05 従姉との再会
トリスタンが働く間、アンジュは食堂の片隅で占いをしていた。これならずっと彼の近くにいられる。あの道具屋の一件が広まって、けっこう客が来た。
1週間後、少し儲けすぎたので、寄付をしようと、アンジュは一人で黄金寺院に行った。すると偶然にも道具屋の母子に会った。あの後、大金持ちの青年との縁があって、婚約したと言う。
「本当にありがとうございました。今日は、お相手の方がアチャラ・ナータ廟に寄進すると言うので、一緒に来たんです。あ、あの方です」
娘はスラリとした立派な貴公子を紹介してくれた。母親がアンジュを恩人として紹介すると、御曹司は両手を合わせながら瞬きをした。
「はて。どこかで会ったような…」
「気のせいでしょう」
アンジュは目を逸らした。この青年は、彼女が嫁ぐはずだった男だ。見合いの時はベールをかぶっていたし、背も伸びたから、気づいてない。ほんの少し、胸が痛んだ。
御曹司が金持ち専用の喫茶室に招いてくれた。そこで、従姉と叔父らの顛末を聞いた。
「つい最近の事です。ルマリの館から来た使者が、花嫁のすり替えに気付きました。本物のアンジュ様は真っ直ぐな黒髪に黒目なのに、偽物はちぢれた茶色の髪に灰色の目だったのです。問い詰めたところ、結婚式の直前にすり替わった、と白状しました」
御曹司は悲痛な面持ちで語った。激怒した彼の父親は、偽嫁を散々に打ち据えてから追い出したが、三年も騙された怒りは治らず、偽嫁の実家も燃やしてしまった。
(では私の実家はもう無いのか)
それ程愛着は無いが、両親との僅かな思い出も消えてしまった気がする。道具屋親子と御曹司と別れた後、アンジュは、金色の柱が並ぶ回廊をノロノロと歩いていった。
「アン!」
向こうからトリスタンが手を振りながら走ってきた。何か包みを持っている。
「一人で観光するなよ。ずるいぞ。あっちの池、見たか?綺麗な花がいっぱい咲いてるんだ」
キラキラと輝く青い目を見たら、重い気分は消えた。
「まだ見てない。きっと睡蓮よ。それ、なあに?」
「サモサ。料理長から、やっと合格を貰えた。池のそばで食べよう」
「うん」
透き通った水の上に睡蓮が浮かぶ。その向こうには黄金の寺院。夢のように美しい景色の中で、二人は並んで腰を下ろし、サモサを食べた。美味しい。もうトリスタンの料理の腕は、アンジュの遥か先を行っている。
今日で契約は終了、明日の朝には出発する予定だ。二人は細々と打ち合わせをした。
「厨房の人達に、お別れを言ったの?」
「ああ。もっと働いてくれって、引き留められたよ。残念だ。ジャイプール料理を極めたかったな」
日が傾いてきたので、トリスタンは厨房に戻る。アンジュも最後の仕事をしてから、早めに部屋に帰り、荷造りをした。
◇
夕食の時間が終わった。いつもなら、トリスタンが部屋に戻ってくる時間である。しかし、いつまで経っても帰らないので、アンジュは厨房に行った。すると、皿洗いをしていた見習い小僧が、驚いたように言った。
「トリシュナさんなら、先輩たちと廓に行きましたよ。餞別だって」
廓。つまり売春宿。
「…」
アンジュは、壁に掛かっていた巨大な包丁を掴んだ。真っ青な小僧が止めるのも聞かず、地図で見た悪所に向かう。よほど恐ろしい顔をしていたのか、誰一人、彼女の前に立つものはいなかった。すぐにトリスタンを見つけたが、彼は路上で女と押し問答をしている所であった。
「…」
無言で振り下ろされた包丁を、トリスタンは素早く避けた。
「アン?!」
鬼女が再び刃を振りかざした時、女が割り込んできた。
「アタシの客だよ!すっこんでな!クソアマ!」
聞き覚えのある声に、アンジュは手を止めた。茶色の縮れた髪に、落ち窪んだ目は灰色。ケバケバしい衣装の女は、従姉のカマラだった。
「カマラ?」
名を呼ぶと、幽霊に会ったかのように、従姉は叫んだ。
「アンジュ?!お前は死んだはずだ!」
過去視をしなくても分かる。婚家を叩き出され、路上で身を売るまでに堕ちたのだ。従妹の持ち物では飽き足らず、全てを奪おうとした報いだ。
横からトリスタンが、クドクドと言い訳を並べる。
「何の話?言っとくけど、俺は無実だよ。先輩から逃げ出して、道に迷ってたら、この女がいきなり抱きついてきてさ。でも、おかしいんだ。グレースのせいで若い女は近寄れないはずなのに」
