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04 追跡者

 逃げたブリタニア人の中に、痩せた男はいなかった。焼け跡に骨も残っていない。忽然と消えたトリスタン王子を探すため、ラジャ藩王は各街道に厳しい検問を設けた。更に、他国にまで懸賞金付きの人相描きをばら撒いた。だが一ヶ月が経っても見つからない。藩王の怒りは頂点に達していた。


「ネビル提督はコルカタ城に立て籠った!このままではブリタニアから援軍を呼ばれてしまう!どうするつもりだ?!バンデラス!」


 藩王が投げた黄金の杯を避けて、黒髪の外国人は肩をすくめた。口髭を蓄えた色男である。彼はわざとらしい笑顔で言った。


「良いんですよ。これで。ブリタニアの艦隊がシンドラ海に入ったところで、我がヒスパニア軍が叩く予定ですから」


「本当に勝てるのか?」


「もちろん。何度も説明したでしょう?これからは貴方の天下だ。ブリタニア人を追い出した英雄なんですから」


「…王子はどうする?」


「こちらで探しましょう。見つかったら連絡します。そちらはコルカタ城から目を離さないでください。では、失礼」


 男は一礼して下がった。ヒスパニアの密偵、バンデラス伯爵。藩王はこの胡乱な男を信じていない。だが、奴の助力無しに大望は果たせない。


『シンドラを再統一し、皇帝になる』


 その為にブリタニアを裏切った。もう後戻りはできない。藩王は密かに側近を呼んだ。そして『バンデラスに気づかれぬよう、王子の捜索を続けよ』と命じた。



          ◇



 バンデラス伯爵は、藩城の豪華な部屋に戻った。ソファに女が待っている。


「王子を追うの?」


 横に座ったバンデラスに、女が訊いた。金髪碧眼の美しい顔、肉感的な体だが、年齢がよく分からない。彼女は立ち上がると、デキャンタのワインをグラスに注いだ。


「ああ。でも先に、王子の首をロンディニウムに送っておこう。息子の生首を見て、女王が頓死したら儲け物、怒り狂って全艦隊を送ってきたら、もっと良いな。エマニエル、適当な首を用意してくれ」


「分かった。黒髪のガリガリ男ね」


「娘の行方は分かったか?」


 エマニエルと呼ばれた女は、グラスを渡しながら首を振った。


「いいえ。嫁に行った娘は偽物だったわ。叔父というのを締め上げたら、死んだって。それも嘘ね。ドルーガ女神が隠しているけれど、加護は途切れていないもの」


「はてさて。魔女殿の話はさっぱりだ。で?どうすれば見つかる?」


「その子が魔力を使えば、はっきりすると思う。もう少し待って」


「ではそれまで、痩せ鼠の捜索だ。面倒だな。此方としては、ブリタニアを引っ掻き回せれば十分なんだが。本当に王子も必要なのか?」


 女は力強く頷いた。


「もちろん。ルマリの娘と、アーサー王の血を引く者。この二人を手にした者がーー」 


「世界を手に入れる、か。何度聞いても信じられないが。まあ、あんな小物の機嫌を取るのは、もううんざりだ。本国の無茶振りもな。さあ、愛しい俺の魔女。助けてやった恩を覚えているなら、王子の居場所を占ってくれ」


 と言って、バンデラスはテーブル上の水晶球を女に手渡す。暫くすると、その中に、黄金色に輝く寺院が映し出された。


「王子はジャイプール藩国にいるようね」



          ◇



 昼間は人気のない森の道を歩き、夜は布を敷いただけで地面に横たわる。時折、動物の目が光って怖い。そういう時、アンジュが『気合を込めて睨め』と言うので、トリスタンが『あっちに行け!』と念じると、不思議と去っていった。


「アチャラ・ナータ神の御加護があるから、貴方を襲う動物はいない」


 と説明されても、トリスタンは釈然としない。


「ワニは襲ってきたじゃないか」


「逃げるからよ」


 祖国では全く役に立たないスキルだ。そうして野獣に襲われることもなく、出発して数日後、二人はジャイプール藩国に入った。黄金寺院という、屋根にも壁にも金箔を貼った豪勢な寺が有名だとか。


 手持ちの食料が底をついたので、街に出た。トリスタンの人相描きが出回っているらしいので、二人は警戒しながら人混みを歩いていった。


「これ、誰?」


 早速、アンジュがポスターを見つけた。文盲だと思われたのか、横にいた中年の男が大声で説明してくれた。


「ブリタニアの第二王子、死神総督トリスタンだよ。何でも、ラジャ藩国の宮殿に火を放って逃げたんだと。王子を捕まえて藩王に突き出せば、1000万ルピア貰えるって。旦那、あんたも乗るかい?」


