30 特級悪魔 vs 死神
女王は結局、トリスタンの臣籍降下も、総督辞任も許さなかった。その代わり、“終生シンドラ総督”とした。そして、アンジュの子供にシンドラ皇帝の位を授けた。
「聖女アンジュが、シンドラ皇帝の子孫だからである…無理がありますよね?」
布告文の写しを読みながら、エドワードが言う。今日は、女王と王太子、二人だけの密談である。イザベラは王命書にサインをして、御璽を捺した。
「良いのよ。どうせ、誰も反証できないんだから。他国が何と言おうと、私の孫がシンドラ皇帝です。いいわね?」
「はい。私の甥か、姪がシンドラ皇帝です」
「よろしい」
トリスタンは当初、総督の地位も、シンドラ皇帝位も、頑なに拒否していた。それが、エディンバラ公に、『愛する女性を守るのに、地位と金が無くてどうする。水も肥料も無しに、美しい花は咲かないよ?』と言われて、コロッと態度を変えた。
(それだけ、アンジュにベタ惚れって事なのよね)
その後、トリスタンが転移して見せると言うので、家族全員でストーン・ヘンジに行った。周囲数キロを立ち入り禁止にして見守る中、トリスタンの血を祭壇跡に垂らすと、不思議な模様が光った。そして、あっという間に次男の姿は消えてしまった。
本当に向こうに着いたのか、どうやって確かめるの?と皆が思っていたが、しばらく経ったある日、手紙がストーン・ヘンジに届いた。
『俺の血と、山羊一頭の犠牲で、手紙が送れる事が分かりました。今、アンジュと一緒に吸血鬼の村にいます。毎日、悪魔と戦っていますが、手が足りないので、ネビルを送ってください。出産の時は、特級悪魔が襲ってくるそうです』
という、訳の分からない内容だった。
「あれ、何かの比喩なの?テロリストとか、パルチザンとか?」
「分かりませんが、各国の問い合わせには、そのまま伝えてます。トリスタンが聖女アンジュを守る事で、我が国は贖罪を果たしていると。二人が正式に結婚すれば、この一件は落ち着くと思われます」
切れ者の長男は、速やかに騒動を鎮めてくれた。蛇頭のイゾルデ・ルーマスとその部下は処刑。異端審問官は餓死した。最後まで、生きた物を丸呑みできなかったのだ。
「落ち着いたら、会えるかしら?」
よくよく考えたら、アンジュと話した事がない。機会があるならば、と思ったが、エドワードは首を振った。
「彼女がブリタニアに来ることは無いでしょう。母上と私とメアリーは、向こうに行けますよ。ストーン・ヘンジを使えば」
「…遠慮するわ」
その勇気は、イザベラには無かった。
◇
いよいよアンジュの陣痛が始まった。日暮れのシルヴァニア村には、元々の住人に加え、ヴラドが集めた魔術師やブリタニア海軍の精鋭が集まっている。全体の指揮を取るトリスタンは、病院前の広場で仲間達を激励した。
「恐らく上級以上が来るだろう。吸血鬼隊!空は任せたぞ!魔術師達!今こそお前達の力を見せろ!ブリタニアの勇者諸君!女王陛下の為に!悪魔を皆殺しにせよ!!」
「おう!」
気合い十分、聖女軍は配置に着いた。篝火に照らされたトリスタンの左右には、ネビル提督とストロング牧師が立つ。美中年に挟まれ、正直、鬱陶しい。
「俺は良いから。ほら、大天使の剣もあるから、大丈夫だよ。お前らは向こうへ…」
追い払おうとするのを、ネビルは拒否した。
「殿下は少々、ご自分を買い被り過ぎです。なあ、ストロング牧師」
「全くです。殿下の身に何かあれば、聖女様がお嘆きになる。特級悪魔は、上級とは別物ですから。決して、油断なさいませんように」
と、ストロングも動こうとしない。戦いの様子は、蝙蝠が産室のヴラドに映して見せている。つまり、アンジュも見ている訳である。カッコ良い所を見せたい。だがストロングはバカみたいに強いし、ネビルなど、つい最近参戦したくせに、中級を一撃で叩っ斬る。
「お前らがいたら、俺の活躍が霞むだろうが!って、出たーっ!!」
突如、目の前に上級悪魔が現れた。羽も無いくせに宙に浮くやつだ。気づけば、複数箇所で下級や中級との戦いが始まっている。トリスタンは雪豹氏を呼んだ。
「シェリム!頼む!」
駆けつけた雪豹氏は、彼を背に乗せて空へと舞い上がった。
「太ったな。重いぞ」
「失礼な。元に戻っただけだ」
ネビルが大きくなったナーガの分身に跨り、後に続く。二人は息を合わせて、上級悪魔を地に叩き落とした。
「後はお任せを!」
すかさず、ストロングが手甲で頭を殴り潰すと、悪魔はチリとなって消えた。素晴らしい連携だった。アンジュも見ただろうか。トリスタンは興奮して尋ねた。
「どう?今のカッコ良かった?」
「…来るぞ」
急に、雪豹氏の髭がピンと立つ。いつの間にか、夜空の一部が真っ黒な穴になっている。そこから、身の毛もよだつ不快な音が聞こえたかと思うと、
「特級悪魔だ!」
ナーガの叫びと同時に、黒い触手が、凄まじい速さで伸びてきた。雪豹氏が紙一重で避ける。トリスタンは、慌てて豹の首にしがみついた。
思っていたのと違う。人型ですらなく、無数の触手が生えた、巨大な黒い球体である。ネビルが空から号令した。
「弓隊、放て!」
すぐさま、ブリタニア軍の弓自慢達が矢を放つ。ストロング牧師が入念に清めた矢は、何本もの触手を消し飛ばす。しかし、その何倍もの数の黒い手が射手に襲いかかった。
「退け!」
あっという間に、10人以上が空高く吊られてしまった。それを助けようとしたネビルまでが、触手に絡め取られた。
「蝙蝠!受け止めろ!」
と命じ、トリスタンはネビルを掴む触手を、剣で斬ろうとした。だが、何と、そいつは自ら手を離した。
(!?)
