~1~ 宿舎のドラゴンたち
ズシンッという地鳴りとともに宿舎の中が大きく揺れた。
〈フィル~、兄さんが帰ってきたよ!〉
巨大な暖炉の前で体を丸めたままエミリオが大きな声で言った。
併設する厩舎と宿舎を落ち着きなく往復していたフィルが、急ぎ足で扉まで駆け寄った。
宿舎の巨大な扉が開き、猛烈な吹雪により吹き込む冷たい風とともに、デュケインがドシドシと足音を鳴らして入ってきた。
デュケインは巨大な尻尾で器用に扉を閉めると、フゥ…と霧のような白い息を吐いた。
〈相変わらずひどい天候だが、物資は無事に届けられたぜ〉
と言ってから、デュケインはブルブルッと体を振って雪を払った。
「お疲れさま。無事に帰ってきてひと安心だよ」
〈どういう意味だ?〉
と、デュケインは大きな顔をキョトンと傾げた。
〈兄さんが寒さにやられてないか、フィルはずっと心配してたんだよ〉
〈このオレが寒さに? 心外だな。オレはそんなヤワじゃないぞ〉
「それは分かっているが、今回は過去に類を見ないほどの大雪だからね。各地で豪雪被害も報告されているし、演習に出向いてる騎士団も現地で立ち往生を食らってるほどなんだ。豪傑揃いの彼らですら身動きが取れないほどだから、それだけで並大抵じゃないのが分かる」
と、フィルは縦長の窓から外を眺めて言った。
夕暮れどきの今、本来なら淡く綺麗な空が一面に広がっているはずの時間帯である。
しかし、猛然と荒れる吹雪の影響により、外は様子がハッキリと掴めないほど視界が悪く、見えるのはただ横殴りに勢いよく降り注ぐ小粒の雪だけだった。
今朝から冷たい風とともに暗雲が立ち込み、チラチラと舞い始めた雪が昼には一瞬にして大地を白銀の世界に変貌させた。
ひょっとすると夜には…、とフィルはイヤな予感を抱いたが、その予感は見事に的中したわけだ。
しかし、これほどの荒々しい吹雪に発展するとはさすがの彼も想定していなかった。
〈そりゃ人間にとっては生活に支障がきたすほど痛手は大きいだろう。だが、オレたちはドラゴンなんだ。この程度の悪天候なんかで根を上げるわけがない〉
と言って、デュケインはフンッと胸を張った。
大きな2つの穴から噴き出した白い鼻息がなんとも滑稽だった。
〈そ~そ~。フィルは心配性なんだよ〉
「ボクはお前たちのトレーナーとしての責任があるから心配するのが当然だろう」
と、フィルは腰に手を当てて主張した。
デュケインたちは、数百年ほど前にヴァンハルト王国を治めていた当時の国王がとある行商人から譲り受けた卵から孵化し、城の人間たちによって人工的に育成されたドラゴンだった。
国王はドラゴンの生態に詳しい学者を派遣させたり、腕利きのトレーナーを雇い入れたりするなどして、孵化したドラゴンの雛たちの育成に徹底した。
しかし、彼らが1人前のドラゴンに成長を遂げて間もない頃だった。
ヴァンハルト王国の主軸ともいえる貿易業が右肩下がりの絶不調傾向に陥り、のちに挽回を果たすものの一時は深刻な財政難に陥ってしまったのだ。
事態を重く見た国王は国費の削減を理由に学者の派遣を取りやめ、長年に渡ってドラゴンの育成に尽力したトレーナーにも高額の退職金を支払い、不本意ではあったが身を引いてもらおうとした。
ところが、そのトレーナーは報酬の受け取りを拒むと、彼らの成長を無償でも構わないから見届けさせてほしいと国王に願い出た。
そのトレーナーこそフィルの父親だった。
彼自身、父と祖父から引き継いだドラゴンの世話という大役に誇りを持っていたが、なにより数年間一緒に過ごしてきたデュケインたちと離ればなれになるのが忍びなかったのだ。
彼の意思を尊重した国王の計らいにより、フィルの父親は用意してもらった城の宿泊部屋で寝泊まりしつつ、休みの日は家族を招きながらドラゴンたちの世話に打ち込んだ。
