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28 再会

 2ヶ月後。アンジュのお腹はだいぶ大きくなった。もう赤ちゃんが動くのも分かる。テラスの椅子に座って夕焼けを眺めていると、タリムがショールを咥えてきた。


「お腹、冷えるよ」


 そっとアンジュの膝にそれを置く。彼女はフワフワの背を撫でて礼を言った。タリムはずっと雪豹の姿でいてくれる。その毛皮に触るのは至福である。


「アンジュー。お姉さんが、お茶しようってー」


 白い小さな蛇が飛んできた。これはナーガの分身で、吸血鬼のお姉さんにも可愛がられていている。


「ありがとう。さあ、お茶に行こう。タリム。ナーガ」


「おう」


「今日のおやつ何かなぁ?」


 ショールを羽織ったアンジュは、小蛇を腕に絡ませ、雪豹を従えて1階に下りた。退院してからずっと、院長先生の屋敷で過ごしている。その居間では、お姉さん達がテーブルに紅茶とお菓子を並べていた。


「おはよう、アンジュちゃん。調子はどう?」


「おはよう。少し腰が痛いけど、大丈夫」


 吸血鬼は、夕方が“おはよう”で、夜明け前が“おやすみ”だ。


「今日はレモンケーキよ。さあ、召し上がれ」


 自分は食べないのに、お姉さん達は毎日、お菓子を用意してくれる。アンジュが寂しくないように。


「レモン?酸っぱくない?」


 小蛇が恐々尋ねると、大きいお姉さん(本当は院長先生の奥さん)が笑った。


「ナーガちゃんは子供だからね~。食べられないかな~?」


「オレは大丈夫。もう子供じゃないから」


 雪豹が大人ぶって言うものだから、ナーガは張り合うようにケーキにかぶりついた。


「あれ。酸っぱくない」


 その顔が可愛くて、皆が声を立てて笑った。アンジュは幸福だった。体もすっかり元に戻ったし、優しい仲間に癒されている。少し火が苦手になってしまったが、食事は狼男が作ってくれるから、問題無い。


(でも、カレーが無いんだよね)


 シルヴァニア村は欧州の料理が多い。ブリタニアのよりはずっと口に合うけれど、少し、シンドラの味が恋しかった。


 そこへ、院長先生が来た。


「アンジュさん。お客様が到着しましたよ」


「はい?」


 居間に入ってきた人を見て、アンジュは驚いた。ストロング牧師だったのだ。


「お久しぶりです。アンジュ様」


 なぜか敬語で、彼女が合掌する前に膝をつく。


「ブリタニアでの事、誠に…」


「あなたのせいじゃない。立って。子供達は?」


 ストロング牧師と院長先生もお茶に加わり、その後の話を聞いた。ジャックフルーツは良く売れて、牧師が拳闘試合に出る必要も無くなった。更に、パワハラ藩国がブリタニアに降伏した。親と村に帰った子供も多いと聞き、アンジュは安心した。


 手の空いた牧師をシルヴァニア村に呼んだのは、院長先生であった。


「これから出産まで、夜は我々が、昼間は牧師がアンジュさんを守ります。理由は、ナーガ様から」


 皆は知っているようだ。困惑するアンジュの前に、小蛇がするりと這い寄る。


「あのね、小さいアーサーは、シンドラの救世主なの。今はまだ、気づかれてないけど、もう少し育ったら、あちこちから悪魔が襲いにくる。特に、誕生する瞬間は、シンドラ中の神々も応援に駆けつける程の、激しい戦いになるよ」


「…」


 アンジュは沈黙した。なぜ、あれほどの迫害を受けたのか。人々の心に巣食う悪魔が、無意識に腹の子を憎ませたのだ。シンドラでは、悪魔は形を取って現れるので、より恐ろしい。


 院長先生は、アンジュを気遣うように言った。


「大丈夫。ナーガ様が神々に呼びかけています。私も、強力な助っ人を探してますから。ああ、早速、第一陣が到着したようですね」


「失礼します。お客様です」


 いつの間にかドアの外にいた狼男が、誰かを招き入れる。


「ニーナ!!」


 マヤだった。老婆はアンジュに手を伸ばし、よろめく様に近づいた。アンジュも椅子を倒して駆け寄った。


「お母さん!」


 親子は涙を流して抱き合う。あまりの感激に、アンジュは眩暈がした。その体をしっかりと支えたのは、スジャータとクチュリだ。


「ちゃんと食べてる?安心しな。山羊も連れてきたから」


「産着は用意した?おしめも作ってる?まだ?仕方ないわね」


 二人の声を聞いたら、もう涙が止まらなかった。


「人頭税が無くなったんだよ。それで、家族の元に帰れた。ありがとう。アンジュのおかげだ」


 スジャータの言葉に、他の2人も頷いた。アンジュは全てが報われた気がした。



          ◇



 2ヶ月前、ロンディニウムで起こった騒動は、あっという間に欧州中に広まってしまった。聖女は何者だったのか。市民広場を聖地とすべきでは。関係ない国々や宗教機関から問い合わせや要望が殺到し、女王は疲労していた。


