16 ポータル
タリムが食事を作ってくれた。さすがに大虐殺の現場ではなく、石柱の外だ。トリスタンとアンジュは、久しぶりに具入りのカレーと美味いチャパティを食った。腹も満ちて落ち着くと、トリスタンは雪豹氏に説明を求めた。
「で?ポータルって何?魔女はどこ行っちゃった?シェリムとタリムは親子?なんで人間に変身できる?ナーガとグルだったの?シンドラ兵、食う意味あった?」
怒涛の質問を、雪豹氏は前足を挙げて止める。
「まずは我々の事情を語らせてくれ。私達はヒマ山の神、ナーガの眷属だ。変身はナーガのお力。ルマリの娘なら理解できよう。数ヶ月前、ラジャ藩国の者達が、息子を捕らえて連れ去った。そして焼け死ぬ所を王子に救われ、戻ってきたのだ」
「オレは旦那に借りができた。だからポーターを買って出たんだ」
タリムは子豹に変身して、トリスタンの膝に頭を擦り付けた。愛想を売る作戦だな。アンジュが早速、子豹を抱いて撫でまわした。
「ナーガが、侵入者を一掃したいって言うから、オレはわざと雪崩に巻き込まれて、奴らを誘導しようとしたけど、ビーって謎の光が神殿の場所を教えちゃった」
言い方が軽い。トリスタンは怒鳴った。
「ふざけんな!アンジュは、お前が死んだと思って泣いてたんだぞ!」
「…ごめん」
子豹は耳と尾を垂れた。しかし、優しいアンジュは首を振った。
「もう良い。タリムが無事なら」
雪豹氏も頭を下げた。
「私が全て指示した。許してやってくれ」
トリスタンは考えた。吹雪がなければ、洞窟にも行かなかった訳だ。アンジュと二人きりの時間に免じて、許そう。次はポータルだ。
「どこでも、好きな場所へ行ける魔法じゃないの?」
と訊くと、雪豹氏はトリスタンの顔を見た。
「それは専門家が答えた方が良いだろう。あの眼鏡だ」
◇
グレースは魔法の研究をしていた。彼女が最も情熱を注いだのが、『天空神殿』である。はるか昔、異国の大魔法使いが作ったと言われるが、誰もその用途を突き止められなかった。
何年もかけて、彼女は、とうとう謎を解いた。それは“転移魔法”。特定の人物の血液で鍵が開き、同じ魔法陣の間を、瞬時に移動できるのだ。
幸運にも、ブリタニア王の血を引く男の協力を得られた。グレースは実験を繰り返し、一般人でも転移できる条件を見つけた。
◇
「まさかその条件って…」
トリスタンが恐々訊くと、眼鏡は微かに頷いた。
『生贄です。たった数キロの移動ですら、山羊一頭の命が要りました。私は怖くなって、研究を止めようとしましたが、その協力者…夫は発表してしまった。でも、記録が残っていないという事は、神々が封印したのでしょう。そして神殿の場所を“シンドラの星”に記したのだと思います』
思い出した。成果を横取りして、浮気相手とグレースを追い出した奴か。
『欧州の魔女は、条件は知っていたのに、正式な使い方は知りませんでした。33人の犠牲を捧げて、“魔女が支配する世界”に行ったようですが、そんな世界が本当にあるのやら。正しくは、“魔法陣がある場所の名前を発音する”、です。ご主人様は知っていますよね?』
「…ストーン・ヘンジだ」
『行ってください。ご主人様だけが、そこへ転移できます』
トリスタンは、はたと気づいた。さっきからアンジュが一言も発していない。彼女は全然驚かずに、グレースの話を見ていた。まさか、
「知っていたのか?」
埋蔵金ではなく、ブリタニアに転移できる場所だと。知りながら、トリスタンを連れてきたのか。アンジュは顔を上げて、はっきりと言った。
「うん。おじいちゃん皇帝から聞いた。本当はルマリがこの宝石を持つべきなんだって。アーサー王の子孫が来たら、伝えてほしいって。だから、旅に出た時から、ここを目指してた」
◇
トリスタンの顔には、驚きと怒り、失望が浮かんでいる。アンジュは努めて平静に話した。
