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~3~ 強い意志

 どれくらいの時間が経っただろうか?


 パチリと目を開いたリヴィアは、顔をかすかに上げてフィルたち一家の様子を窺った。


 炎がごうごうと燃える暖炉のそばで、フィルと妻のレナータはイスに座りながら気持ちよさそうに寝息を立てていた。


 レナータに抱かれたまま眠りこけているナディアとネルソンも、すっかり夢の中を満喫中のようだ。


 リヴィアは、長い首を蛇のように伸ばして眠っているエミリオを起こさないよう、そっと体を起こした。


 なにか重大な局面に立ち会っているのか、エミリオはキリッとした面構えでグルルル…と喉を鳴らしながら眠っていた。

 リヴィアにチョッカイをかけたときの無邪気さはどこへやら、そう思えるほど引き締まった寝顔だった。


 リヴィアは足音を忍ばせて歩き始めた。

 鉤爪が石畳に触れて音を立てないよう、慎重な足取りで少しずつ暖炉へと近付く。


《なにをするつもりだ?》


 突然、頭の中に聞こえた声にリヴィアはドキッとした。


 長い首を回して振り返ると、デュケインが咎めるような眼差しで見つめていた。


《起きてたの?》


 フィルたちを起こさないよう、リヴィアも念話(テレパシー)を使った。


《ネルソンに逃げられてからずっとな。エミリオがお前を茶化したのも見ていたぜ》

《そうだったの? 注意せず見て見ぬフリをするなんて、らしくないじゃない》

《いつもなら叱ったさ。だが、今回だけはあえて見逃したんだ》

《なんで?》

《自分で考えてみたらどうだ?》


 と、デュケインは素っ気なく言った。


 小首を傾げたまま考え込むリヴィアに、デュケインは聞こえよがしのため息を吐いた。


《フィルたちを見つめているときのお前は、心ここにあらずな顔をしていた。エミリオはきっと、お前が家族への憧れを抱いて感傷に浸っていると考えたんだろう。だから、慰めるつもりであんな行動を起こしたとオレは思っている。年甲斐にもなく品位に欠けたことをされて立腹しただろうが、エミリオなりの思いやりだったと理解してやれ》


 デュケインの推測を聞いたリヴィアは、ポカンとした顔でエミリオを振り返った。


 先ほどの凛々しい顔から一変し、エミリオは香ばしいニオイを辿るかのようにしきりに鼻をヒクヒクさせながら、ムニャムニャと寝言を言っていた。


 リヴィアは無言でそっと近寄ると、気に掛けてくれた感謝を込めてエミリオの頬を優しく舐めた。


《オレも異変には気付いていた。だから、お前がなにを考えているか確かめるために就寝を装って様子を窺っていたんだ。おかげで、身勝手な行動を事前に食い止めることができた》

《私はただ、暖炉のそばに移動して温まろうと思っただけよ》

《ウソを吐くな。また、魔石を持ち出すつもりだったんだろう? とすれば、目的は外へ出る以外考えられないが、分からないのはその行き先だ。一体、どこへ行くつもりだった?》


