15 天空神殿
何はともあれ、二人は恋人同士になった。トリスタンは幸福の絶頂であり、いつまでも吹雪であれと願っていたが、3日後、雪が止んだ。
迎えに来た雪豹氏に、アンジュは合掌する。
「ありがとうございました。精霊よ。お名前を教えていただけますか?」
「シェリム。気にする事はない。王子に恩を返しただけだ。では行こうか」
雪豹氏の先導で二人は歩き始めた。空はまだ暗く、風は冷たい。ナーガとやらの怒りは治ったのだろうか。休憩の時に訊いてみると、雪豹氏は空を見た。
「まだ多少、荒れている。…忘れていた。探していたのは、これか?」
どこから現れたのか、雪豹の鼻先に眼鏡が引っ掛かっている。トリスタンは相棒を受け取った。グレースは嬉しそうに言った。
『ご無事で何よりです。ご主人様』
「君もな。落としてごめんよ。ありがとう、シェリム」
「どういたしまして」
その時、雲の中から一条の光が降りてきて、アンジュの胸に当たった。彼女がネックレスを取り出すと、今度は青い宝石から真っ直ぐな光が伸び始め、山のある一点を指し示す。
「アンジュ!?」
「大丈夫。多分、あそこが秘宝がある場所よ」
スターサファイヤを背嚢に仕舞おうが、靴の中に入れようが、光は消えない。仕方なく、一行はそこに行くことにした。
◇
雪道は岩だらけの山道になり、ついに光の示す谷間に着いた。こんな山奥にも関わらず、明らかに人工物と思われる石の階段がある。長い階段を登りきると、光は消えた。
頂上は広い平地で、そこに、高さが6メートルはある石柱が円形に並んでいた。石柱の上に、平らな石が組まれて、門のようになっている。背後に山、中央に石の祭壇という相違点はあるものの、何十という石柱が立ち並ぶその光景を、トリスタンは見たことがあった。
(まるで、ストーン・ヘンジじゃないか)
ブリタニア南部の草原にある、古代遺跡だ。倒れた石が無い分、こちらの方が原初の姿を維持している。
「ここはナーガの聖域の中心、天空神殿だ」
雪豹氏は二人を石柱のそばに連れて行った。
「この祭壇の下に、宝物が埋まってるわけ?」
トリスタンが訊くと、雪豹氏は首を振った。
「違う。この場所そのものが、シンドラの秘宝だ。ここは魔法使いマーリンが…」
「そこまでだ。ガキの命が惜しかったら、手を挙げろ」
背後から、仇敵が割り込んできた。振り向くと、くたびれた姿のバンデラスと、魔女、シンドラ兵がバラバラと現れた。バンデラスの隣には、手首を縛られたタリムがいる。
「タリム!」
駆け出そうとするアンジュの足元を、バンデラスが短銃で撃った。
「動くな。エマニエル、娘は任せたぞ。もう殺していい」
「ええ」
魔女とアンジュが向かい合った。カラスと黒い犬を、アンジュは見えない防壁で跳ね返している。トリスタンはヒスパニア野郎と対峙した。傍にいる雪豹氏も、唸りながら奴の喉笛を狙っていて、心強い。
「てっきり雪崩で死んだと思ったぞ!さすがヒスパニア人だ!ゴキブリ並みだな!」
ボロボロのシンドラ兵は銃を持っていない。雪でダメになったんだろう。奴の短銃一丁なら、勝ち目はある。わざと撃たせようと煽ったが、
「阿呆。そんな挑発に乗るか。選択肢は2つ。このガキの脳みそを見るか、貴様の血を寄越すか。選べ!」
バンデラスは銃口をタリムのこめかみに押し当てた。
(クソっ!宝物なんかどうでも良いか)
取引に応じようとした時、雪豹氏が口を開いた。
「この場所の秘密を知っているようだな」
「俺に訊いてるのか?ケダモノ。知っているとも。シンドラの秘宝は、宝物なんかじゃない。あらゆる願いが叶う魔法だ。マーリンはアーサー王の子孫にそれを残そうとしたが、残念だったな。その死神の血さえあれば、俺が世界の王になれる!!」
トリスタンは耳を疑った。「あらゆる願いが叶う」魔法だと?バンデラスは狂っているのか。しかし、今、優先すべきは、タリムの命である。
「…その子を放せ」
「先に血だ。祭壇の魔法陣に注げ」
バンデラスは、タリムを引き摺りながら石柱の内側に入ると、中央にある、高さ1メートル程の祭壇に登った。トリスタンは雪豹氏に囁いた。
「隙をみて、あの子を助けてやって」
雪豹氏は何も言わなかった。でも、祭壇を取り巻くシンドラ兵を牽制してくれた。
トリスタンも祭壇に登った。円とルーン文字を組み合わせたような、奇妙な模様が彫られている。バンデラスはそこにナイフを投げ落とした。
「切れ。バッサリとな」
「…」
トリスタンは左の手のひらを切った。グッと拳を握り、滴る血を模様に垂らす。次の瞬間、魔法陣が青白く光った。
「!?」
全員の視線が祭壇に集中した、その僅かな隙に、タリムはバンデラスの手を振り解いて走り出した。
「おっと」
気づくなり、卑劣な男は子供を撃った。