「黙っててごめんね。見つかるかどうか、分からなかったから。行って。今すぐ。胸毛の過去を視たの。トリスタンのお母さんに、偽の首が送られてる。シンドラ海で、ヒスパニアの艦隊が待ち伏せしてるんだって」
「…」
「シンドラがヒスパニアに占領されたら、人頭税はどうなるの?子供達の親は?お願い、トリスタン。行って、お母さんを止めてきて」
「君はどうする?」
彼は硬い声で尋ねた。いつもの優しい響きはどこにもない。アンジュの胸は潰れそうだった。
「ウーバー山に帰る。大丈夫、もう魔女もいないし。占いで稼ぎながら…」
「そうじゃない。ブリタニアに、一緒に行こうって言っただろ?」
「今は行けない。あの魔法陣は、トリスタンしか運べないから。ね?グレース」
眼鏡は頷いた。
『既に犠牲分は魔女が使ってしまいました。アンジュが転移できる可能性は、0.01パーセント以下です』
「そうか…」
背嚢にグレースとスパイスを入れて、彼はノロノロと祭壇に向かった。
「じゃあな」
トリスタンは青く光る魔法陣の上に立った。雪豹親子は石柱の外から見ている。アンジュだけが、祭壇の下で見送った。
(これが最後)
彼はもう、シンドラには帰ってこない。そう思ったら、涙がとめどなく溢れ出た。やっと分かった。これが“欲望”だ。カマラが、魔女が囚われたもの。シンドラの未来を捨ててでも、トリスタンを引き留めたい。アンジュは必死で哀願を飲み込んだ。
「ダメだ。やっぱり、一緒に行こう!」
トリスタンが、急に彼女を祭壇の上に引っ張り上げた。そして固く抱きしめたまま、
「ストーン・ヘンジへ!」
と言った。アンジュの視界は青白い光に満たされ、意識が途切れた。
◇
強烈な西日に顔を背け、トリスタンは瞼を開けた。二日酔いのような怠さの中、草が頬に触れる。彼はガバッと起き上がった。周囲を見回すと、巨大な石の柱が見えた。
(ストーン・ヘンジ!)
少し離れたところにアンジュが倒れている。彼は慌てて彼女に這い寄った。
「アンジュ!」
完全に気を失っている。だが、転移に成功した。あのまま彼女をシンドラに置いていったら、トリスタンは、妻を利用して捨てたクズ夫だ。だから0.01パーセントに賭けたのだ。
死神だろうが何だろうが、ここではトリスタンは王子。アンジュを守り、幸福にしてやれる。彼は賭けに勝ったと思った。吸血鬼の予言など、チラとも思い出さなかった。
◇
トリスタン王子の悲報から4週間。ブリタニア王国の首都・ロンディニウムでは、シンドラ出兵の準備が進んでいた。王子の葬儀は、彼の地の制圧後に改めて行う。各地の軍港には続々と艦隊が集結し、出航に備えて物資の搬入が行われている。
その緊張の最中、驚くべき知らせがもたらされた。
「え?トリスタンが帰ってきた?」
イザベラ女王は聞き返した。静まり返った執務室に、伝令の声が響く。
「はっ!昨日夜、ソールズベリー市にトリスタン殿下が現れ、市長と面会されました。ただその…」
「何?」
「確かに王家の指輪をお持ちでしたが、非常にお姿が変わられている、とのことです!」
奇跡が起こった。やはり、あの首は偽物で、トリスタンは密かにシンドラを脱出していた。喜びと同時に、哀れみがイザベラの目を潤ませた。
(かわいそうに。より一層痩せてしまったのね)
そこへ夫が飛び込んできた。
「イザベラ!トリスタンが帰ってきた!」
「聞いたわ。急いで迎えを…」
「もう着いてるんだ!」
「ええっ?」
馬を飛ばせば、首都まで一晩もかからないが、衰弱しているのに、大丈夫なのか。それにしても夫が動揺している。お茶でも飲んで落ち着いて…と、言おうとした時、執務室のドアが乱暴に開けられた。
「母上!出航してはなりません!」
心臓が飛び出る程驚いた。死んだ父親が現れたのかと思ったのだ。
「シンドラ海でヒスパニアが罠を張っています!」
イザベラは夫の腕の中に倒れ込んだ。帰ってきた息子は、死神とは似ても似つかない、美男子に生まれ変わっていたのだ。




