れ中をもぞもぞとまさぐる。

 まさか寝ぼけて変なことでもしているんじゃないだろうか、と思っていたがどうやら違ったらしい。ひょこっと制服の中から取り出したのは、百円ショップにでも売ってそうなリングで綴られた簡易なメモ帳。

 メモ帳を差し出した状態で、有香は再び浅い眠りについた。

 (どんだけ眠いんだこいつ……)

 やれやれ、と肩を竦めつつそれを受け取り、中を開く――。

 「――っ!」

 一瞬、呼吸が止まった。

 ゆっくり一ページ目から捲っていく。

 (おいおい、どんだけだよ……マジで! このために授業サボってたのか?)

 メモ帳のほぼ全てのページを使って、昨晩霧也が依頼した調査結果がびっしり書き込まれていた。

 どうして手書きなのかは分からないが、これだけのページを埋め尽くす文字数ならば相当手間と時間がかかる。調べてから筆記するにせよ、調べながらの筆記にせよ、確実に徹夜になっているはず。

 期日指定はしていなかったし、そっちの都合でいいと言ったにも関わらず最短での結果報告。有香なりの優しさなのか、それとも……。

 (まぁ、何にせよ助かる。……今度甘いもんでも奢ってやっか)

 もう一度有香の頭を今度は軽く小突くように触る。

 (おっと、もう準備しないとな。伊織との時間が削られる。二人乗りから始まる幸せな時間を過ごすんだ)

 素早い動きで霧也はメモ帳を鞄の中に仕舞い、帰りの掃除のため道具を用意し始めたクラスメイト達の間をすり抜けるように歩いていく。

 すり抜けたと思った。

 「さーわーしーろーくーん。なーに、帰ろうとしてるのかなぁ?」

 名も無きクラスメイト数名に行く手を阻まれ、体をホールドされる。皆どこか呼吸が荒く、殺気が滲み出ている。

 「離せよ! 今日俺掃除当番じゃないだろ! 帰らせろよ!」

 「そんな冷たいこと言うなよ、沢城。友達だろー? 掃除くらい手伝ってくれよー」

 「ちゃちゃっと終わらせてくれればいいからさぁ。あ、その後僕らとお茶でもしにいかないかなぁ?」

 「その後、バッティングセンター行ってカラオケ行って夕飯食って帰ろうぜー」

 わさわさ集まってくる名も無きクラスメイト全員、霧也を家に帰す気はないらしい。加えてこの後強制的に拉致し、夜まで自分たちと一緒に居させるという。

 何としてでも蹴散らして、状況を打破しなけれならない。だが、多勢に無勢。三人くらいまでなら自力でどうこうなるものだとタカはくくれるが、今集まってきているのは十数名。クラスの男子半分以上にも達する。これは単なる力技にも出られない。話術に繰り出そうとしても、全員に効力があるとも思えない。

 (名前すらも付かないモブキャラ以下の存在程度に、自分の人生の機転になり得るかもしれない時間を奪われるのか……)

 圧迫され、男臭に包まれ、呪いのような言葉攻めにされ、霧也の意識が奪われていく。

 だが、絶対絶命の霧也を女神の一言が救う。

 「あれ、霧也くん帰らないの? 私準備終わったからいつでもオーケーだよ」

 斗羽の声が霧也の意識を呼び覚まし、封印されし力を覚醒させる。

 「うおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

 叫び声と同時に、霧也を囲みホールドしていたモブキャラ衆が視認できない力によってはじき飛ばされた。

 実際は斗羽の声に反応した輩がドミノ倒しの要領で勝手に倒れていっただけなのだが。傍から見ると、霧也が取り囲む生徒達を吹き飛ばしたように見えなくもない。その証拠に帰り際のクラスメイトがヒソヒソと耳打ちし合う姿もちらほら。会話自体は聞こえてこないが、奇妙なものを見る冷たい視線は霧也とモブキャラ達に向けられている。

 また謂れのない変な噂が広まることだろう。

 モブキャラ達の妨害から解放された霧也は斗羽に精一杯の強ばった笑顔を向け、

 「こっちも準備オーケ。とっとと行こうか」

 床に重なるように倒れている名も無きモブキャラを、執拗に足踏みをするかの如く踏みつけながら霧也は扉へと歩く。時折、急所など踏みつける場所が悪く悲鳴が聞こえてくることもあったが完全に無視する。

 最後の一人の腹部を丁寧にグリグリと踏んでその場を去ろうとしたその時、足を掴まれた。掴む力はそれなりだが、サッカーボールを蹴るように大きく振りかぶれば簡単に振りほどける。単なる悪あがきにしか過ぎないが、決め台詞くらいは言いたいのだろう。

 ほんの少しだけ、一秒にも満たないくらいの時間待ってやることにした。良心良心。

 「沢城ぉ、後で伊織の感触こっそり教えて――」

 「俺の良心返せ!」

 怒りの四つ角を額に浮かべながら、霧也はモブキャラの口を顔ごと縦に踏んづけることで塞いだ。気絶はしていないだろうが、顔を踏まれたモブキャラは頬をうっすら涙で濡らしながら脱力した。

 これにて障害完全突破。

 「お待たせしたな伊織」

 「だ、大丈夫かな? 皆ピクリともしないけど」

 「一言気遣いの言葉でもやったらすぐ回復するんじゃねえの?」

 「え、えーっと。皆掃除頑張ってね!」

 気遣いでも労りでも、ましてや元気づける言葉でもなかった。ただ単に今から行わなければいけない作業を急かしたようなもの。だが、それはただの一般人であった場合のこと。学園のアイドル的存在とも呼ばれる斗羽の一言とするならば話は別だ。