ドラゴンによる物資の空輸事業という新たな事業を国王が打ち立てた際も、フィルの父親は徹底的に彼らを調教し王国の役に立ってもらおうと尽力した。
しかし、無理が祟って病気を患ってしまった彼は数年後にこの世を去ってしまい、その後継者として息子のフィルが4代目トレーナーとして現役で頑張っていた。
父親から譲られた責任ある役割ゆえ、彼はデュケインたちの体調管理にも常に万全を期すよう心掛けていた。
外の世界を跋扈するドラゴンとは違って人情味に溢れる彼らは、同族とは異なり劣等種族の人間を守るべき存在として認識する特殊な個体だった。
人間と同じ環境下で過ごしてきた彼らだが、曲がりなりにもドラゴンであることに違いはない。
彼らはなによりも寒さを苦手とする。
事実、昔からドラゴンに遭遇した際の対処法として、氷魔法を使って撃退するよう万国共通で教えられている。
そのことから、フィルは今回の記録的な大雪の中で輸送に出向いたデュケインの身を案じていたのだが、どうやら杞憂だったと分かりホッとした。
しかし、フィルは相変わらず眉をひそめたまま腕を組んでいた。
「残るはリヴィアだけか。こんな天気にどこまで行ってるんだ?」
〈どうせまた遊び回ってるんだろう。あいつは昔っからジッとしてられないタチだからな〉
フンッとデュケインは鼻を鳴らした。
〈リヴィアなら今朝、人の姿になって友だちと出かけるって言ってたよ〉
「よその街へ行ったのか?」
〈そこまでは聞いてない。数年ぶりに降った雪だし、興奮して帰るのを忘れてるんじゃない?〉
それほど気に留めていない様子でエミリオは言ってから、弱りかけていた暖炉の火にブレスを吐いて火力を上げた。
宿舎の暖炉には火属性の魔力を蓄えた魔石が埋め込まれており、ブレスを吐くだけで燃焼を持続させる効果があった。
よって、薪やおが屑のような木質燃料や炭といった可燃物を一切用いる必要がなく、自然環境にも優しい造りとなっている。
使用されている耐火煉瓦も規格外の耐熱性を備えている特別製であるなど、まさにデュケインたち専用に造られた暖炉と言っても過言ではなかった。
これだけでも、いかにこの王国がデュケインたちを大切な“家族”としてもてなしているかが顕著に表れていた。
〈人間の男たちに言い寄られて有頂天になってるんなら、オレが1度説教してやらないとな。クセになると魔性の女になり兼ねん〉
〈ドラゴンのボクや兄さんには分からないけど、人間の男たちには結構人気らしいからね。この前もしつこくナンパされたって愚痴ってたし〉
〈チヤホヤされ過ぎて有頂天どころじゃなくなったのか?〉
〈前までは口説いてくる相手を見て面白がってたらしいけど、今はそんなことないみたいだよ〉
〈…まさかあいつ、未だに習得できないオレたちに見せつけてるのか?〉
〈また始まったよ〉
露骨に眉を寄せるデュケインにエミリオは苦笑せざるを得なかった。
人化の魔法に限らず、現存する魔術は総じて厳しい修練を積んだ上で習得できる仕組みだった。
訓練の内容は肉体的なものから精神的なものと2種類あるが、魔法という非科学的な事象ゆえに形ある物体(肉体)よりも“心の鍛錬”がどちらかというとものをいう。
人工的な攻撃を一切受け付けない強靭な鱗と、誰もが尻尾を巻いて逃げ出すほどの荘厳さを誇るドラゴンは、触れるまでもなく肉体的な面で及第点を満たしている。
一方、心理的な面では苦労をしいられる。
デュケインたちは人口育成という特殊な環境下で育った経緯から、並みの魔物には決してない人情深さを備え、それが結果的に“心の鍛錬”を難なくこなせられる重要な要素となった。
二人三脚(三頭四脚?)で修業に励んできた彼らだが、紅一点のリヴィアのみがデュケインとエミリオを差し置くように人化する変身魔法を短期間で会得したのだ。