「タリム!」
トリスタンは祭壇から飛び降りた。だが、見る間に赤い血が広がり、心臓を撃ち抜かれたタリムは、絶命した。小さな体で大きな荷を背負い、美味い飯を作ってくれた。たった3日だが、仲間だったのに。
「約束が違うぞ!」
子供の遺体を抱きしめる王子を、バンデラスはせせら笑った。
「はて、何の約束かな?さあ、これで貴様も用無しだ。アディオス、死神殿下」
奴は光の中に入った。神殿全体が音を立てて揺れ始める。何が始まるのか、トリスタンとシンドラ兵たちが身構えていると、突然、石柱の間から、何かが現れた。
「ナーガだ!」
コブラのように頭を大きく広げた、巨大な蛇だった。馬の胴体より太く、大型船のマストよりも長い体。人間を一飲みできそうな口から、鞭みたいな舌が出入りする。それは兵達を片っ端から喰らい始めた。
◇
一方、女の戦いは、アンジュが優勢だった。使い魔の攻撃を弾き、魔法攻撃を無力化、拳銃の弾を盾で防ぐ。撒かれた毒は、風を起こして吹き飛ばした。
「驚いた。いつの間に魔法を?」
魔女の息が荒い。会話で時間を稼ごうとしているから、魔力切れのようだ。
「吸血鬼のお姉さんに習った」
「あれは魔物よ。私達は魔女。馴れ合うのは間違ってるわ」
心底嫌そうな顔をして、魔女は言い捨てた。アンジュには違いがよく分からなかった。院長先生は人間を治療する。他の吸血鬼にも、人間と結婚している人がいる。人間を愛する者達を、魔物とは言わない。そう言うと、
「違う。人間など、ケダモノに過ぎない!あれを見なさい!」
白い指が石柱の内側を指した。ナーガがシンドラ兵達を食い殺している。その光景を、バンデラスが笑いながら見ている。
「醜いでしょう?あれが人間よ。自分の欲望の為なら、他人の命なんか、ゴミ同然なの」
アンジュは違和感を覚えた。魔女は、愛する男に秘宝を与える為に、ここまで来たのではなかったのか。だが、考える間もなく、ナーガに襲われるトリスタンに気づいた。
「トリスタン!!」
魔力の盾で大蛇の顎を打ちながら、彼女は石柱の内側に飛び込んだ。
◇
間一髪、大蛇の牙を躱せた、と思ったら、アンジュの盾だった。トリスタンは彼女にタリムの遺体を渡して、荷物の中から大天使の剣を取り出した。
「助けられなかった。せめて、埋葬しよう」
「…」
アンジュは泣きながら頷いた。怒り狂ったナーガを鎮めようと、剣を構えて近づいたが、急に大蛇の動きが止まった。30人以上いたシンドラ兵を全て喰らい、満足したのか、ナーガは大人しく祭壇近くでトグロを巻いた。
「ははははは!生贄は足りたようだな!では蛇神よ。俺の願いを聞け!」
光の中でバンデラスが高らかに言った。あいつめ、最初からシンドラ兵達を供物にする気だったのか。トリスタンは奴を斬ろうとした。だが、雪豹氏が袖を噛んで止めた。
「我を世界の王にせよ!」
魔法陣の光が輝きを増す。しかし、それ以上何も起こらない。
「どういうことだ?!エマニエル!…わああああっ!」
バンデラスが魔法陣から出た途端、ナーガが動き出し、奴をパクリと咥えた。絶叫が響く中、ナーガは、ゆっくりと時間をかけて飲み込んでいった。あまりに惨たらしい最期に、アンジュは顔を背け、トリスタンは口を押さえた。
(やはり願い事を叶える魔法なんて、嘘だった。では、この魔法陣は何だ?)
「そうじゃないのよ」
いつの間にか、魔法陣の上に魔女がいた。愛人が目の前で死んだというのに、清々しい顔だ。
「天空神殿は、ポータルなの。アーサー王の子孫以外が使うには、生贄が必要でね」
「…あなたが使う為に、こんな事を?」
アンジュが怒りを滲ませた声で訊いた。
「ええ。お付き合いいただいて、ありがとう。老婆心ながら、ルマリの。人間と魔女は決して共存できない。人間の醜さを、覚えておきなさい」
「…」
「では。…魔女が支配する世界へ!」
エマニエルの姿が掻き消える。二人は無言でそれを見つめていたが、不意にアンジュが叫んだ。
「あっ!」
「どうした?」
彼女に抱かれていたタリムの体が、雪豹になっている。雪豹氏より、もっと小さい子豹はモゾモゾと動き出し、地面に飛び降りた。
「終わった?」
タリムの声で子豹が喋った。トリスタンは驚愕した。雪豹氏はナーガを見上げて言った。
「侵入者は全て、片付きました。どうぞ、お戻りください」
「うん。アーサー、またね」
ナーガが喋った事にも驚いた。大蛇はチロチロと出入りする舌で、トリスタンの頭を撫でた。同様にアンジュの頭も。それから、現れた時のように、石柱の間に消えていった。
「アーサーじゃねぇし!説明しろよっ!献血詐欺か?!」
トリスタンが叫ぶと、タリムは人間の姿に戻って、どこからともなく荷物を出した。
「まずは昼飯にしようか。腹減ったろ?」




