~2~ 避難勧告
「ただいま~、帰ったわよ。…あら、珍しい」
両手に1つずつ大きな袋を持って帰って来たリヴィア(人間態)が、レナータたちの姿を見て目をパチクリさせた。
「こんばんは、リヴィア。ちょっと避難がてら夫の様子を見におジャマしているわ。外、どんな様子?」
「骨身に染みるほど寒いわ…。心なしかどんどん激しくなってるようだし、外へは出ない方が無難ね。…あら、フィル。なにむくれてるの?」
腕を組んで渋面を作っているフィルを見て、リヴィアはキョトンと首を傾げた。
「こんな猛吹雪の中、一向に帰って来ないキミを心配するこっちの身にもなってくれ。第一、なんで人の姿のままなんだ?」
「空を飛んでると寒いんだもの。それに荷物もあったし…あ、そうそう。お土産があるの」
リヴィアは持っていた袋から長方形の木箱を取り出すと、中に箱詰めされていたものをその場にいる全員に配った。
ほくほくの蒸しパンの中に肉汁たっぷりの具がこれでもかと詰められた食べ物だった。
「アチッ。…でも、すっっっげぇウマイ!」
一口頬張ったネルソンが目をキラキラと輝かせて喜んだ。
どれどれ…と、レナータもナディアを抱えたまま、両手で柔らかい蒸しパンをゆっくりと半分にした。
パックリと開いた中から芳醇な香りが漂い、顔を寄せてニオイを嗅いだエミリオはペロリと舌なめずりした。
デュケインは寒い時期にこそ欠かせない酒を買ってこなかったリヴィアにネチネチと文句を言いつつ、なんだかんだ気に入ったらしく蒸しパンをポイポイと口に放り込んだ。
「とても美味しいわ~。ふっくらとした表面も具が一杯の中身も熱々で、こんな寒い日には打って付けね」
と、レナータは火照った頬に手を添え、うっとりしながら味わうように咀嚼した。
「以前、異世界に遊びに出かけたときに知った“肉まん”という食べ物で、教えてもらったレシピをヴァンハルトの有名な職人に渡したの。そしたら思いのほかの盛況ぶりで繁盛してるらしいわ〉
〈異世界の産物か。なるほど、パンみたいに柔らかな生地の中に満腹感を与える肉を詰め込むなんて、独特の斬新さだからね。リヴィアの言う通り体もポカポカになるし、肉汁たっぷりのしつこい味がボク好みだ〉
〈それは褒め言葉とは言わないぞ〉
〈気にしない、気にしない〉
呆れるデュケインをよそに、エミリオは小さな饅頭を旨そうに食した。
「あまりの人気で作り過ぎて困っていたみたいで、たまたま通りがかったときに譲ってもらったの。レナータたちが来てるとは知らなかったけど、多めに貰っておいて正解だったわ。…イケるでしょ、フィル」
と、リヴィアは自身のトレーナーの顔色を窺うように見つめた。
「…うん、美味しいよ。けど、これで説教を取り消したわけじゃないからな。さっきデュケインたちにも言ったが、ドラゴンはなによりも寒さを苦手とするんだ。いくら人の姿になれるとはいえ、キミはドラゴンなんだからそのところを弁えて行動してほしい」
「悪かったわ。でも、私は寒さにそれほど弱くはないわ」
〈それはどうかな? オレは平気にしても、お前とエミリオにはこの寒波はさすがにキツイはずだ。にも関わらずどうして大丈夫だったのか、素直に白状したらどうだ?〉
と、大量の肉まんを食して満足したデュケインは舌なめずりして言った。
「別に白状するようなことなんて…」
〈“ある”って顔してるぜ?〉
図星を突かれたリヴィアはもじもじすると、ポケットから真っ赤な輝きを放つ鉱石を取り出した。
「あら、きれいな宝石。それもお土産?」
と、レナータが呑気に尋ねた。
「いいえ。これは火の魔力を蓄えた魔石。これを持っていたおかげで寒くなかったの」
「それを持ってると寒くないって?」
「試してごらん」
リヴィアは興味深げに覗くネルソンの手に石を握らせた。
「…ホントだ、さっきよりも体がポカポカしてきた!」
実際、魔石を握った途端にネルソンからムッとするような熱気が発せられていた。
「すごい効果があるのね。どこでお求めになったの?」
〈アッハハ。残念ながら魔石は市販されていないんだ。特にこの属性付与の魔石は、長い歳月自然の妖気に触れながらその土地に住み着く精霊の力を授かって形成される代物から、ただの魔石以上に希少価値があるんだ〉
と、エミリオが学者風な口振りで説明した。
〈希少なのは確かだが、採掘できる土地によってその価値にも違いがある。たとえば、今リヴィアが持っている火属性の魔石は活火山でしか手に入らない。言うまでもなく危険地帯だし、そもそも魔石があるところ魔物ありと言われているから二重の意味で危険が潜んでいる。風属性の魔石も足場の悪い渓谷や断崖絶壁でしか見付けられないから、これもまた採掘の難しさから値打ちがある〉
