08 孤児
その頃、遠く離れたブリタニアに、ようやく謀反の知らせが届いた。コルカタで籠城するネビル提督によると、トリスタン王子の生死は不明。シンドラ各地の反ブリタニア勢が蜂起直前らしい。
イザベラ女王は緊急閣議を開いた。
「シンドラを完全に属領化する名分ができました。主力艦隊を出しましょう」
と言う大多数の意見に、海軍卿は首を振った。
「往復3ヶ月もの遠征になります。その間、本国の守りが手薄になる。危険です」
「ネビル提督を見殺しにするのか!?」
「そうではない。…陛下。ヒスパニアの動きが気になります。もし藩王らと組んでいた場合、シンドラ海で罠を張っているでしょう」
女王は厳しい顔で訊いた。
「勝てぬと?我が軍は、かの無敵艦隊を破ったではないか」
「恐れながら。あれは奇跡でした。ネビル提督の軍略に加え、トリスタン殿下の天運あっての勝利だったのです」
「その二人を救うのが先か…。では、まずコルカタを救援せよ。そして特務部隊に第二王子を捜索させるのだ。但しーー」
大ブリタニアの女王は言葉を切った。重臣らの視線が君主に集中する。
「死亡が確定した場合、シンドラ制圧に全軍を投入する。特に、ラジャ藩国は、草木一本、残すな」
「はっ!」
皆が頭を下げる中、女王は大会議室を出て行った。実に堂々とした後ろ姿であった。
◇
その後、宮殿の一室に王家の面々が集まった。王太子エドワード、第一王女メアリー、王配ロンディニウム公爵である。人払いが済むと、イザベラ女王は横に座る夫の膝に倒れ込んだ。
「生きてる。絶対生きてる。タロットに、そう出てるもの」
「イザベラ…」
「虫の知らせもないし、夢枕にも立ってないわ。元気に逃げてるのよ」
「うん。そうだね」
夫に優しく髪を撫でられて、ようやくイザベラは落ち着いた。
「しかし母上。これをご覧ください」
エドワードはトリスタンの指名手配ポスターを出して見せた。人相描きがそっくり過ぎる。女王はまた泣き伏した。
「ううっ!酷いっ!もうちょっと美化してよ!」
思えば不憫な子だった。王太后に養育を任せたら、ひどい偏食になってしまったのだ。死神と呼ばれるほど痩せこけて、目が合うだけで、どの令嬢も泣くか気絶。ネビルが『シンドラ人なら平気かも』などと言うから、総督にしたのに。
「既に捕われているかも知れません。交渉の準備もしておくべきです」
「分かってるわ…」
一方、メアリーは謀反の詳細な記録を指し示した。
「ここを読んでください。占い師の美少女と一緒に、抜け道から脱出した、と書いてあります」
「美少女?!倒れなかったのかしら?それに、占い師ですって?」
「きっと、この美少女がトリスタンを匿っていますよ」
娘の言葉に、僅かながら光が見えた。大丈夫。あの子は強運だから。だが、そこへ、慌ただしいノックと侍従の声が飛び込んできた。
「た、大変でございます!トリスタン殿下の首が届きました!」
◇
一方シンドラでは、そのトリスタンが賞金稼ぎから逃げていた。小さな街に寄ったら、いきなり数人の男達が追ってきたのだ。
「ヒャッホゥッ!その男が1000万ルピアだぞっ!」
第二王子の情報を更新されたらしい。トリスタンとアンジュは森へ逃げ込んだ。マハールで盗んだ馬は駿馬だったので、あっと言う間に引き離す。さすがに森の奥までは追ってこなかった。
「結局、食料買えなかったな…」
トリスタンは落胆した。保ってあと1週間。スパイスは豊富にあるから、欲しいのは肉だ。街で補充できないとなると、自力で獲るしかない。彼は天を仰いだ。
「ああー。銃があればな。狩りができるんだけど」
「銃?」
「知らないか。武器だよ。長い筒の先から鉛の弾が飛び出すんだ」
「ふーん」
話しながら馬を進めていたら、
「止まれ!!」
と高い声が聞こえて、トリスタンは手綱を引いた。前の茂みから、幾つもの目がこちらを見ている。一人が槍のような物を構えて出てきた。
「食い物を置いていけ!」
