19 蛇の襲撃
お兄さん夫婦は先にパーティーに戻った。アンジュはお医者さんに診察してもらった後、お姉さんとゆっくりお茶を飲んだ。甘いお菓子や、さっぱりしたレモンゼリーが美味しくて、たくさん食べた。
「それで?吸血鬼の長は、どんな姿なの?銀髪で赤い目の超美形?トリスタンめ、そういう情報は省いたわね。当然、大天使も美しいのよね?やっぱり!ああ!素敵!」
お姉さんは楽しい人だ。アンジュの話を喜んで聞いてくれて、愛妾の件も、
「まあ、こちらの常識ではそうだけど。実際に会ったら、義姉上の言ってる事が分かったわ。なんだか、マリア様にケチをつけてるみたい。でも、分からない人もいるから、時間はかかると思うけど、頑張って」
と言ってくれた。またもや涙が出る。その後、アンジュの気分が落ち着くのを待って、二人は会場に戻った。
◇
一歩足を踏み入れた瞬間、皆がアンジュを見た。上流階級の人々は、格段に金のかかった服を着ている。そのキラキラした空間を歩いていると、近くにいた夫人が、お姉さんに声をかけた。
「ご機嫌よう。メアリー殿下。そちらのお嬢さんは?殿方達が、妖精だと噂してますよ」
「ご機嫌よう。クロテッド夫人。その通り、トリスタンが、シンドラで捕まえてきた妖精です」
アンジュが手を合わせてお辞儀をしたら、夫人は驚いたように目を見開いた。異国感を全面に出そう、というお姉さんの作戦だ。そこに若い女性の一団が来た。
「ご機嫌よう。王女殿下。私達にも、その方を紹介してください」
代表みたいな女が、にこやかに言うけれど、目が笑っていない。
「アンジュさんよ。トリスタンを謀反人から救い、ブリタニアまで生還させてくれた、我が家の大恩人だから。皆も仲良くしてね」
恋人でも妻でもなく、恩人。絶妙な表現で、お姉さんはアンジュを紹介した。それから彼女達の名前を教えてくれたが、正直、覚える気は無い。屋敷の侍女に金を渡していた連中だから。
アンジュの食事に下剤を混ぜようとした女は、グラスを掲げた。
「ぜひ、武勇伝を聞かせてくださいな。その前に、乾杯しましょうよ。ねえ、皆さん」
「偉大なるシンドラの女騎士に!」
しかし、アンジュにグラスを渡そうとした給仕が、盆をひっくり返した。
「…」
上等なサリーは、酒やらジュースやらでびしょびしょになる。
「まあ!大変!大丈夫?」
「タオルをお持ちして!」
女達はわざとらしく声を上げる。アンジュは無意識に過去を視た。下剤女が給仕を買収する光景が見える。給仕は借金漬け、女は婚約者が浮気中で、素敵な第二王子に乗り換えたい。
「何て事を!愚か者めが!」
「申し訳ございません!」
お姉さんが叱りつけるも、床に頭を擦り付ける男は、大して反省していない。アンジュは心底嫌気がさした。そして急に、魔女の言葉を思い出した。
『人間の醜さを、覚えておきなさい』
その時、一人の女の人が、ハンカチを差し出してくれた。
「どうぞ。素敵な民族衣装が台無しですね。良かったら、私の予備のドレスをお貸しますよ」
金の髪と緑の瞳の、綺麗な女性だ。お姉さんと同い年くらいに見えるが、髪型が未婚っぽい。お姉さんはほっとした顔で、紹介した。
「アンジュ、こちらはルーマス伯爵令嬢よ。お言葉に甘えましょう」
ルーマス嬢は侍女に、ドレスを更衣室に運び、着替えを手伝うよう命じた。予備のドレスも豪華で、それに合わせて、髪も結ってくれた。どうしようもない女達もいれば、ルーマス嬢みたいな人格者もいる。やはり魔女は間違っている、とアンジュは思った。
着替えて会場に戻ると、ルーマス嬢が照れるくらい褒めてくれた。
「本当に綺麗よ!さあ、こちらへ。お友達を紹介しましょう」
アンジュは初めて、同世代の女子達と仲良くなった。親切な令嬢の友達は、皆親切で、トリスタンとの馴れ初めや、二人で乗り越えた苦難などを訊かれた。これまた、初めての“恋バナ”だった。
お姉さんが夫に呼ばれて席を外す間も、ルーマス嬢が側にいてくれる。彼女はアンジュの耳に口を寄せて、そっと教えてくれた。
「さっきの子達は、トリスタン殿下に見染められたくて、あんな事をするのよ。大丈夫、私たちは、殿下のお気持ちを知っているから」
「ありがとう。心強いです」
アンジュは令嬢の手を握った。親友になれそうな気がしたのだ。そこへ、お義姉さんの侍女が来た。
「アンジュ様、お時間です」
ルーマス嬢と別れを惜しみ、侍女の案内で裏口に出たら、一台の馬車が待っていた。背嚢を屋敷に置きっぱなしだが、諦めることにする。アンジュは、脱いだサリーが入った包みを持って、乗り込んだ。色々あったけど、楽しい夜だった。
◇
エドワードは会場内を一巡し、控え室に戻った。そこに、別行動だったダイアナが青い顔で飛び込んできた。
「やられた!アンジュさんが拐われた!」
「!?」
「メアリーが目を離した隙に、偽の侍女が、彼女を連れ出したのよ。最後に一緒にいた令嬢は、『確かに王太子妃の侍女が連れて行った』と言うけど、違う!私の侍女じゃない!」
取り乱した妻を抱きしめ、エドワードは側近に命じた。
