スターダスト・プロミス ―あの夏の星に願って
夏休みは、いつも本を読んで過ごす。
家には、本棚がたくさんあって、まるで埃っぽい図書館みたいだ。
外では蝉の声がやかましく響いて、友達もみんな遠くに住んでいる。
だから、ひとりでいるのが当たり前だった。
特別な夏なんて、想像したこともなかった。少なくとも、彼女が来るまでは。
彼女は私の従姉。都会から、夏休みだけ祖父母の家に滞在するって聞いた。
お母さんが「賑やかになるわよ」って笑ったけど、私は少し不安だった。
知らない子と、どうやって過ごせばいいんだろう。
朝、電車が到着する時間に、祖父母と一緒に駅まで迎えに行った。
ホームに立ってる彼女は、黒髪をショートに切って、大きなサングラスをかけてる。
白いワンピースが風に揺れて、まるで映画のヒロインみたい。
サングラスを外した瞬間、大きな瞳が私を捉えた。
「綾? 久しぶり! 私、未希だよ。よろしくね!」って、手を差し出される。
握手した手が、温かくて少し汗ばんでる。心臓が、ちょっと速くなった。
家に着いて、荷物を置いたら、未希がすぐに「綾の部屋、見せて!」って。
私の狭い部屋で、本の山を指差して、「わあ、すごい! これ全部読んだの? 一緒に読もうよ!」って。
恥ずかしくて、頰が熱くなる。
私は本を大事にするけど、人と共有したことなんてなかった。
そもそも一緒に読むのって読みづらいし、自分のペースでページもめくれないから普通一緒に読まないよね。
未希は一番上にあるファンタジーの本を勝手にめくり始めて、「このお姫様、綾に似てるかも。静かで、強い目してる」って笑っていた。
お姫様?静かで強い目ってただ目つきが悪いだけでしょ。
自分でもわかってるのに、未希に言われるとなんかくすぐったい。
未希がページをめくる指先が、そっと私の手に触れた。
一瞬、心の奥が小さく跳ねたような気がした。
慌てて手を引く私に、未希はくすくす笑うだけ。
「照れ屋さんだね。かわいい。」
照れてないし、いきなりだったからでびっくりしただけだし
でも何だろうこの感情意味わかんない。
それから、夏の日々が変わった。
朝は一緒に庭でスイカを食べたり、午後は自転車で近所の川まで行ったり。
未希は都会っ子だから、泥だらけの川辺で石を投げて遊ぶのが新鮮だって。
私の髪が濡れて、未希がタオルで拭いてくれる。
「綾の髪、さらさらだね。触ってもいい?」って。
指が梳く感触が、くすぐったくて、でも心地いい。
夕方になると、家に戻って、アイスを分け合う。
未希の唇にクリームがついて、私が「取ってあげる」って拭くと、彼女の目が細くなる。
「綾、優しいね。もっと近くで見たいな。」
そんな言葉が、胸をざわつかせる。
普通の事やっただけなのに?
本当に何だろう?友達みたいだけど、違う何か。女の子同士なのに、こんな気持ちになるなんて、変かな。
ある夜、夕食の後で、未希が「屋根裏、探検しようよ!」って提案した。
家は古くて、屋根裏部屋がある。埃っぽい階段を上って、懐中電灯で照らす。
古い家具や箱がいっぱい。奥の方で、未希が「これ、何?」って声を上げる。
埃をかぶった古い望遠鏡。祖父の昔のものだって、後で聞いた。
「綾、星見よう! 今夜、流れ星が出るんだって。」
窓を開けて、望遠鏡を庭に向ける。夏の夜空は、田舎だから星がいっぱい。
都会育ちの未希が、目を輝かせる。「すごい! 綾、こっち来て。一緒に。」
その夜、屋根裏の空気は埃と古い木の匂いが混じって、懐かしいような息苦しいような。
未希が懐中電灯を振り回す光が、壁の蜘蛛の巣を照らして、影が踊る。
階段を上るたび、足元がきしむ音が、まるでこの家が私たちの秘密を囁いているみたい。
「綾、早く! 星が出てるよ!」未希の声が、興奮で少し上ずってる。
窓は古いガラスで曇ってるけど、外の闇が漏れ込んでくる。
彼女が袖をまくり上げて、埃まみれの望遠鏡を引っ張り出す。
金属の脚が床に当たるカンッという音が、静かな夜に響く。
窓を開けると、夏の湿った風が吹き込んできた。
田舎の空気は、都会の未希には新鮮だって。
蝉の残響が遠くで鳴いて、時折、蛙の声が混じる。
庭は暗闇に沈んで、家の畑がぼんやりと黒い影を落としてる。
私たちは床に新聞紙を敷いて座る。望遠鏡を庭に向けると、未希がレンズを覗き込む。
「わあ……見て、綾。あの星、こんなに近くて大きいなんて。」
彼女の声が、息を潜めたみたいに柔らかい。
私の番。目玉を合わせると、世界が変わる。
レンズの向こうは、無限の黒いキャンバス。夏の天の川が、銀色の川のように横たわってる。
田舎だから、光害がなくて、星が息づいてるみたい。
南の空に、さそり座の赤い心臓、アンタレスが脈打つように輝く。
未希が教えてくれた。「あれ、さそりの毒針の先。危なっかしくて、きれいだよね。」
私は頷いて、指で空をなぞる。
射手座の星々が並ぶ線が、未希のショートヘアの輪郭みたいに、やわらかく光っていた