追い剥ぎだ。しかし、竹の先を削っただけの槍で、しかも子供だった。イライラしていたトリスタンは、馬を降りて怒鳴った。
「見ず知らずのガキにやる義理は無いっ!」
竹槍を素早く掴んで奪い取り、頭にポコンと一発、お仕置きを喰らわす。もちろん手加減したのだが、子供は頭を押さえて泣き出した。すると、10人以上の子供が飛び出してきて、震えながら懇願した。
「お、おねがい。ころさないで…」
「いや、さすがに殺さないよ。何なの?君たち。お父さんとお母さんは?」
子供が答える前にグレースが言った。
『周囲に大人の反応ありません。戦争孤児と推測』
◇
そんなこんなで、トリスタンはカレーを作っている。飢えた孤児達を見かねて、カレーを食わせる事にしたのだ。
15人の子供らは、下は5歳から上は10歳ほど。まともな暮らしができる筈もなく、汚れ切った獣のように暮らしていた。今、アンジュが近くの川で洗ってやっている。トリスタンは綺麗になった子供にも手伝わせて、竹を使って米を炊き、食器を作った。ジャイプールの食堂でシナ人に教えてもらった方法だ。
「さあ出来たぞ」
半割りにした竹の皿に米とカレーを乗せて配ると、皆、夢中で食べた。何度もお代わりをして満腹になった小さな子は、その辺で寝てしまう。鍋が空っぽになった後、大きな子供から事情を聞いた。
「オレもよく分からない。いきなり村に兵隊が来て、父ちゃん達を連れてったんだ。戦士じゃない、農民だって言ったのに、聞いてくれない。次に違う兵隊が来て、母ちゃん達と姉ちゃん達を連れてった。最後にドレイ狩りが来て、オレ達を連れて行こうとした。だから逃げた」
トリスタンは不意に心配になった。
「その兵隊って、外国人?」
「違う。外国と戦うための、トリデを作るって、父ちゃん達を連れてった。母ちゃん達は兵隊の世話をさせるって。村は焼かれちゃったし。ドレイは嫌だった」
「そうか…」
これがシンドラの実情か。ネビルの言う通り、藩王達は反乱の準備を進めている。農村を丸ごと徴集なんて、ブリタニアでは考えられないが、ここでは下層民は人ですら無いのだろう。
(どうしたものか。まあ、今の俺には何にも出来ないんだけど)
などと考えながら、鍋を洗いに河原に行くと、アンジュがしゃがみ込んでいる。
「どうした?アン?」
彼女は真っ青な顔で川面を見つめていた。トリスタンは心底驚いた。基本的に、アンジュは感情が分かりにくい。2ヶ月近く一緒にいて、こんな顔は初めて見た。
彼女は掠れた声で言った。
「…私のせいかもしれない」
「何が?」
「過去を視たの。あの子達の父親を捕らえたのは、パワハラ藩国の兵士だった。間違いない。あの紋章を見たことがある。藩王にルマリの神託を授けた時に」
「…」
「向こう10年、豊作が続くと出て、藩王は喜んだ。そして“新しい砦を作りたいが、吉か?”と訊かれた。女神は何も言わなかったから、“凶ではない”と伝えた」
アンジュは両手で顔を覆った。“豊作だから農村の一つや二つ、潰しても良い”と言ったわけじゃないだろ。そもそも、依頼者のやらかした事に、占い師は責任を負うのか?…と慰めたかったが、彼はただ、震える背中に手を置いた。
(可哀想にな。施政者でもないのに責任を感じて。と言うか、ブリタニアの侵攻がなければ、砦も要らない訳だ。俺の方が悪くないか?)
ふと、母がしょっちゅう、父の膝で泣いていた事を思い出した。
「泣くなよ。なんか、負けた気がする」
「…どう言う意味?」
「つまりだ。俺がコルカタに入れば、こんなクソ藩国、即締めて、あの子達の親を帰してやるよ。今はカレー食わせる事しかできないけど、何もしないよりはマシさ」
「そうかな」
「ああ。寄り道になるけど、ボンベイにブリタニアの宣教師がいるから、相談してみよう。さしあたって、問題なのは食料だな」
手持ちの食料は使い切ってしまった。いよいよもってサバイバルだ。トリスタンに、“子供部隊を指揮して密林を移動する”という、ミッションが課せられた瞬間だった。




