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31 終話・死神総督とカレー

お読みくださり、ありがとうございました!

 背中の羽は数時間で消えた。広場の海とアプサラーも消えたので、ネビルの部下達は悲しんでいた。負傷者の手当てや、壊れた建物の修復で数日が過ぎ、やっと落ち着いた所で、祝勝会だ。


 少し欠けた月の夜、村の広場にテーブルや椅子を出して、盛大なパーティーが開かれた。そこで赤子を見た雪豹氏は満足気に言った。


「シンドラ中の神々の加護を持っている。魔力も豊富だから、良い魔術師になる」


 アンジュは曖昧に微笑むが、赤子を抱いたトリスタンは、言下に否定する。


「勝手に決めるな。この子はシンドラ皇帝になるんだ」


「魔術を極めた皇帝になれば良い」


 ヴラドが赤い何かを飲みながら、愉快そうに訊く。


「もう陛下とお呼びした方が良いんですか?」


「正式には、俺とアンジュが結婚式を挙げた後かな。そうだ、ストロングに頼もう」


 トリスタンは牧師を探した。しかし、会場の隅で、ヴラドの娘と何やら親密な雰囲気である。『良いのか?』と目で尋ねたら、父親は肩をすくめた。まあ、本人の自由だ。ストロングもカミラも独身だから。


「ところで、名前は決めたのか?」


 と雪豹氏に訊かれ、アンジュが答えた。


「トリシュナ。父親のような、強い人になってほしい」


「…そうだな」


「何だよ、その微妙な間は!言わせてもらうけど、いきなり羽が生えて、上手に飛べる人間なんて皆無だから!ああ、泣いちゃった」


 ふにゃふにゃと泣くトリシュナを、慌てて横のマヤに渡す。まだ機嫌の良い時しか抱っこできないのだ。マヤは上手にあやしながら、赤子を連れて行った。アンジュもそろそろ引き上げた方が良いと思い、トリスタンは声をかけた。


「もう休めよ。疲れたろ」


 しかし、彼女は首を振った。


「大丈夫。ずっと見てた。ここにいる全員が、一生懸命戦うのを。トリスタンもカッコ良かったよ」


「本当?ど、どこが?」


「羽で飛ぶところ」


「…それは加護であって、俺の実力じゃないんだけど」


「ううん。加護を引き寄せたのは、貴方の力だよ。守ってくれて、ありがとう」


 アンジュは彼の胸にもたれかかり、目を瞑ると、そのまま眠ってしまった。いつの間にか、雪豹氏もヴラドも姿を消している。気遣いのできる連中だ。トリスタンはアンジュを起こさないように、そっと抱き上げ、部屋に運んだ。



          ◇



 その3ヶ月後、トリスタンとアンジュはコルカタ城で結婚式を挙げた。同時に、二人の子供・トリシュナはシンドラ皇帝に即位、父であるトリスタン王子が、総督兼皇帝代理となった。


 ルマリの娘は、とうとう皇帝の母となったのである。



          ◇



 10年後。コルカタ城には、皇帝トリシュナの従弟である、ブリタニア王子ウィリアムと、エディンバラ公子ヘンリーが滞在していた。黒い髪と青い目が三つ子のような従兄弟は、歳も近く、非常に仲が良かった。


 この冬はずっとシンドラにいられるとあって、ウィリアムもヘンリーも、上機嫌である。何せ、シンドラは面白い。動物は喋るし、吸血鬼が出仕している。特にウィリアムが気に入っているのが、侍従のタリムだ。


「タリム!変身して!」


 と頼めば、白い髪の侍従は、嫌そうな顔をしてから、一瞬で雪豹になる。


「わぁーっ!」


「早く朝飯食えよ。今日はワニ川に行くんだろ?トリシュナが来ちゃうぞ」


 ブリタニア語が上手くないから、敬語がいい加減だけど、全然気にならない。


 朝食を済ませると、従兄と叔母上がやって来た。輝くように美しい叔母上は“シンドラの聖女”である。その予言は決して外れないので、国中の金持ちがひっきりなしに訪れるそうだ。


 聖女様は目を細めて、子供達に言った。


「気をつけて。トリスタンは1匹だと思っているけど、ワニは全部で5匹いるから」


 ウィリアムは緊張して頷いた。ヘンリーは怖くなったらしく、青い顔をしている。それを見たトリシュナは、


「大丈夫。ストロングも一緒だから」


 と言った。すぐに、銀髪に赤い目の少年が、ヘンリーと手を繋いでくれる。彼はハーフ・ヴァンパイアで、昼間でも活動できるし、空も飛べる。だからトリシュナの護衛として、常に近くにいるのだ。


「いざとなったら、空に逃げましょう。ね?」


 ストロングに励まされ、ヘンリーは頷いた。それから皆で船着場に向かう。ワニがいる所まで川を下るのだ。船では、ワニ狩りの準備をしていた叔父上が、太陽みたいな笑顔で迎えてくれた。


