~5~ サイラスの記録①
商家で生まれ育ったサイラスは、独立し若手の行商人として駆け出しだったある旅の道中、粗暴な盗賊団に目を付けられ包囲されてしまった。
複数の相手に対し、サイラスはたった1人。
しかし、彼は悲観しなかった。
サイラスは、旅の途中に荒くれ者や群れで襲いかかる魔物に遭遇しても、自身の力で切り抜けられるよう独学で魔術のノウハウを身に付けていた。
とは言っても、商学と並行しながら学習したため、簡単な初級魔法を覚えるのが関の山だったが。
青二才のサイラスを心配した商人ギルドは、老婆心ながら護衛を付けるべきだと忠告したが、それでも彼は自らの力で切り抜けて見せると息巻いて拒むほど、自分の力を過信していた。
しかし、それが大変な過ちであったことを彼はそのとき思い知らされるハメになった。
習得した魔法を試すいい機会だ、とサイラスは緊張感の中にわずかな高揚感も感じていた。
相手は盗賊、つまり人間で魔物と比べればたいしたことはない。
その先入観も相まって、サイラスは余裕に構えていた。
ところが、悪いことに首領の男がサイラス以上にレベルの高い魔法を操る魔術師だったのだ。
首領が駆使する魔法の力にサイラスは圧倒され、呆気なく彼は四面楚歌の絶望的な状況に追い込まれてしまった。
品物どころか直感で命まで奪われるに違いない、とサイラスが悟ったそのときだった。
突然、耳をつんざくどころか大地をも揺るがすほどの咆哮が響き渡り、パニックに陥る彼らのそばを巨大な怪物が地響きを立てて降り立った。
艶のある真っ赤な鱗が太陽の光でルビーのように輝くレッドドラゴンだった。
そのときのサイラスは驚きと恐怖に支配されハッキリとした記憶が残っていなかったが、ドラゴンは盗賊たちに牙を剥いてその場から立ち去るよう命じた気がしたという。
盗賊たちが泡を食って逃げ出した後、ドラゴンは残ったサイラスをジッと見下ろした。
禍々しいオーラを放つ相手にサイラスは全身が強張ったが、ドラゴンは厳かな顔付きとはとても不釣り合いな優しげな眼差しを向けながら、器用に人語を操り彼の身を案じた。
サイラスが恐々と頷くと、ドラゴンは安心した様子で微笑みを浮かべた。
そのときの彼によると、人の生まれ変わりではないかと思えるほど人間味に満ちた表情に見えたという。
レッドドラゴンは旅の健闘を祈ると、西にある険しい山脈に向かって飛び去った。
それから数日が経過した。
行商先での商いを終えた彼は、ふと先日助けてくれたドラゴンにまともにお礼が言えていないことに気付き、仕事ついでに買った手土産をお礼に贈ろうと考えた。
そのときの記憶を辿り、ドラゴンが西の方角にある山脈へと飛び去って行ったのを思い出す。
行商人ゆえに地理には絶対的な自信があるサイラスだったが、本当にそこにドラゴンがいるかどうかは確信が持てなかった。
それでも彼は、絶対にいると信じて目指した。
山の麓にある大きくも小さくもない町に到着したサイラスは、ひとまず町民たちから情報を得ようと聞き込みを開始した。
しかし、彼の口から“レッドドラゴン”という言葉が飛び出た途端、町の人々は揃って血相を変えて逃げるようにサイラスから離れた。
ヒソヒソ…と、露骨に薄気味悪そうに話し合う町民たちを見たサイラスは、どうやらドラゴンの特徴を事細かく伝えてまで情報を得ようと試みる必要性はないな、と内心で苦笑した。
好奇と不審な眼差しを向ける町民をやり過ごしながら、サイラスは町を越えた先にある山道に向かって歩いて行った。
長い年月、人の往来がされた形跡のない獣道をサイラスは登り続けた。