 と、デュケインはリヴィアの顔をジッと見すえながら詰問口調で尋ねた。


 リヴィアはおもむろに体の向きを変え、デュケインの前まで移動するとゆっくりと座った。


 両前足を組んで体を伏せるデュケインに対し、リヴィアはまるでお座りをする犬のような姿勢で兄と向かい合った。


《質問に答える前に聞きたいことがあるの》

《なんだ?》

《随分昔に、兄さんは卵の中でお母さまの声を聞いたことがあると言ってたわよね。そのときのことを教えてほしいの》

《そんな大昔の話を聞いてどうする?》

《兄さんの質問に対する答えに繋がるかもしれないから》


 神妙な面持ちで、リヴィアは兄の瞳をジッと見すえた。


 互いに見つめ合ったまましばらくして、デュケインは遠い過去を振り返るかのように天井を見上げた。


 この世に生を授かったすべての生き物は、成長の過程に伴い自己認識が芽生えて物心がつくようになり、それがやがて明確な記憶力として形成される。

 母胎や卵の中で丸まっているときの記憶など、おぼろげどころかまったく覚えていないのが当たり前で、それがいわば生物学上の常識とされている。


 しかし、彼は孵化する以前の記憶を断片的ではあるが覚えていた。


 狭くて真っ暗な楕円の密室の中、一刻も早く外の世界へ飛び出したいと待ち望んでいるかのように、彼はか弱い四肢と短い尻尾をもぞもぞと動かしていた。


 密室が揺れるたび、弟妹が宿る卵にコツンッコツンッと接触し小さな衝撃を感じていた。

 そして、それをクスリと微笑みながら眺める母竜の顔を、彼は分厚い卵殻越しに見た気もした。


 母竜は落ち着きのないデュケインをあやすように喉を鳴らしながら、まるでゆりかごを揺らすかのように鼻先で卵を揺すった。


《母上は落ち着きのないオレをあやした後、長い首で巻き取るように包み込んでオレたちを抱卵した。そして、心地よい子守唄を聞かせてくれたんだ》

《子守唄は私も覚えてる。安らぎのあるとてもきれいな音色だったわ》


 と、リヴィアも天井を見上げて懐かしんだ。


《特に鮮明に覚えているのは母上の温もりだ。分厚い卵に丸まっていたにも関わらず、包まれていたときの温もりだけはハッキリと覚えているし、決して忘れない気がする。不思議なものだ》

《無意識に記憶が残るほど、幼子にとって母親の愛情に満ちた抱擁はかけがえのないものなんだと私は思うわ》


 と言って、リヴィアはレナータに抱かれてスヤスヤと寝息を立てている2人の子どもを見た。


《…それで、これがさっきの質問とどう結び付くんだ?》


 デュケインが腑に落ちない様子で眉をひそめた。


《この悪天候の中、その温もりを必要としている子どもがいる。その子の所へ行こうとしていたの》

《つまり、母親のいないその子どものためにお前が代わりを果たそうというわけか》

《母親はいるわ。留守にしていて、今は父親と()()しかいないの》

《…もしや、グリフォンたちが暮らす例の里か?》


 リヴィアはコクリと頷いた。


 耳障りな音を立てて揺れていた窓はいつの間にか落ち着き、ピュ~ピュ~と不気味に鳴っていた隙間風も聞こえなくなっていた。

 風は(一時的ではあるだろうが)収まったものの、相変わらず降雪の量は外の様子が窺えないほどだった。


《そういえばグリンメル王国の事件以降、何度か足を運んではテオという名のグリフォンの子のことをお前は楽しそうに話していたな。あたかも子どもの成長を見守る母親のようだと、エミリオとフィルが言っていたぞ。かくゆう、オレもだが》

《幼い魔物にこれほど愛着が湧いたのはあの子が初めてだから》

《それで、実母が留守の今代理を果たしたいわけか。…いや、根っから純粋な庇護欲を持つお前に対して、『代理』という義務的な表現はふさわしくないかもしれないな》

《くみ取ってくれるの?》

《くみ取りはする。だが、魔石の持ち出しを見逃すわけにはいかない》


 と、デュケインはキッパリと言った。


《魔石がなかったら、この吹雪の中を過ごすのは難しいわ》

《それなら行くな。そもそも、お前が心配するまでもない》

《どうして?》

《バーバリアン・ウルフどもは、寒さを凌げる森林のない丘陵地を縄張りにしているから、やむを得ず冬ごもりしたんだろう。だが、あの里にはフェルナールの森がある。吹雪をやり過ごせるだけの充分な環境が整っているわけだから、いざとなったらそこへ避難しているはずだ。だから、お前が余計なお節介を焼くまでもないということだ》

《だけど――》

《とにかくダメだ。忘れたわけじゃないだろうが、お前はフィルにもう魔石は持ち出さないと自分から約束しただろう? オレもそばで聞いていた以上、言ったことには責任を持ってもらう》