「乗れ。出発するぞ」


 ウィリアムは叔父のトリスタン総督が大好きだ。神経質で生真面目な父と違って、おおらかで優しい。今日はワニの被害が多い、ウーバー山近くの川へ連れて行ってくれる。こんな公務、ブリタニアには絶対にない。


 大勢の海兵が櫂を扱ぎ、船はどんどん水の上を進む。興奮気味の子供達が、ソワソワと景色を見ていたら、急に川の中から大きな女の人が出てきた。


「止まれ!…アプサラー、どうした?」


 叔父上が身を乗り出して尋ねると、その女性は困り顔で言った。


「この先に住むワニが、魚を食べ過ぎるのよ」


「ちょうど狩りに行く所だよ。あの8メートル超えのヌシだろ?」


「今は10メートルよ。その子ワニ達が、増えてしまって」


「え?子ワニ?」


 トリシュナが先程聞いた、アンジュ様の予言を伝えた。すると、叔父上は顔を曇らせた。


「5匹…ちょっと危険だな。子供達は帰そうか」


「えーっ?!嫌だー!」


 絶対に帰りたくない。ウィリアムは粘った。10メートルのワニも見たいし、この女の人、女神だ。さっきから海兵達が、うっとり見上げているもの。こんな面白い事、見逃せない。


 悩む叔父上に、トリシュナが提案する。


「父上。アプサラーに船を守ってもらいましょう。僕とストロングが2匹づつ、父上はヌシをお願いします」


「分かった。アプサラー、頼めるか?あと、水からワニを出して、水面を固めてくれ。マハール湖の時みたいに」


「良いわよ」


 女神が美しい手を2度打ち鳴らした。たちまち、水中から巨大なワニが飛び出してくる。ワニは水の上にゴロリと転がった。5匹のワニは、最初はビックリしていたが、ギョロリとこちらを認めると、猛スピードで走って来た。


「きゃあーっ!!」


 ヘンリーが悲鳴を上げると、すかさず、女神はヘンリーとウィリアムを両手に抱き上げた。


「大丈夫よ。ここまでは来れないから」


 装飾品しか身につけていない、しっとりとした肌に抱かれ、胸がドキドキする。海兵達は羨ましそうに見ている。


 トリシュナとストロングは武器も無いのに、3メートル以上はある大ワニを叩きのめした。魔法だ。話には聞いていたけれど、従兄が魔法で戦う姿を初めて見た。


「死ねっ!クソワニ!」


 気づいたら、叔父上が、超巨大ワニの喉を切り裂いていた。叔父上もまた、人間離れしている。かつて『死神王子』と呼ばれ、特にヒスパニア人には恐れられているが、本国では英雄である。


 ウィリアムは従兄が心底羨ましかった。英雄を父に、聖女を母に持ち、不思議に満ちたシンドラ帝国の皇帝にして、最強の魔法使い。トリシュナに比べると、ブリタニアの王子など、色褪せて見えてしまうのだ。



          ◇



 夕食後、ウィリアムは、疲れを理由に、早めに部屋へ戻った。そこへ、叔父上が訪ねてきて、心配そうに訊いた。


「どうした。元気が無いぞ。アプサラーの抱っこが嫌だったか?」


「それは最高でした。いや、そうではなくて。…つまらない嫉妬です」


 ウィリアムは自分の鬱屈を正直に話した。即位したばかりの父は、今、余裕がない。だから、真剣に聞いてもらえたのが嬉しかった。


「ああ、僕も魔法が使えたらな!せめて、叔母上みたいに、先を知ることができたら、あの神経がすり減るような宮廷でも、楽に生きていけるのに!」


 思わず、本音をぶちまけると、叔父上は悲しそうな顔で言った。


「できない方が幸せだよ。ウィリアム。お前は、アンジュが決してブリタニアに行かない理由を知っているか?」


「え?アーサー王の血筋しか、転移できないからでは…」


「それは建前だ。日数はかかるが、船でも行けるし、妊娠中は転移もできる。だがアンジュは、下の子が腹にいる時も行かなかった」


 それから、叔父上は、10年前に起こった事を教えてくれた。



          ◇



 長い話を聞き終えて、ウィリアムは、ようやく周囲の大人達の態度に納得した。メアリー叔母上も、お祖母様も、いつも占いとか幽霊話とかに夢中なくせに、シンドラから魔法使いを呼ぼうとはしない。それどころか、公式の場でシンドラの不思議な話はしないよう、厳命する。


「それは、アンジュを守る為なんだ。他国から見たら、シンドラはブリタニアの植民地だ。トリシュナは先の女王の孫で、傀儡だと思われてる。それで良いんだ。お前の父上は、シンドラが不思議なもの達の楽園であるよう、精一杯、守ってくれている。本当は、第二王子だった俺が、兄上を支えなきゃいけないのにな」


 と言って、叔父上は笑った。甥は胸を張って答えた。


「僕が支えます。シンドラも、僕が守ります」


「ハゲない程度で良いぞ。兄上も、そろそろ危ないか?」


「少し…後退が始まってるかも」


「薄毛の家系なんだよ。トリシュナに育毛の魔法を開発してもらおう」


「あはははは!」

 