草木が生い茂る道を進み続けた結果、ゴツゴツとした岩肌が巨大な壁のごとくそびえる壮観な景色が広がる美しい場所に辿り着いた。
人どころか、魔物の気配もない。
それはつまり、ここがレッドドラゴンの根城だからだろう、と彼は推測した。
付近を調べた彼は、岩肌にぽっかりと空いた1つの大きな洞窟を発見した。
穴のそばに近付いた彼は、暗闇に覆われた奥から漂う異様な気配を感じ取った。
最初は臆病風に吹かれたサイラスだったが、ゴクリと息を呑むと意を決して洞窟に足を踏み入れた。
持参のカンテラを片手に奥へ奥へと進むと、咆哮とともに突然視界が明るくなった。
天に向けて吐かれたブレスが洞窟内の壁を覆い尽くし、岩の壁にかけられていた人為的に飾られたものかどうか怪しいいくつもの松明に火を灯した。
すっかり明るくなった洞窟の中で、サイラスはあのレッドドラゴンと再会を果たした。
ドラゴンはサイラスのことを覚えており、意外な訪問に驚きつつ嬉しそうに彼を迎えた。
一方のサイラスは、唐突の凄まじい歓迎に棒立ち状態になってしまった。
我に返ったサイラスは、盗賊たちから守ってくれた感謝を改めて述べるとともに、お礼として買った手土産の食料をドラゴンに贈った。
ドラゴン基準からすればスズメの涙程度の取るに足らない量で、サイラスはこれくらいしか用意できなかった自分をそのとき情けなく思ったという。
しかし、レッドドラゴンは彼の気持ちをいたく気に入った。
その証として、これまで同族以外に明かしたことのない「ディアンカ」という名を彼に教えた。
さらにディアンカは、いいものを見せてあげるからそばへ来なさい、と彼を促した。
おずおずと彼女のそばへ寄ったサイラスが見たのは、巨大な尻尾に包まれた3つの卵だった。
〈私のかけがえのない宝物よ〉
と、ディアンカは母性的な瞳で卵を見下ろし口元をほころばせた。
生まれて初めて見るドラゴンの卵にサイラスは感激したが、すぐにおや…と眉を寄せた。
2つの卵は燃え盛る炎のように赤々とした模様に対し、残りの1つは大海原を思わせる青々とした美しい模様で彩られていたのだ。
サイラスが興味本位から尋ねると、ディアンカは神妙な面持ちで彼に事情を説明した。
―――今から数ヶ月ほど前のことだった。
産卵からほどなくして番のオスを魔物に殺されてしまったディアンカは、産み落とした2つの卵を看ながらエサとなる獲物の確保に精を入れていた。
ある日、遠方に生息する獲物を狙って少し遠出した彼女は、とある山脈の中腹でうずくまっているブルードラゴンを発見してギョッとした。
太古からレッドドラゴンとブルードラゴンは対立状態にあり、その関係性は互いの姿を捉えるや否や砲弾のごとく突撃し戦いをおっ始めるほど悪かった。
やがて、両者の諍いは各地に甚大な被害をもたらし、いずれ深刻な環境破壊を招き兼ねないと同族たちの間で問題視されるようになった。
結果、双方の一族はそれぞれの領域及び領空への侵入を犯さない不可侵条約を締結すると同時に、テリトリー外で互いの姿を認識しても決して手を出さず、互いにやり過ごすという約束を取り交わした。
後者は誓約ではなくあくまで約束事だったが、双方のドラゴンたちはそれぞれの姿を捉えても見て見ぬフリをしたり素通りしたりするなどして、祖先より受け継ぐ攻撃的な性格を緩和させる努力に徹した。
それにならうためにディアンカは迂回を試みたが、ふとある疑問が彼女の脳裏をよぎった。
主に沿岸や岬を縄張りに持つブルードラゴンが、近場に海どころか大きな川すらない山地に、なぜたった1頭だけでいるのか?