「落ち着け。君のせいじゃない…おい、今すぐ、検問を始めろ。メアリーを呼んで来い」
「はっ」
数分して現れた妹は、頭を下げながら説明する。
「ごめんなさい。令嬢達と仲良く話してたから、少しなら大丈夫かと思って。私も、夫が呼んでるって言われてバルコニーに行ったんだけど、誰もいなくて。戻ったらもう…」
何という巧妙さ。おそらくもう、誰も偽の侍女の容貌を覚えていない。門番に調べさせたところ、検問を始める前に出た馬車は1台で、今、護衛騎士達に追わせている。
3人は無言で報告を待つ。そこへ侍従が入ってきた。
「王太子殿下。先程診察をした医師が、結果をお伝えしたいと」
忙しかったので忘れていた。続いて入ってきた医師は、何か重大な話があるらしく、人払いを願い出た。侍従と護衛らを下がらせると、医師は厳しい顔で言った。
「アンジュ嬢は妊娠しています。おそらく、2ヶ月から3ヶ月ほどでしょう。低栄養で非常に危険な状態です。今すぐ、入院すべきです」
◇
膝の上に置いた包みが、微かに動いた気がした。馬車の振動かとも思ったが、アンジュが中を開けて確かめると、眼鏡が復活していた。
『お久しぶりです。アンジュ』
あまりの嬉しさに、彼女は眼鏡に頬を寄せた。
「心配したよ、グレース。転移中に消えたかと思って。トリスタンも、今はシンドラだけど、凄く心配してた」
『申し訳ありません。随分前から起きていましたが、あの屋敷の呪詛があまりにキツくて、出てこられませんでした』
「呪詛?」
『大量の怨霊がいます。よほど強い守護霊を持っていなければ、取り憑かれてしまうでしょう』
方位が良くないらしい。数百年分の呪詛が吹き溜まっていて、トリスタンが痩せていたのは、このせいでもあった。アンジュはドルーガ女神に守られているので、気づかなかったそうだ。
グレースは急に話を変えた。
『時にアンジュ。速度が落ちたら、思い切って飛び降りるべきです。先程、あなたが着替えた後、誰かが更衣室で話していました。この馬車は、川に落とされます』
あまりの衝撃に、アンジュは言葉を失った。
『サリーの下にいたので、顔は見えませんでしたが、若い女性が、“事故に見せかけろ”と命じていました。それに対し、男の声で、“承知しました”と聞こえました』
あの下剤女の仲間か。全員は視なかったから、誰の企みかは分からない。アンジュは御者台の後ろに移動して、馬車越しに視た。
【御者は辻馬車屋で、一般客をパーティーに送ってきた。終わるまで待つつもりだったが、侍女風の女に、令嬢のお忍びデートを手伝ってほしい、と頼まれた。指定の場所まで令嬢を送ったら、1ポンドもらえる。破格の報酬に、彼は喜んで引き受けた。】
「…おかしい。更衣室の男とは別人みたい。そんな悪人じゃないよ」
『利用されていますね。その指定の場所で、悪人と交代するんでしょう。さあ、その重たいドレスを脱いで、サリーに着替えてください』
「分かった」
揺れる馬車の中で、アンジュは苦労してドレスを脱いだ。ルーマス嬢に返そうと思っていたけれど、こうなっては無理だ。生乾きのサリーを着替えて、逃げるタイミングを伺っていたが、一歩遅かった。馬車が止まり、御者の声が聞こえたのだ。
「おーい。次の担当って、あんたかい?」
「そうだ。2時間後にまた、ここに来てくれ。ほら、酒代だ」
別の男の声。悪人だ。
「ありがてぇ。姫さんは寝てるみたいだよ」
「構わないさ。相引きとなりゃ、起きるだろう」
「うひひひ。確かにな」
馬車が再び走り出す。彼女は辛抱強く機会を待ち、その間に、悪人を視た。
【その男は暗殺のプロだった。依頼人の素性は知らない。今回は、事故に見せかけて殺せという注文だ。馬車ごと川に突っ込んで、後であの御者も始末する。報酬は10ポンド。まずまずの稼ぎだが、沈める前に少し楽しんでやろう、と考えている】
なんと醜悪な欲望だろう。またしても魔女の言葉を思い出してしまった。アンジュは吐き気を堪えて、グレースに視たものを伝えた。
『少し、速度が落ちてきました。次に曲がる時に飛び出しましょう。プロだとすると、即座に追ってきます。鳩を呼べますか?シルヴァニア村で練習してましたよね?』
「呼べる」
『ドアを開けると同時に、鳩に悪人を襲わせてください。その隙に、走って逃げて』
アンジュは頷いて、眼鏡をかけた。途端に、昼間のように明るい視界になる。馬車は深い森に入ろうとする所だった。彼女は密かに、近くで寝ていた鳩を呼んだ。
『1、2、3…今です!』
「ウワッ!何だ?!」
鳩が、悪人に体当たりしたり、糞を引っ掛けて、注意を引いた隙に、アンジュは飛び出した。風の精霊が衝撃を弱めてくれたので、怪我も無く着地できた。
『走って!左の道です!』
後ろで悪人が何か叫んでいる。アンジュはひたすら、グレースに言われた通りに走った。ひどく体力が落ちていて、すぐに息が切れ、脚はガクガクと震える。それでも捕まる訳にはいかない。彼女は小動物のように怯えながら、最悪な夜を走り続けた。