 二人は大笑いした。ウィリアムは、ようやく、自分にしかできない事が分かった。



          ◇



 それから、叔父上が客人を迎えると言うので、一緒に行った。夜に来る客といえば、吸血鬼しかいない。


 皇帝宮では、叔母上やトリシュナ、その妹のグレースが、銀髪の貴族と談笑していた。北部シルヴァニア領を治める、ヴラド公だ。


「これはウィリアム殿下。お久しぶりです」


「ヴラド公もお変わりなく」


 吸血鬼だから、多分、10年経っても変わらない。形式的な挨拶が終わると、叔父上と叔母上、ヴラド公はどこかに行った。


 グレース皇女がウィリアムに声をかけた。


「精霊とお茶会するの。ウィリアムも一緒にいかが?」


「いいね。ヘンリーも呼ぼう。エディ、起こしてきてくれる?」


 エディは叔母上の侍女の中で、唯一人のブリタニア人である。彼女は笑顔で頷き、肩に乗せた小猿に命じた。すると、小猿が喋った。


「OK。叩キ起コス」


「優しくね」


「驚いた。いつからジョージは喋るようになったの?」


 ウィリアムが尋ねたら、グレースが得意げに言った。


「つい最近よ。私が教えたの。まあ、お兄様とエディの言うことしか聞かないんだけど」


「お前より、付き合いが長いからさ。さあ、行こう。夜が明けちゃう」


 3人は外に出た。あちこちに置かれたランプが夜の庭園を照らしている。綺麗な芝生の上には敷物が敷かれ、お茶やお菓子が並んでいる。早く寝なさいと言われずに、思う存分夜更かしができるのも、シンドラの魅力だ。


 すぐにヘンリーも来た。彼は小猿にぐしゃぐしゃにされた髪を、エディに直してもらった。


「で?精霊って?グレースが呼ぶの?」


 興味津々のヘンリーは待ちきれずに訊いた。グレースは天才少女だ。まだ5歳なのに、魔法の研究をしている。今は召喚術とやらにハマっていて、


「そう。お兄様は黙っててね。今日は私だけでやってみるから」


 と、両手を合わせて、一心に祈り始めた。


 ウィリアムは、先程聞いた話を思い出した。グレースの前世は、叔父上の眼鏡に憑いていた、大昔の学者である。聖女様を良く助けた功徳により、皇女として生まれ変わった。ただ、本人は前世を覚えていない。


(不思議だ。ブリタニアでは『有り得ない』と笑われそうな事も、こちらでは信じられる)


 数十秒後、空から白い大蛇が降りてきた。グレースはガッカリしたように言った。


「なんだ。ナーガかぁ」


「分身じゃないぞ。本体だ」


 トリシュナが合掌して、大蛇に礼拝した。ヘンリーとウィリアムは、何度か、天空神殿で会った事がある。見た目は怖いけど、いつも大歓迎してくれる、良い神様だ。


「わあ!小さいアーサーがいっぱい!お茶に呼んでくれたの?」


「じゃあ、ナーガ神?私、凄い?」


 喜ぶ妹の頭を撫でて、トリシュナは命じる。


「凄い凄い。ストロング、もう警戒しなくて良い」


 その言葉で、さりげなく控えていた護衛に気がついた。そこへ、エディと叔母上が、出来立てのサモサを差し入れてくれた。叔父上が作ったそうだ。


「カレーもあるわよ。食べる?」


 叔母上が尋ねると、グレースは頬を膨らませた。


「なんでカレーなの?紅茶とか、スコーンとか、オシャレなブリタニア式のお茶会なのに」


 蛇神がいる時点で、全然違う。ウィリアムとヘンリーは同時に吹き出して、笑い転げた。


「嫌なら食うなよ。俺はアンジュの為に作ったんだ」


 鍋を持った叔父上と、山のようなチャパティを持ったタリムも加わり、お茶会は、カレーパーティーになった。大蛇の口にカレーを運ぶのが楽しくて、グレースも機嫌を直した。



         ◇



 ナーガと遊ぶ子供達を眺めながら、アンジュはトリスタンの肩にもたれた。すると、彼は心配そうに訊いた。


「診察、どうだった?」


 少し具合が悪いだけで、夫はすぐに院長先生を呼んでしまう。宮廷医だっているし、先生だって今は大領主だから、忙しいのに。でも、嬉しかった。


 アンジュはそっと囁いた。


「できたよ。3人目」


「本当?!やったーっ!」


 大喜びのトリスタンはアンジュを抱きしめた。そしてエディに膝掛けを持って来させると、彼女を包んだ。手も足もぐるぐる巻きで動けない。


「安定期まで、冷えないようにな。ほら、栄養も摂らないと。あーん」


 と、彼が匙を差し出すので、アンジュは気恥ずかしさを我慢して、食べさせてもらった。


「トリスタンのカレーが、この世で一番美味しい」


 ルマリの娘は、幸福を噛み締めた。


(完)


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新作ありがとうございました。 すごく面白かったです! 昨夜からイッキ読みしてしまいました。今度はゆっくり味わって再読しますね。
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