風が少し強くなって、窓辺のカーテンが揺れる。
未希の肩が、私の肩にそっと寄りかかる。
彼女の体温が、Tシャツ越しに伝わってくる。温かくて、少し汗の匂いがする。
シャンプーの甘い香りと混じって、胸がざわつく。
「綾の瞳、星みたい。レンズ越しに見たら、もっと輝くかな。」
未希の囁きが、耳元で息づかいになる。
私は顔を赤らめて、望遠鏡から目を離す。
裸眼で空を見上げると、星屑が降り注ぐみたい。
ペルセウス座の二重星、アルゴルが東の空で小さく瞬いていた。
夏の大三角――ベガ、デネブ、アルタイル――が、夜空の頂で光を結び、私たちを包みこむ。
ベガの青白い輝きが、未希の瞳に映って、宝石みたいにきらめいた。
突然、流れ星。東の空を、銀色の線が斜めに滑る。
尾を引いて、消える前に、緑の残光を残す。
「あっ!」未希が私の手を掴む。指が絡まって、爪が少し食い込む。
痛くない、むしろ心地いい。「願い事、早く! 星に届くよ。」
私は目を閉じる。まぶたの裏に、未希の笑顔が浮かぶ。
「未希と、ずっと一緒に。離れても、この光みたいに繋がってて」
なぜか素直に、無意識にそんな言葉が出ちていた。
目を開けると、未希が私をじっと見てる。
彼女の唇が、わずかに開いてる。息が混ざる距離。
夜風が髪を乱して、未希の前髪が私の頰をくすぐる。
「私も、同じ。綾の星と、私の星。夏の夜空みたいに、毎年会えるように。」
未希の声はかすかに震えていた。瞳の奥に、さそり座の赤が映り込み、夜の光と混ざって深い色に染まる。
私は勇気を出して、そっと未希の頰に手を当てた。肌は、夏の風みたいに滑らかで、やわらかい。
私は未希が好きなんだ。うん初恋だとこの時理解しちゃった。
涙の跡が、わずかに湿ってる。
「未希……この空、未希がいると、怖くないよ。無限なのに、温かい」
言葉が、星の光みたいに零れ落ちる。未希は微笑んで、私の額に自分の額を寄せる。
額同士が触れて、熱が伝わる。唇が、そっと近づく。触れるか触れないかの、甘い緊張。
代わりに、未希の指が私の手を強く握る。
「星屑の約束。散らばっても、集まるよ。私たち、ずっと。」
その瞬間、別の流れ星が落ちた。ゆっくりと、弧を描いて。
空全体が、祝福するみたいに輝きを増す。
天の川の帯が、銀粉を撒き散らすように揺らめく。
田舎の夏の星空は、ただの闇じゃない。無数の物語が、点滅しながら語りかけてくる。
私たちの小さな恋も、その一つ。未希の息が、私の首筋にかかる。
心臓の音が、星の脈動と重なる。この夜が、永遠に続けばいいのに。
次の日々は、もっと濃くなった。
朝、未希が私の手を引いて、畑を走る。
「綾、もっと笑って! あなたの笑顔、星よりきれいだよ。」
私は照れながら、でも素直に笑う。
昼は、川で水遊び。未希の水着姿を見て、目を逸らす。
細い肩、濡れた髪。友達のはるか遠くの友達に手紙を書く時、未希のことを書きたくなる。
でも、秘密。夜はまた屋根裏で星を見る。望遠鏡を覗きながら、未希の頭を撫でる。
「未希の髪、星の光みたい。」
彼女は目を閉じて、「綾の指、優しい。もっと触って。」
そんな触れ合いが、毎晩の習慣に。心が、未希でいっぱいになる。
好き。友達以上の、特別な好き。
でも、夏休みの終わりが近づいた。
カレンダーに赤い線を引く日。未希の帰りの電車が、明後日。
家で、夕食の席が静かになる。私は食欲なくて、未希も箸を止める。
「綾、プレゼント作ろうよ。最後の夜に。」って、未希が言う。
私たちは私の部屋で、画用紙に星座図を描く。私は下手だけど、未希が手伝う。
「ここに、綾の星。私の星は隣。」指が重なる。
描き終わって、未希が自分の髪飾りを外す。青いリボン。
「これ、綾にあげる。私の代わりに、持ってて。」
私は自分のブレスレットを渡す。「未希も、これ。約束の証。」
最後の夜、屋根裏で星を見る。望遠鏡じゃなく、裸眼で。
未希が私の肩に寄りかかる。
「綾、寂しくなるね。でも、星はいつも見えるよ。夜空を見上げて、私のこと思い浮かべて。」
私は頷いて、未希の頰に手を当てる。柔らかい。
「未希、私……好きだよ。女の子なのに、こんなに。」
声が震える。未希は微笑んで、私の手を握る。
「私も好き。星屑の約束、忘れないで。」
唇が、そっと触れた。初めての、軽いキス。甘くて、切ない。夜風が、涙を乾かす。
別れの朝、駅のホーム。未希の荷物が重そう。
電車が来るまでの時間、言葉が少ない。私は未希の袖を掴む。
「また来年。絶対。」未希は頷いて、私を抱きしめる。
「うん。綾の隣で、星を見よう。」電車の汽笛が鳴る。
未希の後ろ姿が、遠ざかる。ホームに一人残って、空を見上げる。
朝の空に、星はない。でも、心の中に、未希の星が輝いてる。
それから、数年経った。中学に入って、都会の学校に転校した日。
教室で、隣の席の女の子が笑う。
「綾? 私、未希だよ。覚えてる?」
あの髪飾りを、まだつけている。
星屑の約束は、叶っていた。
私たちは、手を繋ぐ。新しい夏が、始まる。




