25 エディの奮闘
罪人を運ぶ馬車は、まるで車輪の付いた檻のようだった。ソールズベリーから首都までを、ゆっくりとアンジュを晒しながら進む。好奇の目、罵声、嘲笑。その全てが、彼女の精神を削った。
夜は街の牢に入れられた。極度の緊張と疲労から、夢も見ないほど深く眠る。だが、3日目の夜中、何かに髪を引っ張られ、目が覚めた。
牢の小窓から入る月明りに、小猿が見える。ジョージ。どうしてこんな所に。
「エディが?」
「キーッ」
ジョージが鍵を差し出した。では、審問官は約束を守ったのだ。エディは釈放され、今、仲間を助けようとしている。嬉しさが込み上げた。けれど、アンジュも奴と契約した。
彼女は眼鏡を外して、親友に頼んだ。
「グレース。エディを守ってあげて」
『アンジュ。それはできません』
死刑宣告を受けて以来、ずっと沈黙していたグレースが、やっと返事をした。
『私はご主人様、その妻、子としか、契約できません』
「じゃあ、マヤ達に伝えほしい。私はブリタニアで幸せに暮らしてるって。エディに手伝ってもらって。あなた一人じゃ、手紙も出せないでしょ?方法は任せる。費用はこれを」
アンジュは首に掛けた“シンドラの星”を取り出した。
『いけません。それは…』
「私が持ってても、どうせ無くすから。お願い、グレース」
『…分かりました』
「ありがとう。ジョージ。これをエディに届けて」
サファイヤを通した革紐で、眼鏡を猿の背中にくくりつける。小猿は、この鍵をどうしようか、という風に首を傾げた。
「それは返してきなさい。私は脱獄しない」
ジョージはじっとアンジュを見つめてから、スルスル壁をよじ登って、小窓から出て行った。
(ああ。本当に一人になった)
彼女は手枷をされた状態で、苦労してポケットからコインを出した。1ペニー銅貨が3枚。トリスタンのお祖父さんだけど、よく似ているから、お父さんはこんな人だよ、と教える為に取っておいた。
あと2日。心残りがあるとすれば、お腹の赤ちゃんに、これを見せられなかった事か。アンジュは女神に祈った。
どうか、赤児と共に、女神の元に還れますように。この冷たい大地に縛られた、怨霊になりませんように。
◇
エディは牢屋裏の茂みに隠れていた。そこにジョージが何かを背負って戻った。アンの眼鏡だ。それを小猿から外したら、革紐に大きな青い石が付いている。
「何これ?アンに鍵渡した?」
小さな声で尋ねると、ジョージは首を振った。鍵は渡せなかったのに、荷物は受け取ったのか?謎だ。
ソールズベリーでアンと別れた後、エディは大聖堂を見物に行った。ちゃんと拝観料を払ったのに、あーだこーだと難癖をつけられ、牢屋に放り込まれた。その日のうちに放免されたが、納得がいかない。改めて大聖堂に侵入したら、アンが魔女として捕まった事を知った。
流れ者が一般市民に好かれないのは、仕方がない。でも、金で嘘の署名をするなんて。
(アンは魔女じゃない。オレの恩人だ)
怒りに震えたエディは、囚人馬車の跡をつけた。何度も何度も、アンを罵る奴らを殴りたくなった。なんとか堪えて、逃すチャンスを待った。今夜こそ、と思ったのに。エディは眼鏡を手に、ため息をついた。
『エディ』
その時、眼鏡のガラス面に文字が浮かんだ。
「え?!オレに言ってんの?」
『Yes』
エディはあまり文字が読めない。それを知っているのか、眼鏡はごくごく簡単な単語で答えた。
『人が来る。逃げて』
「お、おう」
牢屋を離れて、近くの公園に移動した。そこで改めて、眼鏡に事情を尋ねた。だが、エディの読み書き能力が追いつかない。長い時間をかけて、ようやく事情が飲み込めた。
「アンの彼氏はトリスタン王子だった。何者かが、お腹の子供を消そうと、アンを魔女に仕立てた」
『Yes』
「彼女が逃げないのは、異端審問官と契約したから。オレを逃すっていう…」
『Yes』
