27 降臨
それは一瞬の隙だった。誰かの悲鳴が聞こえて、トリスタンが振り向いたら、アンジュの胸に矢が刺さっていた。
「アンジュ!!」
心臓を貫かれたアンジュは、一気に燃え上がった。
「やっと死んだ!ザマアミロ!」
「薪を追加だ!燃やせ、燃やせ!」
なんの権利があって、アンジュの死を喜ぶのか。下衆どもを殴り倒し、トリスタンは、ようやく火刑台に辿り着いた。だが、もう遅い。彼女は、ごうごうと燃え盛る炎の柱となっていた。
『死亡』
それきり、グレースは沈黙した。トリスタンは眼鏡を外した。
「お下がりください!殿下!」
炎に手を伸ばす王子を、ネビルの部下達が押し留める。
(間に合わなかった)
凱旋パレードにいたのか。あのピエロはアンジュだったのか。あの時気づいていれば。ルーマスなんて女狐に騙されなければ。ここに連れてきたのは大きな間違いだった。シンドラにいれば、こんな事には…胸糞悪い熱狂の中、トリスタンは、後悔の刃に切り刻まれていた。
「俺も殺してくれ!アチャラ・ナータ!!」
堪えきれず叫んだ、その時。雷が炎の柱に落ちた。
◇
目も眩む閃光が消えると、空は厚い黒雲に覆われていた。そして、炎が消えた火刑台の直上に、輝く何かが見える。泣き伏していたダイアナは、思わず立ち上がった。
長い金の髪、大きく広げた羽、眩い光輪。鎧をつけた天使が、真っ黒に焦げた遺体を抱いている。
「ミカエル!」
静まり返った広場に、トリスタンの声が響いた。
(では、この方が)
シンドラで二人を助けたという、大天使ミカエル。その悲しみに満ちた眼差しに、ダイアナは全てを理解した。
アンジュは聖女だ。それを我々は焼いた。散々に苦しめた後に。
どれほどの天罰が下されるのか、背筋が凍る思いで見つめていると、大天使の周囲に鳩達が集まってきた。彼らは群れとなって広場の上を一周し、四方に散った。
「ウワーッ!」
鳩は、多くの人々の中から、特定の者を選んで嘴で突く。突かれた者は、体の一部が獣に変じた。アヒル、羊、犬…様々な動物と人間が混ざった姿に、近くにいた者達は悲鳴を上げた。
「嘘をついた者、罵った者は口。石を投げた者は手。殺そうとした者は全身。悔い改めるまで、獣でいよ」
大天使は厳かな声で言った。ダイアナのすぐ後ろでも、侍女が叫んだ。振り向くと、異端審問官の頭が蛇になっていた。彼は頭を抱えて何処かに逃げてしまった。
「特に、陥れようとした者は罪が重い。今ここにいない者達も、決して逃がさぬ」
燃える瞳が眼下を見回す。恐れ慄いた人々は、一斉に跪いたが、その中でトリスタンだけが立ち続けていた。
「ミカエル!何故、俺を罰しない?!全て俺のせいだ!」
血を吐くような叫びに、
「エディ、ネビル、ダイアナ、メアリー、エドワード、そしてお前は、救おうとした者だ。それ以外は傍観した者。だが罪ではない」
と言って、大天使は再び眩しいほどの光を放つ。すると、黒焦げの遺体が元の姿に戻っていた。灰色の髪は艶やかな黒に、白い肌は火傷一つなく、矢で射られたはずの胸は、血の痕もない。眠るような聖女を抱いて、大天使は上昇を始めた。
「待て!アンジュをどこへ連れて行く気だ?!」
トリスタンが伸ばす手も虚しく、あっという間に空高く舞い上がり、消えてしまった。
「…」
ダイアナは深く息を吐いた。助かった、と思ってしまった。この場にいる全員が、獣にされる可能性もあったのだ。
隣にいた夫が、側近に命じた。
「獣化した者を調べろ。その中に“蛇”がいる。一気に叩くぞ」
「はっ」