 獣化した人々の中で、特に酷かったのは、異端審問官とルーマス伯爵令嬢である。頭が丸ごと蛇になったのだ。一般市民は数週間もしたら元に戻ったのに、二人はいつまで経っても治らない。


「それだけ罪深いという事でしょう。イゾルデ・ルーマスの侍女と、手下の全てに獣化が起こりました。こちらが彼らの調書です。王太子妃選考にまで遡って、自白が取れましたが、やはり彼女が“蛇”でした」


 エドワードは書類を家族に回した。例によって王族会議という密談の場である。今日はトリスタンと娘婿のエディンバラ公爵もいる。


「えっ?!私にも毒が盛られてたの?」


 メアリーが驚くのも当然だ。蛇とやらは、王太子宮だけでなく、エディンバラ城にまで密偵を送り込み、不妊の香を焚かせていたのだ。徹底的に王位継承者を産ませない為に。


 ルーマス伯爵は獣化しなかった。という事は、全てイゾルデ・ルーマスの企みだ。彼女を選ばなかった、王太子の慧眼に感謝するしかない。


「宮廷医が解毒薬を作ってるから。すぐに治るわよ。ダイアナも、ごめんなさいね。嫌味を言ってしまって」


 いつだったか、跡継ぎに関して責めた事があった。イザベラはそれを思い出して、嫁に謝った。


「いいえ。密偵を探し出せなかった、私の責任もあります」


「半分はエドワードのせいよ。子飼いの小姓が裏切ってたんだから」


 長男は苦い顔で母の言葉を聞き流し、報告を続けた。


「一応、裁判は行いますが、おそらくイゾルデ・ルーマスなど、主犯格の者は死刑になります。ルーマス伯爵は犯罪に関与はしておらず、ある程度の降格処分。異端審問官は…」


「俺が殺す」


 トリスタンが急に口を挟んだ。あれ以来、ネビルの屋敷に篭っている。仕事はしているようだが、宮廷には一度も顔を出していない。今日は夫が迎えに行って、ようやく出てきたのだ。久しぶりに見た次男は少し痩せて、物騒な目をしていた。


「ダメよ。教皇が直接任命した審問官なんだから」


 イザベラが即、却下すると、エドワードも同意した。


「そうだ。どのみち、蛇のままでは餓死する。人間の食物を受け付けないらしい。今は教会が預かっているから、そのまま死なせておけ」


「…」


 不満気に黙り込む次男に、疲れていたイザベラは、とうとう爆発してしまった。


「そもそも、お前があの娘に手を付けたと、ハッキリ言っていれば、こんな事にはならなかったのよ!そうしたら、王命を出して保護したのに!我が国は欧州中の笑い者よ!大天使の怒りを喰らった、大馬鹿者だって!私の顔が豚になった風刺画だって、出回ってるんだから!」


 夫の膝に顔を伏せ、大泣きするが、息子夫婦も娘夫婦も慰めてくれない。皆、女王が悪いと思っているに違いない。


「そうだよ!俺が全部悪い!アンジュを連れてきたのが間違いだった!こんな国に!」


 と、次男に言い返され、ますます腹が立つ。


「こんな国って言わないでよ!ブリタニア王子のくせに!」


「辞めてやる!総督も王子も!もう真っ平だ!」


「辞めさせないわよ!お前がいなきゃ、ヒスパニアが怖いじゃない!」


「そんなのネビルに任せとけ!」


 初めての親子喧嘩に、早くも負けそうだ。エドワードなら、絶対にこんな無礼な事を言わないのに。イザベラはまたしても泣き伏した。そこでようやく、夫が父親らしく嗜めた。


「いい加減にしなさい、トリスタン。お前は次のロンディニウム公じゃないか。他に誰が、私の跡を継いでくれるのかね?」


「無理だ!ロンディニウムの民なんか、愛せない!俺のアンジュを燃やしたんだぞ!」


 トリスタンは、ガツンっと大理石のテーブルを殴った。拳からは血が流れ、テーブルにはヒビが走る。それを見た娘婿がハンカチを取り出した。


「落ち着きたまえ、トリスタン。とにかく、アンジュさん?アンジュ様?の実家はどこだい?ちょっと行って、謝ってこいよ。あーあ。貴公子は手を大事にしないと。女性は案外、手を見てるんだぞ」


 少し変わり者のエディンバラ公爵は、義弟の手をハンカチで縛った。トリスタンはポカンとしている。


「なぜ実家なんだ?彼女は天の国へ…」


 エドワードが訊くと、変わり者は、ますます変な事を言った。


「え?出産するなら実家でしょう?天国に産婆はいませんよ。多分ね」


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