エディは頭を抱えて呻いた。アンが捕まったのは、自分のせいだった。彼女が魔女として処刑されるのも。お腹の子は王族じゃないか。みすぼらしい孤児の命なんか、比べ物にならない。なのに、アンはエディを救った。
すると、眼鏡がバシッとエディの頭に体当たりした。
『泣くな。トリスタン王子を探せ』
「でも、R嬢と結婚すんだろ?助けてくれる?」
『思い出した。本当に悪い女は、R…ルーマス伯爵令嬢だ』
「?」
また何回もやり取りをして、眼鏡の言いたい事が分かった。眼鏡は、黒幕の声を聞いたことがある。つい最近、どこかで聞いたが、その時は思い出せなかった。
「あの、救済院の裏庭にいた女?金髪の?」
『Yes。声、同じ。あの女が敵』
「こうしちゃいられない。すぐに王子を探そう。でも、どこにいるんだろう?オレが行って、会えるかなぁ?追い出されんじゃない?」
エディは自分が情けなく思えた。読み書きもロクにできないし、偉い人にツテもない。味方はジョージと、眼鏡だけ。これでアンを救うことができるのか。だが、眼鏡は大きな太い文字で言った。
『No!エディしか、できない!』
◇
2日後の昼過ぎ。トリスタンは、ネビル邸の庭で乳粥を煮ていた。カレーを食う程、食欲が無い。庭のベンチで乳粥を食べていると、提督がやってきた。
「女王陛下の使いが来てますよ。市民広場で公務があるとか。のんびりしてて良いんですか?」
「行かない。公開処刑の立ち会いなんて、興味ない。どうせ母上が、“一人で見たくないから”とか何とか言って、家族を引き摺り込もうとしてるんだ。兄上と義姉上はともかく、何で俺まで」
「ご体調が優れず、としますか。…おや?」
鳩がテーブルに下りた。冷えた乳粥の残りをスプーンに載せて、その前に置いてやると、鳩はちょっとつついてから、一声鳴いた。
「クーッ!!」
すると、次から次に、鳩が集まってきた。何百という鳩が、庭中の木に止まり、尋常ではない。ネビルは腰の剣を抜こうとした。
「何ですか?これは」
「…分からん。敵意は無いと思うけど」
トリスタンも困惑したが、そのまま数分、様子を見た。そこへ今度は、猿が現れた。
「お前の家は色々いるな」
「さすがに、ブリタニアに猿はいませんよ。逃げ出したペットでは?」
小さな猿は、木々を伝って、まっすぐにトリスタンの足元にきた。その首に輝くスターサファイアに、王子の目は吸い寄せられた。
「シンドラの星だ!お前、どこでこれを?アンジュがいるのか?!」
小猿は奇妙な動きを始めた。1羽の鳩と寄り添い、キスをする。そして、サファイヤを指差してから、トリスタンを見上げて、首を傾げた。
「当たり前だろ!アンジュが好きだ!さあ、教えてくれ!彼女はどこにいる!」
「ええっ?あれで、分かるんですか?」
分かるに決まってる。シンドラには不思議がいっぱいだったんだ。この猿も精霊とか、そういうやつだろう。トリスタンは上着を羽織ると、手招きする猿の後についていった。流れでネビルも一緒に来る。
猿は塀の向こうに消えた。王子達は裏の出入り口から外に出た。待っていた小猿がまた、案内を始める。ネビルの邸宅はロンディニウムの外れで、大きな公園の隣である。その公園の茂みの中に、小さな子供がいた。
小猿を肩に乗せた少年は、眼鏡を差し出しながら言った。
「アンを助けて!王子様!」
ネビルが前に出て、「無礼者!」とか言いそうになるのを、トリスタンは肩を押さえて止めた。
「しかし殿下」
「置け。危険はない。おい、坊主。それを見せろ」
震える小さな手から、眼鏡を受け取ると、いきなり文字が浮かんだ。
『ご主人様!急いで!アンジュが処刑されます」
グレースは大きな文字で言った。ネビルがまた驚いて叫ぶ。
「何ですか?!これは!」
「うるさい!…グレース!どういうことだ?!」
再会の喜びは後回しで、眼鏡は、パーティーの夜、アンジュが拐われてからの一部始終を、超高速で説明し始めた。