そうだ。この騒ぎを仕組んだのは、蛇だ。今頃、何の動物になっているやら。それより、神罰はこれで終わったのだろうか。ダイアナは暗澹たる思いで、聖女が昇天した空を見た。
やがて、立ちこめた黒雲から雨が降ってきた。土砂降りの雨に打たれ、人々は正気に返り、散り散りに帰っていく。その中で、トリスタンだけが、いつまでも天を見上げていた。
◇
吸血鬼の長、ヴラドは窓を叩く音に気づいた。もう真夜中過ぎである。不思議に思いながら窓を開けると、1羽の鳩が飛び込んできた。珍しい事もあるものだ。
「どうした。誰かの使いか?」
と尋ねると、鳩は拙い言葉で言った。
「来テ。アンジュ、死ニソウ」
これまた、久しぶりに驚かされた。ヴラドは妻と娘を連れてヒマ山に飛んだ。ここはナーガの結界で、通常は入れない。だが今日は、なぜか許された。案内の鳩に続き、3人の吸血鬼は石の神殿に降りた。
「ここは…天空神殿か」
血を吸ったので、魔女が転移したところまでは知っている。その後、あの二人はどうなったのか。王子は、おそらく、ブリタニアに帰った。聖女は故郷に戻ったのだろう。そう思い込んでいた。
「こちらだ。吸血鬼の」
雪豹が音も無く現れ、先に立って歩き始めた。神殿の柱の間を通って、ナーガの結界に入る。そこに、巨大な蛇に抱かれて眠る聖女がいた。
「アンジュちゃん!」
妻達が駆け寄って呼びかけると、アンジュは目を開けた。ヴラドも近づいて、痩せ細った手首に触れた。脈が遅い。死にそう、とまではいかないが、衰弱している。
「院長先生…お姉さん…」
ヴラドは、聖女から欧州の残穢を嗅ぎ取った。
「もしや、ブリタニアに行ったんですか?」
アンジュは弱々しく頷いた。話す力も残っていないようで、代わりに、雪豹が説明した。王子と共に転移した彼女は、3ヶ月以上、ブリタニアで過ごした。そこで苦労をして、最期は魔女として火炙りにされた。雪豹は、アチャラ・ナータ神から聖女を託されたそうだ。
(警告は無駄だったか…)
アンジュのような異能力者は、今の欧州では受け入れられない。ヴラドは後悔した。もっと真剣に、王子に言い聞かせれば良かった。
「アチャラ・ナータが体は治した。でも、穢れが取れない。それと…」
急に、ナーガが口を挟む。
「お腹に小さなアーサーがいる。とても弱ってる」
「何と」
もう一度、脈を診たら、確かに妊娠していた。“小さなアーサー”という事は、トリスタン王子の子だ。なるほど、それで転移が可能だったのか。医師として興味が湧いたが、今は、彼女を病院に運ぶ方が先である。
持ってきた担架を組み立て、そこにしっかりとアンジュの体を固定した。飛び立つ前に、ヴラドは雪豹とナーガに伝えた。
「大丈夫。アンジュさんもお子さんも助かります。穢れに関しては、シンドラの神気でいずれ消えるでしょう。ただ、火炙りの記憶に苦しむかもしれない。できるだけサポートをお願いします」
「息子を送ろう。癒しになると思う」
雪豹が約束した。ナーガは遠慮がちに、
「僕の分身を送ってもいい?小さなアーサーが心配なんだ」
と言って、その場で小さな分身を作った。娘が『まあまあ可愛い』と言うので、そのまま連れて行く。
「では。雪豹殿」
「頼んだぞ、吸血鬼の」
蛇神の眷属に見送られ、ヴラドは夜空に舞い上がった。妻と娘が、魔法で高所の冷気と風を防ぎながら、担架を運ぶ。その横で、医者は治療法を考えた。
(助っ人を呼ぶべきかな)
彼の心を読んだかのように、胸ポケットに入れた小蛇が言った。
「人間が必要だよ。お母さんとか。あと、強い人もね」
「ストロング牧師の事ですか?」
「そう。小さいアーサーを狙って、悪魔が来る」