モブキャラたちは斗羽の声を復活の呪文にでも見立てたように、そして聖者のように生まれ変わったかのごとく清々しい顔つきで掃除道具を手に取る。中には掃除当番ではない生徒が混じっているが、そんなことお構いなしのようだ。

 最後に霧也は未だ眠りこけている有香を一瞥して教室を出ていった。


 駐輪所へ霧也が先に自転車を取りに行くことを斗羽に伝えると、「私も行く」との返答。

斗羽は学校から家が近くにあり徒歩通学のため、用はないはず。確かに駐輪所へ一緒に行き、そこから昨日からワクワクしていた夢の二人乗りをすれば多少なりとも時間短縮にはなる。期待に胸膨らませる一方、不安の影が落ちてきそうな予感がした。

 「真実は時に残酷だ」

 悪い予感は的中した。

 と言うよりも、今日の目的と目的地の関係からして、この可能性しか当てはまるものがない。

 霧也の視線の先、愛車から五台ほど離れたところのシルバーメタリックのママチャリ。 そのハンドルを斗羽が掴んでいた。霧也の引き攣った表情をキョトンとした顔で見つめている。

 考えが甘かった。

 普段徒歩通学だからといって自転車を持っていないというわけではないし、二人乗りを前提に敢えて乗ってこないわけでもない。

 そもそも、二人乗りは道路交通法で違反されている。だから二人乗りが阻まれるのは可能性云々ではなく、初めから決まっていた決定事項だった。

 「敵は国そのものだったってことか……」

 愛車のハンドルに手を乗せ、肩を落としながら大きなため息を吐く。

 「ど、どうしたの? 体調でも悪い?」

 カバンをママチャリのカゴに入れながら、心配そうに斗羽が尋ねてくる。

 「気にしなくていい。ちょっと今後、国の法律とどう戦おうか考えてただけだから……」

 「国……?」

 「多分夢を叶えるには閣僚にでもならないといけないと思うんだ。だから俺は勉強を真面目に始めることにする」

 「じゃあ、今日お邪魔するのは悪いかな?」

 「だ、大丈夫だ。明日から始めるから!」

 余計なことを呟いてしまい、慌てて言葉に修正をかける。内心ドキドキしながら、ぐっと顔の横で握りこぶしを作った。

 しかし、これは典型的なやるやる言ってやらないパターン。どうせ宿題とテスト勉強しかしないことは火を見るより明らかである。

 二人は手馴れた手つきで自転車のロックを外し、自転車に跨る。そのまま目配せで合図するとペダルを漕ぎ出した。霧也のマウンテンバイクと違い斗羽の自転車はママチャリなので、ギアチェンジはあまりしない。男子と女子の脚力の違いでギアチェンジなどせずともスピードに違いは出るが、もちろんほどよい加減に調節する。

 校門を抜け、地獄の坂道を風を切って下っていく。心地よい風が顔を軽く撫で、髪をなびかせる。

 現在霧也が先導。

 後ろを走れば斗羽のいい匂いが漂ってきたろうな、などと不純な妄想をしながら、

 「そういえば、今日有香来ないってさ」

 「え、そうなの? てっきりルンルン気分で来ると思ってたのに」

 「ルンルン気分……?」

 有香にそんな可愛らしい表現は合わないと即座に思った霧也だった。彼女に合うのはどちらかというともっと腹黒い効果音ではないか。例えば、グヘヘとかグフフとか。

 (これ効果音じゃないか……)

 完全に笑い声である。

 「ねぇ、今日はお家の人いるの?」

 「家の人? 言ってなかったっけ。大人はいないけど親戚の女の子が一人……」

 教室でこのことを言ったのは有香に茶化されている時。乃衣が家に居ようと居まいと家の中が綺麗であれば問題はない。

 霧也の顔色が心なしか白くなっている。

 (しまった……、あいつに言ってない!)

 一応あの家の人間なのだから一言断っておくべきだった。乃衣が普通の状態であるならば問題無いだろうが、引き篭りの若干人間不信という特殊な状態。そんな子がいる家に予告なしで知らない人間を連れて行っていいものだろうか。

 携帯で連絡しようにも乃衣の連絡先は知らないし、まどかに連絡を取ろうともすぐ返事が返ってくるとも限らない。というか、まどかとはあまり積極的に関わり合いたくない。

 「私本当にお邪魔してよかったの?」

 急に黙りこくってしまった霧也に訪問中止の提案を遠まわしに告げる。

 「問題ない! ちょっと人見知りする親戚の女の子が一人いるけど仲良くしてやって!」

 女の子同士だから特に焦ることもないように思えるが、心配事は尽きない。乃衣ではなく、斗羽に。

 たまに学校では見せる学校でのハリセン攻撃もそうだが、斗羽はちょっと変わっているところがいくつかあるらしい。有香談なので信憑性は高いだろう。その内の一つである可愛いものを見た時モードが、乃衣と会った瞬間に発動しそうで恐い。

 (まあ、どうなるかなんて分かんないけど。とりあえず、乃衣頑張れ)

 心の中で未だ来訪者を知ることのない乃衣へと熱いエールを贈る霧也だった。

 その二十数分後、八尋邸に到着する。


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