以降、リヴィアが人間の姿をするたびにデュケインは先を越された悔しさから邪推し、それをエミリオがなだめるのがお約束になっていた。
〈リヴィアがそんなイジワルな性格じゃないのを分かってるくせに、いつまでもそんな劣等感を抱くなんて意外と――〉
ムッとしたデュケインに尻尾を噛まれ、エミリオは〈ギャッ〉と悲鳴を上げた。
呑気に構える2頭のドラゴンを尻目に、フィルは心配そうに再び宿舎をウロウロした。
そのとき、厩舎の方から誰かが入って来た。
リヴィアの帰宅とフィルは安心したが、すぐに目をパチクリさせた。
「レナータじゃないか。なにしに来たんだ?」
街にいるはずの妻が突然現れ、フィルは驚きと動揺をない混ぜた顔色を浮かべた。
「寒いわねぇ…。ごめんなさい、あなた。ストックしてあった暖炉の薪をうっかり切らしちゃって、火がくべなくなっちゃったのよ。だから、避難がてらあなたの顔を見に来たってわけ」
と、レナータは乳飲み子の次女ナディアを胸に抱えながら寒さで身を震わせた。
ブカブカの毛布にくるまれたナディアが父親の顔を見て笑顔を見せた。
「それは嬉しいけど、仕事中に来られるのはちょっとなぁ…」
と、フィルは渋面を作りながらナディアの頬を指先で撫でた。
「ケチくさいこと言うなよな、とーちゃん」
と、息子のネルソンがぶーたれたため、彼は困ったようにポリポリと髪をかいた。
〈いいじゃん、フィル。わざわざ寒い中来てくれたんだから融通を利かせてあげなよ。レナータさん、よかったらボクのそばへおいで〉
エミリオが人間のような柔らかな笑みを浮かべて誘った。
レナータが小走りで近付くと、エミリオは鉤爪の鋭い前足を差し出して座るよう促した。
そして、まだ寒さが抜け切れず震えている彼女たちのために、鼻から暖かい熱風を噴いた。
寒波の中を歩いてきたレナータの青白い顔が一瞬にして赤らみ、彼女に抱かれているナディアももちもちの白い肌を火照らせ嬉しそうに笑った。
そんな母親たちとは違い、長男のネルソンは“子どもは風の子”という諺が示すがごとく、寒さをものともしない調子でデュケインに駆け寄った。
〈よぉ、ボウズ。こんな日に会えるとは思ってもみなかったぜ〉
「なんだよ、さびしかったのか?」
と、ネルソンは巨大なドラゴンを前に動ずることなく腕を組んだ。
〈相変わらずませた小僧だぜ。そこが気に入ってるんだがな〉
「さびしいなら、早く変身できるようになりなよ。そうすれば、いつでもウチにかんげいしてあげるのに」
〈以前にもまして随分と勇ましくなったじゃないか。だが、程々にしておけよ? あんまり調子に乗ると、親父の後を継ぐ前にオレが食っちまうかもしれないぜ?〉
「そしたらお腹の中であばれてやる」
〈敵わないねぇ〉
胸を張る小さなネルソンにデュケインは苦笑した。
初めて出会った頃のネルソンは、デュケインたちを前に泣きベソをかいて母親にすり寄るほど臆病だった。
それが、いつの間にか堂々とした立ち振る舞い…もっと言えば挑戦的な態度で接している。
前に、その心境の変化をフィルは息子に尋ねてみた。
ネルソンいわく、いつか父親の後を継いで彼らの面倒を看なければならないから、とのことだった。
幼いながらその使命感に燃えているネルソンの姿を見たフィルは、昔の自分が投影されているような気がして胸が熱くなったのをよく覚えていた。
恐らく、デュケインもネルソンの心構えに気付いているのだろう。
でなければ、これまで兄として(ときには父親代わりとして)弟妹を厳しく躾けてきた彼が、この小生意気な子どもの態度を見過ごすはずがない。
彼もまた、フィルと同じく将来有望なトレーナーになるであろう小さな“友人”の未来を、密かに楽しみにしているのだった。




