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09 ストロング牧師

 一瞬だけ、ルマリの娘の魔力を感じた。エマニエルは急いで水晶球を覗いたが、映るのはジャングルばかりで、位置までは分からない。魔女はため息をついた。


(マハールで王子を逃さなければ…)


 あの時、娘は王子の居所を探し当て、屋敷に侵入までしていたのに、エマニエルは全く気づかなかった。慌てて街に使い魔を送って、警察を動かしたが、アプサラーの出現で取り逃してしまった。


 精霊まで呼び出せるとなると、自然の中では不利。こちらの領域に引きずり込まねば。その為に、まず、トリスタン王子の似顔絵を描き変えさせた。これで賞金稼ぎ達に追われるはず。バンデラスは、ラジャ藩王側に情報を流しに行った。そちらも利用させてもう。


(さあ、出てきなさい。出てきて魔力を使うのよ。今度こそ、捕まえてあげる)


 待ち伏せする虎のように、魔女はひたすら、その時を待っていた。



          ◇



 食料問題は“ジャックフルーツ”という果物が解決した。森に生る巨大な果実だ。青いうちは肉みたいな味でカレーの具材になる。熟すと甘く、そのまま食べても美味しい。発見したのはトリスタンである。


「“ロビン卿漂流記”に載ってたんだよー。すごい美味いって。本当だ!美味いっ!」


 何でもカレーにすれば美味しいんでしょ、とアンジュは思ったが、言わない。トリスタンのおかげで、15人の子供を養っていけるからだ。


 魔法のフルーツを馬に乗せられるだけ乗せて、一行は徒歩で進む。三度の食事は、トリスタンが飽きないように工夫し、夜もアチャラ・ナータのご加護で安心して眠る。アンジュは特に何もしない。川があれば、子供を洗うくらいだ。あとは、


「お話しして。アン」


 寝る前に物語を聞かせてやるのも、彼女の役目だった。最初は罪滅ぼしのような気持ちだった。でも、子供達とトリスタンの寝顔を見ているうちに、安らぎと幸福を感じ始めた。


(このまま一緒に、子供達を育てていけたら…)


 アンジュには、自分自身の未来は視えない。トリスタンも、最早近すぎて視えないが、この願いが叶わないことは分かっている。彼は1日でも早く、コルカタに行きたがっているから。


 小さな幸福も、やがて終わった。ボンベイに着いたのである。



          ◇



 トリスタンは顔が知られているので、まずはアンジュ一人で街に入った。彼と子供達は森の端で待機する。思った通り、至る所に指名手配の張り紙があった。


 今日はシャングリー族の服ではなくて、サリーを着ている。髪型も丸くまとめずに、三つ編みにしたので、印象は変わっているはずだ。念の為ベールも被り、アンジュは教会とやらを探した。


「教会?ストロング牧師なら、あそこにいるよ」


 通りがかりのおじさんに尋ねたら、大きな建物を教えてくれた。入り口で拝観料を払い、中に入ると、多くの男達が大声で喚く声が聞こえた。


「そこだ!やっちまえ!」


「ああっ!倒れやがった!」


(これが教会?)


 すり鉢状の客席の真ん中、縄を張った四角い空間で、二人の男が殴り合っている。思っていたのと違う。とりあえず、熱狂する人を掻き分け、前の方に行った。すぐに片方の男が、顔面に拳を叩き込まれて、床に倒れた。


「…8、9、10!勝者、ストロング!」


 審判らしい男が10秒数えてから、立っている方の腕を高々と上げた。人々は喜んだり、悲しんだり、大騒ぎをしている。


 ストロングという男が縄を潜って出てきたので、アンジュは四つ折りにした紙を差し出した。


「あの。これ読んでください」


「私に?」


 男が振り向いた。シャツに短いズボン、サンダルという、シンドラ人の格好をしているが、灰色の髪に灰緑の瞳。40代ぐらいの外国人だ。


 周りで見ていたおっさん達は指笛を吹いた。


「ヒューっ!モテてるぞ!牧師さん!」


「やかましいっ!…ありがとう、お嬢さん。気持ちだけ貰っておくよ」


 ストロングがやんわりと断ろうとする。


「読んで。今すぐ」


 短く、ブリタニア語で言うと、眉がピクリと動いた。そこへ審判をしていた男が近寄ってきた。ストロングはアンジュに『ちょっと待ってて』と言う仕草をする。話が終わると、アンジュの渡した紙をちらっと見て、


「お待たせ。えーっと懺悔だったかな。教会で聞くよ」


 と、先に立って歩き出した。すぐに次の試合が始まる。もうこちらを見る人は誰もいなかった。



          ◇



 先ほどの建物から歩いて数分の所に、異国風の寺があった。これが教会だった。白い壁に色ガラスで模様を描いた窓が嵌められている。中に入ると、色とりどりの光がアンジュを染めた。


