02 ブリタニアの王子
10年前、ブリタニアの圧倒的な軍事力に屈し、シンドラ帝国は消えた。現在は、広大な領土の半分をブリタニアが、それ以外を多くの藩王国が治めている。ラジャ藩国は、今回派遣された新総督の、最初の訪問地であった。
「ようこそ、トリスタン殿下」
ラジャ藩王は城門で総督を出迎えた。両手を合わせて敬意を表すと、馬車の扉が開き、ゆっくりと黒いマントに身を包んだ男が下りてきた。おそろしく痩せている。長い黒髪は、げっそりとこけた頬を隠しきれていない。
ブリタニア王国第二王子・トリスタン。別名『死神王子』である。今にも折れそうな見た目と違い、ヒスパニアの無敵艦隊を破った名将と聞く。まだ20歳だというが、青い瞳からは冷気すら漂い、出迎えた者達は密かに身を震わせた。
「出迎え、かたじけない。ラジャ藩王」
「最初にお迎えできた事、誠に光栄でございます」
通訳を介して挨拶を交わし、総督一行を歓迎の宴に案内する。トリスタン王子は最も豪華な椅子に座った。次々に美味美食が並べられ、最高級の酒が黄金の杯に注がれるが、王子は一切手をつけない。
(毒を警戒しているのか?)
と、藩王は思ったが、宴はそのまま続けられ、踊り子の舞や軽技が披露された後、献上品の贈呈へと移った。王子の前に、シンドラ中から集めた珍品が運び込まれる。
「イザベラ女王陛下は神秘をお好みと伺いました。あの檻に入った動物は雪豹です。ヒマ山の高所にしか生息しておらず、その毛皮はどんな寒さも寄せつけません。この巨大な頭蓋骨は竜のものと言われ…」
「あれは?」
藩王の説明を遮り、細く骨張った指が、献上品の一角を指す。そこには白いサリーを着た女が立っている。顔はベールで見えない。
「評判の占い師です。何でも当てるとか」
「では、俺が今朝、食べた物を当ててみろ」
王子の問いを通訳が伝えると、女は即答した。
「食べてない」
「では昼食は?」
「食べてない」
「…」
緊迫した空気が流れた。女を下がらせよと、藩王が命じかけた時、
「大変結構だ。ありがたく頂戴する。では、私はこれで」
痩せた体がユラリと立ち上がり、会場を出て行ってしまった。ブリタニア人の部下や護衛も後に続く。結局、新総督は歓待に満足したのか否か。誰にも分からなかった。
◇
総督の宿舎は、岬の上に建つ美しい離宮であった。トリスタン王子は部屋に入るなり、黒いマントを放り投げた。
「暑い!」
「お疲れ様でした。すぐに湯浴みの支度をします」
従僕が次々と脱ぎ捨てられる衣服を拾う。別の者が水の入ったゴブレットを差し出した。それを飲んで、やっと王子は落ち着いた。
「あー。シンドラの暑さを舐めていた。ダメだ。こんなの続かない」
痩せた体をソファに投げ出すと、後から入ってきたネビル提督が宥めるように言った。
「いやいや。ラジャ藩王もビビってたでしょう。殿下は黙っていれば、魔王なんです。あのヒスパニアとの海戦を思い出してください。真っ黒な鎧をつけた殿下がお出ましになった途端、敵が潰走したじゃないですか」
提督は王子のお目付け役だ。いぶし銀の髭が魅力的な、筋骨隆々の軍人である。トリスタンは忌々しい記憶を思い出して噛みついた。
「お前が無理やり出させたんだろっ!俺はずっと船室にいたかったのにっ!大体、シンドラの情勢は安定してると言ってたじゃないか。なんで威圧するんだよ?」
「藩王達は、一見、服従してるようですが、いつまた反乱を起こすか分かりません。それに、ああやって脅しておけば、保身のために王女との縁談を申し出てくるでしょう」
死神王子の渾名は伊達じゃない。トリスタンと向かい合うと、令嬢は決まって泣き出してしまうのだ。ひどい時は気絶する。よって現在、見合いは100連敗中。国内で王子妃を見つけるのは難しいと、女王は息子を遠い植民地へと送り出したのである。
「どうせシンドラの娘達も同じさ。俺と目が合うなり悲鳴と涙の嵐だ。もうほっといてくれ。総督の任期が終わったら、静かに余生を過ごさせてほしい…」
ネビルは王子のぼやきを聞き流して、今後の予定を伝えた。
「明日はラジャ藩王が虎狩りを行うそうです。参加しますか?」
「絶対、嫌だ」
「では昼前に発ちます。訪問すべき藩国は沢山ありますから。さっさと終わらせてコルカタ城に入りましょう。今夜はゆっくりとお休みください」
提督が下がった後、王子は湯浴みをして汗を流した。ガウンだけを羽織り、夜風に当たっていると、従僕が夕食を運んできた。ギトギトと油が浮かんだ黄色いスープと米、ヨーグルト状の飲み物だ。不味そうなので手をつけなかった。
「殿下。昨日から何も召し上がっていませんが…」
心配を無視して、トリスタンは隣の部屋に行った。先ほどの献上品が所狭しと置いてある。この調子で荷が増えてはたまらない。先にブリタニアに送るか。工芸品はいいとして、檻で唸る子豹はどうしたものか…思案していたら、竜の頭蓋骨の後ろから話し声が聞こえてきた。
「出てこい」