と、弟に負けじとデュケインも解説に乗り出した。
「残念ねぇ…。素敵な輝きだから1つ欲しかったんだけれど」
〈『土』と『水』なら、活火山や渓谷みたいな危険地帯よりも比較的安全な場所で見付けられるし、凶暴化した魔物さえいなければ並みの人間でもすんなり手に入れられるだろう。ひとまずはオススメと言っておくが、もしも『火』か『風』のどっちかが欲しいのならオレに言ってくれても構わない。いつでも採りに行ってきてやるから〉
「あら、本当? それじゃあ、お願いしようかしらね」
「かーちゃん、ボクがひとはだ脱ぐからわざわざデュケインたちに頼まなくてもいいよ」
と、ネルソンがポンッと胸を叩いた。
〈ほぉ…頼もしいな。黒焦げになったり崖から落っこちたりする覚悟があるなら行くといいだろう〉
デュケインが脅すと、ネルソンは胸を張ったまま固まってしまった。
和やかに会話を弾ませる彼らとは反対に、フィルは憮然とした顔でリヴィアを見つめていた。
「さてはその魔石、暖炉に埋め込まれていたものだな。どうして黙って持ち出した?」
「一言声をかけるつもりだったけど、どこにも見当たらなかったから…」
「わざわざここのじゃなくても、外で手に入れることもできただろう?」
「だって…火山まで行くにしてもこの吹雪だし、1つぐらいならいいかなって思ったから…」
「困るな、勝手なことをされちゃ。もう絶対にこんな真似はしないでくれよ」
「ええ、約束するわ。ごめんなさい」
リヴィアは本日2度目の謝罪をすると、暖炉へ近付き魔石を元の場所に埋め込んだ。
そのとき、厩舎から重量感のある鎧を装備した衛兵ランスが現れた。
やや慌てた様子で駆け寄ったランスは、宿舎にいるレナータたちを見て驚いた。
「えっと、これはその…」
職務中に家族を宿舎に招いてしまったことを咎められると思ったフィルは、弁解を試みようとしたが緊張のあまり言葉を詰まらせてしまった。
しかし、ランスは苦笑してから「むしろ好都合だったよ」と言った。
「実はついさっき、陛下が各地区の区長たちに“避難勧告を発令せよ”という通告をされたんだ。どうやら気候の変動を窺っていた城の魔導士が、猛烈な勢いで接近している北風の存在を観測したらしい。豪雪被害が各地で報告されている今、陛下は事態がより深刻化するのを想定して早急に手を打たれたというわけだ」
「そんなにひどいんですか?」
半信半疑のフィルを信じ込ませるかのように、隙間風を吹かせながら宿舎の窓全部がガタガタと音を立てて激しく揺れた。
「気候の温かい南欧諸国でも寒冷化が進行しているほど、世界規模で激しさを増しているらしい。聞いた話によると、寒波が押し寄せる直前に丘陵地を根城にするバーバリアン・ウルフの群れが、一斉に冬ごもりを始めたそうだ」
〈それは異常だな。耐寒性にも優れているあの連中が冬ごもりするなんて、数百年生きてきたが1度も聞いたことがない〉
と、デュケインは意外そうに大きく目を見開いて言った。
冷静に物事を捉えるデュケインでさえたまげるあたり、現在の気候が前例のない猛威を振るっていることはもはや疑いようの事実と見て間違いはなさそうだった。
「避難勧告が発令された今、国民たちはヴァンハルトの城、教会、診療所、神殿などの公共施設へ次々と移動するだろう。明朝まではこの状況が続く見込みだから、それまではそれぞれの避難所で一夜を過ごすことになる。…で、あらかじめ注意しておくが、くれぐれも不用意な外出だけは控えるように頼むぞ。特に…」
と、ランスはリヴィアを指差した。
リヴィアは胸元で大げさに十字を切って約束した。
フィルたちも頷くと、ランスは小さく会釈して宿舎から出て行った。
「さっき言ってたバー…なんとかって?」
不意にネルソンが誰にともなく聞いた。
〈バーバリアン・ウルフ。フェンリルと対をなす毛深い魔物のことだよ。気品と優雅さを備えた大柄のフェンリルとは対照的に小柄で群れをなし、その名の通り野蛮さが特徴の粗暴な生き物のことだよ〉
と、エミリオが生徒に教え説くような口調で説明した。
〈獰猛ゆえに獲物を狩る狩猟本能とスキルはフェンリルを優に凌ぐ。どんな環境下であろうと順応するし、気候変動にも動ずることなく狩りを全うすると言われている連中だが、それが冬ごもりとはな…〉
「彼らが警戒するほどの異常気象ということね」