「さて。殿下はどこに?」


 ガラス絵に見惚れるアンジュに、男はブリタニア語で訊いた。


「その前に訊きたい。あなたは本当に牧師?」


「ジェームズ・ストロングだ。さっきのあれは、生活費を稼ぐために、仕方なく、ね。正真正銘、ブリタニア国教会の宣教師だよ」


「視させてもらう」


 アンジュはざっと過去を視た。胸毛や巨乳と関わりはない。信じても良さそうだ。だが、ストロング牧師は、急に彼女の額に手のひらをかざし、過去視を中断させた。


「もうやめた方が良い。他の魔女に見つかるぞ」


「魔女って何?」


「君も魔女だろう?職業柄、分かるんだよ」


「違う。私は女神ドルーガの依代だった者」


 牧師は首を捻った。


「白魔法というわけか。ともかく魔力を使うのは控えた方がいい。ここ最近、使い魔をよく見るから。魔女が同類を探しているよ。心当たりは?」


「…ある。多分、金髪の巨乳だ。急がなきゃ。トリスタンは森にいる」


「“豊かな胸の女性”、ね。馬車を借りてくるよ。殿下はお一人か?」


「なるべく大きなのを。連れが15人もいるから」


 下男の一人もいないらしく、牧師自ら、信徒の家に行って荷馬車を借りてきた。それに空の樽を一つ載せ、二人は森に向かった。



          ◇



 アンジュが美中年を連れて戻ってきた。


「お初にお目にかかります。トリスタン殿下」


 トリスタンは、がっしりとした大きな手と握手をした。聖職者にしてはやけにゴツい。そしておそらく、とても強い。


「世話になる。ストロング牧師。…全員集合!」


 子供達がビシッと一列に並ぶ。一人ずつ荷台に乗せ、トリスタンは御者台に乗ろうとしたら、


「殿下はこちらへ」


 と、牧師が樽を指した。


「指名手配のポスターで顔が知られております」


「…」


 仕方なく、王子は樽に入った。狭い。揺れるたびに頭が蓋にぶつかる。教会に着いて外に出ると、もう日が暮れていた。


 早速厨房を借りて、夕食を作った。お馴染みのジャックフルーツカレーだが、来る途中で牧師がナンという平たいパンを買ってくれたので、ご馳走となった。片付けが終わり、礼拝堂の床で子供達が寝た後、やっと大人の話ができた。


 温かい茶を飲みながら、王子は牧師に頼んだ。


「…という訳で、この子達を預かってほしい」


「お引き受けしたい所ですが、人手も金もありません」


 牧師は辛そうに下を向いた。ボンベイからも、ブリタニア商人がどんどん引き上げていて、教会も苦しいらしい。牧師が賭け試合に出なければ食えない程だ。そこに15人もの孤児を押し付けようとしている。無理は承知の上で、トリスタンは頭を下げた。


「マハールで奪った馬をやる。全然足りないだろうが、売ってくれ。頼む。俺はどうしてもコルカタに行かねばならない」


「…しかし…」


 その時、アンジュが急に立ち上がった。


「お金は無い。でも、種がある。グレース、ジャックフルーツの育て方を教えて」


 テーブルに置かれていた眼鏡が、文字で答えた。


『種を日当たりと水はけの良い土に植えてください。10日前後で発芽し、約3年で実がなります』


 グレースは水や肥料、剪定の注意点などを延々と述べた。


「トリスタン。書いて」


「え?なんで?」


 疑問に思いながらも、王子は荷物から紙とペンを出した。インクが見つからないので


「すまん。インクを貸してくれ」


 と、頼んだら、グレースをまじまじと見ていたストロングは、ハッと身じろぎした。驚くのも当然だ。俺の眼鏡はブリタニア百科事典並みに博識なんだ…トリスタンは変な優越感に浸った。


「どうぞ。これは…何が憑いているんですか?」


 トリスタンは書き取りに忙しいので、アンジュが代わりに教えた。


「嫉妬に狂った女の霊。でもただの女じゃない。一度読み、聞いた事は決して忘れない天才学者だった。でも、彼女の夫は研究を手伝うふりをして、全て自分の名前で発表したの。しかも浮気までしていた。地位も名誉も財産も、妻の座すら奪われて、彼女は狂い死んだ」


「そうだったの?!」


 グレースのガラス面が曇る。泣いているのかと、トリスタンはそっと曇りを拭った。全然知らなかった。何と哀れな女だ。


「俺が必ず、君の名誉を回復するよ」


「書けた?種を出して」


 アンジュが何かしようとしている。言われた通り、彼はジャックフルーツの種を出した。茹でて食うと美味いので、取っておいたのだ。


 彼女はストロング牧師に訊いた。


「これを庭に植えて良い?」


「構わないが、実が成るのは何年も先だろう?」


「すぐに成る」


 ポカンとする二人に、アンジュは、真剣な顔で計画を説明した。


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