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21 兄弟の溝

 女王への戦勝報告を済ませると、トリスタンは、大急ぎで自分の屋敷に向かった。一刻も早くアンジュに会いたい。その一念で、逆賊どもを大砲で吹き飛ばし、ヒスパニア野郎を海に沈めてきたのだ。だが、途中で兄に捕まった。


「待て。話がある」


 顰めっ面の兄は、弟を母の私的密談部屋に連れていった。そこには父、兄嫁、姉がいた。皆、一様に緊張した顔である。嫌な予感がしてきた。


 兄が淡々と言った。


「実は、もう1ヶ月以上、アンジュ嬢が行方不明だ。今も捜索を続けているが、何の手がかりも見つかっていない」


 気づくと、兄を殴り飛ばしていた。護衛騎士も外している。止める者もおらず、トリスタンはもう一発殴ろうと、兄の胸ぐらを掴んだ。


「やめてくれ!私だ!私の責任なんだ!」


 振り上げた腕を、父が止めようとする。


「お願い、トリスタン!やめて!」


「打つなら私を打って!」


 姉と、義姉が泣きながら両足に縋る。我に返ったトリスタンは、大きく息を吐いた。そして、全身の力を抜いて言った。


「…何があったのか、全て教えてください」



          ◇



 女王が駆けつけた時、第二王子は既にいなかった。顔の手当てをしているエドワードと、赤い目のダイアナとメアリー、ガックリと項垂れる夫が、一斉にイザベラを見た。


「どういう状況なの?これ」


 侍医を下がらせ、家族だけになると、イザベラは説明を求めた。


「アンジュ嬢の失踪を告げたら、一発、喰らいました。皆がトリスタンを止めて、何とか詳細を伝えましたが、屋敷に帰っていきました。従業員を皆殺しにしないよう、近衛の半分に後を追わせたので、多分、大丈夫です」


 口の端に血を滲ませ、エドワードは淡々と報告した。


「皆殺し?まさか」


「いいえ、母上。魔王みたいなオーラでした」


 メアリーは青い顔で体を震わせている。ダイアナも涙目で頷いた。


「何を言ってるの。王太子を殴るなんて、言語道断です。謝罪させなさい」


 困った子。もう、1ヶ月以上も見つからないのだ。その娘は諦めて、次に進んでほしい。そう考えたイザベラは、嫁に命じた。


「ダイアナ。王子妃選びを再開しなさい。きちんとした相手なら、こんな心配は要らないんだから」


「…承知しました」


「1年経っても見つからない場合、捜索を打ち切ります。この件は、これでおしまい」


 イザベラは仕事に戻った。その後、トリスタンが屋敷の全従業員を解雇し、ネビルの屋敷に転がり込んだと聞いた。家出なんて子供じみた事を、と思ったが、放っておくことにした。



          ◇



 兄をぶん殴った後、執事を始め、男の従業員は、庭師に至るまで全員ボコボコにして追い出した。侍女などの女は、ひと睨みで気絶したので、ロンディニウムの路上に捨てさせた。


 これで怒りが消えた訳ではない。最も腹立たしいのは、トリスタン自身だ。


(あいつらは俺を舐めていた。舐められるような主人だったんだ)


 ネビルの家に身を寄せたのも、家族に失望しただけではない。王族という地位に甘えていた自分に、嫌気がさしたからだ。


 それから数日が経ったある日。トリスタンは屋敷に戻り、アンジュの持ち物を探した。荒れ果てた庭の東屋に、背嚢が落ちている。彼女は1ヶ月もここで暮らしていた。そう思ったら、胸が苦しくなった。


(クソっ!ヴラドの言う通りだ。連れて来るんじゃなかった)


 背嚢から、アンジュがあの洞窟で着たシャツが出てきた。それを持って立ち上がった時、誰か来た。


「あの。ごめんください」


 屋敷は無人だから、仕方なく、トリスタン自らが玄関に回った。


「あ。これはトリスタン殿下」


 知らない女性が膝を折った。侍女を一人連れた、25、6の令嬢である。


「お初お目にかかります。ルーマス伯爵の娘、イゾルデと申します」


「何の用だ?」


 トリスタンはいつもの癖で、つっけんどんに接した。令嬢は気にする風でもなく、侍女から大きな封筒を受け取ると、彼に差し出した。


「恐れながら、王家がアンジュさんの捜索を打ち切る、という噂を聞きました。これは打ち切りに反対する令嬢達の署名です。お願いします!殿下のお力で、何卒、捜索の継続を!」


 金色の頭が深く下げられる。トリスタンは感動した。自分がいない間に、アンジュはこんなにも熱い友情を築いていたのか。貴族の娘なんて、皆高慢で薄情な女ばかりだと思っていたが、こんな素晴らしい令嬢もいたのだ。