それも、無防備な姿を堂々とさらしてである。
不審に思ったディアンカは、意を決してブルードラゴンのそばに舞い降りた。
そして、彼女はそのわけを即座に理解した。
ブルードラゴンだったそれは、今や動かせなくなった巨躯をただ突っ伏すしか術がなかったのだ。
思いがけない現場に遭遇しディアンカは言葉を詰まらせたが、気を取り直すと恐る恐るブルードラゴンの亡骸に近付いた。
眠るように目を閉じているその表情には幼顔が残っており、体も成体のドラゴンと比べ小柄な点から未成熟の個体であることが窺えた。
襲われたらしい形跡もなく、ますます不思議に思ったディアンカは腹部のあたりを覗き込み、そしてハッと目を見開いた。
ブルードラゴンの腹と腕の間に、青々とした模様の卵がチラリと顔を覗かせていたのだ。
産まれて間もないのか、艶のある表面には粘り気のある液体が付着している。
途端に、ディアンカは沈痛な面持ちで小さくため息を吐いた。
未成熟な肉体を顧みず行った無謀な産卵…。
それによる尋常じゃない体力の消耗が原因で命を落とす事例は、人間の世界だけでなく魔物の世界でも例外なく確認されていた。
若さゆえ弾みで繁殖行為に及んだか、あるいは無理やり交尾させられた挙句に卵を身籠ってしまったこのブルードラゴンは、飛行中に急な陣痛に襲われ着陸を余儀なくされてしまった。
そして、自らの命を削るのも承知で産み落とした卵を外敵から守るため、最後の力を振り絞って抱き寄せそのまま絶命したのだろう、とディアンカは推測した。
死んでいる以上は手の施しようがない。
だが、問題は卵だった。
時間とともに冷たくなる亡骸と一緒では、雛の生命にも危険が及んでしまう。
万一孵化できたとしても、餓死するか捕食されてしまう運命を辿るのも目に見えている。
決心したディアンカは、ブルードラゴンの腕から慎重に卵の保護を試みた。
死後に伴う体の硬直でディアンカは難儀した。
あたかも、我が子だけは死んでも守り抜くという強い意志の表れかと思われるほど、その腕はガッチリと卵を包んでいた。
どうにか保護に成功したディアンカは、粘液まみれの卵を抱えたまま大急ぎで巣まで引き返すと、寄り添うように転がっている実子たちのそばにそっと置いた。
中の雛を安心させるように優しく頬ずりしてから、彼女は現場へとんぼ返りした。
ディアンカは比較的土の柔らかい地面を見付けると、両前足を使って一生懸命に掘った。
思いのほか時間がかかってしまったが、どうにか掘り終えたディアンカは若いブルードラゴンの亡骸を抱き上げ、ゆっくりと穴の中に横たえさせた。
それから黙々と埋葬に取りかかったが、その際彼女は土に覆われていくブルードラゴンの顔を見ないようにした。
埋葬を終えたディアンカは、本来の目的である狩りを中断しそのまま巣へと引き上げた。
そして、その日1日はずっと卵たちのそばにとどまった。
夜も更け、卵を守るように尻尾で包みながら眠りに就いていたディアンカだったが、夢の中である光景を目の当たりにしてハッと目を覚ました。
穴の中に横たわるブルードラゴンの顔が、土に覆われみるみる見えなくなっていく瞬間である。
昼間、見ないように努めていたはずの光景が夢の中でくっきりと映し出されたことで、彼女は初めて胸が張り裂けるような思いにかられた。
たとえ息絶えていたとはいえ、実の母親から子どもを引き離してしまった。
その行為は、果たして正しかったのだろうか?
我が子と引き離された母親は、黄泉の国で私を責めているだろうか?
将来、卵から孵ったその子に事実を打ち明けることができるだろうか?
我が子たちは、他色の子を家族として受け入れてくれるだろうか?
あれこれ考え思い詰めていたそのとき、突然どこからともなくか弱い鳴き声が聞こえた。
それは、保護した卵からだった。
キュゥ…キュゥ…、と切なさを孕んだ鳴き声が静かな洞窟の中で木霊し、ディアンカはオロオロしてしまった。
すると、彼女が産んだ2つの卵が、声に反応するようにモゾモゾと動き始めた。
こちらは鳴き声を発しなかったが、まるで寂しさに打ちひしがれているよその子を励ますかのようにコツンッコツンッと、互いの殻に触れ合った。
それが安心感をもたらしたのか、鳴き声は止み眠ったように静かになった。
すると、2つの卵も役目を終えたかのように落ち着いた。
その様子を見て胸が熱くなったディアンカは、微笑みを浮かべながら卵たちに頬を寄せた。
〈ありがとう。ごめんね…〉
この子たちは私が守り抜く…。
悩みを払拭したディアンカは、そう心に誓って愛しい我が子たちを長い首で包み込んだ。




