18 パーティーへの招待状
エドワードは父親に頼まれて、弟の屋敷に行った。例のシンドラ人の娘が、虐められていないか、ちゃんと食べているか、確かめてこいと言う。何故、王太子がそんな雑用を。非常に疑問かつ不満であった。だが、弟が遠い異国で戦っているのに、嫌ですとも言えず、でも一人で行くのは嫌で、妻のダイアナについてきてもらった。
ところが、
「お客様は、体調が悪いとのことで、お会いできません」
と使用人が言う。具合が悪いのか。だったら仕方ない。くだらない用事はこれで済んだ。エドワードは回れ右で帰ろうとした。だが、妻は使用人に金を握らせて、
「ここの秋バラは見事だって聞いたわ。見せてもらえるかしら?」
「どうぞ」
「案内はいらないわ。適当に見てまわるから」
などと、勝手に庭に入っていく。エドワードも当然、続いた。そこそこ広い庭は、雑草がちらほら生え、落ち葉も溜まっている。主人が留守とはいえ、全くもって怠慢な庭師だ。
「どこが見事なんだ?全然咲いてないじゃないか。手入れもなってない」
「しーっ。静かに」
ぶつぶつ文句を言う夫を、ダイアナは人差し指を口に当てて黙らせた。そして東屋の前で足を止めた。覗いてみると、大きなクッションの上で、黒髪の少女が眠っている。ネグリジェで裸足だ。
「この子ね。綺麗。妖精みたいだわ」
シンドラ人は肌が浅黒いと聞いていたが、この娘は白いな。栄養不足なのか、手足も細い。エドワードが観察していたら、妖精が起きた。
「誰?」
黒い瞳と、妻の美しい緑の瞳が合う。
「私はダイアナ。こちらはエドワード。初めまして、アンジュさん」
「ああ。トリスタンのお兄さんと、お義姉さん。初めまして。ようこそ」
娘はまた目を閉じてしまった。まるで眠り姫だ。ダイアナはそっと彼女の手を取り、声をかけた。
「少しお話ししましょう。お土産のクッキーよ。いかが?」
「食べる。ありがとう」
箱を受け取ると、彼女は早速食べ始めた。その間に、エドワードは東屋の中を確認した。水の入ったバケツ、小汚い背嚢。テーブルの上には、ベリーやら胡桃やら。床には炭で描いた×印…なぜか背筋が寒くなってきた。
クッキーを2、3枚食べ、娘はダイアナに両手を合わせた。
「お茶も出せなくて、ごめんなさい。中の人に頼めば、淹れてくれると思う」
「良いのよ。ちょっと寄っただけだから。この印は何?」
「トリスタンが帰ってくる日。あと、30日ぐらい?」
この娘、頭がおかしい。ダイアナの肩に手を乗せ、娘から離そうとしたら、妻はその手を払った。エドワードはびっくりした。そんな風に邪険にされたことが無かったからだ。
「どうして屋敷の中で寝ないの?」
妻が低い声で訊くと、娘は遠くを見た。
「私は嫌われてる。多くの令嬢が、侍女や召使いにお金を渡すぐらい」
「…なぜ、逃げないの?」
「トリスタンと約束したから。待ってるって」
ダイアナは暫く考えていたが、侍女に合図をして、一通の手紙を差し出した。そしてエドワードが仰天するような事を言った。
「明後日、パーティーがあるの。来ない?」
◇
屋敷に戻ると、エドワードは人払いをしてから、妻を問い質した。
「何を考えてるんだ?あんな娘を招待するなんて。第一、君はトリスタンの正妃を探す立場だろう。愛妾なんかを認めたら、女性達があれこれ言うぞ」
「…その件は保留にします。アンジュさんを早く保護しないと」
ダイアナは、紅茶に大量の砂糖を入れて混ぜながら、
「迂闊だったわ。義父上が面倒を見てると思って、放置してしまった。…まさか貴方、アンジュさんが狂ってると思ってるの?いいえ、おかしいのは、あの屋敷の者達よ。また出たんだわ。“蛇”が」
と、厳しい顔で言った。
「!?」
あまりの驚きに、カップを倒しそうになった。“蛇”とは、王太子妃選びの際、暗躍した謎の人物だ。多くの妃候補が蛇によって自滅し、ダイアナは結婚後も、何度も危機に晒された。
奴は決して自分の手を汚さない。誰かの耳に、根も葉も無い噂を撒くだけで、次々と悪意が連鎖していくのだ。ダイアナが護衛騎士との不貞を疑われた時も、事件に関与した者全てが、『誰からか聞いた』とか、『本当だと信じてしまった』などと言い、噂の元は突き止められなかった。
「多分、トリスタンを狙ってる令嬢達に吹き込んだのよ。『侍女に幾らか渡して、嫌がらせしよう』とか何とか。侍女の方にも、それを正当化する噂を流した。アンジュさんには後見もいないし、親御さんすらいないのよ。完全に虐め殺す気だわ」
「どうする?彼女を保護したら、我々も蛇に噛まれるぞ」
あの時の恨みを忘れてはいないが、奴の恐ろしさも覚えている。できれば関わりたくない。だが妻は、復讐する気満々であった。
「彼女がパーティーに来ることは、蛇もまだ知らないはず。始まる前にこっそり馬車に乗せて、トリスタンが戻るまで、宮殿の外で匿いましょう。きっと、隠れ家を躍起になって探すから。今度こそ蛇の尻尾を掴むのよ」