 と、デュケインは間髪をいれずに言った。


《相変わらず()()なんだから…》


 有無を言わせぬ兄にリヴィアはぼやいた。


見てくれ()もな》

〈バカ!〉


 思わず声に出してしまい、リヴィアは慌てて口を閉じた。


 エミリオが口元をモグモグさせながらうなり声を出したが、幸い目を覚ますことはなかった。

 フィルたちも、聞こえなかったかのように眠り続けている。


 ホッとしたリヴィアは、なおも反論を試みようと身を乗り出した。が、口を結んだまましばらく固まった後、諦めたように長い首と翼をシュンッとしならせた。


《そうね…。約束は約束だから、兄さんの言う通りにするわ》

《今日は意外と物分かりがいいんだな》

《兄さんが堅物過ぎるのよ》

《そうかもな。…(あお)って悪かった》

《いいのよ。おやすみなさい》


 元気のない足取りで背を向けるリヴィアを見、デュケインはやれやれ…というように鼻から大きく息を噴いてうずくまった。


 これでようやく安心して眠れる、そう思ってゆっくりと目を閉じた。


 ―――ゴォォォォォォ…。


 不意に聞こえた音にデュケインはハッと顔を上げ、そして目を見張った。


 眠ったと思ったリヴィアが、暖炉に向かって長い首を伸ばしていた。

 しかし、魔石を取り出そうとしているわけではなかった。


 まるで憑かれたように、彼女は暖炉の炎を夢中で吸い続けていたのだ。


 デュケインが声をかけるのも忘れて呆然と見つめていると、リヴィアの体に変化が訪れ始めた。


 炎の吸収に伴い、彼女のたおやかで優美な瑠璃色の体が徐々に膨れ始めたのだ。


 柔らかな腹鱗の板がみるみる広がり、下と左右にググググ…とみるみる張り詰めていく。

 無神経な表現をするならば、まるで空気を入れられている風船のようだった。


 スレンダーな体がみるみる膨張し、程よい加減になったところでリヴィアは吸うのをやめた。


 膨れた腹が床にこすれないよう、リヴィアは四肢に力を込めて暖炉から離れた。


 そのとき、ジッと見つめるデュケインに気付き足を止めた。


《…あんまり見つめないでくれる?》


 リヴィアは口を一文字に結んで毅然としたが、込み上げる羞恥は次第に彼女の頬を赤く染めた。

 その横顔が欲情をそそるほどあまりに官能的だったため、デュケインは思わず息を呑んだ。


 顔を真っ赤に染めたまま行こうとするリヴィアをデュケインは呼び止めた。


《恥を忍んでそんな姿になるほど、お前がテオというグリフォンの子を想っているのは分かった。ただ、愛着があるとはいえ少々行き過ぎな気がして仕方がない。なぜそこまでする?》

《そうね…。しいて言うなら、私がお母さまと同じメスだからかな》

《やはり、まだ母上のことを?》

《帰ったら打ち明けるわ。そろそろ行ってあげないと…》


 と、リヴィアは苦しそうに膨張した体を動かすと、扉に向かってゆっくりと歩き出した。


《フィルがまた心配するぞ》

《彼が起きる前には帰ってくるから安心して。私だって、彼にストレスを溜めさせようと思ってるわけじゃないんだから》

《当たり前だ。その気だったが、力ずくでも止めてる》

《ところで、1つお願いがあるの。暖炉の炎が弱くなっちゃったから後で強くしてあげて》


 と、リヴィアは暖炉の方を見ながら言った。

 魔石の効果で炎はまだ燃え続けていたが、リヴィアが吸ったことで先ほどよりも火力はあきらかに衰えていた。


《断ると言ったら?》

《またお土産を買ってきてあげる。結構ハマってたみたいだし》

《異世界の産物よりも酒がいいな》

《昔みたいに見境なくブレスを吐いて暴れるからダメ。怯えたエミリオが泣きながら寝たこと、覚えていないでしょ? 慰めるのに苦労したんだから》

《妹のくせに母親みたいなこと言いやがって》

《あら、へべれけの兄さんを付きっきりで介抱したのは誰だったっけ?》


 ジトッとした目で見つめられ、デュケインは参ったというように苦笑した。


《…おい》

《?》

《フィルのことは心配するな。万一気付かれても、オレがお前に代わって事情を説明しておく。可愛い妹のためと分かればエミリオも擁護してくれるだろうから、安心して行ってこい。ただし、風邪だけは引いてくるなよ》

《分かったわ、兄さん。ありがとう》

〈気を付けて行けよ〉


 そう言って、デュケインは厳かな顔に似合わず口角を上げて笑顔を作った。


 胸の奥に確かな温かみを感じたリヴィアは、瞳を潤わせながら〈うん…〉と微笑んだ。

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