と命じれば、先ほどの占い師ともう一人、老婆が現れる。思い出した。これも贈り物の一つだった。奴隷だろうか。先ほど、少しばかり驚かされたが、本物だったら占い好きの母が喜ぶかもしれない。王子はもう少し試してみることにした。
「腹は減ってないか?」
シンドラ語で尋ねると、占い師が頷いたので、手をつけなかった食事を運ばせた。
「食べろ」
「ありがとう」
彼女は両手を合わせ、頭を下げてから、ベールを取った。
「!!」
トリスタンは仰天した。ランプの灯りに照らされたのは、若い女だったのである。
◇
空腹だったアンジュとマヤは、床の上で高級な海鮮カレーを食べた。横で黒髪の男がジロジロと見ている。二人を連れてきた官吏の話では、ブリタニアの王子らしい。『お気に召したら、お抱え占い師になれるぞ』と言われたが、そんなものになる気はない。
食事が済んだところで、アンジュは切り出した。
「帰って良いですか?」
ソファに座る王子は、驚いたように瞬きをした。
「お前はもうブリタニアの女王陛下のものだ」
「違います。私たちはこの国の民でも、奴隷でもありません。帰してください。文句ならラジャ藩王にどうぞ」
アンジュは青い瞳を正面から見据えて、堂々と反論した。不敬な態度だろうに、王子は怒らずに了承してくれた。
「適当な国だな。攫ってきた人間を献上するとは。分かった。帰って良い」
「感謝します。お礼にタダで占ってあげましょう。何が知りたいですか?」
王子は少し考えた後、奇妙な注文をした。
「そうだな…これは友人の話なんだが、何度見合いをしても断られてしまうんだ。もう、目が合っただけで泣いて怖がられる。それ程醜男じゃない。ちょっと痩せてるだけなんだ。原因は何だ?呪われているのか?…と、その友人は気に病んでいてな」
「呪いではありません。守護霊がアチャラ・ナータ神だからです」
「ええっ?!どういうこと?ブリタニア人なんだけど、俺!いや、友人!」
アンジュは教えてやった。確かに珍しいが、あり得なくもない。アチャラ・ナータは名や姿を変え、世界中に広まっている。遠い東の国では『不動明王』と呼ぶらしい。
「憤怒の炎を背負う姿が、乙女には感じられるのです。大丈夫、妻を得れば炎は静まります」
「乙女が先か妻が先か。それが問題だな。ありがとう。そう、友人に伝えるよ…」
王子は肩を落として出て行こうとした。そこへ、立派な髭を蓄えたブリタニア人が、きな臭い匂いと共に飛び込んできた。
◇
「殿下!急いで避難を…誰ですか?!この美少女は?」
ネビルは床に座る占い師を見て叫んだ。王子はブリタニア語で答えた。
「占い師だよ。喜べ。俺がモテない理由が分かった」
「それより、火事ですっ!炎がもう下の階まで来ております!こちらへ!」
王子はガウンにルームシューズのまま、促されて部屋を出た。だが着替える間もなく、提督の部下が報告する。
「シンドラ人が一人もおりません!外部に続くドアも開きません!」
やられた。着任早々、反乱だ。トリスタンは己の不運を呪った。ブリタニア人は3階以上をあてがわれている。窓から飛び降りるか、焼け死ぬか。王子は献上品の部屋に戻り、まず、豹の檻を開けろと命じた。そして歯を剥いて唸る子豹の後ろ首を掴むと、
「おい。あそこの木が見えるな。逃がしてやるから、後は自分で何とかしろ」
窓から木を目掛けて放り投げた。後は占い師と老女だ。連れて逃げるしかあるまい。王子は二人に声をかけた。
「逃げるぞ。一緒に来い」
だが占い師ではなく、横の老婆が断った。
「いいえ。私たちは脱出口を使います」
「そんなのあったのか?!早く言えよ!」
老婆は壁にかけられたタペストリーを捲った。そこに古い扉があった。開けると狭い下り階段が見える。女が体を横にして、何とか下りられるほどの幅しかない。
「男には無理だ。と言うか、なぜ知っている?」
「私は昔、この離宮で働いていたんですよ。これはお妃の脱出用です。もう一つ、屋上に城壁へ続く橋があります」
それを聞いた提督と部下らは喜んだ。
「おおっ!では我々はそこから脱出しましょう!」
「ただし。下から矢で射られます。渡り切れても、海に飛び込むしかありません」
「何の。我らは海の男だぞ。さあ、殿下。参りましょう」
「ダメだ。俺は泳げない」
王子の一言で皆が沈黙してしまう。気まずい。そうこうする内に、煙が充満してきた。もう議論する時間は無い。トリスタンは決心した。
「俺はこの脱出口から逃げる。何とかいけそうだ。ネビル、お前たちは海に飛び込め。コルカタで会おう」
提督は逞しい拳を握りしめた。だが皆が助かるにはこれしかない。王子はその肩を叩いて励ました。
「命令だ。死ぬなよ」
「…かしこまりました。占い師よ。必ずや殿下をコルカタまでお連れしてくれ」
頼まれた占い師は、トリスタンとネビルを見比べ、
「大丈夫。貴方達はまた会えます。ご武運を」
と言い、狭い通路に滑り込んだ。老婆が後に続く。王子も体を横にして、真っ暗な階段を降りていった。