地上100メートル以上の高所から、次々と獲物を落とす。こいつ、頭が良い。全ては受け止められないのを、見越している。
「ネビルーっ!!」
手を伸ばして叫んだ、次の瞬間、広場が海に変じた。ネビルらは地に叩きつけられる事もなく、柔らかく沈み、浮かび上がった。
真ん中の小さな島に、水の女神アプサラーが座っている。相変わらず豊満な体に、装飾品を着けまくった美女は、微笑みながら言った。
「泳いでいらっしゃい。水の子達」
「イエス、マム!」
落ちた奴らは大喜びだ。水面で手を振るネビルを見て、トリスタンは安堵した。
「見ろ。神々が降臨した」
雪豹氏に言われて振り向くと、寺院でよく見る神が、幾柱も浮かんでいる。良かった。じゃあ、特級悪魔は神様に任せて…と思いきや、豹は特級に向かって飛ぶ。
「ここからが本番だ。行くぞ、王子」
「神様は?何しに来たんだよ?!」
「加護を与える為だ。お陰で、吸血鬼と人狼、魔術師は押し返している」
チラと下を見れば、確かに、中級以下の悪魔は減っている。すると、特級はトリスタンに触手を集中し始めた。さすがの雪豹氏も避けきれない。
そこにタリムとナーガが横から突入してきた。
「父さん!行って!」
「アーサーに触るな!」
ちょっと前まで、上級にも負けていた子豹達は、見事に黒い手を切り裂いた。その間に、黒い球に接近できたが、急所の頭が無いのに気がついた。
「どこをどうすりゃ良いんだよ?!」
「落ち着け。中心に核がある。それを壊せば…グウっ!」
突然、特級悪魔の表面から何かが飛び出した。それは、まるで弾丸のように雪豹氏を貫通した。トリスタンは宙に放り出され、気づいたタリム達も下降するが、間に合わない。
「アチャラ・ナータ!俺にも加護を寄越せ!」
落ちながら叫ぶ王子の背に、何かが取り付く。そして何故か、急上昇に転じる。可能な限り首を回して後ろを見ると、輝く羽が見えた。
「何これーっ?!」
羽は勝手に、特級目掛けて飛ぶ。次々と打ち出される悪魔の弾丸を、吸血鬼達が魔法の盾で弾き、懲りずに伸びる触手は、タリムとナーガが防いでくれる。トリスタンは、大天使の剣を槍のように構え、ほとんどヤケクソで、黒い球に突っ込んだ。
汚物に飛び込んだような不快さに耐える事数秒、剣の先が何かに触れた。途端に、凄まじい断末魔の叫びと共に、特級悪魔は崩壊し始めた。だがその破片は消えずに落ち、地上で下級の形を取ろうとする。
「まだだ!まだ…」
気を緩めるな、と言おうとした、その時、病院の窓から、眩ゆい光が四方八方に走った。その光に当たった悪魔は、全てチリとなって消える。皆が驚いて病院の方を見ると、窓の一つが開いて、院長夫人が大声で言った。
「生まれた!救世主が生まれた!」
「オオーッ!!」
歓喜の雄叫びが響く中、微かに産声が聞こえる。
(生まれた!)
トリスタンは地上に降りようとした。最初に赤子を抱くと、心に決めていたのだ。しかし、下降したり上昇したり、メチャクチャに飛んで、羽が言うことを聞かない。結局、負傷した雪豹氏に頭を踏まれ、手足を吸血鬼達に押さえられるという、非常にみっともない状態で地上に降りた。
ともかく、神々が祝福を降り撒く中、邪魔な羽を背負ったまま、王子は我が子を抱いた。黒い髪、青い瞳の可愛らしい男の子であった。




