17 家族会議
その日の夜、緊急王族会議が開かれた。要するに、女王の私室に家族が集まっただけだ。トリスタンはその場で、シンドラでの一部始終を伝えた。だが、急いで書いた報告書を兄に突き返された。
「お前な。こんな空想小説が通用すると思ってるのか?」
他の家族は、無言で報告書を読んでいる。実際に魔法を見せれば納得するのだろうが、アンジュはずっと眠ったままだし、グレースも沈黙しているので、証明が難しい。
「もうシンドラ侵攻の準備は終わってるんだ。止めるなら議会で説明しろ。魔法とか魔女とか転移とか、意味不明な単語を使わずに、書き直せ!」
「じゃあ、書き直しますけど、これは事実ですから。シンドラは、我々の想像を遥かに超える地です。藩王国は選別すべきですが、ブリタニア流を強いるべきではありません。母上、何卒、人頭税の廃止と、信教の自由の保障を。私を助けてくれた者達との、約束なんです」
トリスタンは母に頭を下げた。オカルト好きの姉はうっとりとした顔で、
「吸血鬼との約束を破ったら、彼らに血を吸われる?」
と言った。
「どうでしょう。姉上は既婚者ですし。あんまり美味くないと思うなぁ」
「失礼ね。でも、私は信じるわ。面白いし」
兄のこめかみがピクリと動いた。超がつく現実主義者だから、キレる寸前だが、母の手前、自制している。その母は、報告書を読み終えると、すぐに指示を出した。
「エドワード。そんなに言うなら、あなたが書き直しなさい。トリスタンはネビルの救援に行ってもらいます。全艦隊を送るのは止めるけど、ヒスパニア軍も片付けなさい。そうしたら、人頭税廃止と信教の自由を許します」
「はいっ!」
願ったりだ。トリスタンはビシッと敬礼して、席を立った。兄は嫌そうに報告書を摘む。すると、父が慌てたように言った。
「この、アンジュって娘は、どうするんだ?」
「結婚します。転移のせいで眠ってるけど、目が覚めたら、ご挨拶に伺います」
両親は顔を見合わせた。兄と姉も変な顔をしている。でも、何も言わないので、トリスタンはそのまま退出した。
◇
残った4人は、トリスタンについて話し合った。
「結婚って…。シンドラの王族じゃないのよね?向こうは貴族って無いんでしたっけ?」
メアリーが心配そうに訊くと、勉強家のエドワードが、シンドラの身分制度を教えた。爵位というのは無く、人々は代々の職業で区別され、普通はその中で婚姻をする。アンジュという娘は、戦士階級、こちらの身分に当てはめると、騎士の家系となる。イザベラは即決した。
「無理ね。愛妾で我慢してもらいましょう」
第二王子を救った功績には報いるが、無位の外国人を正妻にはできない。例の死神の呪いも消えたようだし、王子妃になりたい令嬢は山といるだろう。
もちろん、エドワードも賛同する。
「では、トリスタンがシンドラから戻り次第、王子妃の発表ができるようにします。選考は王太子妃にお任せください」
「…私はアンジュ嬢の意向を訊いてみよう」
優しい夫は、なぜか少し寂しそうに申し出た。トリスタンが可哀想だと思っているのかもしれない。だが、正妻は高貴な血筋の令嬢しか有り得ない。好きな娘は愛妾で十分だ…イザベラはそのように軽く考えていた。
◇
『トリスタン王子、生還』の報は、すぐさまロンディニウム中を駆け巡った。更に、『死神が天使になったらしい』という話も広まり、真偽を確かめようと、多くの令嬢達が宮殿に詰めかけた。
「もうトリスタン殿下をお見かけした?」
「ええ!すっかりお美しくなられて。もう、誰も倒れたりしないのよ」
「やっぱり、以前のお姿が怖すぎたのね」
「御帰還祝いの夜会は、いつかしら?殿下、踊るわよね?」
見合いで泣いたり気を失った事も忘れ、娘達はソワソワとトリスタンの姿を探す。第二王子の妃の座をめぐる戦いが、密かに始まったのである。
◇
3日目に、ようやくアンジュが目覚めた。海軍卿との会議が終わると、トリスタンは大急ぎで自分の屋敷に戻った。
「アンジュ!心配したよ!」
アンジュは横になったまま、彼を見た。青ざめた顔が弱々しくて、思わず、その小さな手を取った。
「…」
「もう安心だよ。ここはロンディニウム、ブリタニアの首都だ。あ、腹減った?ちょっと待ってな」
トリスタンは庭に出て、レンガで作ったコンロに火をつけた。相変わらず飯が不味いので、自炊するために、庭師に作らせたのだ。そこで手早く乳粥を温めた。
「ほら、食べろ」
深皿に盛って、スプーンと一緒に渡すと、アンジュは笑顔を見せた。
「そんな綺麗な格好で料理なんて、変」
「服より飯だ。いっぱい食って早く元気になれよ。俺はちょっとシンドラに行って、アホ藩王どもを締めてくる。母上が、ネビルを救って、ヒスパニア艦隊を撃破したら、人頭税を廃止するって約束してくれたんだ」