怒りが霧散したアンジュは、包丁を彼に押し付けて言った。
「穢れた者には効かないのよ」
それを聞いたカマラは激昂した。
「誰のせいだと思ってんだ!チクショウ!なんでお前ばかり!ルマリの館で贅沢三昧してたくせに!最後の皇帝からも何か貰ったんだろ?国が買えるほどのお宝を。ちゃっかり懐に入れやがって!おまけに、こんな良い男まで!くたばれ!」
「ちょっと待って。そんな事、何で知ってるの?」
アンジュは驚いた。最後のシンドラ皇帝・ムトゥ3世から贈られた宝の話は、実家の誰にも話していないのに。
「使者が言ったのさ。外国人がそいつを探してるって。何の事か分からなくて、バレちまった。お前が素直に渡してれば、あたしはこんな目に遭わなかったのに!クソが!殺してやる!」
掴みかかる手を払いのけた途端、カマラの体が崩折れた。一瞬、つまずいたのかと思ったが、違った。気づいたら、トリスタンに担ぎ上げられて、路地に飛び込んでいた。
◇
「敵は何人?あの女、どうなった?」
アンジュを肩に担ぎ、包丁片手に走りながら、トリスタンは訊いた。すぐにグレースが文字で答える。
『6人です。娼婦の首に刺さった吹き矢から、薬物反応あり。睡眠薬と思われます』
「じゃあ、助けなくて良いな。食堂までの迂回路を教えてくれ』
『残念ながら、待ち伏せされています。抜け道はありません』
人気のない裏道の前方に、悪漢達が現れる。トリスタンはアンジュを下ろし、包丁を構えた。シンドラ川の巨大魚を捌くためのもので、刃渡りが60センチ以上ある。敵はもっと長い刀身の剣を抜いて、低い声で言った。
「女を置いていけ」
(おや。狙いは俺じゃなくて、アンジュか)
意外だった。どちらにしても、突破しなければ。
「断るっ!」
トリスタンは、手近にいた奴に打ちかかった。間合いでは負けるが、こちらには、大ワニとの死闘で手に入れたギリギリ回避能力がある。敵の攻撃を紙一重で躱し、死なない程度に連中の手足を斬ってやった。
あとは優秀なグレースが最短ルートを教えてくれた。宿舎に入る前に、井戸で包丁を洗って、こっそり厨房に返すのも忘れない。
トリスタンは荷を背負い、アンジュに言った。
「今のうちに出よう。明日だと連中、立て直してくる」
「分かった」
黙々と夜道を歩き、森の手前で廃屋を見つけた。グレースが安全だと言うので、そこで休むことにする。横になると破れた屋根から星が見える程だったが、野宿よりはマシだ。
「なあ。さっきの女って、例の従姉?」
トリスタンが話しかけると、アンジュは小さな声で『うん』と言った。大体の事情は察した。かなり落ち込んでいるようなので、話を変えた。
「最後のシンドラ皇帝って、どんな人?確か、10年くらい前に亡くなったんだよね?」
「おじいちゃんだった。1回会っただけだから、よく知らない。死ぬ直前に来て、これをくれた」
彼女が服の下から引っ張り出したのは、ウズラの卵くらいの青い石だった。カボションに磨いた半楕円体で、ネックレスになっている。
「ふーん。もっと大きいサファイヤが母上の王冠についてるけどな」
「光を当てると、星が出て、その1本だけが長くなる。それは常にある方向を指すの」
トリスタンはガバッと起き上がった。
「分かった!シンドラ皇帝の埋蔵金だ!その光の先に埋まってるんだろ!?」
「さあ。宝物だとは聞いてる」
「さっきの悪党どもの狙いはそれだな。なあ、ちょっとだけ光を当てて良い?」
彼女が頷いたので、荷物の中からマッチと蝋燭を出して、小さな灯りをつけた。そこにネックレスを近づけると、中心に星が浮かぶ。確かに1本だけが長い。石をクルクルと回しても、その方向は変わらなかった。方位磁石で確認したら、北を指していた。
「別行動にする?私と一緒にいると…」
アンジュは寂しげな顔で言った。美少女は項垂れても美しい。彼はそっとペンダントを細い首にかけてやった。
「とんでもない。俺はシンドラ総督だぞ。ちょうど北に行くんだ。埋蔵金を見つけよう。もし見つかったら、人頭税なんか即、無くせるよ。公衆浴場も作りまくろう!ワニのいる川で沐浴なんてナンセンスだ」
トリスタンの顔を、じっと見つめた後、彼女はくすくす笑い始めた。やはり笑った方が良い。それから二人は朝まで仮眠を取り、元気に旅を再開した。