「いや、俺は…」


「またまた~。立派な体してんのに。奥さん、楽できるよ」


「ウチの人は料理人だから。無理」


 アンジュが割り込むと、男は、また別の人間を捕まえてお喋りに没頭した。


 トリスタンは混乱していた。気づかれなくて良かった。でもおかしい。人相描きはそっくりだった。髪を切った程度では誤魔化せないはずだ。


「見て」


 アンジュが、道具屋の店先に置いてあった姿見を指差す。その前に立ったトリスタンは、衝撃を受けた。


「!?」


 肉の付いた黒髪の男が映っている。マヤの家には鏡がなかったので、全然気がつかなかった。


「多分、誰も気づかないと思うよ。ほぼ別人だから」


「…ハッ!じゃあ、今の俺なら」


 モテるんじゃないのか?と思った矢先、道具屋の中から出てきた若い娘と目が合った。


「いらっしゃ…」


 いきなり娘は気絶した。売り物のクッションに倒れ込んだから問題ない。でもトリスタンはショックだった。死神の呪いに、見た目は関係なかったのだ。


「スーリヤ!どうしたの?!」


 母親らしい店主が揺すっても起きないので、何だ何だと野次馬が集まってきた。


「あんた、ウチの娘に何したのさ?!」


 答えに詰まっていると、アンジュが厳かに言った。


「違う。この娘が生まれた時、落雷で火事が起きた。それ以来、アチャラ・ナータ神が彼女を護っている。倒れたのは、もうすぐ素晴らしい縁談が来るという啓示よ」


「確かにそうだったわ!貴女は占い師なのね。ありがとう」


「どういたしまして。アチャラ・ナータ廟にお参りしてね」


「ええ!」


 道具屋の主人はアンジュに手を合わせ、嬉しそうに周りの祝福に礼を言った。彼は小さな声で訊いた。


「大丈なのか?あんな出鱈目を言って」


「本当よ。1週間以内に、嘘つきの妻と別れたばかりの御曹司と出会うから」


「やけに詳しいな。でも、俺の目、乙女殺しのままだ。悪い意味で。どうしよう?」


 こんな街中で、若い女を避けるにも限界がある。アンジュは少し考え、眼鏡が描かれた看板の店に入った。そして対応に出た男の店員に注文した。


「度の入っていない眼鏡が欲しい。できるだけ野暮ったく見えるやつ」


 店員は首を傾げた。


「はて?貴女がかけるのですか?」


「いいえ。私の夫よ。格好良すぎて、女がワラワラ寄ってくるの」


「なるほど。では特別にこれをお譲りしましょう」


 と、厳重に封印された小箱が出された。アンジュは眉を顰めた。


「呪われてる」


「分かりますか?嫉妬に狂った女の霊が憑いています。かけていると、半径3メートルに若い女性は近づけない。お客様のご要望に添えるかと。今なら大処分価格10ルピアで結構です」


「買った」


「ちょっと待てよ!嫌だ!怖いよ!」


 トリスタンの抗議も虚しく、アンジュは金を払って小箱を受け取った。彼女が無造作に封印を剥がして蓋を開けると、ごく普通の丸い縁の眼鏡が入っている。眼鏡はピョンとカウンターに飛び降りた。


「ギャーっ!!」


 思わず飛び退るが、アンジュは彼の手を掴み、眼鏡に言った。


「今日からこの男が主人だ。護れ。分かったな?」


 眼鏡が微かに頷いたように見えた。トリスタンは嫌だったが、何度も促されて、渋々それをかけた。すると、驚いた事に、ガラス面に文字が浮かび上がった。


『承知しました。ご主人様』


「アン!文字が見える!」


「鬱陶しかったら命令して消せば良い」


 二人は店を出た。暫くこの街で稼ぐ予定なので、雇ってくれる所を探さねばならない。道端でアンジュと相談していると、眼鏡が文字で言った。


『300メートル先に、職業紹介所があります』


「凄い!凄いよ君!そうだ、名前をつけてやろう。グレースだ」


『ありがとうございます』


 彼は紹介所で厨房の仕事を得た。1週間という短い契約だったが、黄金寺院の近くの、巡礼者向けの食堂が住み込みで雇ってくれた。知らない料理と出会えるかもしれない。期待と共に、トリスタンは料理人としての一歩を踏み出した。



         ◇



 ジャイプールの門をくぐった時、馬車に乗っていたエマニエルは魔力を感じた。


(釣れた)


 ルマリの娘が力を使ったのだ。追われているとも知らずに。魔女はほくそ笑んだ。


「どうした?」


 向かいに座る主人が訊く。


「ルマリよ。彼女もここにいる。…王子の方はダメね。痩せた男は視えない」


「更に痩せたか?もうミイラだな。黄金寺院の行者に紛れているかも知れん。探してみよう」


「私は娘を探すわ」


 エマニエルは馬車を降りた。雑多な人間の気配のせいで、魔力の残滓が掻き消える。舌打ちをして、周囲を見回すと、宣教師の姿が飛び込んできた。彼女はぴたりと足を止めた。


(大丈夫。ここは欧州じゃない)


 シンドラは唯一神の結界の外、数多の神々が集う地だ。大きく息を吐いてから、魔女は喧騒の中を歩き出した。


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