「ありがとう。君みたいな友達がいたなんて、知らなかった。アンジュは幸せ者だよ」


「いいえ。私達が、もっとアンジュさんを引き留めていたら、と悔しくてなりません。本当に、申し訳ございませんでした!」


「頭を上げてくれ。良かったら、アンジュとどんな話をしたのか、今度聞かせてくれないか?」


 ルーマス嬢は潤んだ目で、頷いた。


「勿論でございます。ぜひ、皆でアンジュさんのお話をさせていただければ」


 トリスタンはふと、まだ未婚のようだが、何故会った事がないのだろう、と思った。


「そういえば、君とは見合いをしなかったな」


「私は、王太子妃の候補だったんです。近頃は、留学したり、慈善事業に専念していたため、宮廷にもあまり。ですから、第二王子殿下とのお見合いも辞退しました。ご無礼をお許しください」


 兄と同世代だったのか。初対面なのに、踏み込んだ話をさせてしまった。


「すまない。君は暖かい人だ。本当にありがとう」


「いいえ。今日は、お会いできて光栄でした。では、これで…」


 ルーマス嬢は一礼して、去っていった。トリスタンは署名を握りしめながら思った。


(大丈夫。必ずアンジュは見つかる)


 これほど沢山の味方がいるのだから。

 


          ◇



 それからは、王子の権限が必要な時と、強制的に出席させられる夜会以外、出仕はせずにアンジュを探していた。度々、夜会でルーマス嬢と顔を合わせたが、そういう時は、アンジュが話したシンドラでの冒険話を、『殿下の視点でお聞かせください』とねだられた。


「本当に6メートルもあるワニがいるんですか?」


「8メートルだ。アンジュめ、小さく言わなくても良いものを」


「それを剣でバッサリと?」


「いや、まあ。刃物だな」


「アンジュさんは、殿下がギリギリで避けていたと」


「そこは合ってる。もう少しで食われると、毎回、ヒヤヒヤしながら水浴びをしていたんだ」


「まあ!」


 ルーマス嬢はコロコロと笑う。明るく楽しい令嬢だ。家族とギクシャクしてるトリスタンにとって、アンジュの話ができる、唯一の存在であった。


 父親のルーマス伯爵も好人物だ。毎日、ネビル邸に、捜査の進捗状況を知らせてくれる。伯爵はアンジュの後見に名乗り出たそうだ。養女にして、伯爵家から嫁に出すとまで言ってくれる。実の家族より暖かい言葉に、トリスタンは大いに慰められた。



          ◇



 エドワードとトリスタンの間には、すっかり溝ができてしまった。あれ以来、弟は滅多に帰ってこない。たまに顔を合わせても、一言も話さない。ダイアナとメアリーも避けられている。


 ルーマス伯爵と協力して、アンジュ嬢の捜索を指揮しているそうだ。シンドラ総督の役職は、まだ辞していないから、相当な仕事量だろう。それでも夜会に顔を出して、軍関係者の挨拶を受けていた。今夜は珍しく、令嬢達とも話している。


「あれはルーマス伯爵令嬢の派閥ね。最近、トリスタンと一緒にいるのを、よく見るわ」


 ダイアナが扇の影で、そっと教えてくれた。イゾルデ・ルーマス。王太子妃候補を途中で辞退した後、しばらく外国に留学していたらしい。まだ婚約もしておらず、慈善活動に熱中しているとか。


「思い出した。下町でスープを配っていた。偶然、孤児院で見かけたこともある。優しい女性なんだな」


 エドワードが所感を述べると、妻は眉を動かした。


「お忙しい王太子殿下が、“偶然”見かけたと?」


「どう言う意味だ?彼女は辞退したんだろ?蛇の脅迫に屈したのかもしれないぞ」


「そうね。ただの気弱な優しい女性かもしれない。でも、トリスタンと噂になってるのよ。年上だけど、逆に良いんじゃないかって。女王陛下も本人がその気なら、許可するつもりみたい」


 弟はルーマス嬢と談笑している。不釣り合いな程、年上ではない。アンジュ嬢の傷を癒して、兄弟の間に入った亀裂を直してくれるなら、むしろ歓迎したいほどだった。



          ◇



 数日後、大衆紙の一面に、『トリスタン王子、ついに結婚か』の見出しが踊った。それを見たダイアナは、新聞社に抗議をしようとしたが、母に『放っておけ』と言われて、唇を噛んでいた。


「良いじゃないか。ただのゴシップだ」


 無責任に言う夫を、妻は睨んだ。


「アンジュさんがどこかで見るかも、とは思わないの?…気に入らないわ。蛇が新聞社に、デマを流したのよ」


「なるほど。しかし、大衆紙のゴシップ記事まで、利用する目的は何だ?」


 ダイアナは、蛇の思考をなぞるように、目を閉じた。


「こちらが見つけられない、と言うことは、あちらも同じ。地下深く潜るアンジュさんを、引っ張り出そうとしている。揺さぶっているのよ。『捨てられる前に、出てこい』って」


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