「そう…」
「君はここで療養しててくれ。3ヶ月くらいかな。帰ってきたら結婚しよう。婚約の申請は、父上に頼んどくから」
彼女は嬉しそうに頷き、乳粥を完食した。
◇
それから3日間、トリスタンは留守の間の準備に奮闘した。アンジュにシンドラ料理を出せるように、屋敷の料理人にレシピを教えておく。召使い達には『大切な婚約者だから』と厳命し、彼女の世話をする侍女を雇う。ドレスや宝石、化粧品を買う金もたっぷり用意して、執事長に渡した。それから、婚約申請書を渡すついでに、『時々アンジュの様子を見てください』と父に頼んだ。
結局、アンジュはずっと体調が悪かったので、両親への挨拶はできなかった。でも、元気になったら一人で行く、と言う。健気で涙が出そうだ。そうこうするうちに、出陣の日が来た。
「待ってる。頑張ってね」
と言って、アンジュは屋敷の玄関で見送ってくれた。トリスタンは長い時間、彼女を抱きしめてから、出発した。そしてこの時も、ヴラドの予言を忘れていたのである。
◇
アンジュは一人になった。シンドラ料理が出てくると言っていたけれど、実際はブリタニアの料理だった。あまり美味しくなくて、毎食、ほとんど残してしまう。
体は徐々に回復してきた。広い庭を散歩すると、爽やかな風の中に精霊の気配がする。鳩たちも呼べば来てくれた。召使いは配膳の時以外、見かけないし、侍女は常に無言だったから、アンジュは精霊や鳩と会話していた。
ひと月ほど経ったある日、トリスタンの父親が様子を見に来た。
「初めまして、アンジュ嬢。まだ具合が悪いのかな?」
茶色い髪と、茶色い瞳の優しそうなおじさんが、応接室に入ってきた。普段は何もしない侍女も、さすがに茶を出す。でもソファに腰を下ろすと、埃が舞った。アンジュは知らんふりで答えた。
「いいえ。元気です」
「…寝巻きに見えるんだがね」
「これが一番上等なので。ようこそお越しくださいました。こちらからご挨拶に行けず、失礼いたしました。改めまして、アンジュです。お陰さまで、何不自由なく暮らせていますから、どうぞご心配なく」
王配殿下は目を瞬かせた。
「驚いた。上手なブリタニア語だ。お礼を言うのが遅くなったけど、トリスタンを助けてくれて、ありがとう」
「いいえ。こうして働かずに過ごせるのも、殿下のお陰ですから」
アンジュは一口茶を飲んで、紅茶だけは美味しいな、と思った。初めて見る茶菓子も、甘くて口に合う。お客様をそっちのけでボリボリ食べていると、王配殿下が指摘した。
「お腹が空いているの?掃除も行き届いてないし、ドレスも用意されていない。化粧は?湯浴みしてる?…気づいてないかもしれないけど、君、虐められてるよ」
周囲に立つ侍女たちは、真っ青になった。そんな事、とうに知っている。この三流侍女達は、アンジュに対する不満を隠そうともしないから。
「こちらでは、そういうものなのかと。どうか咎めないでください。殿下がお戻りになれば、皆、仕事に励むでしょう」
彼女は投げやりに言った。すると、王配殿下は声を顰めた。
「トリスタンは、戻ったら君と結婚したいと言っているが、多分、許可は下りない」
「…」
「愛妾では、ダメだろうか?」
アンジュはルマリ。そして、とっくにトリスタンの妻だ。
急に、応接室が暗くなった。窓の外で強い雨が降り出し、雷鳴が轟く。王配殿下の顔から血の気が引いた。
「すまなかった。忘れてほしい」
雨はぴたりと止んだ。アンジュはキッパリと言った。
「決めるのはトリスタンです。でも、彼が愛妾になれと言ったら、私はブリタニアを去ります」
◇
王配殿下の訪問以降、侍女や召使いの嫌がらせが酷い。愛妾ですらない異国の女を、誰が世話したいだろう。食事には汚物が混ぜられ、洗顔する水には劇物が入っている。アンジュは常に過去視をしなければならず、ストレスで吐き気や眩暈に襲われた。
(このままじゃ、倒れる)
とうとう寝具にまで毒が塗られると、アンジュは、トリスタンの背嚢と大きなクッションだけを持ち、庭の東屋に行った。そこに結界を張って、悪意を持つ者を遮断した。
食物は、鳩たちが、木の実や果物を運んできてくれる。水は花壇用の井戸がある。手洗いだけは、少し離れた庭園のを借りる。湯浴みはしなくても、魔法で清潔にできるし、雨や風は盾で防げる。始めてみたら、意外と快適だった。
(あと2ヶ月。頑張ろう。トリスタンさえ戻ってくれば…)
ルマリの娘は、またしても底辺に落ちてしまった。前と違って、助けてくれるマヤはいない。でも、夫の帰還という大きな希望があった。




