01 帰郷
カイ・マイヤーというドイツの児童文学作家が大好きです。現実の歴史や地名に、ファンタジーを織り交ぜる作風を、真似してみました。お楽しみいただけたら、幸いです。
『ルマリ』はドルーガ女神の化身、生き神である。
戦士階級の娘・アンジュは3歳でルマリとなり、14歳で初潮を迎えて神座を降りた。その間、俗界との繋がりは絶たれ、家族ですら会うことは叶わない。だから、引退するまで両親の死を知らなかった。
「兄さんーーお前の父は戦死した。負け戦で生活が苦しいんだ。すまんが、これはもらうよ」
母も後を追うように病死したらしい。実家を継いだ叔父は、アンジュの退職金を持っていってしまった。絹のサリーも黄金の装飾品も、叔母と従姉に全て取り上げられた。でも最後のシンドラ皇帝から贈られたペンダントだけは、渡さなかった。
叔父は毎日飲み歩き、叔母は家事をさせようとする。従姉は奪う物がなくなると、近寄りもしない。アンジュは過去を懐かしんでばかりいた。
(月のものなど、来なければ良かった)
『ルマリの館』が恋しい。多くの侍女に傅かれ、美しい物に満ち溢れていた。王族ですらアンジュに額づき、ドルーガ祭の時は、神輿から祝福を撒いたのに。今やアンジュは唯の人で、厄介な居候だった。
女神の気配は消えていない。それだけが慰めであった。
◇
『元ルマリの嫁は繁栄をもたらす』と言われる。アンジュが戻って数ヶ月後、噂を聞きつけた男達が結婚を申し込んできた。皆、ターバンに大きな宝石を煌めかせ、豪華な長衣を着た金持ちだ。アンジュは異性に慣れないので、ベールを着けて見合いをした。その中に、
「まだ14歳でしたね。とりあえず式だけ挙げて、我が家にお越しください」
と言う青年がいた。本当の夫婦になるのは、成人するまで待ってくれるらしい。優しい人だと思った。
(きっと大切にしてくれる)
だから、そこに嫁ぐことにした。
◇
カマラは面白くなかった。従妹にばかり良い縁談が来るからだ。父の話では、御曹司との結婚が決まったそうだ。
(ずるい。贅沢三昧をしてきたくせに。金持ちの妻になれるなんて)
自分より年下なのに、先に嫁に行くのも許せない。何とか成り代われないものか…日夜考え続け、閃いた。挙式直前に、従妹が病気になれば良いのだ。困った両親はカマラを身代わりにするだろう。
(どうせ遠くの街に嫁ぐのだし。バレやしない)
覗き見た求婚者の美しさよ。あんな貴公子に愛されるのなら、悪魔に魂を売っても良い。カマラは密かに怪しい薬屋を訪ねた。
◇
アンジュは突然、高熱に倒れた。全身に広がる発疹を見て、叔父夫婦は怒り狂った。
「結婚式は今日だぞ!もう結納金も受け取ってしまった!どうするんだ!?」
「今更中止になんてできないわよっ!」
準備は終わっているのに。集まった親類に何て言えばーー喚く両親に、娘が提案した。
「これは疫病です。もう助かりません。大丈夫、私が身代わりになります。ベールを被れば親戚にも分からないでしょう。カマラが急病で入院した事にしてください」
「…」
夫婦は迷った末、下男に命じて病人を密かに運び出し、隣国との境にあるウーバー山の麓に捨てさせた。そして予定通り、盛大な結婚式を開いた。
◇
目が覚めると、闇の中で横になっていた。何が起こったのだろう。戸惑うアンジュは久々に過去視をした。月のものが始まれば、ルマリの力は消えると言うが、従姉がアンジュの朝食に毒を入れているのが視えた。叔父たちは、アンジュを捨ててこいと命じていた。更に、カマラの心の声が、どっと流れ込んでくる。
【あはははは!やった!誰も気づいてない!これで私が御曹司の妻よ!大嫌いだったのよ。あんな高慢ちきな女。元ルマリだかなんだか知らないけど、縫い物の一つもできないくせに、こっちを見下して。生き神なんて言ったって、どうせ置物みたいに座って偉そうにしてただけでしょ。偶然選ばれただけの唯の子供が、いい気味だ!】
(違う。私は女神の、女神の…)
涙が頬を伝い落ちた。その時、灯りが粗末な天井を照らした。
「お腹が空いた?それとも喉が渇いた?」