「…分かった。私は隠れ家を用意しよう。君は彼女を連れ出す方法を考えれくれ」
エドワードも腹を括った。二人で話し合って、『トリスタン救出の褒美』という名目で、ドレスや装飾品を弟の屋敷に届けさせた。王太子妃の贈り物ならば、断れないはずだ。
そして3日後の夜、主宮殿のメインホールで華やかな夜会が開かれた。
◇
アンジュは身支度を整えた。幸い、トリスタンが、どこからか上等なサリーを手に入れていたので、それを着る。アクセサリーはシンドラの星のネックレスがある。彼の背嚢の中に、赤い粉もあった。水で溶いたら綺麗な紅になったので、額に既婚の印をつけた。
背嚢には眼鏡も入っていた。転移の影響なのか、グレースは普通の眼鏡になってしまった。それでも仲間と共に行けば、心強いような気がしたので、胸元に忍ばせる。
アンジュが宮殿の広い敷地をてくてく歩いていると、馬車が何台も追い越して行く。多分、パーティー会場に行くのだろう。その後を追って、やがて大きな建物に着いた。
「一般人はこっちだ」
守衛が指す方に受付があった。招待状を見せ、中に入ったら、すぐに声をかけられた。
「もし。シンドラの方ですか?」
身なりの良いブリタニア人の女性だった。
「そうです」
「もしかして、旦那様が東シンドラ会社の関係者で?」
アンジュは頷いた。夫がシンドラ総督なので、方向性は間違っていない。その人も夫が駐在員で、最近まで一家でシンドラにいたらしく、話が弾んだ。特にストロング牧師の話をすると、
「まさかそこまで困窮していらっしゃるとは…」
と驚いていた。そうこうするうちにラッパの音が鳴り響き、人々が一列に並ぶ。女性がアンジュに囁いた。
「王族の方々よ」
なら、いよいよトリスタンのお母さんに会えるのか。彼女は期待を胸に、大きな扉を見た。再びラッパが鳴り、扉が開いた。旗を持った騎士とか、持ってない騎士とかの後に、王配殿下にエスコートされた、豪華なドレスの女性が歩いてくる。あれが女王だ。
(綺麗。威厳がある。髪と目の色が、トリスタンと同じだ)
その後に、お兄さん夫婦、美しい若い女性と、その夫らしき人が続く。トリスタンやお兄さんと同じ黒髪で青い目だから、きっとお姉さんだ。お義姉さんも、今日は金の髪を結い上げていて、とても綺麗。拍手をしながら、アンジュはそんな事を考えていた。
お義姉さんが前を通った時、目が合った。お義姉さんは、一瞬、立ち止まったが、すぐに行ってしまった。クッキーのお礼を言いそびれた。
一行はずーっと奥の方に去って行く。その後、お母さんが何か挨拶をしたが、全然聞こえなかった。それほど広い会場なのだ。
乾杯が終わり、アンジュは中流階級の人々に囲まれた。サリーが珍しいのか、沢山の人が見たがった。
「素晴らしい絹だ。やはりシンドラ投資は今が好機ですな」
「早く商船を送れると良いのですが」
「何、すぐにトリスタン殿下がヒスパニアを追い出してくださるよ」
それがひと段落すると、お義姉さんの侍女がやってきた。アンジュは会場を出て、長い廊下の先にある部屋に連れて行かれた。
◇
「どうして迎えの馬車に乗らなかったの?!そもそも、ドレスは?!」
入るなり、お義姉さんに怒られた。部屋のソファには、トリスタンのお兄さんとお姉さんも座っている。アンジュはとりあえず、手を合わせて挨拶をした。
「ご招待、ありがとうございます。先日は美味しいクッキーをご馳走様でした。迎えの馬車とは、すれ違ったようです。ドレスも、あったのかもしれませんが、気がつきませんでした」
皆、変な顔でアンジュを見ている。おかしなブリタニア語だったかな、と心配になった。
「これは深刻だわ。王太子妃の命令を黙殺するなんて。正気の沙汰じゃない」
と、お姉さんが扇を乱暴に閉じた。お兄さんも眉間を押さえて、苦々しげに言った。
「だが、あの屋敷の人事権は、トリスタンしか持っていない。あいつが帰ってきたら、全員、牢屋行きだな。アンジュ嬢、とりあえず、隣の部屋で医師の診察を受けなさい。その後、裏口から出るんだ。市内に隠れ家を用意してある」
アンジュは何が何だか分からず、瞬きばかりしていた。しかし、お姉さんが、お兄さん達に言うのを聞いて、ようやく理解した。
「あら。一旦会場に戻った方が良いわよ。シンドラの妖精が現れたって、青年貴族たちが騒いでるから。顔見せしないと不自然に思われるかも。あなた凄いわね。100メートル先からでも、目が奪われちゃう。兄上達は忙しいでしょうから、私が付き添ってあげる。良い感じのところで中座しましょう。それから逃げれば良いわ」
彼らは、アンジュを救おうとしているのだ。みるみる視界が歪んでくる。味方なんて一人もいないと、思い込んでいたけれど、違った。
「まあ。泣いたらお化粧が…あら?素顔なの?!凄っ!」
お姉さんはハンカチで涙を押さえてくれた。お義姉さんも優しく背を撫でてくれる。お兄さんは渋い顔で腕を組んでいる。素晴らしい人達だ。アンジュはトリスタンとその家族に、心からの感謝を捧げた。