相変わらずガタガタと音を立てる窓の外をリヴィアが眺めたとき、カーン、カーンと国民に避難を促す教会の鐘の音が聞こえた。
クシュンッと、レナータの胸元でナディアが小さくなくしゃみした。
「…へっっっくしゅッ」
伝染する欠伸のごとく、ネルソンも豪快にくしゃみを放った。
「今日は早めに寝ることにしよう。エミリオ、暖炉の火を強くしておいてくれ」
〈りょ~かい〉
ボゥッと、暖炉の炎目がけてエミリオはブレスを吐いた。
途端に火力が上がり、先ほどよりも熱気が漂い始めた。
フィルはレナータたちを自身の宿泊部屋に案内しようとした。
しかし、ネルソンがここで寝たいと言い張ったため、フィルは説得するハメになってしまった。
言い聞かせるのが難しい年代な上にませているため、フィルは父親としてネルソンの扱いに困ることがしばしばあった。それは、妻のレナータもしかり。
2人が説得しても中々納得してくれないネルソンに、デュケインが〈一緒に寝るか?〉と誘った。
ネルソンは嬉しそうに頷いてデュケインに駆け寄った。
フィルがすまなさそうに手刀を切ると、デュケインは気にするなというようにウィンクして見せた。
息子を1人残していくわけにはいかないため、フィルとレナータもここで眠ることにした。
幸い、魔石の力を帯びた暖炉の影響で宿舎の中は充分過ぎるほど暖房が効いているので、快眠には最適な環境だった。おまけに、鼻から熱風を噴くドラゴンが3頭もいるためより心強い。
「さあ、リヴィア。キミもそろそろ元の姿に戻った方がいい。慣れているとはいえ、人化中も魔力は消費してるんだから」
「分かったわ」
そう言って、リヴィアは胸に手を添えた。
途端に彼女の体が輝きを発し、発光する人型がみるみる大きなドラゴンの姿へと変化していった。
瑠璃色の鱗を持つ美しいドラゴンの姿に戻ったリヴィアは、暖炉のそばでうずくまっているエミリオに密着すると、彼のゴツゴツとした背に長い首をのっそりと乗せた。
いつもならお互いに距離を置いて眠るのだが、特別冷え込む今日だけは火照った兄の体に寄り添いたくなったのだ。
デュケインならきっと押しのけるだろうが、妹想いのエミリオは快く彼女を受け入れた。
彼らが文字通り床に就いたのを確かめてから、フィルは大きめの毛布とイスを2つ用意した。
暖炉のそばにイスを並ばせ、そこにレナータと一緒に座ってから使用感のある毛布にくるまった。
ごうごうと燃える暖炉の炎と、ガタガタと鳴る窓の音だけが聞こえる静謐の空間と化した宿舎。
心地好い静寂にリヴィアは次第にうとうとしてきた。
ところが、しばらくして彼女はハッと目を開いた。
どうやら、母親が恋しくなったネルソンがフィルたちの元に戻って来たようだ。
毛布を取ったレナータがナディアを抱えたまま空いた方の腕を広げると、ネルソンはすかさず飛び込んで彼女に抱き付いた。
母親の胸に顔を埋めて安心感に包まれたネルソンは、すぐに可愛らしい寝息を立て始めた。
「生意気言っても、まだまだ子どもだな」
フィルは小さく笑いながらぐっすり眠る息子の頭を撫でた。
そんな彼らの様子を、リヴィアはボンヤリとした眼差しで眺めた。
突然、ねっとりとした柔らかな感触が頬に触れ、リヴィアはギョッとした。
〈ちょッ…! いきなりなにするのよ〉
出し抜けに頬を舐めたエミリオにリヴィアは啖呵を切った。
〈ん~、別に? 可愛い妹になんとなくチョッカイをかけてみたくなってね〉
〈悪ふざけはやめてちょうだい〉
〈ただの愛情表現じゃないか。それに、小さい頃はよくやってただろ?〉
〈小さい頃の話でしょ。デュケインが知ったら怒るわよ〉
〈平気だもんね~〉
エミリオはクスッとして、既に喉を鳴らし眠っているデュケインを一瞥した。
好物の酒を飲んだときよりも素早い就寝にリヴィアは一瞬不審に思ったが、すぐにヘラヘラするエミリオをギロッと睨んだ。
〈今度またやってみなさい。その舌噛み千切ってあげるから〉
〈お~、怖い怖い。メスなんだからもっとお淑やかにならなきゃ〉
〈なんですって?〉
「ほらほら、ケンカしないで寝た寝た」
見兼ねたフィルが呆れ顔で注意した。
彼らに迷惑をかけるわけにもいかず、リヴィアは小さく吐息しておとなしくなった。
〈…リヴィア〉
ニコニコしながらエミリオが声をかけた。
〈なによ?〉
〈おやすみ。いい夢を見てね〉
そう言って、エミリオはそっと目を閉じた。
リヴィアはフンッと鼻を鳴らしてから、
〈…ええ、おやすみ。エミリオもね〉
と微笑み、ゴツゴツとした兄の背に顎を乗せて目を閉じた。