声の方を向くと、手燭を持った老女が立っている。乾いた手のひらがアンジュの額に置かれた。
「熱は下がったね。ニーナ」
「え?」
「さあ、体を拭いてあげるよ。ニーナ」
一瞬、他人の体に入ったのかと思い、アンジュはゾッとした。だが、胸元を探れば、あのペンダントもちゃんとある。
「…あなたは?」
恐る恐る尋ねたら、老婆は笑って、
「何を言ってるの。お母さんでしょうが」
と、優しくアンジュの世話を始めた。
◇
翌日、別の老女達が来て、事情が飲み込めた。ここはラジャ藩国との国境近く、ウーバー山の麓、老いた者を捨てる場所だ。シンドラ帝国崩壊後、乱立した藩国同士の戦さで貧困が拡大。食い扶持を減らすために、貧しい民は泣く泣く親を置いていく。
アンジュを拾ったのは、マヤという老女だった。『ニーナ』は彼女の娘の名だそうだ。
「つまり、あんたを死んだ娘だと思いこんでるのさ」
捨てられた老女の一人、スジャータは言った。
「おかげで助かったんだし。付き合ってやりなよ。これ、良かったら着て」
同じくクチュリという女は綿のサリーをくれた。何の模様もない、無地のものだ。
「…」
他に行くあてもない。仕方なく、アンジュはマヤの娘を演じることになった。ルマリの少女は、とうとう最下層まで落ちてしまったのである。
◇
マヤは若い頃、宮廷料理人だった。だから、住まいはボロボロの掘っ立て小屋なのに、食事は最高に美味しい。共同の畑で採れた野菜のカレーをモリモリ食べるうちに、アンジュの病は治った。
山向こうの街に市場がある。そこで野菜を売り、香辛料や油、米などを買うらしい。スジャータはヤギのチーズを、クチュリは布小物を作って稼ぐそうだ。捨てられた老女というから、物乞いでもしていると思ったが、全然違った。
その理由をスジャータが教えてくれた。
「人頭税だよ。シンドラ帝国があった時は無かった。でも、ブリタニアっていう外国との戦争に負けて、ラジャ藩国が始めたんだ。どんなに貧しくても、生まれたての赤子からも取る。家族が多いと食っていけないよ」
だから、まだまだ働けるのに、老いたら捨てる。マヤは愛する家族と離れておかしくなった。アンジュをニーナと呼び、何から何まで世話をする。家事は一切させない。だが、健康になったことだし、アンジュも働くことにした。
「お母さん。一緒に市場に行きたい」
しかし、マヤは首を振った。
「良いんだよ。子供は遊んでなさい」
「海の魚を食べてみたいの。お母さんなら美味しく料理できるでしょう?」
「まあね…」
本当は魚なんかどうでも良かった。アンジュは、マヤが野菜を売る横にゴザを敷き、『占い』と書いた看板を立てた。実家から遠く離れた街だったが、念の為、クチュリ婆にベールを作ってもらい、それを被った。
「マヤ婆さんの娘?(ってことは中年の出戻りか)どんな占いができんの?」
と、得意客が声をかけてくれば、まずは無料で占ってやった。あまりに当たるものだから、『ニーナ』の名は街中に知れ渡り、やがて行列ができるほどになった。
◇
俗世に下りて3年が経った。不思議と女神の恩寵は消えていない。むしろ強まっている。アンジュは確信した。ルマリの力は成長する。ではなぜ、血の穢れと共に失われる、と言われていたのか。
(きっと、素直で無力な少女の方が都合が良いんだ。扱いやすいから)
もう以前ほど、ルマリの館が良い場所だとは思えない。マヤの小屋が、今のアンジュの家だ。
「さあ、野菜も売り切った。帰ろうか、ニーナ」
「はい」
マヤが店仕舞いを始め、アンジュもゴザを巻いた。今日は何を買っていこうか。クチュリは布地を、スジャータは塩を欲しがってたっけ…相談しながら市場を歩いていると、ゴツい兵士を連れた官吏風の男が声をかけてきた。
「占い師ニーナというのはお前か?」
「そうです」
二人の女は手を合わせて頭を下げた。
「ブリタニアから新総督が来る。歓迎の宴で占いを見せよ」
男は返事も聞かずに歩き出した。有無を言わせぬ雰囲気で、仕方なく、アンジュが一人で行こうとしたら、
「一緒に」
と、マヤもついてきた。二人は馬車で藩王の城に連れて行かれた。




